特別な補習
「はい、先生。次の課題はなんでしょう」
やはり今日も見逃してもらえなかったと落胆しつつ、ロザンナは改めてメロディへ体をむける。
「課題。えぇ、そうですね。毎日出されるのも大変でしょうから……今日からは補習にします」
課題が無しになる流れかと喜んだのも束の間、すぐさまロザンナはがくりと肩を落とす。
席に戻る途中で、マリンやその取り巻きたちと目があった。マリンはあからさまではないものの、取り巻きたちからははっきりと小馬鹿にしたように笑われ、ロザンナは悔しさを覚える。
椅子に座ると「元気出して」とルイーズから声をかけられ、ロザンナは力なく微笑み返した。
放課後、とぼとぼとロザンナは指定された教室へ向かう。妃教育は主にアカデミーの東館の教室を使っているのだが、メロディから言われたのは西館で、最上階にあたる四階の角部屋だった。
東館でも空いている教室はあるのになぜこの部屋なのだろうかと疑問を抱きつつ、ロザンナは扉をノックした。返事はなかったが鍵は開いていたため、「失礼します」と声をかけながら室内を覗き見る。
目に飛び込んできた壁一面の本棚に「わぁ」と感嘆の声を漏らし、ロザンナは中に足を踏み入れた。部屋はこじんまりとしているが置かれているソファーや机は上等、窓際の観葉植物の葉も大きく青々として立派だ。
「ここは何の部屋なのかしら」
書棚の前に立って思ったことを呟いた瞬間、背後から答えが返された。
「俺が個人的に使わせてもらっている部屋だ」
驚き振り返るも室内にその声の主の姿は見当たらず、ロザンナは身構える。
「アルベルト様、どこにいらっしゃるのですか?」
「ここだよ」
声を頼りにソファーの前面へと回り込むと、そこにアルベルトが寝転んでいた。なぜ彼がここにいるのか。
「ええと、……メロディ先生はどこに?」
「来ないよ。俺が君をここに来させるように仕向けたんだ」
少しも悪びれることなくさらりと言ってのけたアルベルトへ、ロザンナはわずかに目を細めた。
「体調が芳しくないので帰らせていただきます」
補習でないのならここにいる理由はない。即座に扉に向かうも、辿り着く前にアルベルトがロザンナの行手を塞いだ。右へ左へと動いても同じように移動され、その先へと進めない。
「退いてくださいませ!」
「嫌だね」
「どうして。……ひゃっ」
アルベルトの手がロザンナの肩を掴んで器用に体を回転させる。そのまま後ろから押す形で、ロザンナをソファーまで連れ戻した。
フカフカのソファーに座らされてロザンナが眼差しで抗議すると、アルベルトもその隣に腰を降ろしムッと顔をしかめた。
「最近、何かと下手な理由をつけて俺の呼び出しを無視しているようだが、忘れたのか? 試験を受けられるよう計らう代わりとして、俺とした約束を」
そのひと言で、ロザンナは動きを止める。すっかり忘れていたが確かに約束をしている。彼が問題視している約束事は『妃教育を優先すること』か、それとも『俺と一ヶ月に一回は必ずお茶を飲むこと』の方か。
テストの点数からして妃教育に比重を置いていないのを気づかれていてもおかしくないし、最近ずっと誘いを断っているしで、どちらもという可能性も捨てきれず、ロザンナは頭を抱える。
「前回、ゴルドンの研究室で菓子を食べて、一ヶ月過ぎてしまった。約束が破られたのだから、聖魔法のクラスを辞めさせられても文句はないよな?」
ロザンナは心の中で絶叫する。アルベルトの目は据わっている。本気だ。
「どっ、どうかそれだけは!」
「だったら少し世間話でもしようか……別に嫌なら良いんだぞ。体調がすぐれないと今すぐこの部屋を出て行っても」
ロザンナはソファーの肘掛を両手で掴み、一転して絶対にここから離れないと主張する。アルベルトは立ち上がり、ワゴンを引き寄せてティーポットやティーカップをテーブルの上に移動した。「私がやります」と声をあげたロザンナへと優しい微笑みと共に軽く首を振って、カップに紅茶を注ぐ。
「召し上がれ」
「ありがとうございます」
ロザンナは差し出されたカップを手に取って、改めて室内見回した。書棚に並ぶのは専門書ばかりで、魔法薬の本もいくつか見つけられ、ロザンナは数冊借りれないだろうかとぼんやり考える。
「いろいろ思ったのだが、……お前俺のことが嫌いなのか?」
ちょうどカップに口をつけた瞬間、アルベルトにそう切り出され、ロザンナは噴き出しそうになる。慌ててカップをテーブルのソーサーに戻して、涙目でアルベルトを見た。
「い、いきなり、なんですか? そんな訳ないじゃないですか」
「今の俺への態度だけじゃない。成績や授業態度からして、妃教育に関するものは明らかに力を抜いてる。そんなに俺の嫁になるのが嫌か」
