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第三話 投獄

 誠治にとって、それは唐突に降りかかった大事件だった。


 誠治の存在に酷く怯えた様子だった少女が、その警戒する態度から一転、目に涙を浮かべて誠治の胸に飛びついてきたのである。


「お兄様ッ……会いたかった…ッ…!」

「は? え? ええ!?」


 完全に不意を突かれた誠治は、しかし抱きつく少女を振り払う訳にもいかず、混乱した頭で少女の身体を受け止めていた。


 その少女――シェリル・ルーデス・アルヴァーヴ第一王女は、うずめていた誠治の胸から顔を離して見上げた。


 涙でうるう青眼に至近距離で見つめられ、抱きつかれた張本人は困惑した様子で表情を引きつらせる。その顔が若干赤いのは、彼自身こういうシチュエーションに慣れていない証拠だろう。


「嬉しい! またこうして、お兄様のお顔を見ることができるなんて……嗚呼! 女神イネス様、私とお兄様を再び合見えさせていただいたこと、深く感謝致します!」


 シェリルのこぼれんばかりの笑顔は幸福満天の感情につきた。

 先ほど彼女がセドリック王子の名前を呟いていた事からわかる通り、誠治の事をその人物と照らし合わせて勘違いしているのは間違いあるまい。


 セドリック王子と誠治が似ているのかどうかはさておき、誠治の正体がシェリルに発覚するのも時間の問題だろう。それまでに誤解を解かなければ、後々取り返しのつかないことになることも。


 ――どうにかこの状況を収めなくては……。


 しかし、その「誤解」を誠治が解けるかどうかは、これまた容易ではない。


「お兄様? どうしてお顔を背けるの? このシェリルにもっと凛々しいお顔をお見せくださいまし」

「い、いや、その、君の顔があまりに綺麗なもので……」


 など、誤魔化そうとして柄にもないことを言うと、

「まあ、お兄様ったら。相変わらず冗談がお上手なんだから…!」


 シェリルは白い顔を朱色に染めてはにかみ、状況がますます混迷するだけだった。


 興奮する少女の声が神殿内に反響して、怯み気味な誠治はまともに声を発することもできない。

 やがてシェリルの高い声に騒ぎを聞きつけたのか、屈強な男達が祭壇の間の狭い空間に殺到してきた。


「殿下! 何事でございますか!?」


 甲冑と剣で武装した集団に瞬く間に取り囲まれ、誠治は危険を感じて声にならない悲鳴を上げる。


(おいおい……今度はなんだ!?)


 誠治はシェリルの抱擁もとい腕の拘束から逃れようとじたばたするが、少女の華奢な身体に反して意外と強い力で抱きしめられており、なかなか手間取って上手くいかない。


 そうこうしている間に、武装した男達は腰の鞘から剣を引き抜いてじわりじわりと距離を詰めてきた。

 その中の代表格と思わしき男が一歩前に踏み出し、誠治に対し剣の切っ先を突きつける。


「貴様! ガルムンド軍の手の者だな! おのれ……姫様を人質に取るなどなんたる蛮行かッ!」

「が、ガルムンド? なに? 何を言ってるの!?」


 いきなり少女を人質に取る犯人扱いされ、誠治はいよいよ混乱の極みに到達した。


 男達は皆頭に血が昇っているようだが、シェリルを人質に取られていると思い込む手前、下手に手出しができていない様子。


 不幸中の幸いというべきか、結果的に誠治の命が永らえているのが唯一の救いだろう。後は、彼ら武装集団と関わりがあるらしいこの少女に、事情の説明を請いたい誠治であったが――


