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第12話


領地でのイザベラの朝は忙しい。

5時半に起床すると、すぐさま使用人たちに身支度を整えてもらい、6時頃に犬舎に集合する。

「ラウ、シャルロット、ダニエル、アドルフ、マリー!よしよし、昨日はよく眠れたかしら?」

動きやすいグレーの肩のないワンピース、日焼け防止用の黒の長手袋にツバの大きな麦わら帽子という出で立ちで颯爽と犬の前に現れたイザベラは、慣れた動作で散歩用の革製の胴輪(ハーネス)を全員に取り付けた。

昨日は叔父に強制的に休まされたため夜の散歩に行けず、真夜中に夢遊病のように犬舎まで行ってしまったイザベラだったが、今朝は意気揚々とリードを持ってすっかりご機嫌だ。

「ベラ、殿下は誘わなくていいの?」

ダボっとしたズボンとシャツという軽装のハロルドが、屋敷の方を見ながら首を傾げた。

「こんな早朝にお呼び立てするのは申し訳ないでしょう。それにクラウス様は犬アレルギーなのだから、お誘いしたら迷惑よ」

「そうかなあ」

クラウスと言った瞬間、またラウが嬉しそうに吠える。

当然のことのように答えるイザベラに少年は含み笑いを零した。侍女はそのやりとりを眺めながら、静かに待機している。

イザベラは雑種のラウとゴールデンレトリバーのマリーのリードを持ち、ハロルドがホワイトスイスシェパードのダニエル、ゴールデンレトリバーのルドルフを担当、侍女のアナがボーダーコリーのシャルロット担当だ。そしてその後ろをエヴァンズ家の護衛が2人ほどついて行く。

散歩コースは丘の下まで降りて、その周りをぐるりと1周し、丘を登って屋敷に戻る。時々気分転換に町まで足を伸ばすこともあるが、基本的にはこのコースが多い。だいたい行って帰るまで1時間かからない程度だ。

7時頃に朝食を食べるため、王子を待たせるのも忍びないので少しいつもより早足で丘を下る。

屋敷からある程度離れてから、イザベラは横に並んで歩く従兄弟に苦々しい表情で声をかけた。

「ハル、なんであんなお節介したの」

「お節介?なんのこと」

きょとん、とガラス玉のような緑の瞳を瞬かせて、ハロルドは訳がわからないという顔をした。

「ク…殿下に町を案内しろなんて、びっくりしたわ」

「ああ、それかあ。ただの善意だけど」

「善意!?」

驚愕して立ち止まるイザベラを笑いながら追い越して、少年は明るく笑っている。早く行ってくださいお嬢様、と後ろから侍女につつかれた。

「正直、心配してたんだって。ベラ、休みのたびにこっちに帰ってくるから、王子様と上手くいってないのかなーって。まあベラは死ぬほど犬好きのかなり変人だからなあ…って思ってた。ね、アナ」

「お嬢様はシャイですから」

2歳年下の従兄弟と2歳年上の侍女が好き勝手に言って、肩をすくめた。彼らの会話など気にせず、犬たちは草木を分け入ってひたすら匂いを嗅いでいる。

「その通りよ!別に言い訳しないわ………でも、それを分かってて、どうして」

「なんか、俺が思ってたのと違ったから」

「…どういうこと?」

少年の持つリードの先で、ダニエルが道草に謎の執着を見せてずっと白い身体を擦り付けている、もう一方のアドルフは先に行きたそうだがライト・ゴールドの長い毛並みをなびかせて、耳をピクピク動かしながら賢く待っていた。

「うーん、俺が言ってもなあ。なんとなく察しただけだし」

不可解なことをぽそぽそ言って、唸りながら少年は口を尖らせた。

「逆に聞きたいんだけど、ベラは殿下のこと、嫌いなの?」

「それは……」

先日侍女にも同じ質問をされたことを思い出し、イザベラは言葉を詰まらせた。侍女は素知らぬふりでシャルロットを見つめている。シャルロットは根元は黒く先端が白いフサフサの尻尾を小さく振りながらふんふん歩いている。

「言っとくけどね、この田舎に住んでる俺でも知ってるよ。ベラが熱烈に告白して王子の婚約者になったってさ。あれって結局ガセなの?なんであんな噂が流れてるのか、心当たり、ないの?」

「う……」

「この話題、ベラは避けてるから今まで突っ込まなかったけど。正直昨日、初めて殿下に会って、なんか…ちゃんとベラの口から本当のこと聞かないとダメなんじゃないかと思った」

文句を言うはずが、逆に怒涛の勢いで問い詰められてイザベラはタジタジになった。

「…わ、私だって戻れるものなら、あの運命の分かれ目に戻ってやり直したいわよ」

ボソボソ言って、イザベラは癒しを求めてラウとマリーの頭を撫でる。少し垂れ耳の黒い毛並みと、完全に垂れ耳のクリーム色の毛並みをふかふかと堪能する。

「その、誰にも言わないでね…」

ちら、と少し後ろにいる護衛の者に聞かれないよう、イザベラは小声で2人に話しかける。

「…12歳のときね、殿下の婚約者を選ぶパーティーにお呼ばれしたの。私はこの領地を離れたくなくて猛反抗したのだけれど、大人の権力の前には無力だったわ」

「ああ、年が近い令嬢が王命で集められたんだっけ」

亀のような足取りで丘の周りを歩きながら、3人はその時の様子を思い描く。

「ええ、集団お見合いって言うのかしら、殿下やお妃様を含めたお茶会パーティーに婚約者候補の7名の令嬢達と付き添いの母親達が集められたの。こう、大きなテーブルを皆で囲って、お茶を飲んで、皆アピールするのよ。ある程度お話をお妃様が振って下さって、その質問に対して全員が順番に答えていったり…話題は移り変わって、好きなものの話になったの」

