試練の時 1
「そろそろよろしくて?」
ロザンナが真顔で勢いよく手を払い退けると、アルベルトは楽しそうに肩を揺らす。
「そんなに嫌そうな顔をしないでくれないか? 俺たち夫婦になるかもしれないのに」
心にもないことを。「ふふっ」と冷めた顔で笑い返し、ロザンナはアルベルトに背を向けた。頑張った結晶である回復薬をゴルドンにも見てもらおうと、試験管立てを棚から取り出すべくロザンナは背伸びをする。自分の頭よりも高い場所に置かれてあるからだ。
しかし、試験管立てが指先に触れると同時に、それはアルベルトによって掴み取られて、棚のさらに上段へと移動した。信じられないとアルベルトを見るも、彼から冷ややかに見つめ返され、ロザンナはたじろぐ。それならばと他のを掴み取ろうとしたが、ことごとくアルベルトに邪魔されて、ロザンナは「アルベルト様!」と声を荒げた。
「どうして意地悪するんですか!」
「分からないお前が悪い」
ロザンナとアルベルトが睨み合うそこへ、ゴルドンがやってきて、「おや」と面倒臭そうな声を発した。
「君たち、何をやってるんですか?」
「アルベルト様が意地悪するんです!」
「意地悪されたのは俺の方だ」
気乗りしないながらのゴルドンの問いかけにふたりは一斉に反応し、「痴話喧嘩ですか」という呆れ声にも「違う」、「違います」と声を揃えた。
「まぁまぁ」と宥めつつ、目についたロザンナの回復薬へとゴルドンは歩み寄る。
「少しばかり顔を見ませんでしたが、ぼんやりしていた訳ではなさそうですね」
先の二人と同じように試験管を手に持って感想を述べた後、「上出来です」と褒め言葉を加える。ロザンナは隣に立っているアルベルトへと嬉しさいっぱいに笑いかけたのち、テーブルに置いておいた魔法薬の書物を両手でつかみ取った。
「今日の診察が終わってゴルドンさんの手が空くまで、リオネルに魔法薬の続きを教えてもらいます。お父様に言われたらまたしばらく来られなくなるかもしれないし、今のうちにやれるだけやっておかないと」
アルベルトの眉が不機嫌にしかめられた。その様子にゴルドンは苦笑し、今にでも部屋を飛び出して行きそうなロザンナを「待って待って」と呼び止める。
「きっともうここに来るのを止められることはありませんよ。宰相殿の心はアルベルト様と俺でうまく掴んでおきましたから」
「おふたりが? だから突然外出の許可がおりたのね。感謝します。……でもどうやってあの手強い父を納得させたのですか?」
自分の知らないところでふたりが動いてくれていたことに感激しながら問いかけると、アルベルトが不満げな表情を崩さぬまま答えた。
「この前城内でスコットを見かけたから、お前をベタ褒めしておいた。町の診療所の手伝いをしていると聞きました、なんて素敵な女性なんだ。まるで女神のようだ、とね」
心のこもっていない口調で言葉を並べられ、ロザンナは「それはそれはありがとうございます」とアルベルトに対して真顔になる。一方のゴルドンはどこまでも楽しげだ。
「俺のところには昨日いらっしゃったよ。迷惑をかけているのではと心配していたから、逆に助かっていると。それから、こっそりやって来るアルベルト王子とふたりっきりでそれはそれは楽しそうに過ごしていますとも」
「信じられない」と目を見開いたロザンナに、ゴルドンは「見たままですよ」とあっさり返す。微妙に不機嫌なアルベルトをちらりと見てから、ロザンナは受け入れるようにこくりと頷いた。
「アルベルト様の名前を出せば父には効果的かもしれませんね。それなら私もアルベルト様に認めてもらいたくて診療所で手伝いをしているとでも言うことにします。それで問題は解決ね」
すぐさま「足りないな」とアルベルトは指摘し、ロザンナの頭を手荒に撫でた。
「俺に好かれるためには手段を選ばないとでも言っておけ。ただの嫁候補のひとりでしかないんだろ?」
「えぇそうですね。そのようにいたします」
自分の頭を撫で回す手をムキになって払い避け、ロザンナは恨めしげに手櫛で髪を整え始める。
ゴルドンは苦笑いを浮かべてから、「アルベルト様、少しお話しよろしいですか?」と部屋を出るように促した。すぐさま「あぁ」とアルベルトも姿勢を正しゴルドンに続くが、戸口をくぐる直前にロザンナを振り返る。
「次会う時、つけていなかったら拗ねるからな」
「何のことですか?」
「髪飾りだよ」
囁くように言い残し、アルベルトはゴルドンと共に部屋を出ていった。
改めてロザンナは自分の髪に触れ、自室の鏡台に置きっぱなしの蝶の髪飾りを思い浮かべた。髪飾りはもらったあの日以来つけていない。何となくそんな気になれなかったのだ。
アルベルト様は何を考えているのだろうかと、ロザンナは顎に手を当て頭を悩ませる。
