ついに入学
一ヶ月後、つい迎えたアカデミー入学日。
割り振られた寮の部屋にトゥーリを残し、ロザンナは少しも迷うことなく式典が行われる大広間へ向かう。大広間の中は本日入学が叶った学生や花嫁候補たちで既にいっぱいになっていて、みんな一様に期待と不安の入り混じった顔をしている。
九回目の入学式は死へ一歩近づいてしまった気持ちで気怠い顔をしていたロザンナだったが、今回は違う。しっかり学んで、なおかつ生き残ってみせるとやる気を漲らせていた。
「もしかして、ロザンナ・エストリーナ?」
突然斜め後ろから名を呼ばれ、ロザンナはドキリと鼓動を高鳴らせる。聞き覚えのある声に思わず口元が綻ぶも、この場では初対面なのですぐに表情を引き締めて振り返った。
「はい、そうです。……あなたは?」
「突然馴れ馴れしく話しかけてごめんなさい。私、ルイーズ・ゴダード。寮であなたの隣の部屋になったの。よろしく」
「あぁ、あなたがルイーズさんね。私もどんな方が隣りか気になっていましたの。どうぞ仲良くしてくださいな」
顔を見合わせふふっと微笑み合った時、「ロザンナさん!」とまた聞き覚えのある声がかけられた。顔を向けると、一直線に駆け寄ってくるリオネルを見つける。
「久しぶりですね。しばらく顔を見なかったけれど、元気でしたか?」
「えぇ、おかげさまで。ゴルドンさんも講師で呼ばれていますし、私も早くリオネルと同じ授業を受けられるように頑張らないと」
「隣の席で学べるその日を楽しみにしているよ。それじゃあまた後で!」
リオネルはにこりと笑って、学生たちの集まっている方へと歩き出す。軽く手を振りながら彼を見送っていたロザンナの隣にルイーズは並び立ち、こっそり問いかけてきた。
「今の方は、一般の学生ですよね。もしかしてロザンナさんは他にも授業を受けるつもりでいるの?」
「えぇそのつもりよ。将来はそちらの道に進めたらと思っているの」
「実は私も魔法薬に興味があって、仲間がいて嬉しいわ」
ロザンナの告白に、ルイーズが目を輝かせて握手を求めた。周りを気にしつつ、「それにしても」と小声で話を続ける。
「驚いたけど、納得もしてる。あなたはアルベルト様のお気に入りだっていう噂で持ちきりだったから、入学後も花嫁候補として真っ直ぐ進んでいくだろうと思っていたの。でも、街の活躍も聞いていたし、志を持っていたとしても何もおかしくないわね」
ルイーズの言葉に対し、ロザンナはわずかに肩を竦める。
「所詮は噂だわ。アルベルト様には惹かれている女性がいるようですから」
「これから惹かれるみたいですけど」と心の中で追加した時、バンと大広間後方の扉が開いた。学園長に続いて、教師が列をなして入ってくる。その中にゴルドンの姿を見つけ、ロザンナはひとり笑みを浮かべた。これまでもゴルドンが教師としてアカデミーにやってきたことはあっただろうかと記憶をたどるも、明確に思い出すことはできなかった。
続けて、花嫁候補たちから黄色い声が上がる。アルベルトが大広間に入ってきたからだ。
凛とした王子そのものの顔で、彼は壇上に向かって進んでいたが、そばを通り過ぎる手前で目があった。ふっと笑いかけられ、ロザンナはつい口元を引きつらせる。
案の定、花嫁候補者たちから明暗さまざまな声が上がり、近くにいたマリンからも厳しい眼差しを突きつけられ、ぞくりと背筋が震えた。数年前の初対面時は、彼女の姿がまだ幼かったため恐怖を感じなかったが、今は違う。不機嫌な表情が九回目の最期に見た彼女の顔と重なり、怖くて堪らない。
「本当ね。アルベルト様にはもう既に惹かれている女性がいるみたい」
「それは私じゃないわ。誤解だからね!」
ルイーズから意味深な目を向けられ、ロザンナは青ざめる。九回目はマリンの嫉妬が死因につながったため、今回も要注意だ。彼女を刺激しない方が身のためだと強く意識した。
無事に入学式を終えると学びの日々が始まる。
王室や自国の歴史、立ち振る舞いのマナーからダンスまでしっかりと叩き込まれるため、授業自体は辛い時もあるのだが、四十人全員ではなく何人かで分けられて順番に授業を受けていくため、何もしない空き時間も生まれる。
ロザンナが寮の自室でゴルドンに借りっぱなしの魔法薬の本をのんびり眺めていると、コンコンと戸が叩かれ、ルイーズが顔を覗かせる。
「あら、もう昼食の時間ですか?」
空き時間後、そのまま昼休憩に入るため、食事を共にする約束をしていたのだ。慌てて本を閉じたロザンナへと、ルーイズが軽く首を振りながら歩み寄る。
「図書館に行く途中でアルベルト様とお会いしたの」
「そ、そう」
にこやかに微笑み返しながら、「でしょうね」とロザンナは心の中で呟く。共に空き時間だったルイーズから図書館に行かないかと誘われたのだが、ロザンナは断っている。それはこの時間に図書館に向かうと、移動途中のアルベルトと出会う確率が高いからだ。