「ね、ねぇ! 君からも言ってくれよ! 僕は無実だって、これは誤解なんだって!」

「……お兄様……嗚呼、お兄様の匂いがする……」

「…………」


 誠治の表情に「絶望」の二文字を示す感情が見え隠れする。

 シェリルはこんな騒動の中であっても、まったく動じていない様子だった。いや、それ以前に、まるで周りの事など見えていないように思える。

 その虚ろとしたシェリルの眼に、誠治が何か病的なものを感じ取った瞬間だった。


「ぐっ……!?」


 一瞬の油断。しかしその僅かな隙が、男たちには絶好のチャンスに見えたようである。

 突如後頭部に走った重たい衝撃に、誠治の身体から力という力が抜けていく。

 首元に手刀を食らったのだと朧けな意識の中で気付いた時には、誠治の身体は既に冷たい石床の上にあった。


「姫様、ご無事ですか!」

「きゃあ! なにをするの!? いやぁ、離してッ! 私からお兄様を奪わないで…!」  


 遠くに少女のヒステリックな悲鳴が響く。

 しかし誠治にはどうすることもできず。やがて彼の意識は自分の意思に反して深い闇へと落ちていった。



                 ==============


 再び目を覚ました時、誠治の身元は堅い鉄格子の部屋の中にあった。

 まるで清潔感のない、藁を敷き詰めただけの木の寝台に頬を押し付けたまま、彼は二度三度瞬きを繰り返す。


「…………」


 ――ここは何処だ。自分はこんなところで何をしている。

 念のため誠治が「あー」と声を上げれば、その声は牢屋の石壁に反響して自分の元に戻ってきた。視界も無骨な部屋の内装をくっきり映しているし、不愉快だが…鼻を突く異臭が嗅覚の正常さを認めている。

 記憶は曖昧だが、少なくとも行動に支障をきたす異常が無いことは確かなようだった。


「…ッ…つ~……」


 身体を起こした誠治は、後頭部に伝わる鈍い痛みに小さいうめき声を上げる。

 どうやら頭にコブができているらしい。誠治は頭の後ろを撫でながら、立ち上がって部屋の中を見回した。


「牢屋? なんで、こんなところに……」


 物々しい存在感で部屋を遮断する太い鉄格子を見つめながら、誠治は呆然と呟いた。気を失う前の出来事を思い返そうと必死に記憶を掘り返す。


(確か、ゲームをしていたんだよな。スタート画面で女神の変な演出が入って……そしたら急に意識が飛んで――)


 気付いたら、この牢屋で倒れていたのだろうか。 

 いや違う。誠治は頭を振ってその過程の推測を追い払った。


(……祭壇の部屋だ。気付いたら僕はそこにいて、知らない女の子に抱きつかれていた。後から鎧を着た男たちがやってきて……そして――)


 そして、状況整理もできず混乱していた誠治は、背後から近づいていた何者かに殴られて気を失った。


「僕は捕まったのか……」

 自ら口にしたその言葉はしかし、より現実味のないものとして誠治の思考を麻痺させる。


 ――何故。一体どうして、自分はこんな目に遭っているのか。


 そう心の中で問いただしてみても、答えが返ってくるわけではない。

 ただ一つ彼にも理解できる事実があるとするならば、それは自力ではこの部屋を脱することができないという現実だけだろう。


 試しに扉仕様の鉄格子を揺すってみたが、まるでびくともしなかった。力を加えてやっても結果は同じである。


「やめとけ。そんな無駄なことしてもアンタが疲れるだけだぞ。晩飯の時間まで腹を持たせてぇなら大人しくしておくこった」


 それまで静寂だった牢獄に突然しわがれた男の声が響いたので、誠治は驚いてその場で飛び上がった。慌てて鉄格子から離れ、声の所在を探して視線を巡らせる。


 声の主は誠治が囚われた牢屋の向いにあった。


 同じく鉄格子に阻まれた小さな部屋に、ぼろ着を纏った巨漢が身体を丸めて寝台に腰掛けている。顔は髪と髭で覆われ表情を確認できないが、上腕に彫られた大きな刺青と胸元を走る生々しい傷が、その男の堅気ではない経歴の詳細をまざまざと物語っていた。


 不謹慎であるとはいえ誠治はこの時、なかなかどうして牢屋に収まる姿が様になってる男だと素直な感想を抱いていた。

 犯罪者を連想させる強面もそうだが、それ以上に常人には見られない自信に満ちた落ち着きが窺えるのだ。

  

「何をジロジロ見てやがる…」


 不躾な視線に気付いた男が、横目で誠治を睨みつける。

 僅かな殺意すら感じるその険しい視線に正面から睨まれたので、誠治は思わずその場で後退った。


「い、いえ……ごめんなさい……」


 しかし誠治が低頭して謝ると、男の方はばつが悪そうに舌打ちをした。何やら罪悪感を感じるものでもあったのだろうか。意外に素直に引き下がった男の反応に、誠治は内心首をかしげた。


