4.
大きな表通りを歩かない聖たちは裏通りを早足で歩く。先導する伊津奈は黙々と聖とアリアを引率する。そう言えば、アリアはまだ二人の目的を聞いていなかった。が、二人は緊迫した様子である。目的の根幹に触れて良いものかと迷う。こちらは無理やりついて来た身なのだ、さきほど伊津奈が眉をひそめていたことに気づかないアリアではなかった。
だから探りを入れる、と言ってはいやらしいが、それでもこの暑い中、黙って歩くのはアリアには堪えた。
「ねぇ、霊感って特別なものなの?」
訊ねると二人は肩越しに振り返る。しかし脚の速度は変わらなかった。聖がふむと頷いて答える。
「誰にでもあると思うよ、人種関係なく。アリアが良い例だな」
「そうなんだ。……じゃあ、セイとイヅナにもあって霊感が強いってこと?」
「陰陽師でいうなら俺は普通かな」
「あたしは妖狐なので見つけたらすぐにビビッときますよー」
聖が苦笑すると、伊津奈が耳をひょこひょこと動かして人差し指を顎に当てた。
「うーん、三十年ぐらい前はあたしたちはよく認識されたんだけどなぁ……。昔はよく人間に見つかって怒られたりしました。あたしは薄揚げ欲しいだけなのに……」
そのぼやきを聖が呆れたように返した。
「食い意地張るなよな……。まあ新政府は、列強諸国に追いつくために必死だから西洋文化を模倣してる。だからあやかしとかは迷信扱いされて希薄になってるんだ」
「なんか可哀想……」
アリアは不思議とそう口にすると聖が笑う。
「おかげでいろいろと悪さするあやかしも減ってきたのは事実」
「あやかしとしては、昔のように楽しくないですねー」
伊津奈は懐かしむようにしみじみと呟く。
そのときアリアはふと思い返した。無邪気な伊津奈の顔をじっと見つめて、恐る恐る訊ねてみた。
「そういえば、イヅナって何歳なの?」
見た目は同年代の同姓であるが、相手はあやかしであるのだ。もしかしたらもっとずっと年上かもしれない。すると伊津奈はぽけっとして呆けるが、すぐにあっけらんと答えた。
「あたしは三○五歳」
「さん……へっ?」
想像をはるかに超えていた。素っ頓狂な声を上げると同時に聖が大笑いした。
「その反応も期待通り。あやかしは基本死なないんだ」
「……ふ、不死身?」
「不死身じゃないよー? 人間に忘れられたらあたしたちは消えるの。簡単に言えば死んじゃうってことだけど」
「……」
呑気に答える伊津奈にアリアは固唾を飲んでしまう。
「あたしは元がわる~いあやかしだし、聖さまの式神だからたぶん一生消えないよ」
「俺が死んでも、式神の契約が無くなるだけで伊津奈は自由になれるからな」
「そんな悲しいこと言わないでくださいよー。あ、もしそうなったらアリアちゃんに憑いて行こっかなー」
「人に憑くのだけはやめろ」
「……」
生や死のことをなんともないように会話を続ける二人。
やっぱり、ついて来たのは間違いだったか……?
