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第24話

1人残されてどうしたものかと、イザベラは再び空っぽになってしまったティーカップを漫然と見つめていた。手持ち無沙汰に飲み続けてこれで3杯目だ、流石にもう胃がタプタプに紅茶で満たされている。すかさず注ぎに来た使用人に丁重に断りを入れて、このティータイムを終えることにした。

王家の使用人たちはあらゆる場所に配置されていて、クラウスの言った通りどこへ行っても構わないとのことだった。

侍女をそばに呼び寄せて、イザベラはこの広い庭をゆっくりと散策することに決めて、辺りを見渡す。

学園へ入学する以前は王宮の中で王妃教育を受けていたが、このように何の目的も無く歩き回ったことはなかった。この中庭だってあのお茶会以来、窓から眺めるくらいなもので、薔薇園や、綿密に設計された噴水や池をじっくりと見て回って、イザベラはあまりの広さに辟易した。四季咲き薔薇が咲き誇る区画では、繊細に手入れされた棘のない茎が瑞々しい緑を光らせ、淡いピンクの分厚い花びら1枚1枚が定められたように開き、甘い香りを放っていた。

「ねえ、アナ、うちの領地の庭とは大違いね」

「はい、木陰が多いのでお嬢様が寝こけても日焼けの心配はなさそうですね」

後ろの侍女に声をかければ、普通のトーンで耳の痛い話題が返ってきた。

「………アナったら、こ、こんな素晴らしい庭で寝るわけないでしょう」

「左様でございますか」

モゴモゴとイザベラが睨めば、侍女は涼しい顔で一つ頷くのみにとどめた。

薔薇園を過ぎれば、今度はトピアリーと呼ばれる樹木を刈り込んでデザインされたオブジェたちがそこかしこに立ち並んでいる。馬の形や兵隊の形をした様々な緑のオブジェたちに近づけば、それらはイザベラの背丈の倍もある大きさで、この国の最高の技術がここに集められているのだと感心を覚えた。

ここまで素晴らしい庭であれば、何があっても驚くまいと思っていたイザベラだが、次は高い生垣の壁にぶち当たって困惑した。

広い場所に出たと思ったが、目の前に広がるこの緑の壁は何だ。

とりあえず壁伝いに歩いてみれば、突然ぽっかりと入口が見つかる。

ひょいと中を覗いてみればなるほど、イザベラはこれが遊び心の溢れる巨大な迷路であるとようやく理解した。

「この迷路……」

そびえ立つ生垣を見上げて、イザベラはふと呟いた。

不思議とどこかで、見覚えがある気がしてその赤い目を瞬かせる。

だが、記憶をたどる前に足元でガサガサと茂みを探る大きな音がして、そちらに意識が移る。

足元の生垣からぴょこんと顔をのぞかせた、茶色い毛玉にイザベラはあっと口を開けた。

「……ピグマリオン?」

黒い大きな目を一瞬イザベラに向けて、茶系の毛並みのトイプードルは気を取り直すようにブルブルと身体を大きく震わせた。ガサ、と生垣から完全に身体を出して、ぐぅ、と全身で伸びをしている。

犬が出てきた足元の生垣は無残にも穴が空いており、イザベラはそれを見て微笑んだ。

「もしかして迷路で迷って、無理やり出てきたのかしら?」

おかしくて笑っていると、ピグマリオンは鼻をひくつかせてイザベラの足元にふんふんと鼻息を鳴らしながら近づいてきた。イザベラはさっと近くに王家の使用人がいないか見回し、遠くの後方にその存在を確認して犬に向き直る。

「可愛いわね、よしよしおいで」

個人的な好みはもちろん大型犬1択ではあるが、だからと言って小型犬が嫌いなわけではない。数ヶ月実家の犬たちに会えないと起こる禁断症状を抑えるには力不足なだけで、むしろ犬全般が好きなイザベラは嬉々としてしゃがみこんだ。王宮にお呼ばれしてちゃんとしたドレスを着ているイザベラが躊躇なくしゃがみこんだことに後ろの侍女は物申したそうな顔をしているが、犬を前にしたイザベラは気づかない。

