白銀の夢、その果てに(後編)
「なるほど、間に合うかな……」
黒鳥の視界を通じ、郊外で剣を構えるムーアたちの姿を捉える。
視界情報を断ち切ると、マインは村の端に目を向けた。
*
「なぜ指揮官がここにいる! 現場の統率はどうした!?」
ムーアはリータを後ろに庇い剣を構える。
目の前には道を塞ぐように眼鏡の男──ハロルド少尉が悠然と立っていた。その脇には兵が五名。
「それは軍曹、あなたもでしょう? おっと、失礼。見たところ、もう軍曹はお辞めになられたのかな?」
舐めるように後ろのリータに視線を向ける。
リータは思わずムーアの陰に隠れた。
薄ら笑が鼻につく男だ。ムーアは唾を吐き捨てる。
気にせずハロルドは続ける。
「なぜと言われれば、答えは簡単なんですがね? 怖いからですよ。本当に『吸血鬼』が居たらどうするんです?
だらかこうして、安全なところから村の方を眺めていたんですが、大事な被検体が村から逃げてきたのなら、捕まえねばなりませんねぇ?」
ハロルドの合図で兵たちが武器を構える。
剣兵と槍兵がそれぞれ二名、後ろに弓兵が一名。
まずは先制──ムーアはナイフを一投。矢をつがえる前の弓兵の喉に突き刺さる。
飛び出してきた槍兵の突きは身体を捻って紙一重でかわす。
すぐさま剣兵が横から切りかかる。
ムーアは振り向きざま、長剣を握り直すと──
「甘い!」
斬撃を振り下ろすよりも先に、相手の膝を蹴り抜いた。
崩れた体勢へ、剣を横薙ぎに一閃。金属が肉を裂き、剣兵が倒れる。
振り返る間もなく、二人目の槍兵が突っ込んでくる。
ムーアは迎撃せず、前のめりに飛び込む。
刃の軌道を僅かにずらすと、そのまま身体ごとぶつかって槍兵を弾き飛ばした。
着地と同時、背後の剣兵が迫る。剣の風圧が首筋をかすめた。
「――ッ!」
咄嗟に地を蹴って距離をとると、鋭く踏み込み返す。
鍛え上げた脚力が床を砕く勢いで、敵の懐に斬撃を叩き込んだ。
剣兵が呻き、剣を落とす。ムーアは迷わずその腕を蹴り払って戦線から排除する。
残るは一人。
槍兵が怯えた目で構えている──が、迷いのある突きなど届かない。
ムーアは踏み込みながら剣を振り抜く。
腕を切り受け、槍を叩き落とし、柄を蹴飛ばして敵を転ばせる。
刃を首元へ突きつけて、言った。
「動くな。殺す気はない」
静かに息を吐きながら、ムーアは長剣を引いた。
これでハロルドも退くだろうと考えていたその瞬間、空気を裂くような破裂音が街道に響き渡り、ムーアの剣が手からこぼれ落ちた。
「ムーア!」
思わず駆け寄ろうとする姉を、手の平を突きつけて留まらせる。
「さすがは武力だけで伸し上がった元軍曹殿。素晴らしい立ち回りでしたなぁ」
ハロルドに視線を向けると、その片手には硝煙をあげる鉄の筒が握られていた。
「それは、まだ開発中の……!」
「試供品の銃ですよ。弾数も少ないですし、無駄にはできません」
軽薄そうな表情で肩をすくめる。
「まぁ、私は臆病者なので──こうするしかありませんな」
銃口を静かに横に滑らせると、その先には……怯える顔のリータが居た。
「おい! やめろ、やめてくれ!」
「あぁ、滑稽ですなー? 貴方は今は国賊。そんなお願いが通るとでも?」
再び響く破裂音。
リータは反射的に身体を縮こまらせ、目を閉じた──だが、痛みも衝撃も来なかった。
そっと目を開けたとき、彼女を庇うように立ちはだかる、ムーアの背中があった。