アルベルトの花嫁になりたくてもなれなかった自分への酷な質問に、ロザンナは唇を噛む。そして胸の痛みに耐えきれなくなり、気持ちをぶつける。
「あなたの花嫁になりたいと言っても、どうせ叶わないのでしょ? 私、分かっているんです。アルベルト様がマリンさんを好いていらっしゃることを」
「俺が? どこをどう勘違いしたらそうなるんだよ」
「候補者たちの多くも、花嫁に選ばれるのはマリンさんだと予想しています。休暇中に彼女の元へ訪ねて行かれたとも聞きましたし」
ロザンナから飛び出した言葉に、アルベルトはほんの一瞬唖然とした顔をするも、盛大なため息と共に一蹴する。
「確かに行ったが、彼女に会いたくてアーヴィング邸を訪ねたわけじゃない。とある事件について調べていて。……それ以上は言えない」
疑わしい気持ちと、事件の詳細に触れるのを先に拒否されたことが引っかかり、ロザンナは「そうですか」と素っ気なく返す。すると、視線を落としたロザンナの手をアルベルトが掴み取った。
「あの訪問と、純粋に一緒にいたいと思える今この瞬間は全くの別物だ。俺は、誰よりもあなたを大切に思っている」
「それは、……私を好いてくれているということですか?」
「あぁ。俺はロザンナが好きだ」
アルベルトの表情は真剣で、とても嘘をついているようには思えない。ずっと欲しかった言葉に、喜びで胸が震える。目に涙も浮かぶが、すぐにこれまでの人生の記憶が心に影を落とす。結局彼が選ぶのはマリンなのでしょと、彼を信じ切れないもどかしさがロザンナを苦しめた。
「なんでこの世の終わりみたいな顔をしているんだよ。そんなに俺が嫌いなのか?」
アルベルトにボヤかれ、ロザンナはハッと顔を上げてふるふると首を横に振る。
「それなら俺は、ロザンナにとってどんな存在なんだ」
「……私は、自分の気持ちと向きあうのが怖いのです。アルベルト様を慕っていると認めたら、どんどん好きになってしまう。あなたしか見えない状態になった時に、手を離されたらと考えたら……怖くて仕方がないのです」
一回目の人生の死因はロザンナ自身だ。アルベルトを好きすぎて、でも彼が他の女性を選んだことに絶望し自ら命を絶った。
今ロザンナは、彼に惹かれ始めている自分に気付かないふりをしている。アルベルトを心のままに好きになり、期待を膨らませるほど絶望もおおきくなるからだ。
「……俺が信じられないんだな」
アルベルトは顎に手を当てて考える仕草をした後、ロザンナを掴んでいた手を離してソファーから立ち上がる。
机の引き出しから何かを取り出してロザンナの隣に舞い戻ると、再び手を掴み取った。手の中に置かれた冷たい感触にすぐさま視線を落として、ロザンナは大きく目を見開く。彼から渡されたのは鍵だった。
「この部屋の鍵だ。ここは今、執務室として使っている。放課後や空き時間は大抵いるから、ロザンナにも来て欲しい。その目で見て判断してくれ。俺が心を許すに値する人間かどうかを」
アルベルトの真剣な面持ちと手の中にある小さくても重みを感じる鍵を交互に見た後、ロザンナは頷いた。
「わかりました。また来ます。ここには読み応えのある書物がたくさんありそうなので」
「好きなだけ読んでいいから、妃教育にもやる気を出してくれ」
ロザンナはテーブルにそっと鍵を置くと、紅茶を一口飲み、早速書棚へ向かう。
「今日はこれを読むわ」
引き抜いた本を胸元に抱えてロザンナは振り返り、アルベルトへと嬉しそうに笑いかけたのだった。
その日から、ロザンナは放課後になるとアルベルトの執務室へ通うようになった。
「今日も補習頑張ってね」
授業を終えて、今日は何をしようかと考えていたロザンナへと、ルイーズが苦笑いで声をかけた。
実は補習でないことはルイーズも知っている。しかし、教室内でロザンナの動向を注意深く観察しているマリン派の花嫁候補者たちがたくさんいるため、事を荒立てないようにあえて補習と言うことにしているのだ。
ちらちらとこちらを見ているマリン派の彼女たちを横目で見てから、ロザンナは同じく苦笑いで「ありがとう」と返事をし、ルイーズを見送る。
聖魔法の教本をバッグに入れて立ち上がりかけ、慌ててロザンナは座り直した。メロディとの補習なのに聖魔法の教本だけ持っていくのはおかしいかもとマナーの本も追加で入れて、もう一度立ち上がる。
逃げるように教室を出ていく途中で、戸口の近くで取り巻きたちと立っていたマリンと目があい、すぐさまロザンナは視線を逸らす。そのまま教室を出ようとしたが、彼女たちの横に差し掛かった瞬間、声がかけられた。




