試練の時 3
ゴルドンも急に黙ったロザンナの様子が気になったのだろう。「どうしましたか?」と不安げに尋ねた。
「たぶん、騎士団の方だと思います」
「騎士団員ならこれ以上の心配は不要ですよ。兵舎に戻れば高度な医術が受けられますから。……他にも何か気がかりが?」
それでもロザンナの表情が晴れず、ゴルドンが質問を追加する。ややを置いてから、ロザンナは思い切って口を開いた。
「騎士団員のクリスタルチャームって、所属ごとに色が分かれていますよね。赤と青と黄色。……それ以外の色はありますか?」
ロザンナの視線の先で、ゴルドンがわずかに目を見張る。辺りに気配がないのを確認した後、囁くように答えた。
「第一から第三、だから色も三つだけ……一般的にはそのように知られていますが、実際はそれ以外にも存在しています。ただ表立って活動していないから、その存在も知られていないだけで」
「あるんですね」
「ちなみに何色でした?」
「たぶん、紫色だったように思います」
アルベルトから、ゴルドンが聖魔法師として第一線で活躍していたのを聞いている。その時、秘された部隊に属する者たちを治癒したこともきっとあるのだろう。
それに、訪ねてきたあの騎士団員のようにいまもなお彼を慕っている人は多いのではと考え、ロザンナは失敗したと肩を落とす。
「腕利きの先生だなんて遠回しに言わないで、ゴルドンさんの名前をはっきりと出せば良かった。それならきっと、素直に診療所について行く気にもなったかもしれないのに」
不意に、ゴルドンの足が止まる。それにつられて振り返ったロザンナは、あまり見せない厳しい眼差しに捕らえられ息を詰めた。
「予想通り、その男は私を頼りにやってきたのかもしれません。しかしロザンナさんに治癒してもらってその必要がなくなった。だから、誰かに見つかる前に姿を消したと考えるべきです」
ゴルドンはゆっくりとロザンナに歩み寄り、ほっそりとした肩に両手を乗せる。
「大事なことを言わせてください。私の元にいたら、また運悪く姿を見かけてしまう時もあるかもしれません。でももう決して関わらないでください。知りすぎてしまったら、助けた相手にあなたが命を狙われます。全て私に任せて、距離を置いてください。ロザンナさんに何かあったら、宰相にも王子にも顔向けできませんから」
「……わかりました」
今になって振り返ると、確かに考えなしだった。一歩間違えたら目撃者とみなされ命を奪われていたかもしれないし、今回はたまたま騎士団員だっただけで相手がただのならず者だったら……。俯き身震いしたロザンナへ、ゴルドンは微笑みかけた。
「しかし、行動は立派ですよ。さすが私の一番弟子です」
「とっても嬉しいですが、一番はリオネルに譲ります。不機嫌になってしまいますから」
ふふふと笑みを交わすと、自然と止まっていた足が動き出す。診療所の前には、話題に上がったリオネルとロザンナを迎えにきたトゥーリの姿があった。
「言ってくれれば俺がロザンナさんを迎えに行ったのに」と膨れっ面のリオネルに、ロザンナとゴルドンは顔を見合わせて笑う。診療所に入りカゴを片付けた後、ロザンナはリオネルとトゥーリに気づかれないようにしっかり手を洗う。
「そろそろ戻らないとお時間が」と門限を気にするトゥーリに急かされつつ、ゴルドンに軽く挨拶を済ませてから外に待っていた馬車へと乗り込んだ。座席へと沈むように腰をおろして気怠く息をついたロザンナへと、トゥーリは不満げな顔をする。
「とってもお疲れのご様子ですね。……まさか、こき使われていたりなんて。やっぱり私もご一緒させて貰った方が」
「そんな訳ないじゃない。平気よ、まったく疲れてないわ。なんの問題もない」
目を光らせている彼女の前でゴルドンはロザンナに指示を出しにくく、ロザンナ自身も動き辛い。学ばせてもらいにきているのに迷惑になるのは避けないとと、ゴルドンの所にいる間はひとりで大丈夫だからと必死に説き伏せたのだ。
背筋を伸ばして席に座り直す。車輪の音だけが響く中、林の中での出来事を思い返して、ロザンナは自分の両手に視線を落とす。血は綺麗に洗い落とせても、男の鋭い眼差しは記憶から消せそうにない。
込み上げてくるのは怖いという感情ではなく心配。敵に見つかることなく兵舎に戻れただろうか。ちゃんと診てもらっただろうか。苦しんでいないだろうか。