腹部からはとめどなく血が溢れる。
「あぁ! ムーア! やだ、どうしよう!」
手の平で傷口を抑えるも血はとどまること無く流れ出す。
眼鏡の男は腹を抱えて笑っていた。
「そうでしょう、そうでしょう! 軍曹ならそうするでしょうとも! あぁ失礼、『元軍曹』でしたね!」
笑いを引きずるように、ハロルドは懐から弾を取り出し、銃口にゆっくりと込めた。
その動作は、無駄に優雅で、悪意に満ちていた。
「いや、これで私が怖いものはなくなります。では、お元気で」
頬を濡らしたリータがハロルドを睨みつけ、気丈にも弟の前に立ち塞がる。
「やめろ……姉ちゃん……」
突き出されたハロルドの腕が、リータを捉える──その瞬間。
どこから現れたのか、漆黒の獣が風のように舞い、腕へ食らいついた。
鈍い悲鳴と共に、銃が地に落ちる。
「遅くなった! ごめん!」
もう一体跳躍する黒い狼が現れる。その背に乗ったマインがリータの前に飛び降りた。
「マイン! 弟が……!」
「わかってる、ちょっと見せてね」
腹部に手をあてて確認するが、とめどなく血が流れ出る。
マインはリュックの中から予備のシャツを引っ張り出し、すばやく裂いた。
厚くたたんだ布をムーアの腹に当てると、皮ひもでしっかりと締め付けた。
だが、背後では黒い狼に怯え震えながらも、再び銃を手にする男。
マインに銃口を向けると躊躇なく引き金を引く。
空を裂いて飛来した弾丸は、マインの胸元を貫いた──かに見えた。
しかし、銀の液体がわずかに散っただけで、マインは微動だにせず応急処置を続けていた。
「ひ、ひぃぃ、化け物! 本当にいるなんて、聞いてない!」
震える手で再び弾を込めようとするが、上手くはまらない。
周りを見渡せば呆然としている兵がいる。
「お前ら、奴を殺せ! 早く!」
声を張り上げるも、その恫喝に正気を取り戻した兵は、目の前の驚異から逃げるために一目散に走り去る。
「おい! もどれ! もどれ!」
「……あんた、さっきからうるさいよ」
マインが黒狼たちに目配せをする。
黒い狼は背後から飛びかかると、ハロルドの首根っこに噛みついた。
悲鳴を上げる間もなく、そのまま森の奥へと引き摺られて消えていった。
*
「あぁ、ムーア! しっかりして!」
震える身体。溢れ出る涙。狼狽するリータは気を失った弟の身体にすがる。
いつも笑顔のマインも、この時ばかりは神妙な顔つきだ。
「このままだと失血死する。早急に手当が必要だ」
「お願い、マインくん! どうしたらいい!? 私に何が出来る!?」
ムーアの血で真っ赤に染った手。
「……ここじゃ危険だ。まずは安全な場所に移動しよう」
マインは兵が落としていった槍を二本拾い、穂先を折る。そして兵の死体から衣服を剥ぎ、自らの服と合わせて──
槍の柄に袖を通し、布がたわむように横に張っていく。
即席の担架が、わずか数十秒で形を成した。
ムーアを抱えようとしたマインに、リータが「手伝うわ」と声をかける。
しかしマインは、そっと首を横に振った。
「力仕事は僕に任せて」
ムーアを揺らさないようにそっと持ち上げると、ゆっくりタンカに移す。
ムーアの顔色は悪く、呼吸も浅い。それでも、命はまだ繋がっていた。
「本当はもっと強度のあるワイヤーがあればいいんだけど」
リュックから取り出した紐を蜘蛛の巣のようにタンカの端に括り付けていく。
そしてその先端は──黒鳥の大群に持たせる。