「よし、お手」

ワクワクとした調子でイザベラが右手を差し出せば、じっとその可愛らしい黒目で見上げて、すぐにツーンとそっぽを向いて後ろ足で首を掻き始めた。

「まあぁ、生意気なこと」

大げさに驚いたふりをして、イザベラは今度は強めの口調で右手をおろした。

「じゃあお座り」

ズルズルと整えられた芝生の上に寝そべって、大きく裂けたくちをふわと開いて欠伸をする。

「あなたちょっと甘やかされすぎじゃない?犬というより猫みたいだわ」

イザベラが呆れてドレスに頬杖をつくと、コロンと犬は転がってお腹を見せた。まさに自分の可愛さを存分にわかっています、とでも言いたげにきゅるんとした顔でポーズをつける姿に、あざとい…と悔しげに呟きながらイザベラはその小さなお腹を優しく撫でた。

「リオンー!リオンー!」

その時、迷路の奥から幼い子供の声が遠くから聞こえてきて、イザベラは入口から中の方へ目を向けた。

するとその瞬間、奥の方から跳ねるように小さな人影が勢いよく飛び出してきた。

「きゃあ!」

可愛らしい悲鳴を上げて、イザベラの目の前で小さな子供が尻餅をついた。

茶色いふわふわの長い癖毛に、小さなピンクの唇、小作りな顔立ち、そして見間違いようがないほど、───神々しい黄金色の目をした、お人形のような少女がこちらを見て首を傾げていた。

レースのふんだんにあしらった白いドレスには、襟元に細かい金の刺繍が施されているが、もったいないことに所々泥がついている。

少女は金色の瞳をまん丸にして、イザベラを見上げた。

「───あなた、だあれ?」

たどたどしい言葉遣いで、けれどそこに恐れはない。純真な瞳が不思議そうにただ、こちらを見つめている。王妃が女神に例えられるなら、この少女はまるで妖精のように愛らしかった。

一目見ただけで、この国の人間ならばこの少女が何者か理解するだろう。

イザベラはすっくと立ち上がり優雅に淑女の礼をとった。

「お初にお目にかかります、王女様。私はイザベラ・エヴァンズと申します」

ドングリ目玉が更にまん丸になって、少女は驚いたように口を開いた。

「イザベラ…………お兄さまの、こんやくしゃの?」

「……はい、ええ、一応」

まっすぐな瞳に問いかけられて、イザベラは戸惑いながら頷く。

その途端、素っ頓狂な声を出して少女が飛び上がった。茶色の巻き毛がくるりと舞い上がる。

「ええ!?あなたがあのあくぎゃくひどうなまじょのイザベラ!?」

少女はパッと立ち上がりイザベラをまじまじと見つめて、興奮したように詰め寄った。

「あれでしょ!?ごはんを落とした人に、犬のようにはいつくばって食べなさいとか、迷子のこどもにリードをつけてつないでおきなさいっていうんでしょ!?」

好奇心に満ちた少女の勢いに圧倒されたが、その内容にイザベラは一瞬の間の後、吹き出した。

「ふふ、何ですの、それ」

こらえきれず笑ってしまったイザベラを、少女はピタリと固まって穴が開くほどに見つめた。

「きれい」

「え?」

「あなたのおめめ、お母さまのもってる宝石みたい。とってもきれい!」

キラキラと輝く、それこそ宝石のような黄金の瞳が、嬉しそうに微笑む。頬は紅潮し、少女が本気でそう言っていることがうかがえた。

───屈託のない純粋な瞳でそんなことを言われたのは、初めてだ。

善も悪もよく知らない子供が、心の底から思って、そのまま口に出した。その言葉の汚れなきこと。

イザベラは息を飲んで、少女を見下ろした。

何と言えばいいのか、思いつかないままイザベラが口を開こうとした時、後ろから声が聞こえた。

「シェリー!!何してるんだ!」

振り向けばくりくりとした短い茶髪を跳ねさせて、幼い表情に焦燥を滲ませた少年がこちらへ駆け寄ってくる。

呼ばれた少女は気まずそうに口を歪めて、そろりとイザベラの影に隠れた。

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