拗ねられても面倒くさいだけ。仮に父の前でそんな態度をとられたらもっと……。そこでロザンナはハッとし、じろりと彼が出ていった扉を睨み付ける。
「わかったわ。困った私を見て笑いたいのね。本当に意地悪! 今まで優しくて素敵な人だって思ってたのに、見事に騙されたわ」
おそらく次会うのは、彼がエストリーナ邸に回復薬の失敗作を回収しに来る時。こうなったらいつ来ても良いように髪飾りを毎日つけてやる。思い通りにはさせないんだからと、ロザンナは拳を握りしめた。
そんな風に息巻いたものの、すぐにやってくるだろうと思っていた姿は、ロザンナの前になかなか現れなかった。きっと忙しいのねと頭の片隅で思いながらも勉強やら診療所通いで忙しく、あっという間にまた半年が過ぎていく。
試験管立てを戸棚に戻そうとして、ロザンナは動きを止めた。静かに背後を振り返り見ても、やっぱりそこにアルベルトはいない。
これまでは彼はどうしているのだろうと思いを巡らす程度だったが、一昨日、十四歳の誕生日を迎えた途端心境が変化した。何かあったのではないかと、不安で動けなくなるのだ。
十四歳。それはロザンナにとって気が重くなる年である。それはもうすぐ両親が事故を起こすから。両親だけでなくアルベルトにまで負の連鎖が起こるのではと嫌な方に考えが及ぶ。
毎日つけている蝶の髪飾りに触れてから、大きく息を吐き出して唇を引き結ぶ。立ち向かい乗り越える力を持つために、頑張ってきた。今度こそ大丈夫。きっと大丈夫。ロザンナは気持ちを切り替えるべくしっかり顔を上げ、試験管立てを棚に戻して部屋をでた。
待合室から賑やかな話し声が聞こえてきて自然と足をそちらに向けると、ゴルドンとリオネル、そして若い男性が立っていた。患者さんかしらと一瞬間考えたが、男性の表情は溌剌としていてそうは見えない。今はちょうど患者がいなく休憩中のようだが、朝から診察し通しのゴルドンの方が少しくたびれていて不健康に見えた。
気付いた男性から「ロザンナさん、こんにちは!」声をかけられ、ロザンナも挨拶を返しながら彼らに近づく。男性は軽装ではあるけれど、腰元には剣が備えられている。鞘に付いている見覚えのある十字の紋章が入った青色のクリスタルチャームに目を止めて、ロザンナはわずかに首を傾げた。
「第二騎士団の方ですか?」
「はい! 詳しいですね」
今はアカデミーの学生であり、後に騎士団員になる兄が、剣の鞘に同じものをつけていたのでとは言えず、ロザンナは曖昧に笑って誤魔化した。
「アルベルト様はお元気ですか? ずーっと姿をお見かけしていないので」
ロザンナの何気ない質問に、騎士団の男性は気まずそうな顔をする。頭をポリポリとかきながら、歯切れ悪く答えた。
「アルベルト様は二週間ほど前から隣国に。ここ最近は、……色々とお忙しそうでしたよ」
「色々?」
再びの質問には完全に黙ってしまい、代わりにリオネルが喋り出す。
「アーヴィング伯爵の娘さんと一緒に街を歩く姿をよく目撃されてたみたいだね。少し前まではロザンナさんの元に通い詰めていたっていうのに。気が変わったのかな」
「おい!」とゴルドンに嗜められリオネルは口を閉じるも、まだまだ言いたりなさそうにロザンナをちらちら見た。
「アルベルト様がよくお話しされるのは、ロザンナさんだけですよ。数日後には隣国からお戻りになります。そうしたら一番に会いに行かれるのはロザンナさんだと思います。だからあまり気になさらないでください」
騎士団の男性から気遣わしげな目を向けられ、ロザンナはにっこりと微笑み返した。
「いいんです。お変わりなければ、別にそれで」
表情とは違い、少し刺のある声でロザンナが言葉を返すと同時に、一気に患者が四人ほど診療所に雪崩れ込んできて、ゴルドンが慌て始める。
「あぁ、もうこんな時間か。すまないがカロン爺に薬を届けに行ってくれないか」
「はい。私が」
ゴルドンの声に応えてすぐさま動き出したロザンナへとリオネルが「俺も一緒に」と手を伸ばすも、さらに患者が二人増えたことでその手を引っ込めざるを得なくなる。
調合室へ戻り、今朝方ゴルドンが調合した栄養薬をカゴに入れ、人で溢れかえった待合室に舞い戻る。「行ってきます」と、騎士団の男性と一緒にロザンナは診療所をでた。
騎士団の男性とは診療所の前で別れ、ロザンナは急いでカロン爺の家へ。診療所から裏の林を抜け、北へ進むとほどなくして立派な家屋が目の前に現れる。花業を営んでいるため、広い庭には花壇や温室がいくつもある。持ってきた栄養薬は、人ではなく植物に与えるものだ。ゴルドンの手により作られた栄養薬は瑞々しく長持ちすると評判だ。
呼び鈴を鳴らして戸口に出てきたカロン爺の息子に薬を手渡せば任務は完了。だったのだが、家の奥からカロン爺も姿を現しお喋りを初めたため、ロザンナはしばらく足止めを食らうことになる。