そこまで考えて、ロザンナはふわっと欠伸をする。トゥーリと目が合いシャキッとしなくては思うも、眠気に襲われて徐々にまぶたが重くなっていく。ぼんやりとする意識の中で「もう決して関わらないでください」と言ったゴルドンの顔が浮かび、このまま今日のことを心の奥底に眠らせるべきですかとロザンナは問いかける。
完全にまぶたを閉じた時、馬の嘶きが大きく響いた。慌てて目を開けて、同じく驚いているトゥーリと視線をかわす。窓の外に見えたのは、帰り道の途中にあるパン屋。店先に下げられたランタンの明かりが、不安げに通り過ぎていく人々の姿を浮かび上がらせる。
馬車も止まったままで動かないため、「何かあったのでしょうか」とトゥーリが戸を開けて外へ出た。人々がひどくざわめいているのを感じてロザンナも中に留まっていられなくなり、すぐさま後に続く。
「どうしたの?」
「事故のようです」
御者から返ってきた言葉に、ロザンナの鼓動が重々しく響いた。
「……事故? まさか」
人が集まっている方へと、ロザンナは歩き出す。トゥーリが「お待ち下さい」と叫ぶも、ロザンナの足は止まらない。時折よろめくのは、先程力を酷使したのが響いているからか、それともこれから目にする光景の中に両親の姿があるかもしれないという動揺からか。
そうであって欲しくないが、しかしその日は確実にやってくる。怖いけれど、目を背けるわけにはいかない。両親を救うために、これまで頑張ってきたのだから。
拳を握りしめながら路地裏へ入り、人々の間をすり抜けた瞬間、足が止まる。地面には馬と男が横たわり、血溜まりの上でぴくりとも動かない。ロザンナが唇を噛むと、横に並んだトゥーリが小さく悲鳴を上げる。男はエストリーナ家に使えている御者のひとりだ。
「お父様、お母様」
急き立てられるようにロザンナは馬車に歩み寄る。開いていた戸から馬車の中を覗き込むと、そこに母の姿があった。
「お母様! しっかりして」
頬や服が赤く染まっていて、息も絶え絶えだ。と同時に、「しっかりしろ!」と声が聞こえ、ロザンナは外へと視線を戻す。馬車の反対側へと回るとそこには、男性に抱き抱えられた父の姿。母同様、血を流しぐったりとした状態。
「トゥーリ! 今すぐゴルドン先生を呼びに行って。はやく!」
ロザンナから力強く指示を出され、茫然と立ち尽くしていたトゥーリはハッと我にかえる。「はい!」と声高に返事をし、勢いよく身を翻した。
「お父様、あと少しだけ頑張って!」
涙を浮かべながら呟き、ロザンナは馬車の中へと戻り、母と向き合う。
「怖気付いちゃダメ。やるのよ、ロザンナ。大丈夫、さっきのようにやればいい。救えるわ」
大きく息を吸い込み、ロザンナは母の赤く染まった腹部に両手をかざした。
母を救いたい。その一心で力を注ぎ込む。ロザンナの手が輝きを放ち、感じていた気持ち悪い冷たさを押し戻していく。光が徐々に母の体を覆い尽くす。光の繭に抱かれた中で、母の呼吸が安定し、その目も薄く開かれた。
もう、大丈夫だ。本能でそう悟り、ロザンナは床に手をついた。光の余韻が母を包む傍で、荒々しく肩で呼吸する。
母へと小さく微笑みかけてから馬車を降り、すぐさま父の元へ向かう。
スコットを抱きかかえていた男性が、やってきたロザンナに驚きの表情を浮かべながらも、状態を口にする。
「襲われたんです、大柄の男に。大声をあげたら人が集まりだしたら、逃げて行きました」
ロザンナはスコットの腹部に押し当てていた布を退かす。状態が、母同様に鋭利な刃物で切りつけられたのをはっきりと物語っている。
どういうことかと動揺するも、考えるのは後回しだとすぐに表情を引き締め、光り輝いたままの手を患部にかざした。
しかし視界が大きく歪み、思うように力が流れていかない。もう力が残っていないと気づいても、それを受け入れることなどできるはずもなく、ロザンナは懸命に父と向き合う。
自分がどうなったっていい。絶対に助ける。思いに呼応するように、手が輝きを増す。しかし、母の時のようにその輝きで父を包み込むには至らず、光は弱くなっていく。
このままでは……と最悪の結末が頭を過り、ロザンナの目から涙がこぼれ落ちたその瞬間、横から伸びてきた大きな手がロザンナの手に重なった。