そんなことを思うアリアだった。
不安になるこちらを尻目に伊津奈が声を上げた。
「あ、カーくんが下りてきます」
「案外近かったな。……よかった、あんまり歩かすわけにはいかないもんな」
それに聖はアリアを振り返って微笑む。どうやらアリアを労わってくれているようだ。確かにいつも馬車にしか乗らないし、歩くことはあまりない。笑顔の彼にアリアも上機嫌になって日傘の柄をくるくると回した。
「おった。見つけたで、聖」
そのとき路地の向こう側から声が聞こえた。びっくりして振り返った先は、表通りの入り口――石畳で舗装された歩道に瓦斯灯。声の主はその瓦斯灯の柱にもたれて、腕を組んでいた。
二十代半ばの長身の男。釦の無いホックで留めた蘭服、腰の剣帯からは一フィートほどの刀、革靴を履いた姿。帽子から覗く瞳は不遜に輝いていて、こちらを睥睨する。男は口の端を吊り上げて笑った。
「久しぶりやな、聖」
「司……」
聖は険しい顔つきで男を睨みつける。聖に、司と呼ばれた男は聖の表情も気にしないでハッと短く笑った。
「そんな顔すんなや。せっかくの男前が台無しやで?」
「……」
聖の表情は変わらない。伊津奈もさきほどの明るい雰囲気は無く、顔をしかめて聖と司を見つめている。そんな彼らにアリアは戸惑ってしまい、聖の背中を見つめていた。
すると、司がこちらを見下ろす。視線に気づいたアリアは顔を上げてしまった。
「異人か、じぶん……」
驚きの色を見せる声音。すぐに聖に目を戻して大きな声で笑った。
「なんやお前、こないなところで異人の護衛か? 転職でもしたんか」
「うるさい。彼女は関係ない」
「関係ない、ねぇ……」
くつくつと愉快そうに笑う司は、不意に片腕を広げた。その指先にあるのは聖が持っている同じような紙片。五芒星が描かれたものだった。
「戻れ、八咫烏」
司が呟くと同時に空から大きな黒い鳥が舞い降りて来て、あっという間に紙片に吸い込まれて消えた。
アリアは目を剥いてその光景を見つめ、司は紙片をぴんと弾いた。
「おおきに。烏丸」
ニッと笑ってから彼は再び、アリアを目に留めた。
「どっかの令嬢か、ねえちゃん。ここらへんはエゲレス人しかおれへんかったっけ? 俺も初めてこっち来たけど、ごっついな神戸は……ほんまいろんな国の人間がおるわ」
彼の言葉も日本語だが、不思議に感じた。聖が使う日本語よりもくだけていて、すごく馴れ馴れしい。アリアが眉をひそめるが、司はお構いなしに訊ねてきた。
「ねえちゃん、名前は? なんてゆうん?」
「司!」
怒鳴り声を上げる聖に、アリアはビクリと肩を震わせた。聖は忌々しそうに司を睨みつける。
「いい加減にしろよお前……」
「いい加減? それはこっちのセリフやろ」
司は呆れたようにため息を吐く。
「いい加減こっちの身にもやれや。お前を探すのにどれだけ苦労するか知ってる? オレだって暇やないねんから」
「だったら探すな、迷惑だ」
「それはできひん」
司はわざとらしく肩をすくめ、意地悪く言う。
「俺は分家の養子やさかい、本家サマには絶対服従。大嫌いな本家の義弟も探さなあかん。……ほんま、大変やで」
同情を誘うように嘆かわしい声を出す司。しかし誰も反応しない。聖は怖い表情を崩さず、伊津奈も黙り込んでおり、アリアはわけがわからず口を挟めない。
ともかく理解できたのは、この司という男も陰陽師で、聖の身内であることだけ。
すると司は伊津奈に目を向けて笑った。
「そう思わへん? 伊津奈ちゃん」
「え、あっ、えっと……」
いきなり名指しされて彼女は困惑する。肯定か否定か判断できないように顔をうつむかせた。心が滅入ったように耳が垂れる。
そんな様子の彼女を見て、司は嘆息して続けた。
「十文字家が大変なの、知ってるやろ……」
「……」
「陰陽寮が廃止されて、俺たちは天子様に仕える身を失った。今は薩長の田舎もんどもが政を好き勝手に仕切ってる。めっちゃ、どつきまわしたいけどな……」
「……だから軍に入ってるのか」
「天文や暦算は一部が海軍に任されたからな、ま、俺は戦争なんて絶対行かんけど」
「だったらそれでいいだろ」
「あっ?」
聖が言い返すと、司は眉根を寄せた。
「もう陰陽寮はなくなったんだ、家にこだわる必要はないだろ。政から外されたからって家が無くなるわけでもない。陰陽師としてなら、どこでだって生きていけるはず……」
「アホちゃうかお前?」
しかし司が聖の言葉を遮った。苛立ちを露にして吐き捨てる。
