人生、九回目 1
大国、カークランド。華国とも呼ばれるほどに、温暖な気候のもと各地にさまざまな花が咲き乱れているとても美しい国。花を育て売る花業はもちろんのこと、国の西部や南部は農業に林業、北部は海も面している漁業も盛んだ。
最も栄えているのは、東部に位置する王都マリノヴィエ。ブリッジス国王一家が住むバロウズ城を中心を国政を展開し、カークランドの心臓部とも呼べる町である。
堅牢な存在感を放つ古城を初め、マリノヴィエには名を知られているものが多い。美麗なステンドグラスのある教会、人々の目を楽しませる中央広場のからくり時計、そして、秀でた者のみが入学を許されるマリノヴィエアカデミー。
剣術、薬術に魔術など。各地に学校は存在し、基本的なことはそこでも十分学べるが、より高度に学べるのがこのアカデミーなのである。三年制で、卒業生のみが王属の専門機関で働くことができる。それを希望して多くの者が門を叩くが入学試験は当然厳しく、さらに進級するのも難しいため、毎年脱落者が大勢出る。
そんなエリート学校である一方、時としてここはある役目を担うこともある。それは妃教育である。王族のマナー、相応しい振る舞いや心構えなどを学ぶべく、王子がアカデミー入学と同時に候補に上がっていた娘たちも招集されるのだ。
そのため、入学資格は十七才を迎えて以降が普通であっても、招集される娘たちの年齢はバラバラ。しかし、多くの中から選ばれたという点で変わりはなく、娘たちもまた胸を張ってアカデミーの門をくぐる。
妃教育を受けるのは一年間。年度の最後に行われるパーティーで、王子本人の口から、花嫁に選んだ娘の名前が告げられる。
そして今、そのパーティーが始まろうとしている。
ドレスを身に纏い着飾った花嫁候補の娘たちが、第一王子であるアルベルトが大広間に姿を現す瞬間を胸を高鳴らせ待つ中、ロザンナ・エストリーナは警戒心いっぱいに目を光らせ、機敏に室内を見回していた。
大広間には婚約者候補たちの他にアカデミーの生徒たちの姿もあり、人でひしめき合っている状態。横からポンと肩を叩かれ、「ひっ!」とロザンナは小さく悲鳴をあげる。しかし、相手が友人のルイーズだと分かり、安堵のため息を盛大に吐いた。
「もう、びっくりさせないでよ!」
「なにそのため息。こっちがびっくりよ。さっきから挙動不審でおかしいし、この前一緒に観劇した……あの役にそっくり」
「あぁ、モンスターに追い詰められて最後に殺されたやつね。確かに私、ヒロインと同じ心境」
「いや、似ているのはヒロインじゃなくてモンスターの……」
聞き捨てならない台詞が続きそうでロザンナがじろり見やると、ルイーズはすぐさま言葉を途切らせ、大きな咳払いで自分の言葉をなかったことにする。
「とにかく馬鹿なこと言ってないで、マリンを見習ってしゃんとしていなさいよ。仮にもあなたはアルベルト王子の花嫁候補として最有力なんだから」
ぴしゃりと注意されるも、ロザンナに背筋を伸ばす様子はない。逆に、頭を抱えて項垂れる。
「本当に自分が信じられない。なんで最後の最後で良い成績取っちゃったんだろ。私はマリン推しを貫き通して、煽らず騒がず穏便にここを卒業するつもりでいたのに」
床に向かって怨嗟のごとくボソボソ呟いていると、「ロザンナさん!」と声がかかる。ロザンナは顔を上げ、ぎょっと身をのけぞらせた。
目の前には十人近い婚約者候補たち。揃ってキラキラした目でロザンナを見つめている。
「そんなに不安な顔をなさらないで。きっと大丈夫ですわ。選ばれるのはロザンナさんに決まっています」
「そうです。気品に満ち溢れ、所作振る舞いは完璧、ロザンナさんこそアルベルト王子の花嫁に、未来の王妃に相応しいですわ」
「見目麗しいアルベルト王子の隣に並んでも引けを取らないのは、女神とロザンナさんだけですわ」
「もはやロザンナさんが女神ですもの」
口々に褒め称える彼女たちにロザンナは真顔になる。いったい誰のことを言っているのかと浮かんだ疑問に、やや間を置いてから、あぁ私のことかと脳内で答えを導き出す。
ロザンナはすっと姿勢を正し、彼女たちに微笑みかけた。そしてあえて周りにもしっかり聞こえる音量で話しかける。
「みんなありがとう。でも、アルベルト王子の心はすでに決まっているご様子ですから……ってあの、聞いてますか?」
問いかけるも、彼女たちは頬を赤く染めて、惚けた顔でロザンナを見つめている。
「本当にロザンナさんはお美しい」
再び彼女たちが賛辞を口にし始めたためロザンナは困り顔になる一方、心の中で「人の話を聞きなさい!」と怒りの雄叫びを盛大に上げる。
