まさかの可能性
教師が木刀を掴み取ると同時に、アルベルトが素早く切り込んでいく。力強い一打一打を受け止めるのが精一杯の教師に、反撃する余裕などないことは誰が見ても明らかだった。
「面白そうな展開になってきたわね。もっと近くまで行きましょうよ」
ルイーズに手を引かれ歩きながら、ロザンナはアルベルトに対して苦笑いする。どうやら彼は教師の態度が癪に触ったらしい。
そばまでくると打ち合う木刀の音に圧倒され、アルベルトの俊敏な動きにすっかり目が離せなくなる。彼は間違いなく強い。
アルベルトの木刀からゆらりと陽炎が立ち昇る。わずかながらもその眼差しに赤い輝きが宿ったのを見て取り、ロザンナは思わず息をのむ。
「……まさか」
ふっと、アルベルトに違う人間の眼差しが重なった。アカデミーに入る前、診療所の裏の林で助けたあの男性を思い浮かべながら、ロザンナは少しずつ前進する。
別人のはずだと考えるも、心が騒めいて落ち着かない。もっと近くでよく見たいと可能なだけ近づいていくと、「そこまでだ」と息も絶え絶えに教師から声が上がった。
言葉で聞けば強気だが教師は尻餅をつき、アルベルトに見下ろされる形で鼻先に木刀の先端を突きつけられていた。
一歩一歩足を進ませながら、ロザンナはアルベルトの横顔を、その目元をじっと見つめる。他者を萎縮させる冷酷な眼差しは、あの時の彼と似ている。瞳の奥と髪にもちらちらと赤が混ざっていて余計にそう思わせる。
肩の力を抜き、木刀を横に振るいつつ後退すると、徐々にアルベルトから赤が消えていった。「授業はここまでだ!」と教師が捨て台詞を吐き、足をもたつかせて校舎へ向かっていく。
わっと生徒たちに囲まれたアルベルトを見てロザンナも彼の元へ行こうとしたが、「アルベルト様!」と響いた声が邪魔をした。
アルベルトに駆け寄ったのはマリンだ。「とても素敵でした」と頬を赤く染める彼女へ、アルベルトが「ありがとう」と微笑みかける。視線を通わせる様子にロザンナの胸がちくりと痛み、完全に足が止まる。
彼の気持ちはどうなっているのかという心配は杞憂に終わりそうだ。アルベルトは休暇中にマリンに会いに行っていた。他の誰にも、同じ学内にいたはずのロザンナの元にも彼は会いに来ていないのにだ。
やっとマリンの良さに気づいて、彼女に気持ちが傾いたのかもしれない。いつも通りの流れを取り戻し、これでロザンナも聖魔法師への夢に向かってひたすら突き進んでいける。
……そのはずなのに、アルベルトがマリンを訪ねたと聞いた時も、そして仲の良いふたりを目の当たりにして、ロザンナの胸は苦しくなる。
悔しいけれど、やっぱりアルベルトは格好いい。彼の態度に胸が高鳴らせ、気付けば期待してしまっていた。
アルベルトが選ぶのはマリン。誰かに言うだけでなく、自分に対しても何百回と繰り返してきた言葉を、再び心の中で繰り返す。
不意にアルベルトの目がロザンナを捕らえた。途端にロザンナに気まずさが込み上げてきて、ぎこちなく後ろへ下がっていく。アルベルトにマリン、そして優越にまみれたマリンの取り巻きたちの視線から逃げるように寮に向かって急ぎ足になる。
寮の部屋の前までついてきた自分の取り巻きたちに「申し訳ないのだけれど、少し休みます」と告げ、そしてルイーズにも「また後で」と言葉をかけ、ロザンナは部屋の中に逃げ込む。
すぐに「お帰りなさいませ」とトゥーリが鉢植えを手に姿を現した。咲いているのは魔法薬用の真白きディックの花。なぜ今アルベルトを連想させるそれが出てくるのかと、ロザンナは小さく項垂れる。
「休暇がなかったお嬢様にと先ほどご実家から届いたものなのですが、……お気に召しませんか?」
「いいえ。庭師が大切にお世話し続けてくれているものですもの。そんなことはありませんわ」
ロザンナは慌てて歩み寄り、真っ白な花弁を撫でるように手をかざした。ぽうっと光を発したディックに目を輝かせたトゥーリにロザンナは微笑んでから、ひとりがけのソファーに深く腰かける。
アルベルトから贈られたディックの花は全て実家に置いてきてある。
「最初に見た時は驚きましたけれど、本当に綺麗ですよね。花々が一面に輝いていたら幻想的でしょうね。……あぁでも、言いづらいのですが、なかなかお世話が難しいらしく、いくつか枯らせてしまったようです。アルベルト様からの贈り物ですし、分球を試みたりと庭師も必死になったようですけど力及ばずで」
「そう。観賞用としての花ではないから、いつも通りではいかないこともあるかもしれないし、仕方ないわよ」
もしかしたら栽培に関する注意事項があったのかもしれない。アルベルトに聞いておけば良かったとロザンナは考えを巡らし、幼い時に目にしたものを思い出す。
