第25話
最初は少女に対する怒りで周りが見えなくなっていたのか、少年はイザベラの姿を視界に入れて慌てて吊り上げていた眉を元のように戻す。
少女と同じ、美しい黄金色の瞳がイザベラを見上げて、ぎこちなく紳士の礼をとった。
「あの、すみません、おどろかせてしまって……」
「いいえ、とんでもございませんわ。見知らぬ人間がお庭に居て驚かれたことでしょう。ご挨拶が遅れました。私はイザベラ・エヴァンズと申します」
イザベラが再び自己紹介すると、少年も驚いたように目をまん丸にして口を開けた。
「あ、兄上のこんやくしゃの……」
「そう!あのうわさのまじょよ!」
背後から顔だけ出して、興奮したように少女が言った。少年はムッと肩を怒らせて彼女をたしなめる。
「シェリー、なにいってるんだよ失礼だろ」
「だって、前にあそびにきた子たちがいってたもの」
ぷう、と頬を膨らませて少女は顔を逸らした。
「私は気にしていませんわよ」
子供同士の喧嘩が始まりそうな気配がして、イザベラは間に入ってなだめるように頷く。少年は幼いなりに少女を諌めようとしていたが、イザベラに促されて情けなく唇をキュッと噛んだ。
「すみません……はじめまして、ぼくはキース、こっちは双子の妹のシェリーです」
大人ぶろうと背伸びをして話す少年に、微笑ましい気持ちが湧き上がる。
「仲がよろしいのですね」
何とは無しにそう言えば、幼い悲鳴が飛んだ。
「まさか!キースってわたしに怒ってばっかりなのよ」
「シェリーがじっとしてないからだろ!」
「いーだ、キースはいつもほめられようとしてずるいの!」
軽く歯を見せて少女が叫ぶと、少年は小さな身体を大きく見せるように手を腰に当ててじろりと睨んだ。
「だいたいさ、またピグマリオンを迷路の中につれてっただろ」
「う……」
図星を突かれた少女が、そろりと後ずさりをしようとしたが、その前に少年がその後ろを覗き込んで指差した。
「ほら、ここ穴あいてる。あとでまた怒られるぞ」
「だ、大丈夫だもん!ほら、こうしたらわかんないでしょ!」
ぽむぽむと小さな手で生垣の下部を叩いて証拠隠滅を図るも、依然として穴は開いている。
「元にもどそうとしてもむりだから、母上にいうから」
「キースはすぐつげ口する!」
油断するとすぐに口喧嘩を始める双子を眺めながら、その会話を聞いて足元の方で丸くなって寝転がるトイプードルの存在を思い出す。
「シェリー様はピグマリオンを探しに来られたのかしら」
イザベラの問いかけが天の助けのように少女は大きく頷いて、足元に寝そべる犬を抱き上げた。
「うん!リオンといっしょにあそんでたんだけど、逃げちゃって。あなたがリオンとあそんでくれてたの?」
「え、ええ……」
真っ直ぐな輝く瞳を向けられると、どうにも弱い。戸惑いながらイザベラが頷き返せば、少女は嬉しそうに笑ってトイプードルを差し出した。
「じゃあいっしょにあそぼ!」
「え」
屈託無い笑顔でそう言って、少女は返事も聞かずに走り出した。手渡されたトイプードルを抱えて、イザベラは呆然とする。
「すみません……」
「いいえ…」
少女の行方を眺めていると、隣で少年が申し訳なさそうに眉を下げた。
どこに向かうのかと思えば後方に待機していた使用人たちのところで、少女は片手に手のひらサイズのボールと、干し肉を持って戻ってくる。
「あのね、リオンはボールをとってこれるの!はい、そこでおろして!見ててね!」
自信満々にボールを高く上げて、少女が元気に飛び跳ねた。
言われた通りに広い芝生の上にトイプードルを降ろして、イザベラは距離をとった。
こんなところでボールを投げては生垣にボールがぶち当たってまた穴が開くのでは、と多少懸念を覚えつつ、周りの使用人たちや双子の兄が傍観しているところをみると、おそらく誰にも止められないのだろうという諦めの念が伺えた。
「えい!ほら、リオン、とってきて!!」
思っていたよりへなへな〜っとした弱いボールが緩く飛んでいって、イザベラはホッとする。
転がり出たボールをピグマリオンは眺めていたが、よっこらせと重い腰を上げてポテポテとゆっくり歩き始めた。緩慢な動作でボールに近づくと、ひょいと口でくわえて、これまたのんびりとした速度で垂れ耳をはためかせながら少女の方に向かっていく。
少女は期待した目でピグマリオンを見つめ、その片手に持った干し肉をひらひらとかざした。
ようやく少女の元にたどり着いたトイプードルが、ポト、と地面にボールを落としてお座りをする。
「やったあ、持ってきたわ!はいこれ、ごほうび!」
差し出された干し肉をもらって、少女の足元ではぐはぐと一生懸命噛んで食べている。
どうだ!とばかりに黄金の瞳を輝かせ、頬を赤くして少女はイザベラを見た。
「………………」
一連のやりとりをずっと見ていて、イザベラは衝撃で固まっていた。
……なにこれ、ふざけてるのかしら?