「艶やかなブロンドの髪に澄んだ湖面のような青い瞳、陶器のような白い肌。水色のドレスで華やかさが増して、本当に素敵。この美しさには、誰も敵いませんわ」
そう発言した女性の目がそれほど離れていないところにいる人々に向けられ、表情に悪意が滲み出す。
話の矛先が変わったのを感じ取り、「待ってください」と慌ててロザンナが口を挟むも、悪意はいとも容易く伝染した。
「本当に。鏡を見たら誰でも気づくことなのに、まったくどうしてあの方はロザンナさんと張り合えると思ってしまったのかしら」
「本当よね。なんて身の程知らずなのかしら」
「お父様が宰相で、力がお有りだからでしょ? あの方だけ、王子から頻繁にアカデミー外でのデートに誘われていたのも、裏で宰相様が国王様に頼み込んでいたからだと……」
「言葉を慎みなさい」
ロザンナが鋭く言い放ち、やっと彼女たちは口を噤んだ。
「そんなものただの噂でしかありません。それに、街からお戻りになった時のおふたりをご覧になりまして? 私にはとっても幸せそうに見えました。それが全てです」
はっきりとロザンナから真実を告げられても、彼女たちは納得できぬ様子で「でも」とか「けど」などと不満を燻らせる。それでも、悪意の言葉はひとまず飲み込んでくれたことに、ロザンナはホッと胸を撫で下ろす。
これ以上、悪口を言い続けさせるわけにはいかなかった。なぜなら、数分後に彼女たちはロザンナについたことを後悔することになるからだ。
室内に響かせるように大きく手が叩かれ、ロザンナはハッとし目を向ける。手を叩いたのは扉の近く学長で、集まった花嫁候補たちの視線を一身に浴びながら始まりを告げる。
「アルベルト王子がいらっしゃいました」
扉の傍に並んだ楽士たちが学長から眼差しで促され、王子を迎え入れるための音楽を奏で始める。
結果は決まっている。それなのに、ほんの少し湧き上がった緊張感に、心の奥底では僅かに期待していたのを気付かされ、ロザンナは表情を曇らせる。
明るいメロディが響く中、ロザンナは落ち着かないままに視線を移動させて、息をのむ。とある女性と目があったからだ。
茶色の髪と瞳を持ち、薄紫のドレスを身に纏った彼女は、マリン・アーヴィング。向けられた冷たい眼差しに体を竦ませると、すぐに彼女の表情が変化した。にこりと笑いかけられ、ロザンナもなんとか微笑み返す。
そのままマリンは顔を逸らしたが、彼女を取り巻く花嫁候補たちが睨んでくるため、ロザンナは心の中でため息をつく。
約一年前、アルベルト王子の花嫁候補としてアカデミーにやってきたのが約四十名。全てが爵位を持つ家に生まれた娘たちだ。しかし、今はその半分ほどの人数しか残っていない。
マナー講師の厳しさについていけなかったり、原則として寮に入るため、共同生活どうしても耐えられなくなったり、王子の言動から誰を選ぶかのおおよその見当がつき始めると、自分は無理だと判断し諦めたりなど、様々な理由から去っていったためだ。
王子の心を得られず去る者もいれば、目標を変えて残る者いる。ロザンナやマリンの周りにいる婚約者候補たちがそうで、彼女らは自分の予想する未来の王妃に取り入っておけば、将来自分の、はたまた自分の家の有益になるかもしれないという考えなのだ。
一ヶ月前まで、花嫁はほぼマリンで決まりだろうと誰もが思っていたのが、ロザンナがうっかり最終試験でマリン超えの優秀な成績を残し、それをアルベルトが褒めたことで花嫁候補者たちの間で動揺が広がり出す。
現宰相はマリンの父だが、その前の代はロザンナの父、スコットが務めていた。スコットは二年前に事故で亡くなってしまったが、それまでは国王に深く信頼されていたため、入学当初は花嫁候補として有力なのはロザンナではという声も上がった。
しかし、その声はすぐに小さくなっていく。ロザンナが積極的にアルベルトにアピールする様子は一切なく、逆に他の候補者に混ざってマリンを応援し始めたからだ。
ロザンナがアルベルトの花嫁になることを望んでいないのが伝わり、そしてアルベルトもマリンを頻繁にデートに誘うようになったため、ロザンナが予想から除外されマリン一択となる。けれど、最終試験結果を知ったアルベルトから「よく頑張ったな」と微笑みかけられただけで、いつの間にかロザンナはマリンの対抗馬として担ぎ上げられてしまったのだ。
「気持ちをしっかりね」
ポンポンと背中を軽く叩かれ、ロザンナはルイーズへと視線を戻した。
「ありがとう。私は大丈夫」
彼女は取り巻きではなく本物の友人。年上の花嫁候補も多い中、共に十六歳ということもあって、入学当初から仲が良く、ここまでずっと励まし合ってきた。