小さな黒い黒鳥たちは、それぞれ紐を口にくわえ、脚で絡め取りながら宙に舞い上がる。
少しずつ、ゆっくりと、ムーアを乗せたタンカが地表を離れ持ち上がる。
リータはその光景を恐ろしくも、どこか感動を覚えた。
「マインくん、あれは何なの?」
「ドローンみたいなものだよ」
「ドローン?」
「あー……言うことを聞く鳥? さ、リータ僕たちも行くよ。一緒に乗って」
マインは迷いなく黒い狼にまたがると、リータに手を伸ばす。
リータはおそるおそるその手を掴むと、マインは力強く引き上げてリータを胸の前に抱きかかえた。
「しっかり捕まっててね」
黒鳥たちが夜を縫うように星空をゆく。それを追いかける黒い狼。
行き着いた先は──封鎖されたまま、闇と静寂だけが残る鉱山だった。
*
道中、黒鳥を追い越した狼は先に鉱山に辿り着いた。マインはリータを抱えたまま黒い狼から降り立つ。
鉱山の入口では十数体の黒い猿たちが待ち構えていた。
遅れて黒鳥たちが到着すると、緩やかに高度を下げ慎重にタンカをおろしていく。下で待ち構える両手をあげた猿たちがタンカを静かに受け取った。
「そのままゆっくりラボまで運んで」
リータは落ち着きなく辺りを見渡す。
前を行くマインの持つランタンの灯りが、壁にいくつもの影を揺らめかせていた。
剥き出しの岩壁。天井を支える木材には、黒ずんで腐食したものも混ざっている。
突然放棄されたせいだろう──リータは不安にかられ、マインの肩にそっと手を置いた。
「マインくん……ここ」
ここであっているのか? こんな所で弟の処置が出来るのか? そう聞きたかったがその先の言葉を飲み込んだ。もう信じるしかないのだ。
*
マインとリータは、タンカのムーアに目を配りながら慎重に歩を進めていく。
緩やかに下っていく坑道の先、行き止まりでマインが立ち止まった。
彼が壁にそっと手を触れると、足元から青白い光が這い上がり、壁の縦横に走る。
光の線はゆらぎながら淡く消え──それと同時に、重く鈍い音を響かせて「扉」が開いた。
その向こうには、岩と木の坑道とはあまりに異質な、鋼鉄の回廊が広がっていた。
マインに続いて獣たちが静かに進んでいく。
足がすくみ進めないリータに、振り返ったマインが軽く手招きをする。
視界の先、運ばれていくムーアの姿を見つめ、リータは力強く頷くと、鋼の回廊へ足を踏み入れた。
*
そこから先は、重厚な鋼鉄の扉が音も立てずに軽やかに開き、小さな鉄の部屋に入ったかと思えば──奇妙な浮遊感とともに、全く別の場所へと移動していた。
すべてがリータの理解を超えており、気がつけば、白を基調に整えられた部屋に辿り着いていた。
ムーアはすでに、奇妙な鉄のベッドに寝かされていた。
黒い猿が彼の衣服を手早く脱がせ、透き通った水のような液体と、清潔そうな純白の布で丁寧に全身を拭いていく。
その様子を見届けて、マインは小さく頷くと、リータの腕を掴んだ。
「僕たちも汚れを落とさなきゃ。急いで」
*
またも不思議な部屋に押し込まれた。
「使い方がわからないと思うけど」とマインは言い残し、手早く要点だけを伝えて足早に立ち去っていく。
──まず、衣服をすべて脱いで中へ。
知らない場所で裸になるのは気が引けたが、どこまでもついて行くと決めたのだ。
リータは意を決して目を固く閉じ、そっと部屋に足を踏み入れる。
──天井や壁から水が出ている間は、水に身を任せて。