「っぷ、答えが簡単に想像つくや」

そう言ってケラケラ笑う従兄弟と、声を出さすにうっすら微笑む侍女を見つめ、イザベラは目をそらす。

決まり悪そうな顔で言い淀んで、重い口を開いた。


「その時、私は……………『もちろん、クラウスが一番すき!』って言ったの。」


「………は?」


2人が一瞬、動きを止めて真顔になった。


「言いたいことはわかってるわ。でも言い訳させて?あのね、好きなもの、って言われてラウ以外思いつかないに決まってるじゃない。あの頃、子犬の状態で1匹で鳴いてたラウを運命の出会いで拾って、まだ1年だったのよ。1年間可愛い盛りを見続けてきたのよ。皆が順番に答えて行く間ずっとラウのこと考えていたらとても楽しくなってきて、……シャイな私にしては珍しく満面の笑みで答えてしまったの」

ハロルドは顔を青ざめて手で顔を覆った。侍女は静かに微笑んでいる。知ってるこの顔、心底馬鹿だと思ってる時の顔だ。

「皆まさか犬のことだと思わないじゃない。だから王妃様は嬉しそうに私に頷いて下さったの。『そうなのね、貴方はクラウスがとても好きなのね』そして私は目を輝かせて『はい!とっても好きです!!』と言ったの」

シーン、と通夜のような空気が流れた。犬たちはその不穏な空気を察知して、不安そうに耳を縮こませている。

「王妃様は『クラウスのどこが好きなの?』と私に聞いたわ。私は『黒い髪はお日様の光をいっぱいきらきらさせて、つやつやして、キレイなんです!あととっても賢いところと、何より、ひだまりみたいな優しい目が私は大好きなんです!』とか、そんなようなことを言った気がするわ…」

「…馬鹿なの?」

ハロルドがついに口を滑らせる。

イザベラはふっと、諦観の表情を浮かべた。

「王妃様に自分の犬を自慢できて、ルンルン気分で王都の屋敷に帰った私はまだその時は知らなかった。まさかその日から領地の屋敷へ帰れなくなるなんて…」

「なんでそんなことになるんだよ…」

「殿下のお名前を存じ上げなかったのよ…」

「犬以外のことに興味なさすぎだろ」

少年はかわいそうなものを見るような顔をした。

「…領地に帰りたがる私に王妃様は優しく言ったわ、『クラウスに会いたい?クラウスの隣にいるためにはね、あなたはたくさんのことを学ばなければならないの、できる?』私は必死に頷いたわ。クラウスに会いたい!そのためにはいっぱい勉強しなければ…と。それがいわゆる王妃教育だったと知るのは、3年後の学園に入学する直前のことだった…というか、正式に婚約は決まっていたけど、まだ内定状態で公には知らされてなかったから、外部から聞かされることもなくて…」

途中からラウに改名したのは、そう言うことか。ハロルドは呆れたように何度か頷いて、深い深いため息をついた。

「気になるんだけど、その3年間殿下とは一切会わなかったのか?」

「時々、王宮ですれ違ったけど…挨拶だけする関係だったわ」

「…シャイ拗らせたお嬢様の、他人認定した方への挨拶です」

侍女の言葉を聞こえないふりして、イザベラは早足でずんずん犬を先導する。いつの間にか丘の周りを一周し終えていた。

「でもさ、いつだって誤解を解く機会はあったんじゃないか?それから1年以上殿下と会ってたんだろ」

「…言える?あの時、好きだと言ったのは実はあなたのことじゃなくて、飼い犬のことだったんです!って?そんな恐ろしく不敬なことを?」

「……もう、責任とって結婚してしまえばいいじゃん」

あっさりと簡単に言われて、イザベラはぐっと唇を噛んだ。

私は犬たちと過ごしたいの。私は領地が好きなの。私は淑女の鑑なんて疲れるから本当は嫌なの。私は、私は、私は。

自己中心的な考えばかりが頭をぐるぐると回る。それに、だって、あの王子様には、好きな人がいるじゃない。言い訳のようにそれを持ち出して、自己を肯定しようとする。

「ベラは、公爵家の娘なんだから」

貴族の義務を果たさないと。緑の瞳が、イザベラの内側をチクチクと突き刺す。

幼いような外見をして、この従兄弟はリアリストだ。自分の見た目が子供っぽいことを知っていて、誇張気味に振る舞うしたたかさがある。

けれど、兄弟のように育ったイザベラの前では、その顔を脱いで大人の正論を口にする。

「わかってるわよ、ハルのぶりっ子!」

「は?」

イザベラも同様に、淑女の鑑の仮面など脱ぎ捨てて、素の自分をさらけ出す。

い、と子供のように舌を出して、丘を登っていった。


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