真実に近づく
「ロザンナさん、毎日補習大変ですね」
マリンだった。声音から不機嫌なのは分かったが無視する訳にいかず、ロザンナは立ち止まる。
「仕方がありませんわ。私は出来が悪いから」
「そうかしら。決して悪くはないと思うけど。こう言ってはなんですけど、ロザンナさんより成績が芳しくない方もいますのに、どうしてその方々は呼ばれないのかしら」
指摘にぎくりとし顔を強張らせたロザンナを、マリンは鼻で笑う。
「今まで嫌々受けているのかと思っていましたけど、もしかして違いましたか? 自ら望んで補習をされているのかしら」
「ほ、本気で仰っているの?」
「えぇ。だって最近のあなたはとても楽しそうに見えるわ。補習を受けたら点数が稼げるように、お父様が話をつけたのかしら。お得意でしょ?」
ちくりと突き刺さった嫌味に、ロザンナは眉根を寄せる。自分だけならともかく、父まで馬鹿にされたことが我慢できなかった。
「そう思うなら、マリンさんも一緒にいかがですか? 補習を受けたくらいで私に追いつかれでもしたら嫌でしょう?」
ほんの数秒、ロザンナはマリンと睨み合ってから、軽くお辞儀をして教室を飛び出す。ずんずん廊下を進み、角を曲がったところで足を止め、大きく息を吐き出した。
自分を睨み返したマリンは、九回目の最期で怒りをあらわにした彼女と同じ顔をしていた。煽らず騒がず穏便にあと半年乗り切る予定だったのに、ついカッとなってしまった自分を恨めしく思う。
思い返せば、今回はアカデミーに入学した当初からずっとマリンとぎこちない。入学前にはもう既に、ロザンナがアルベルトと頻繁に会っているのをずるいと不満を持たれていたのだから、友好関係を築けないのも当然かもしれない。
十回目の人生、この先どう展開するのか見えなくなってきている。騎士団の紫色のチャームを所持していたあの彼のことをはっきりさせないまま、アルベルトを信じて自分の気持ちに素直に生ても良いのか。
しかし展開が読めないからと言って、不安で雁字搦めになっては意味がない。この先何が起きても、無事に生き延びられさえすれば、きっと乗り越えられるはずだ。そのために光の魔力を磨き続けてきたのだ。ここからが本番だと自分に言い聞かせて、ロザンナはアルベルトの執務室に向かって歩き出した。
四階には空き教室しかないため、滅多に人とすれ違うことはない。いつものように三階から四階へと階段をのぼり、突き当たりにある執務室に向かって廊下を進んでいたのだが、ロザンナは途中で足を止めて振り返る。自分以外の足音を耳が拾ったような気がしたのだ。
けれど、廊下はいつも通り静まり返っていて、ひと気はまったくない。様子をうかがいつつも、ロザンナは鍵を開けて執務室に入った。
甘い花の香りに気づき、ロザンナは室内を見回す。アルベルトの机の上に置かれているディックが目に入り、そのまま引き寄せられる。
あったのは見事な赤い花弁を持つディック。昨日はなかったため、今日持ってきたものだろう。そっと手を伸ばすと、赤い花弁がロザンナに反応して小さく光を瞬かせた。以前、トゥーリと交わした会話を思い出し、アルベルトの魔法薬用のディックの花壇が頭に浮かんだ。
もう一度見せてもらいたいとお願いしてみようか。そんなことを考え、わずかに口元に笑みを浮かべた時、背後でガチャリと扉が開けられた。微笑んだまま振り返り、ロザンナは言葉を失う。
マリンがいる。どうして彼女がここにと抱いた疑問は、すぐに先ほどの違和感に繋がった。
「私をつけてきたのですか?」
声を震わせてのロザンナの問いかけは無視し、マリンは驚いた様子で部屋の中を見回している。
「こんなところで補習をしていらっしゃるの?」
マリンはうろついた後、ロザンナのそばで足を止める。彼女が見つめているのはアルベルトの仕事机。
「……それ、アルベルト様が好きなお花ね」
呟かれた低い声音、鋭い眼差しが突き刺さり、ロザンナはぎくりと肩を竦める。
「本当に補習なの? まさかここで、アルベルト様と会っていたりしないわよね」
なんて誤魔化そうか。まず最初にそう考えたが、ここでその場しのぎの嘘をついてもいつかきっとバレてしまうだろうとすぐに思い直す。ロザンナは背筋を伸ばして、マリンと向き合った。
「えぇその通りです。私はここでアルベルト様と過ごしております」
はっきり告げると、マリンは唇を噛んでロザンナを睨み返した。
「宰相のお父様を持っているあなたが、恨めしくて仕方がない」
「お父様が宰相だからって、なんだって言うの?」