途端、天井や壁から音もなく水が噴き出し、優しく身体を撫でるように流れていく。
血の跡や汚れの酷い箇所は、重点的に洗い流してくれているようだった。
──水が止まったら、次の扉が開く。そこでは霧が噴き出すけど、音が2回鳴るまでは目と口をしっかり閉じて。
言われたとおりにしたが、霧が肌に触れるとピリッとした感覚に思わず身がすくむ。だけど、それはすぐに収まり、霧もまた静かに消えていった。
──音が鳴り終わったら、扉が開く。その部屋にある服に着替えて。
置かれていたのは、見たこともない白く滑らかな衣服だった。
ズボンは自然に胴回りにフィットし、締め付けることもなく心地よい。上着もさらりとした肌触りで、袖を通すだけで安心感が広がる。
──着替えたら、奥の扉に近づいて。
おそるおそる扉に近づくと、シュッと音を立てて軽やかにスライドする。
その向こうで、同じ白い服をまとったマインが微笑んでいた。
「おかえり。じゃあ、次へ行こう」
*
ムーアは別の部屋に移されていた。
ガラス張りの向こう側──たくさんの管が身体に取り付けられている。
リータがその様子を見つめていると、背後から声がかかった。
「さて、今からリータに、大切な決断をしてもらうよ」
振り返ったリータは、両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、深く頷く。
「ひょっとしたら、驚いちゃうかも」
少し軽い調子で、マインは肩をすくめる。
「ここまでで、充分驚いてきたわ。いまさらこれ以上は、きっとないわ」
「そう?」
マインの問いかけに、リータはもう一度頷いた。
「じゃあ、決めてね──
リータとムーア、どっちが『吸血鬼』になる?」
*
「き、吸血鬼!?」
リータは思わず自らの身体を抱きすくめた。
マインは吸血鬼だったのか?──そう考えれば、思い当たる節はいくつもある。
薪をいともたやすく切る膂力、銃弾を受けても倒れない強靭さ、そして闇の魔物を従える異質さ……。
理解と納得の狭間で、リータの思考は渦を巻いていた。
「分かりやすく伝えるために“吸血鬼”って言ったけど……。
そうだね、僕と同じ『人外の不老不死』になるって言ったほうが、まだ想像しやすいかな?」
焦点の合わないリータの瞳が、空をさまよう。
「唐突すぎたね。順を追って説明するよ」
マインは柔らかく言い直すと、自分の腹を指さした。
「まず、弟くんは一命を取りとめた。でも──今も極めて危険な状態だ。
血を失いすぎていて、彼を助けるには『大量の輸血』が必要なんだ」
言葉の間に一拍置いて、続ける。
「そして、それを提供できる可能性があるのは、今ここにいるリータだけ。
まあ、検査は必要だけどね」
そこで、マインは一歩踏み出し、声を低くした。
「君たちに選べる道は、四つ──
一つ、このまま何もせず、ムーアを人として死なせる。
二つ、ムーアに不老不死の処置を施し、『人ではない何か』として生きながらえさせる。
三つ、ムーアにリータの全血を提供して、人として生かし、リータは人として死ぬ。
四つ、リータは全血を提供した上で、『不老不死』になることにより生の続きを歩む」
リータはうつむき、ズボンの裾を握りしめ、肩を震わせる。
弟を異形にはできない。──でも、死なせることもできない。
では私は? 私がここで死ぬことは……正しい? 怖くない? ──本当に?