「そんなことでお父上が納得すると思ってんか? なめてたあかんで。自分の親のことぐらいわかるやろ、家潰す気かじぶん。……せやから、帰るで。聖」
「ふざけるなっ」
苦渋に歪んだ表情で、聖は差し出された手をぴしゃりと払いのける。そしてアリアを振り返った。そこには仮面のような微笑みがあった。
「アリア、帰ろっか?」
「え、でも……」
まだ話は終わっていないように見える。だけどアリアはわかっていた。このまま話を続けても決して答えは出ないだろうことを。
聖は笑顔のままアリアの手を握り、指を絡める。それには拘束力があり、懇願するようにぎゅっと手を握られる。そして彼は苦々しく笑った。
「これ以上君を連れ回したらヒルダさんが心配するし怒られる。……だから、帰ろ」
「……うん」
希う聖にアリアは頷いた。
聖はそのままアリアの手を引き、踵を返す。伊津奈も主人に付き従うように、司にぺこりとお辞儀して聖を追いかけた。
表通りから再び裏通りに戻る三人に、司が呼びかける。
「母上様も心配してはるで」
そのとき聖が足を止めた。
握られた手が震えていた。アリアは茫然と彼を見つめ、掛ける言葉が思いつかない。しかし聖は、振り切るようにアリアの手をぐいっと引っぱった。逃げるようにこの場を後にする。
アリアは振り返って小さくなる司を眺める。すると彼はぼりぼりと頭を掻き、ため息を漏らしていた。こちらの視線に気づいたとき、司はニヤッと笑んで手を振っていた。
***
真っ直ぐに屋敷に戻って、アリアたちは聖の自室に転がり込むように入った。繋がれた手はすぐに離され、聖は後ろ手にドアを乱暴に閉じる。そのままずるずると背中を引きずり、倒れるように床に座った。
アリアと伊津奈は慌てて駆け寄って腰を下ろす。
「セイ、大丈夫?」
「聖さまっ」
荒い息を吐く聖。額からは大量の汗を噴き出している。この発汗は体温調節だけではなさそうで、辛そうに顔を歪めている。それでも聖はハッと短く笑って、アリアを見上げた。途切れ途切れに言う。
「格好、悪いところ……見られちゃったな……」
「セイ」
呼びかけると彼は髪を掻き上げて、伊津奈に命じた。
「……戻れ、伊津奈」
「え? あ、はい……」
彼女はびっくりしたように目を開いたが承諾をする。そして、伊津奈は目を閉じると瞬く間にその場から音も立てずに消えた。
アリアは唖然として彼女のいた場所を見つめていると、急に左肩が重たくなった。見やると聖がこちらに頭を預けてもたれていた。
「だ、大丈夫!?」
アリアは気を失ったのでないかと慌てたが、熱い吐息が腕にかかっていた。聖はか細い声でささやく。
「少しだけいいから、このままでいさせて……」
常に冷静で大人びた雰囲気の彼が幼子のように頼ってくる。アリアはきゅんと胸が締めつけられ、こくりと頷いた。
「ありがとう」
聖は掠れた声で言って体重をかけてくる。びっくりして思わず空いている右腕で聖の後頭部に当てた。少し癖のある黒髪は柔らかくて撫でたくなる。アリアは高鳴る胸の鼓動を感じながら、ゆっくりと聖の頭を抱き寄せた。ぴくりと聖が身じろぎするが、それだけで拒みはしなかった。
聖がくすぐったそうに笑う。
――気になる。
アリアはさきほどの男性を思い出した。聖が司と呼んだ青年は、聖を連れ戻そうとしたかったみたいだ。その人は十文字家のことを話していたが、アリアにはよくわからなかった。変な日本語だったし。
だから聞きたい。
「……」
でも、それは聖にとって煩わしいことなのだ。司と別れるときの聖の様子をアリアは忘れない。何かに怯えたような、何かから逃げるような……そんな感じを。
だからアリアは聞かない。
「ごめん、ちょっといろいろあって……」
すると聖が呟くように言う。アリアは首を振った。
「話さなくていいよ」
「いや、君には聞いてほしい」
鋭く言い放ち、うずくまったまま聖は床に淡々と吐く。
「司は俺の義理の兄で、あ、義理って言うのは血が繋がってないって意味で……、俺を連れ戻しに来たんだ。今、実家がちょっと傾いてて、それで大変で……俺、一応当主の身だから。だからって何もできないんだけどさ」
「家に帰らないの?」
「帰りたくない。もう、うんざりだから……」
「もう、いいよ」
別に、彼がどんな境遇で生きてきたなどどうだっていい。
今は何も聞かず、アリアはぎゅっと聖を抱きしめた。
2016年2月15日:誤字修正
2016年4月19日:誤字、文章修正




