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第43話


少女が、庭の端で蹲っている。

四方を背の高い生垣に囲まれた、誰もいない場所で独りきりで、うつむきながら泣きじゃくっている。

あれは、イザベラだ。

幼い頃に王宮に連れられてきたイザベラの姿だ。

大好きな愛犬を失い、王都の子供達にも拒絶され、悲しみに濡れた心を抱えてイザベラは泣いていた。

自分にも悪いところがあるだとか、そんなことは考えられない。幼さゆえにある意味でみんな自己中心的で、イザベラ自身もまたその一人だった。

世界中の不幸を一身に背負ったように、幼く傷つきやすい精神は押しつぶされそうになって、ただただ涙を流すことしか出来なかった。


そんなイザベラが泣き疲れて船を漕いでいた時、急に生垣の壁がガサリと音を立てた。

パッと顔を上げて、イザベラは顔を真っ青にした。

幼い心臓はドクンドクンと早鐘のように鼓動を打ち、慌てて辺りを見回したが、他に出入り口はない。

震える手で帽子のツバをつかんで、その音の正体を恐ろしい気持ちで待つしかなかった。


「……あれ、誰かいるの?」


不思議そうな少年の声が聞こえた。

深々と帽子を被っているイザベラには、少年の白いシャツの胸から下あたりしか見えない。

生垣をくぐって中に入ってきた少年はパタパタと自らの体を叩いて、マイペースに葉っぱを落としていた。

「珍しいな、こんなところに人がいるなんて。どうしたの、君。……お腹痛いの?」

少年の仕立ての良い靴が俯く視界に入って、ひょいとこちらを覗き込むような気配に、イザベラは思わず帽子をひっつかんで限界まで下ろした。

頭にかぶっていると言うよりも、もはや額にかぶっている。

「うわ、びっくりした……」

驚いたような声が上から降ってきたが、イザベラは帽子を掴む手を強めただけで無言だ。

「えーと、僕はクラウス、君は?」

イザベラはやはり何も言えずに、首を振った。

「……顔を見せたくないの?」

困惑気味に降ってきた声に、イザベラは遠慮がちに小さく頷いた。

向こうからすれば帽子人間が帽子を縦に動かしただけのように見えるかもしれないが、これが精一杯だった。

「ふーん、どうして?」

少年は大して興味も無さそうに疑問を投げて、少し遠ざかった気配がした。

そのまま沈黙が落ちて、気まずいようなそうでも無いような、置いてけぼりにされたような妙な空気が漂う。

別に返答を期待していない相手のゆるい雰囲気に、何と無く強張りが取れてイザベラは恐る恐る口を開いた。

「……私のかお、こわいから。私……自分のかお、きらいだから」

「へえー」

少年は少し驚いたような、けれどそこまで興味の無さそうな、絶妙に間延びした声を出した。

「僕も自分の顔がきらいだよ。君とおんなじだね」

穏やかな物言いであっさりと少年はそう告げて、少し遠くに腰を下ろした気配がした。

あまりにも簡単に同じだと言われて、イザベラは暫くぽかんとした。

「安心していいよ。べつに無理に君の顔を見ようとしないから。横むいておこうか」

どうでも良さそうにそう言うものだから、なんだかこちらの方が自意識過剰のような気持ちになって、イザベラは額にかぶることを止めてモゾモゾと帽子を深めにきっちりとかぶり直した。

つばの下から、くつろいで座る少年の胸下が見える。

どうにもそれ以上、目線を上げる勇気は出なくてその状態のまま沈黙した。

「でも、どうしてここで泣いてたの。顔が怖いから?」

率直な質問に、イザベラは涙が乾いてパリパリになった目をつばの下で瞬かせた。

悲しいから泣いていたイザベラに、根本的な悲しみの理由など理解していない。幼い心がただ悲しい、辛いと悲鳴を上げたから、泣き腫らしたが、その理由を説明しろと言われても言葉に窮した。