「国王に進言できる唯一の存在。発言力も強く、国王に代わって臣下を動かすこともできるのよ? アルベルト様はあなたを蔑ろにできないわ。宰相様を怒らせて、謀反を企てられたら大変ですものね」
謀反という不穏な言葉に、ロザンナは目を見張る。自分の父にそんな凶悪な側面があるとはとても思えない……思いたくなかった。
「歴代の王妃に宰相の娘が多い理由はそれよ。アルベルト様があなたを贔屓するのは、宰相様の機嫌を損ねたくないから。宰相が別の誰かに変わらない限り、あなたが花嫁に選ばれるでしょうね。でもあなたは愛されてなんかいない。勘違いしないことね」
ロザンナに動揺が広がる。強く責め立てるマリンの言葉はロザンナに向けられたものだが、連想するのは記憶の中にいるマリン自身だったからだ。
スコットが亡くなり、アーヴィング伯爵が宰相になり、アルベルトがマリンを花嫁に選ぶ。その言葉通りなら、アーヴィング伯爵の機嫌を損ねたくなくて花嫁に選ばれたマリンは、アルベルトに愛されていなかったということになる。
ふっと九回目の記憶が蘇る。アルベルトがマリンに求婚する直前に見せた苦しげな顔。まさかという思いがロザンナの心の中で膨らんでいく。もしかしたらエストリーナ夫妻の死の回避は、ロザンナだけでなく、たくさんの人生に大きな変化をもたらしているのかもしれない。
「……それなら、私と私の父の存在が憎いのでしょうね」
ロザンナにとって喜ばしいことであっても、手にするはずのものが得られなかったアーヴィング親子にとっては、ある意味迷惑な話だろう。思わず呟いたロザンナの言葉を聞いて、マリンは自嘲する。
「えぇ。あなたのご両親が襲われたと聞いたあの夜、もしかしたらこのまま私の父が宰相になるかもと期待してしまったほどにね」
「なんてことを」
咄嗟にロザンナはマリンの腕を掴んだ。両親の死を望んでいたとわかる発言に怒りが込み上げてくる。しかし、そんなロザンナになどお構いなしで、マリンは続ける。
「けれどその後すぐ、致命傷を負ったはずのエストリーナ宰相が元気な姿で城に現れたって父が唖然としていたわ。しかもあなたが両親を助けたって言うじゃない。聖魔法が使えて、おまけに女神とまで崇められてて、大きな差をつけられたようで悔しかった」
ふつふつと沸き上がっていた怒りの中に疑問が生まれ、一気に冷静さを取り戻す。じっと見つめてくるロザンナに気まずさを覚えたのか、マリンは勢いよく顔を逸らした。
「刺されてしまうくらい誰かに恨まれていたのでしょう? 自業自得だわ」
そしてロザンナの手を乱暴に振り払い、足取り荒く部屋を出ていく。残されたロザンナは崩れ落ちるようにソファーに腰をおろし、高ぶる鼓動を宥めるように胸元をさする。
目撃者がたくさんいたため、エストリーナ夫妻が誰かに襲われたのは周知の事実である。同時にその場で、ゴルドンの見立てにより両親共にそれほど傷は深くなかったとされた。そのため、致命傷だったのを知っているのは傷を負った本人たちに、ロザンナとゴルドンだ。
後にスコット自ら、国王とアルベルトに包み隠さず話したため漏れ聞いた可能性もあるが、さっきのマリンの言い方は、まるで襲撃にあった当夜に致命傷だと知っていたようだった。
どうして知っているのか考えを巡らせるうちに、もうひとりいることに気がついてロザンナの手が震える。襲った本人だ。聖魔法での治療も困難なほど深い傷を与えたはずなのに、すぐにスコットが元気な姿で目の前に現れたら、……さぞ唖然とすることだろう。
ロザンナもゴルドンもしばらくの安静を要求していたのが、スコットはそれを押し切り、毅然とした態度で職務に復帰した。思い返せばその姿は、誰にも付けいる隙を与えたくないかのようだった。
両親の襲撃にアーヴィング伯爵が関わっているとしたら……。軽い吐き気を覚えて口元を手で覆った時、バタンと大きな音を立てて扉が開かれた。
「ロザンナ!」
部屋に飛び込んできたアルベルトが、真っ直ぐロザンナの元へ向かってくる。
「アルベルト様。どうしたのですか、そんなに慌てて」
「さっき廊下でマリン・アーヴィングとすれ違った。ひどくご立腹だったよ」
「すみません。それは私のせいです。先ほどまでここでお話をしていたので」
ふふっと力なく笑ったロザンナの頬をアルベルトは両手で包み込み、不安げに瞳を揺らす。
「顔色が悪いな。大丈夫か」
「えぇ。平気です。……あの、ひとつだけお伺いしても?」
ロザンナはアルベルトの目をじっと見つめて願いを口にする。アルベルトも、穏やかにロザンナを見つめ返しながらこくりと頷いた。




