7.
2016年4月18日:誤字、文章修正・加筆
「いや~。さすがやな、聖」
聖が後片付けをしていると庭の端から乾いた拍手が聞こえた。
「なんやしゅっとした格好して、異人の真似もんか?」
「……司」
パンパンとわざとらしく手を叩いてこちらへ寄ってくるのは、ホック留めの軍服を着た十文字司だった。聖は彼の顔を見てすぐに眉根を寄せる。
「お前、まだこっちにいたのか。……何のつもりだ」
「オレがどこで何をしようがお前には関係ないやろ」
ニヤニヤと笑う司。のらりくらりとしたその態度が、聖をますます苛立てさせた。側で、伊津奈が何か言いたげに聖を見上げているが答える余裕はない。
「そんなことより、」
司はシュタウフェンベルク邸の見渡し、何があったのかすぐに理解し、聖に目を戻した。
「亡魂相手にえらい時間掛かったな」
「別に、いいだろ」
「お前のやり方に文句言うつもりないけど、説得するんやったらもっと上手いことせーや。それが無理やったら、即刻祓ってしまえ」
「無理やり送れって言うのか」
「せやかて、説得なんてめんどくさいし、オレたちの仕事ってのはそういうもんやろ?」
「……去れ」
「あ?」
聖は右手の指で紙片を握り締め、司に向けた。
「今すぐ立ち去れ!!」
「聖さま……」
伊津奈の不安の声が耳に届く。聖は無視を決め込み、怖い顔で司を睨み続けた。
しかし司は肩をすくめるのみ。
「今すぐは無理や。ちょっと調べ物しててな……」
そのとき、司の背後からぬっと何かが現れた。闇夜から這い出るように現れたそいつに司もぎょっとしてしりぞく。
「おっ、お前……普通に出てこいや」
「申し訳ござりませぬ。しかし、小生にはこれが普通であります」
淡々と謝罪するのは黒の法衣を着た、背丈が八尺以上あろう大男だ。右手に杖を持って網代笠の奥には、この闇夜の中でも映える、鴉の濡羽のように美しく輝く長い黒髪が目立った。
聖は久しぶりに彼の姿を見て驚き、伊津奈は警戒心剥き出しで、聖の背中に隠れた。すると男は聖に気づくと、深くお辞儀した。
「これは聖様、この姿でお会いするのは久しぶりでございますね」
「ああ、烏丸」
彼は司の使い魔、八咫烏の烏丸だ。
挨拶をしたあと、烏丸は切れ長の目を動かし、伊津奈に向けた。
「久しいなキツネ。相変わらず小さい」
「うるさい! あんたがデカすぎるだけだし!」
司と聖と違って乱暴な口調で伊津奈を鼻で笑う。伊津奈も伊津奈で歯を剥き出しにして、尻尾を振り回した。どうしてか、ふたりは昔から仲が悪い。理由は主の聖も司も知らない。
「お前ら、仲悪いなぁ」
司は愉快そうに肩を揺らしてから、烏丸に声を掛けた。
「で、どうやった?」
「申し訳ござりませぬ、司様。我が力を持ってしても何も捉えることは能わず」
「むー、やっぱ無理や」
「司。何をしてるんだ」
顎を撫でて思案顔の司に、聖は口を挟んだ。すると司は目つきを鋭くして言う。
「お前、何も感じへんのか?」
「……!」
聖は眉をひそめ、ややあってばっと後方を振り返った。
「亡魂と異人の娘に手ェ焼きすぎやで」
司は嘲笑って、聖と同じようにシュタウフェンベルク邸の尖った屋根を見上げる。
「久々やな、この感じ……気色悪いわ」
彼の怨嗟の声を耳に届けながら、聖もシュタウフェンベルク邸を茫然と眺めた。今まで気がつかなかった己を恥じる。いや、その気配はあのとき微かに感じ取っていた。
彼女を見つめる細面と氷のような双眸。その瞳に隠された情念はすべてを図りきれなかった。だからこそ牽制を掛けたのだ。
「烏丸」
司が顔をしかめたまま命じた。
「もうちょっと調べてくれへんか」
「御意に」
烏丸は深く頭を下げると、わずかに膝を折った。その途端彼の背中から大きな漆黒の翼が生え、それを豪快に煽ぐと烏丸は夜空に消えて行った。
横からの突風に、聖は我に返り、降ってくる黒い羽を手に取った。
「……目立つだろ」
「かまへんかまへん。どうせ幻や」
「気持ち悪っ」
司は笑って、伊津奈は烏丸が去った夜空にべっと舌を出した。それを横目にしながら、聖は司を睨み続けた。
「お前が何してるかなんてどうだっていいけど」
聖は漆黒の瞳を厳しく細め、低い声で切り捨てた。
「これ以上関わるな」
「……ハッ。ご執心やなぁ」
ニヤニヤ笑いながら司はシュタウフェンベルク邸のバルコニーを見やる。
「ま、異人でも“視える”ってのはおもろいわ。どんだけのもののけが見えるんや?」
「だから関わるなと言ってる」
「いやいや、十文字の人間として興味深いやろ」
悪びれもなくのたまい、司はあっさりと告げた。
「ま、オレも神戸にいるさかい」
「出て行けって言ってるだろうが!」
「いやや。神戸っつうところは暇やないし。あんなけったいな娘、他におらんで、亡魂相手に怒鳴る女なんかおるか? いや~、おもろいもん見つけたで」
「お前一回死ねよ」
「化けて出てええか?」
下卑た笑みを浮かべる司。相手をするだけ無駄だ。顔を合わせる度に奇人だと思う。聖にとっては彼自体がけったいな人間だ。小さく舌を打ちすると司は冷めた目でこちらを眺める。
「オレが言うのもなんやけど、そない思いつめるなや」
「……」
その一言が何を指すかは瞬時に理解できる。聖は目を見開き、唇を震わせた。司は聖を見透かしたように淡々と言う。
「あんな聖、オレはなんとも思ってへんし。やかましいんのは低俗なアホどもだけや。考えるだけ無駄やろ」
「……そうじゃなくても、悪いのは俺だ。……俺は、俺の行いを善とは思えない」
「言葉は呪や」
司が鋭く言い放つ。
「縛られんのはアカン。毒のようにじわじわ蝕まれて、いつか身を滅ぼす。……知らんで、オレは」
「うるさい。さっさと去ね」
聖は逃げるように身を翻した。背後で司が呆れたように息を吐いたのが聞こえたが、無論答えることはしなかった。
「……おい、伊津奈?」
振り返れば伊津奈がいると思っていたが、彼女はガラス窓に張りついていた。ぶんぶんと興奮気味に尻尾を振り回している。聖は眉をひそめながら伊津奈を呼び掛ける。
「何してる」
「せ、聖さまっ! あれっ見て下さい! 肉汁たっぷりの、肉っ! お! おお美味しそうな肉がががっ!!」
「……」
頬を紅潮させて涎を垂らす妖狐。
自分の周りには自由人しかいないのだろうか。聖は頭を抱えた。
それから、深くため息を吐き、ふとアリアを探した。