行かなくて良かったとほっとしているロザンナへと、ルイーズが一枚の紙を手渡してきた。
「それでね、早速アルベルト様に薬学を学びたい旨を申し出たの。そうしたら、追加で試験を受けられるように話をつけて下さって。試験を受けられるのは今月だけだと聞いたわ、ロザンナも本気ならアルベルト様にお願いした方が良いかも。話が早いから」
試験の日時や場所が明記されている紙を見つめながら、断らなければ良かったと後悔する。
花嫁候補が一般の授業を受けるには二つの壁がある。
もう既に一般の授業が始まっているため、ある程度進んでしまってからではついていけないだろうという理由で、入学すぐでないと追加で試験を受けさせてもらえないこと。
それから、あれこれ手を伸ばし肝心の妃教育が疎かになってはいけないと、申請時に学園側から渋られてしまうことがあるのだ。花嫁になる可能性が高いとみなされてる候補者なら尚更で、父が宰相であるロザンナもその一人に名を連ねているだろうことは、簡単に予想がついた。
それでも、王子本人の口添えがあれば話は別で、すんなりことが運ぶ。時間の猶予はあまりない。すぐにでもアルベルトと会わなくてはと、ロザンナは紙をルイーズに返して椅子から立ち上がる。
「ありがとう。私も今からアルベルト様にお願いしてくるわ。昼食の準備はしておいて。でも戻りが遅くなるようだったら先に召しあがって」
トゥーリとルイーズに声をかけつつ、ロザンナは部屋を飛び出した。確かこの時間、アルベルトがいるのは大階段の近くの教室だったはずだ。ある程度把握できていて助かったと今までの自分に感謝しながら、大急ぎで歩を進めた。
大階段の下に到着し、すぐそばにある大きな扉を見つめながら息をつく。授業はもうすぐ終わる。ここで待っていたら、彼を見逃すこともないだろう。
階段の上や廊下を学生や花嫁候補たちが歩いていく。ちらちらと向けられる視線に居心地の悪さを感じ始めた時、あの胸像に目が止まる。そろりと歩み寄り、前回の直接的死因理由である初代学長を恨めしく見つめた。
顔のあたりを指先で突っついてみたが、今のところはびくりとも動かない。ロザンナは腕を組み、難しい顔で胸像を見上げる。学園の門をくぐったすぐのところにも、カークランドの建国者である一代目の国王の銅像があった。初代学長の次はアルベルトの祖先に命を奪われる可能性もあるかもと背筋を震わせる。
「どうかしたか?」
不意に声をかけられ、ロザンナは「ひゃあ」と慌てふためく。
「驚かさないでください。アルベルト様」
いつの間にかすぐそばの教室の扉は開いていて、そこからぞろぞろと生徒たちが出てきている。睨めっこをしているうちに授業は終わっていたらしい。生徒たちから何事だという視線を向けられロザンナは恥ずかしくて顔を赤らめるものの、さっさと用件を済ませなくては姿勢を正し、優雅にお辞儀をしてみせた。
「アルベルト様にお願いがあります。私も一般の授業を受けられるように、お力添えをいただきたきたいのです」
「あぁ。そろそろやって来る頃だろうと思ってた」
頷くアルベルトに、話が早いとロザンナも表情を輝かせる。
「早めに手続きをしないといけないと聞いたのですが。……アルベルト様の空いている時間を教えてくださいませ」
「そうだな。……お互い忙しいだろうし、休憩時間が減っても構わないなら、今行ってしまおうか?」
「本当ですか! 平気です。感謝します」
「事務所でしたよね」と早速歩き出したロザンナだったが、なぜか「あぁちょっと待って」とアルベルトに呼び止められた。
「口添えするにあたって、条件がふたつある」
「条件ですか?」
条件があったとは初耳だ。注意事項みたいなものだろうかと想像し、ロザンナは真剣な眼差しをアルベルトに返す。
「ひとつ。妃教育を優先すること」
やっぱりそういうことかと納得し、ロザンナは苦い顔をする。実はもう既に、妃教育に関する全てにやる気を出せないでいるのだ。しかしここで了承しなくては先に進めないため、とりあえず頷き返す。
アルベルトは「よし」と呟き、続きを口にする。
「ふたつ。俺と一ヶ月に一回は必ずお茶を飲むこと」
「……い、今なんて?」
「俺との時間を作れと言っている。それくらいできるだろ?」
「本気ですか?」
渋い顔でロザンナが首を傾げると、アルベルトはすっと目を細めた。
「無理なら、俺も無理だ。ゴルドンの講義は諦めろ」
「なっ! 待ってください。……わかりました。三十分でも一時間でも、ご一緒させていただきます」
「短い。休日丸一日くらいの覚悟をしておけ」
アルベルトから眼差しで「さあどうする?」と問いかけられ、ロザンナはほんの数秒目を瞑る。