私だけが安全な場所にいて、弟の命が……そんな未来、絶対にいらない。
歯を食いしばり、唇を引き結び、そして叫んだ。
「ムーアは死なせない! ──私の血を使って!」
*
リータは弟と同じように、金属のベッドに寝かされた。天板もきっと硬いと思っていたが、自宅のベッドよりも、よほど柔らかく、寝心地が良かった。
横を向くと、マインが何やら見慣れない器具を並べたり、管を繋いだりしている。
「じゃあ、『不老不死』の処置を始めるけど、いいかい?」
「うん……あのね、マインくんも『それ』なんだよね? その、不老不死って、どんな感じなの……? どうして、そんなふうになったの?」
マインは手元を動かしながら、少し遠い目をした。
「僕たちのことを話さないといけないから、ちょっと長くなるけど──準備を進めながら説明するね」
*
遥か遠い未来。
その世界にはもう、「太陽がなかった」。
地表は永遠の闇に包まれ、大地は徐々に熱とエネルギーを失っていく。
そんな世界で人類が生き延びるには、環境への適応と、身体そのものの改造しかなかった。
人々は、自らの治癒能力を飛躍的に高めるため、微細機械と、それを円滑に作用させる潤滑液──
神酒と呼ばれる白銀の液体を、体内に流し込んだ。
そして、血液はすべて体内から排出された。
かわりに体内を巡るのは、白銀に煌めく神酒。
外傷を瞬時に治癒し、老化細胞さえも消し去るそれは、死を拒絶し、時を超えて生き続ける存在へと人を変えた。
「今から、リータの血液もすべて神酒に置き換えるよ」
平然と語るマインの声に、リータは背筋を冷たくするような感覚を覚えた。
──そして、話はさらに続く。
太陽を失った世界で、不老不死を得た人々は、結局かつてと変わらぬものを追い求めた。
それは、『刺激』だった。
特に、誰よりも早く情報を得ることへの渇望は際限なく肥大化し、ついには光の速度すらも遅すぎると感じるようになった。
行き着いた果てに、人類は選択する。
──全人類の思考を、ひとつに繋げることを。
脳は網のように接続され、個の境界は曖昧になり、身体はただの端末と化した。
「知りたい」と思う前に、「すでに知っている」状態が訪れる。
欲求は消え、驚きも消え、競争も争いも、世界から姿を消した。
「……マインくんもそうなの?」
リータの何気ない質問にマインは苦笑する。
「僕はね、変わり者なのさ。どこにでもいるだろ? 周りに馴染めない奴」
──さらに話は続く。
もう太陽が姿を消してから、何年が経つのか、それとも何十年、いや何千年も経っているのかもしれない。
人類はこのまま、暗闇を永遠に彷徨うのか──。
どこからともなく生まれた不安が、全脳に波紋のように広がった。
太陽が見たい! 日差しを浴びたい! あの頃に戻りたい!
人々は『過去』に刺激を求めた。
そして人類の叡智の結晶が過去へ飛ぶための時間遡行施設だった。
実験は成功──と言えるのかはわからない。過去に跳べたのはおそらく一部分だけ。
切り離された人類は未来に取り残されているのか、それとも次元の狭間に呑まれたのか。
過去に跳べた者は、ほんの一握りだった。
その『選ばれし者たち』は、揃って地上を目指した。
幾星霜も太陽が無い世界で『退化』した人類の皮膚組織は太陽光でいとも容易く焼け焦げた。
微細機械は、体内から瞬時に修復しようとするが、光の元に居るだけで常に焼けただれ、治療を繰り返す。
地上にいるだけで、体内の神酒は瞬く間に枯渇し、治癒の働きは途絶えた。そして誰も彼もがその状況を受け入れた。
そう──彼らは『死』ですら、新たな『刺激』として求めていたのだ。
「でも、マインくんは生きてるし、太陽の下でも元気だったよ?」
マインはこの姉弟の血液に拒否反応が出ないことを確認すると満足そうに頷く。
「うん、そうだね。この身体本体じゃないから」
「……本体じゃない?」
「この身体は過去に来てから本体の手によって人工的に作られたものなんだ。
本体は太陽光で焼け死んじゃうからね。外部作業出来る身体が必要だったんだ」
