第26話
整えられた芝生が、ざあっと風を受けてざわめいた。広い庭の真ん中で、少女が緊張した面持ちでボールを構えている。そのすぐ隣で赤い目を光らせて、見守るイザベラの姿があった。
「えーい!リオン、とってきて!」
ヒュン、と投げられたボールが数メートル先で静止する。足元のトイプードルがのそりと起き上がって、ポテポテとのんびりとした調子でボールを取りに向かった。イザベラは干し肉を出来るだけ小さく手でちぎって、その一つを少女に渡して頷く。
「戻ってきたら、ボールを受け取って、まず褒めて差し上げてください。その後にご褒美を渡しましょう」
「こんな小さかったら食べた気しないんじゃないの?」
「良いことをした、という認識をさせるための道具ですから、お腹を満たす必要はありませんわ」
小さな声で話し合っているうちに、ようやくピグマリオンがボールをくわえてこちらへ戻ってくる。
足元で犬がボールを落とそうとした瞬間、すんでのところで少女がキャッチして、大袈裟に感激した。
「すごい!リオンすごい!いい子!リオンはいい子!!」
そんなに全力で褒めなくてもいいのに、と思いながらイザベラはその様子を見守った。褒めろと言われたからわしゃわしゃと頭を撫でて幼い声が少ない語彙でこれでもかと犬を褒めちぎる。
微笑ましいような、呆れたような顔をして少女を見つめるイザベラを、遠くの方で侍女がジト目で見つめていた。自分のことは自分ではわからないものだ。
一通り褒めた後、差し出された小さな干し肉をピグマリオンは何だかよく分からないという釈然としない顔で(表情豊かな犬である)もぐもぐとすぐに平らげてしまった。
「さあ、シェリー様、もう一度投げてくださいな。何度も繰り返すことで、犬は習慣付いて覚えるのですわ」
「うん、キース。疲れたらこうたいしてね!」
「はあ…わかったよ」
少年は使用人からもらってきた追加の干し肉を小さくちぎりながら、やれやれとため息をついた。
しばらく続けていると、王家の使用人がバスケットを手に3人の元へと向かってくる。ランチを持ってきてくれたようで、庭にテキパキとテーブルと椅子が設置され、その上に用意されたサンドウィッチやフルーツに子供達は歓声をあげた。
「わあ、ここで食べていいの?今日はとってもごうかね!」
「うん、おいしそうだね」
喜んでテーブルの前でにこにこしている小さな王子と王女に分からぬよう、使用人はイザベラに申し訳なさそうな顔で目配せした。
「申し訳ございません、お二方のお相手をして頂いて……王妃殿下からのご指示の元こちらにランチをご用意させていただきましたが、よろしかったでしょうか」
「結構ですわよ、王妃様にお礼を伝えておいて下さる?」
こそこそとやり取りをしていれば、早く食べようよ!という声がイザベラを急かし出す。頭を低くして立ち去る使用人を見送り、優雅な動作で椅子に腰をおろした。
3人が食事を始めると、唐突にペチャペチャと水音がしてふと下に顔を向ければ、足元に用意された給水器で水を飲んでいるピグマリオンがいる。流石王家ともあれば水飲み皿さえ美しい芸術品のような代物なのだな、と感心して眺めていれば、少女もそれに気づいて声をあげた。
「あ、リオン水飲んでる!かわいい!」
「水飲んでるだけだろ……」
そうは言いながらも、少年も食事をする手を止めてじっと興味深そうに水を飲むトイプードルを見ていた。小さな舌で上手に水をすくい上げる様子を見ると、言葉に出来ない感動が子供達の胸に湧き上がってくる。
「お2人とも、ピグマリオンがお好きなのね」
「はい、ピグマリオンはぼくらが小さいとき、誕生日にやってきた犬なので」
「まあ、そうですのね」
少年は今もまだ幼いというのに、一丁前に“ぼくらが小さいとき”だなんて言葉を使って背伸びをする。対照的な兄妹だ。