こんなやる気のないボール遊びをイザベラは初めて見た。
あまりの光景にわなわなと身体を震わせるイザベラの姿に、思っていた反応が返ってこないと口を尖らせ、少女はそれならばともう一度ボールを拾って投げた。
するとピグマリオンはクンクンと少女の手を嗅いで、少女が干し肉をもう持っていないことを確認すると、少女の足元にすり寄って寝そべった。
「あれ?リオーン、ボールとってきて!リオンってば」
ゴロン、とお腹を見せてピグマリオンがポーズを取る。きゅるんとした黒い瞳をウルウルさせて、くりん、くりん、とお腹を見せるトイプードルの姿に少女は叫んだ。
「きゃあ〜かわいい、リオンかわいい!」
黄色い声を上げてお腹を撫で始めた少女を見て、ついにイザベラの堪忍袋の尾がブチっと切れた。
「シェリー様」
「え?……ヒェ」
笑いながら少女が振り向けば、そこに赤い瞳を釣り上げた迫力のある恐ろしい魔女の顔があった。
「僭越ながらシェリー様、あなたがなさっているのは……正しいボール遊びではございませんわ」
「正しいボール、あそび?」
きょとりと少女は首を傾げた。イザベラはため息をついて、ボールを拾い上げた。
「今のではピグマリオンはあなたの指示に従ったのではなく、ただ干し肉をもらうためにボールを持ってきたに過ぎません」
「それってダメなの?いつもこんな感じだけど」
「もちろん最初はそうして覚えていくものですけれど……ピグマリオンは、どうもあなたとボール遊びをすることに喜びを見出していないように見えます」
そう言うと、少女はガンと衝撃を受けたように足元のトイプードルを見下ろした。
「えっ、リオン楽しくないの!?でも、気分がのってるときはかってに1人でボールくわえてあそんでるよ?…もってこないけど」
「楽しくないと言うより、何もなくボールを持っていくよりも、シェリー様にこうやって転がってお腹を撫でてもらう方がずっと嬉しいのではないでしょうか。……それが何故か、お分かりになりますか?」
「お腹をなでてもらうのが好きだから?」
「いいえ、そうではなく……おそらくピグマリオンはシェリー様に褒めてもらうのが好きなのです」
くり、とトイプードルが首を傾げて鼻をひくつかせる。少女は訳がわからないと言う顔をした。
「ボールを持ってきてもシェリー様はピグマリオンを褒めませんでした、けれどお腹を見せるとかわいいと何度も褒めて撫でてくれる。……それでは、いつまで経ってもボール遊びが楽しいと思えませんわ!」
今日最初にピグマリオンに会った時の様子を思い出して、イザベラは眉を釣り上げた。イザベラが飼い主でないから言うことを聞かなかったのではない。普段から飼い主の指示を聞くよりも、お腹を見せるだけで大層褒められるのだから、指示をきく必要性を感じないのだ。悪く言えば舐められている。
「ボールを持ってきたら、必ず褒めてあげて下さいな。ピグマリオンはきっとシェリー様のことが好きなのですから」
「ほめる……」
むむ、と難しそうな顔をして、少女は唸る。イザベラはボールを少女に手渡して、口元に笑みを乗せた。
「ええ、もっとはしゃいで楽しそうにボール遊びするピグマリオンの可愛い姿、見たくはありませんか?」
「え、リオンもっとはしゃぐの?見たい!!ねえ、キースもきて!」
「え、ええ……?」
少年が困惑しながらイザベラと少女を交互に見る。
「では一緒に練習しましょう」
「うん!」
「は……はい」
不敵に微笑む赤い瞳を真っ直ぐに見つめて、少女は元気よく返事をして、少年は困惑しながらも渋々頷いた。