彼の誕生日パーティーが催されたあの日、花壇にはたくさんのディックの花が咲いていた。今はどうなっているのだろうか。根拠はないが、あの日よりももっとたくさん咲いているのではという気持ちになっていく。
心の中にもう一度見てみたいという願いが生まれるが、先ほど目にしたふたりの姿が頭に浮かび、叶いそうにもないなと落胆する。
そしてさっきから気になっているのは、冷徹な顔をしたアルベルトとかつて治療した紫色のクリスタルチャームを所持していた騎士団員の眼差しが重なったこと。
あの時彼はアルベルトだったのだろうか。しかし本当にそうだったとしたら、あれは自分だったと既に打ち明けられていてもおかしくない。隠す理由もないのだからとまで考え、ロザンナはハッとする。
『もう決して関わらないでください。知りすぎてしまったら、助けた相手にあなたが命を狙われます』
言われた瞬間は怖くて仕方なかったのに、すっかり忘れていたゴルドンからの言葉を思い出し、口元を手で覆う。
知られたくないから、あれは自分だったとあえてアルベルトが言わなかった可能性もある。詮索してその事実に辿り着いてしまったら、十回目の人生はアルベルト手によって終わらされてしまうかもしれない。
アルベルトがそんなことをするはずがないと笑い飛ばしたいのに、冷酷な彼の表情を目にしてしまっているため冗談で片付けられない。
実はもうとっくにアルベルトの心はマリンのもので、彼が自分に構うのは勘付かれた時に迅速に対処できるようにと考えてのことではとまで、ロザンナは想像を膨らませる。
木刀を突き付けられていた教師の姿が半年後の自分の姿かもしれないと背筋を震わせた時、コンコンと戸が叩かれた。
テーブルの上に置いたディックを嬉しそうに眺めていたトゥーリがすかさずそれに反応し、扉へと向かっていく。戸口で何かボソボソとやり取りをした後、彼女はロザンナの元に舞い戻り、さきほどよりも何倍も顔を輝かせた。
「アルベルト様から昼食のお誘いです」
「ひっ!」
嬉々とした報告に、ロザンナは小さく悲鳴をあげ体を強張らせる。そしてゴホゴホと突然咳をし始める。
「私、少し体調が悪いの。風邪気味かも。アルベルト様に移すわけにはいかないので今日は、……いえ、しばらく遠慮させていただきたいわ」
「ロ、ロザンナ様?」
トゥーリから怪訝な顔をされ、ロザンナは慌ててベッドへ潜り込む。もう一度だけ「ロザンナ様」と呼び掛けてから、トゥーリは使いが待っている戸口へと戻っていった。
「申し訳ありませんが」と事情を説明するトゥーリの声を聞きながら、ロザンナはわざとらしく咳を連発する。
アルベルトとあの男性が同一人物かどうかはわからない。確認するのも怖い。正解だったら殺されるかもしれないからだ。
しかし、気になってしまったからには、今までのように警戒心なく接することも難しい。顔を合わせたら態度で不審に思われる。しばらく会わないようにしよう、それが身のためだとロザンナは決意した。
それからロザンナはのらりくらりとアルベルトの誘いを断り続け、学園内で鉢合わせした時も次の授業に遅れてしまうのでとそそくさと彼から離れていく。そんな状態が一週間続いた。
「さすがアルベルト様! マリンさんに似合うものをよくわかっていらっしゃる」
教室の真ん中で、取り巻きたちがマリンを褒め称えている様子を見つめながら、ルイーズが「あれは誰が付けても大体似合うわよ」とぼそり呟く。ロザンナはただ曖昧に笑うだけにとどめた。
耳に入る会話から、マリンが昨日アルベルトから贈られたらしい髪飾りをつけてきたらしい。ダイヤモンドが一直線に並んだもので、高価ではあるけれど凝ってはいないため、確かにつける人を選ばないだろう。
しかし、無難にみえる贈り物も、一つ目に過ぎないのをロザンナは知っている。アルベルトはマリンに好意を抱いてから、次から次へと高価な贈り物をするのだ。これから毎週のように、贈り物自慢をする彼女を見ることになるだろう。
アルベルトとは必要がない限り会わないと決めて誘いを断り続けていたためか、ここ二、三日、ロザンナの元に彼の使いは姿を見せていない。
警戒までしている相手だと言うのに、こうしてマリンとの仲の良さを見せつけられるとなんだか切なくて胸が苦しくなる。
これで良かったんだと自分に言い聞かせたとき、メロディ先生が教室に入ってきた。授業の初めに課題を出された者は提出しなくてはならず、ロザンナは筒状にした洋紙を持って立ち上がる。
そっと教卓に洋紙を置いて、声をかけられる前に机に戻ろうとしたが、身を翻した途端「ロザンナ・エストリーナ」と呼ばれ、ロザンナはあぁと天を仰ぐ。