「リオンは、わたしの友達なの、いちばんのお友達」
少女は輝く瞳でピグマリオンを見つめ、自慢するようにイザベラの方に向き直った。
心の底から、愛犬が大好きという純粋な気持ちが真っ直ぐに伝わってきて、イザベラの心にじんわりとした共感が広がった。
「そう、素敵ですわね」
「……すてき?」
赤い目を優しく細めて微笑むイザベラに、少女はびっくりしたような顔を見せた。
「犬が友達なんてってわらわないの?じょうだんでしょって」
心底不思議そうに目を瞬かせる少女に、イザベラは自分の面影を見た。
物心つく前から一緒にいて、大好きだった犬がイザベラにもいた。そして今は心の中でイザベラに寄り添い、そばにいる。友達でもあり、家族でもあり、そんな大事な存在が。その温かい気持ちが、幸せを増やして、今では5匹も大切な存在が増えたのだ。
「まさか、シェリー様のそのお気持ちは、とても素晴らしいものですわ」
イザベラが今までに無いくらいに優しい顔でそう言うと、呆けていた少女の顔がみるみるうちに明るくなり、満面の笑みが浮かんだ。
「ねえ!!!」
「シェリー様、お食事中は大きな声を出してはなりませんよ」
「そうだそうだ」
急に大きな声を出した少女を静かに窘めたイザベラの斜め隣で、少年がウンウンと頷いている。少女はう、と言葉を詰まらせて居住まいを正し、ちらちらとイザベラを上目遣いで見た。
「ね、ねえねえ、あなたはお友達になんて呼ばれてるの?」
「そうですね…今はイザベラとそのまま呼ばれることが多いですが、子供の頃はベラと呼ばれていましたわ」
「ベラ!わたしもそう呼んでいい?」
茶色い癖毛の髪がわくわくと跳ね、黄金の瞳が期待に輝いている。
「ええ、シェリー様がよろしいのであれば」
「シェリーって呼んで!」
続けざまに恐れ多いことを言われて、イザベラは目を泳がせた。
「それは……」
「シェリー困らせちゃダメだよ」
割って入った幼い少年の声に、ぶすっとかわいい顔が膨れた。
しかし子供とは単純なもので、次の瞬間には機嫌が治ってくりくりとしたまん丸の瞳で子犬のようにイザベラに話しかける。
「ねえ、ベラは犬が好きなの?」
「ええ」
サンドウィッチを咀嚼して飲み込み、イザベラが頷くと更にその金の瞳が期待に染まる。
「もしかして犬飼ってるの?」
「ええ」
「ええ!!そうなの!?」
フルーツを口に入れたまま少女は全身全霊で驚き、興奮に頬を赤くした。
「シェリー様、口の中に物を入れたままお話ししてはいけませんよ」
ぴしゃりとイザベラが叱責すると、少女はごくんと口の中の物を飲み込んだ。
「ベラってきびしいのね」
「当たり前のこといわれて、なにいってるんだよ」
「キースはうるさーい」
また幼い口論が始まりそうになって、イザベラはこめかみを押さえて軽く息を吐いた。エヴァンズ家の1人娘であるイザベラは、基本的にこんな幼い子達と接する機会はない。普段学園の令嬢たちをたしなめるような口調では厳しすぎるだろうかと頭を悩ませつつ、パンを持ったまま言い合いをする子供達にジロリと赤い目を向けた。
「お2人とも、お食事中に喧嘩はいけませんよ」
「はあい」
「はい……」
言えば素直に両方しょんぼりするがその後の反応がまた対照的で、少年は怒られてしまったと静かに落ち込むのに対し、少女は立ち直りが早くにっこりとイザベラを覗き込む。
「ねえ、ベラ。らんち食べ終わったらね!とっておきの場所を教えてあげる!楽しみにしててね」
悪戯っぽくませたウインクをして、少女はサンドウィッチを頬張った。午後以降もこの子供達に振り回されることが確定し、イザベラは苦笑した。
あっ、間違えて予約投稿失敗しました笑
明日の朝の更新はありません、すみません