「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
聞こえた力強い声にロザンナは心の底から安堵する。そして虚に視界を移動させ捉えたゴルドンの真剣な横顔に、止めどなく涙が溢れ出す。
「……お父様を、……どうか」
それだけ言葉を紡いで、ロザンナは崩れ落ちるように意識を手放した。
ロザンナが目覚めたのは、それから二日後のことだった。
力を使い果たしてしまったせいかめまいが酷くて歩くこともままならないため、ベッドに横たわったままでぼんやり天井を見つめていると、突然ばたりと扉が開かれた。
「ロザンナ!」
「アルベルト様」
慌てて入ってきたアルベルトにロザンナは目を丸くするも、すぐに上半身を起こそうとする。アルベルトは素早く歩み寄り、支えるように手を伸ばす。
「そのまま横になっていてくれ」
「いえ。そんな訳にいきませんわ。だって両親のお見舞いに来てくださったのでしょ? ありがとうございます」
それぞれゴルドンに安静を命じられてはいるが、スコットとミリアも屋敷の中にいる。十回目の人生にしてやっと、両親を助けることができたのだ。
「隣国からはいつお帰りになられたのですか?」
もしかしたら帰国したその足でやって来てくれたのではと期待を込めて、ロザンナはアルベルトを見つめる。すると、アルベルトは苦しそうに表情を歪め、きつくロザンナを抱きしめた。
「心臓が止まるかと思った。頼むからもう無茶はしないでくれ」
絞り出すように発せられた彼の声音には不安や切なさが滲んでいた。アルベルトはロザンナから体を離すと、そのままベッドに腰掛けて小さく息をつく。彼が疲れ切っているのが伝わり、ロザンナの胸を締め付ける。
「……ご心配をおかけしました」
謝罪はしても、先ほどの彼の言葉に頷くことはできなかった。
これまでずっと、馬の暴走によって起こった事故だと聞いていた。しかし違った。あれは事故じゃなく、襲撃されたのだ。
だとしたら、両親を救えたことを喜んでばかりもいられない。生き伸びたために、また襲撃されるかもしれないのだ。
その時も、命を賭して両親を助ける。だから、無茶をしないという約束はできない。
「アルベルト様、お話があります」
「……話?」
沸き上がる緊張を逃すように深呼吸してから、ロザンナは真摯に申し出た。
「花嫁候補を辞退させてください」
アルベルトが息をのむ。呆然と見つめてくる眼差しから逃げるように、ロザンナは瞳を伏せる。
「今回のことで強く思いました。聖魔法師になりたいと。この力を役立てたい。誰かを救える力をもっとしっかりつけれるように、それだけに集中して学びたいのです」
アルベルトが花嫁に選ぶのはマリンなのだから、妃教育にかかる無駄な時間を聖魔法にすべて注ぎ込みたい。父に申し訳ないという思いはあれど、言ってしまったことに後悔はない。
アルベルトが「わかった」と頷くのをじっと待っていたが、その瞬間は訪れなかった。アルベルトはロザンナの手を掴み、首を横に振る。
「嫌だ。辞退させない」
予想外の言葉にロザンナは瞬きを繰り返す。
「候補のままでも、学べるだろ」
「で、でも。両方学ぶのは私には難しいと」
「それなら今しばらくは聖魔法に比重を置けばいい。ロザンナの普段の振る舞いからして、妃としてのあれこれは卒業後からで何とでもなるだろう」
思わず目を見開いた。「それはどういう意味でしょうか」というひと言は動揺しすぎで返せず、咀嚼することすら頭が拒否する。
めまいを感じ始めたその時、そっと掴まれた手が軽く引かれ、ロザンナの体がわずかに前に傾く。と同時にアルベルトも顔を近づけ、耳元で囁きかけた。
「思う存分、ロザンナのやりたいようにやってくれ。応援する。……けど、候補から外れるのは無理だ、諦めろ。俺は絶対に君を手放さない」
呼吸を忘れたロザンナの頬に、アルベルトの柔らかな唇が押しつけられた。
「またすぐに、会いにくる」
にこりと笑ってアルベルトは立ち上がる。少しの乱れもない足取りで、部屋を出て行った。ロザンナはふらりと上半身を揺らした後、ぱたりと寝転ぶ。
「……り、理解が追いつきません」
ぽつりと呟き、力なく目を閉じる。ロザンナはそのまま丸一日、混乱とともに眠り続けた。