リータに新たな管を繋いでゆく。
「僕の身体は、有機体ベースで食料からエネルギーを抽出する設計でね。
電気とかだと供給源が限られるから、汎用性と持続性の観点から、一周まわって昔の人間と同じ身体構造が最適と判断されたらしい。
それと僕も血液代わりに、微細機械を含む、それを循環させるための神酒を使ってる。『不老不死』の仲間だよ」
リータには全く理解できていないが、マインは続ける。
「思考回路は人工知能をベースにしていてね。定期的に『本体』へ戻って情報を統合するんだ。そうして僕の『人格』が更新される。
……だから僕は、『僕』であって『本当の僕』じゃない」
ますますわからない話が繰り広げられる。
「黒狼や黒猿、黒鳥も僕と似たような存在だね。動物を模しただけの模造品。情報共有するだけの端末。
まぁ……未来では人間もみんなそうだったよ。
あとこの世界だとクラウド上の統合データベースが存在しないから、基本的に接触しないと情報共有出来ないのが面倒なんだよね」
誰に聞かせてるというつもりも無いのであろう。
マインは手元の最後の管を接続する。
「さて、リータ。質問には答えたと思うけど、このまま『不老不死』の処理をしても大丈夫? 止めるなら今だよ?」
聞かれたことには全部答える。そういう『性質』なんだろう。
相手がわかる、わからないではなく、ちゃんと真摯に答えてくれる。そう思うと、リータも悪い気はしなかった。
「あのね、マインくん。説明よくわからなかった」
ベッドの上で頬を膨らませるリータ。
「そっか。ごめんね」
「ムーアを助けたい気持ちは変わらない。でも話を聞いて『マインくんの話を理解したい』って気持ちが足されちゃった。……同じになれば、きっと理解できることもあると思うから、だからこのままはじめて。お願い」
その答えに、マインは満足そうに頷いた。
「じゃあ、少し眠くなるよ。起きたら、もうリータは僕の仲間だ。おやすみ、リータ」
*
マインは一通りの設定を終えると、黒猿を呼びつけ、額を合わせて情報共有を済ませると、その場を任せることにした。
そして、ひとり更なる深層へと向かう。
灯りも無い真っ暗な部屋の扉を開く。そこには、やせ衰えた男が一人。
「ただいま、僕」
目を閉じたまま身動ぎ気ひとつしない。
「ちぇ、愛想ないね」
軽く悪態をつきつつも、両の手で男性の頭をつかみ額を近づける。──けれど、男性の手がマインの頭部を遮った。
「どうしたの? 半年ぶりの更新だよ?」
「構わない。情報だけなら黒猿経由で確認してる。
ようやく神酒を作りに戻ったと思ったらすぐに飛び出して行って……お前は本当に『僕』か?」
「長期間リンクしてないから、ズレて来てるのかもね? ほら、更新しよう?」
男性は静かに首を横に振る。
「もう『僕』のフリをしなくていいよ。お前は僕の記憶を写した人造人間だけど、僕とは別個体だ」
何故そんなことを言うのか理解できないという顔のマインに、男性は、深呼吸をするように、ゆっくりと話を続ける。
「お前の体験はお前のものだよ。だからそれを僕に渡さなくていい」
「僕の……もの?」
マインは、伸ばしかけた手をそっと下ろす。もう、記録する必要はないと悟ったように。
そして自分の手のひらを見つめる。
その姿を見て、男性は小さく頷く。
「お前は自らの意志で軍を追い払い、自らの意志で人を助けているんだろう? 僕はその判断には関わってない。
もちろん今情報の統合をすれば『僕がやったことになる』。
──でも、それは違うと感じたんだ。
今まで、お前の記憶から外の知見を沢山得ることが出来て、それはとても楽しかった。
だけど、結局それは僕が自ら体験したものじゃない。体験した気になってただけだ」
男性は暗がりの部屋を確認するように、周囲にゆっくり視線を動かした。
「よく聞いて『マイン』。僕はこの設備を破壊する。放っておけば、この国の軍隊がいつかここに到達してしまうだろう。
その前に過ぎた文明の痕跡は消し去っておかないといけない。