どうして泣いていたのか、悲しいから。どうして悲しいのか、その理由はひとつじゃ無いはずで、幼い頭でぐるぐると思考をさまよい、小さな口からポロリと言葉がこぼれた。

「犬が」

「え、犬?」

少し遠くで、予想もしない言葉に困惑する気配がした。脈絡のない発言に聞こえるだろう。

「大好きな犬が、いなくなっちゃった」

言葉にすると、ストンとそれがイザベラの中で腑に落ちた。

イザベラの中の様々な悲しみには連鎖があって、それはもちろん一つではないけれど、結局はこれが根本の理由で、最大の悲しみで、そこにはどうにもならない虚しさがあった。

「それで泣いてるの?」

問いかけられて、イザベラはぼんやりと頷いた。

「いいなあ」

投げかけられた言葉を、一瞬理解できなかった。

硬直するイザベラに、少年は何でも無いように続けた。

「うらやましいな、なんかそういうの」

寂しそうな声だった。

胸が締め付けられるようなその声に、イザベラは困惑して、思わず少しだけ目線を上げた。

「僕は、ダメだから。なんかね、この子が好きだとか、きらいとか、思ってもあんまり簡単に言っちゃダメなんだ。僕の言葉は重いんだって」

少年の細い首筋が見えて、大きく喉が上下した。同時に、ため息を吐く音が聞こえた。

「先生にいわれた。僕は国のために生きないといけないから、何かひとつに気持ちをむけるのはよくない」

徐々に上に視線を上げていくと、幼くまろい輪廓に形の良い横顔が見える。

キラキラ輝く黄金色の目が、寂しそうな色を宿していた。

その横顔を視界に入れて、ドキリとする。

なんて、綺麗な瞳なんだろう。

その美しい色を目にして、イザベラは口を押さえて思わずもう一度顔を下に向けた。

「……父上がいってた。国と生きて、国としぬんだって、よく分かんないけど」

実感を伴わない、漠然とした少年の言葉が空中に浮いた。

驚くイザベラの耳に、するりとその言葉が入り込む。

何をいってるのは分からなかったが、死ぬ、と言う言葉だけはグサリとイザベラの胸をえぐった。

連鎖的に愛犬のことを再び思い出して、肩を震わせて泣き出すイザベラに驚いたように少年が話しかける。

「あれ、どうかした?」

「犬が、……私のせいで死んじゃったんだったら、どうしよう」

「なんだ、その話か」

急に飛躍したイザベラの話に、少年はホッと息を吐いた。

その反応にイザベラはムッとした。

「なんだってそんな言い方…犬きらいなの?」

「犬飼ったことないからなあ、きらいじゃないけど」

「ありえない!犬は!すごく!かわいいの!おっきくて、ふわふわで、あったかくて、優しくて……」

帽子を被ったままイザベラは憤慨した。

ムキになったように犬の良いところをつたない言葉で伝えようとして、途中から愛犬を思い出してまた涙が出てくる。

嗚咽をこぼしながら泣くイザベラに、少年は落胆の声を出した。

「あぁー……そんなに泣いたら、目がとけるかもしれないよ」

「う……とけたら、いいのに」

道化っぽく言った少年の言葉に、イザベラはぼそりと同意した。

イザベラの身も蓋もない発言に、それでも少年は優しげに声をかけた。

「……でもまあ、君がそんなに泣いてくれたら、きっと君の犬もしあわせなんじゃないかな」

どことなく他人事のような響きを持って、だからこそ同情ではなく素朴な感想としてイザベラの心にスッと入り込んだ。他の人に同じことを言われれば「そんなの、何にも分からないくせに」と八つ当たりの感情が湧き上がるというのに、この少年に対してはそうは思わない。そもそも最初から少年の言葉の語尾に、まあ分からないけどね、という言葉が隠れている気さえする。

「あなたは、つよいのね」

イザベラがそう呟くと、少年は笑った。

「うん。僕はね、みんなが言うような神様とか天使とかでもないし、父上みたいにもすごくないんだ。でも、すねるのはやめてさ、僕はちょっと頑張ることにしたから」

少し自慢げな声色に少年が今どんな顔をしているのか気になって、ついイザベラは顔を上げた。

「……なんて、今日もつらくてここに逃げてきたんだけど」

口を尖らせて少年は肩を落としていた。幼い瞼をパチリと閉じて、開く。

「でもさ、…君も何かつらいなら、そのために頑張ればいいんだよ」

ひだまりのような瞳が、チカリと慈しみの光を宿して微笑んだ。

少年の言葉が、イザベラの悲しみを優しく包み込む。

ふと少年の黒髪が動き、その顔がこちらを向きかけて、イザベラは咄嗟に俯いた。

「……君の髪、僕の目とおんなじだね」

少年のその言葉に、言われて初めて気がつく。

イザベラは自分の深いブロンドに小さな手をそろりと添えた。

「僕は君の顔はわからないけど」

そこで一度少年は言葉を切った。

俯くイザベラは少年の視線を感じて、縮こまる。

「けれど、僕はさ。……僕のより…君の方がずっと天使みたいで、きれいだと思うよ」

その優しい声に、じわりとイザベラの涙腺がまた緩む。

この少年の優しさは、イザベラだけに与えられたものじゃなくて、誰がここにいても彼は同じように優しく声をかけるのだろう。

誰に対しても少し距離をとって、けれど優しく話すのだろう。

それが今のイザベラにとっては丁度良くて心地よい。でも身勝手にも心の何処かで、寂しい気持ちもあるような気がした。

「ところで、さっき外で女の子がいなくなったって騒ぎになってたけど、君のこと?」

何気なく問いかけられた言葉に、イザベラは驚いて立ち上がった。

そういえば、あれからどのくらい時間が経ったのか。焦って出口に向かおうとするイザベラに、少年が後ろから声をかけた。

「そこを出て、つき当たりの壁を右に曲がってさ、左の壁に沿って帰るとすぐに出口につく」

「……ありがとうっ」

早く戻らないと、と焦燥にかられる気持ちでいっぱいになりながら、イザベラが生垣の下をくぐると、優しい声が追いかけてくる。

「ねえ君……今日のことは誰にも言わないで、忘れて」

ちょっと言い過ぎちゃったや、と困ったような声が遠くで囁く。帰り道を歩きながら、狐につままれたような不思議な気分でイザベラはぼんやりと涙を拭った。

泣きすぎて頭がぼう、としている。夢見心地のような気分で、ぽうと先ほどの言葉を思い出した。

緊張と、不安と、いろんな感情が溢れた状態で、盗み見た顔は数秒のことで、一歩進めるごとに少年の顔がおぼろげになる。

つらいなら、そのために頑張ればいいんだよ。

混乱する思考の中、温かい彼の言葉がイザベラを導こうとしている。


その日無事に家に帰り、一晩眠って朝起きた時、気持ちは随分とスッキリしていた。

昨日までの嫌な気持ちが、何と無く整理されていた。

その代わり、白昼夢を見たように記憶が少しずつ不確かなものになる。

ただ、強い思いが胸に残っていた。

イザベラはベッドから起き上がり、すぐに両親の元へと向かった。

いなくなってしまった犬に対して、自分ができることを、イザベラなりに考えてようやく答えが出たから。

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