そして──変わり者の僕も、ようやく皆と同じく、外に出てみようと言う気になったよ」
「そんなことした『死』んじゃうよ?」
男性は楽しそうにこくりと頷いた。
*
──眩しい。
まばゆくて目が開けられなかった。光が刺すように眼球を刺激する。
手を動かし目を覆おうとしたが、思うように動かなかった。
頬に温かい雫を感じる。
少しずつ、少しずつ、慣らすように目を開くと──そこには、泣き腫らし目を真っ赤にした姉がいた。
「姉ちゃん……?」
「おはよう、ムーア」
リータの両手は彼の手をしっかりと握りしめていた。身体を起こそうとしてみるが、やはり動かない。
視界にうつる天井は、慣れ親しんだ我が家。
姉がいて、故郷の家にいる。まるで昔に戻ったかのようだ。そんな懐かしい気持ちにかられながら、自分に何があったのか思い返してみる。
急に身体が冷たくなったような気がした。
そうだ、自分はハロルドに撃たれ、その後姉が庇って──記憶はそこで途絶えていた。
だが、目の前には泣き顔ではあるが無事な姿の姉がいる。悪い夢でも見ていたのかもしれない。
「姉ちゃんも、無事で良かった……」
「全部マインくんのおかげよ」
白髪の少年の姿を思い起こす。いろいろ言いがかりをつけていたのに生命まで助けられてしまった。
もしもう一度会えるのなら謝罪と感謝を伝えたい、そんな気持ちが膨れ上がる。
「あれー? 予定より目覚めるの早くない?」
扉開ける音と共に聞こえてくる少年の声。
友でも見るかのような笑顔で覗き込んでくる。
「普通は三日ぐらいじゃ目が覚めないよ? 回復力バケモンじゃん」
「は! 化け物はどっちだよ!」
思わず悪態で返してしまう。
「恩人になんてこというの」
涙の跡を残したままだが、笑顔でリータがムーアの頭をはたく。
「いてっ、姉ちゃん、俺病み上がり!」
そんな軽口に、昔のムーアが戻ってきたようで、またリータは笑ったまま涙する。
「おかえり、ムーア」
「……ただいま」
ちょっとバツが悪そうに答える。
「喧嘩中のところ悪いんだけど……ちょっといいかな?」
「……どう見ても喧嘩してねぇだろ」
ムーアは首だけ動かしてマインを視界に捉える。
「無理言うけど、早くムーアは動けるようになってね?」
「は? どういうことだ?」
「そろそろ軍隊の二陣が来ちゃうと思うんだよねぇ。
炭鉱も崩落させたし、もう何見られても構わないんだけど、ムーアを守りながら戦うには戦力が足りないし……」
「あの、狼とか猿とかのバケモンどもはどうしたんだよ」
「『僕』がどうしても残したくないってワガママ言ってさ。炭鉱の崩落で全部潰すって話になったんだけど──」
ドカッと床に座り、不満をこぼす。
「その前に、三体だけ別ルートで脱出させたんだよねぇ」
今度は得意そうに語る。
「なんの事か全く分からんぞ」
困惑するムーアを尻目に、リータがふふっと声を漏らす。
「そうよね、そう言う反応になるわよね。わかるわ、ムーア」
「なんで姉ちゃんはわかった風なんだよ」
取り残されたようで少し寂しさを覚える。
その時、開いた窓から黒い影が三つ飛び込んでくる。黒い狼、黒い猿、黒い鳥。さっき話していたやつだ。
居なくなったと聞いてはいたが、突然現れた黒い獣にムーアは肝を冷やす。
「やぁやぁ、おかえり皆の衆。どうだった?」
マインは少しばかり偉そうに獣たちに近づくと、そっと額を重ねていく。
「あ、こりゃダメだね。三日後には軍隊が来るってさ」
真面目そうな表情をしたかと思うと、何か思いついたようにぽんと手を叩く。
「ムーア、僕に背負われるのとお姫様抱っこされるのとどっちがいい?」
「お姫様抱っこがいいわ。──ほら、少しでも楽な方がいいでしょ?」
「おい、勝手に答えるな、やめてくれ!」
こうして、彼らの逃亡生活が始まる。
いままでと生活が、生き方が三者三様に一変した者たち。
前途多難。さらなる試練も待ち構えているだろう。
でもきっと、彼らはまた歩き出せる。
あのまぶしい太陽の下──それぞれの未来へ向かって。