「その謙虚な態度は芝居のつもりか?」

「え……?」


 予想外な質問を投げかけられ、誠治は思わず言葉に詰まる。

 その呆けた反応が癪に障ったのか。男は沈着な声色に少し怒気を含ませて再び口を開いた。


「お前がぶち込まれてるそこの牢屋……いや、それ以前にこの階の牢獄は全部、殺人なんかの重犯罪を犯した野郎どもが閉じ込められる監獄なんだよ。もう十年近くここで過ごしてきた俺だから知っている。その牢屋に入れられる奴らは全員戦犯者として裁かれるのさ。勿論お前もそうなんだろ? まだケツの青いガキのくせして、一体どんな重罪を犯しやがった?」


 男は誠治をからかっている様子もなかった。

 その表情は皮肉に歪んでいたが、放たれる言葉は至って真剣。嘘を吐いているわけでもない。


「戦犯者て……え? ちょっと、全然意味がわからないんですけど……」 


 まったく身に覚えの無い罪を指摘され、誠治はますます動揺して言葉を詰まらせる。

 それでもまだ冷静でいられたのは、この時は、誠治は自分の置かれている状況を正しく理解していなかったからであろう。

 生真面目な人生でなかったとはいえ、比較的まともな高校生活を過ごしていた誠治である。夏休みに家でゲームをしていたらまったく違う場所に連れてこられ、挙句重犯罪者扱いで牢屋に監禁されるなど誰が想像できよう。


 しかしそんな現状把握足らずの冷静さも、男の冷めた態度と牢屋の冷たい雰囲気に飲まれ次第に誠治を焦らせていった。

 このまま自分はどうなるのだろうか。犯罪者として容疑が固まれば、懲役を科せられこの牢屋に繋がれてしまうのか。そもそも戦犯者とはどういうことだ。自分の罪は、どれくらい重いのか。

 罪状も定かではないというのに、誠治の頭の中にはこれから自分に下される制裁を気にせずにはいられなかった。


 これが夢ならどれほど良かったことか。しかし、時より後頭部を刺激する強い鈍痛が夢ではないと物語る。

 誠治は必死に考えた。自分が何故犯罪者として牢に入れられているのか。その原因は何なのだと。


 やがて彼の脳裏に、一つの仮定が思い浮かんだ。


「姫様……? もしかして、あの女の子が……」


 祭壇の部屋に甲冑姿の男達が駆けつけた際、その一人が誠治に抱きついた少女のことを「姫様」と呼んでいたのを誠治は思い出した。


 そして、その言葉に続いて誠治に放たれた「人質」という台詞。

 その二つの単語から連想される結論は……


「あの人、勘違いしたのか。僕が女の子を人質に取ったと思って」


 先に接触したのは少女の方であったが、その少女の身分が高貴なものであるなら彼らが誠治を真っ先に疑ったのも説明がつく。

 鎧の男たちは、姫様と呼ばれていた少女の護衛だったのではないだろうか。しかしタイミング悪く誠治があの場に現れたことにより、結果として“怪しい者”の誠治が犯人の烙印を押されてしまったのでは。


(けど、それにしたっていくらなんでも早合点なんじゃ…)


 少女の方が誠治を不審者と決め付けていたならまだしも、あのとき誠治は誰にも危害を加えてすらいなかった。むしろ見知らぬ少女に逆セクハラされたとこちらが訴えてもおかしくないというのに。

 もっとも抱きつかれた本人は特に嫌な気をしていなかったのでどうとも言えないが、少なくともその場で事情を聞いて当事者二人から何らかの要領は得るべきはずである。警察にしろ軍人にしろ、あの鎧の男達が要人の護衛を務める公的な警備職の人間であれば尚更だ。


(そもそも、鎧装備って時点で色々おかしい件について…)


 今まで特に触れなかったのだが、というより、誠治自身結論を出すのが怖くてなるべく気にしないでいたのだが、祭壇の部屋で正気に戻ってから全てがおかしいのである。


 具体的に言うと、そこにある景観や調度品、あるいは人の容姿だ。そして誠治が閉じ込められているこの牢屋の構造や、さらには向いの牢屋にいる厳つい巨漢の囚人の人種など。

 単刀直入に言うなれば、誠治の知る世界観とまるっきり異なっているのだ。


 誠治が慣れ親しんだ“日本”の面影がまるで感じられない。それ以前に現代世界の名残がまったく無い。海外映画や歴史の教科書でよく見かける、中世ヨーロッパをイメージさせる古風な景色……。

 誠治の脳裏に、ゲームに現れた蒼髪の女神の言葉が反響する。


『よろしい。それでは、高良たから 誠治せいじ。貴方を英雄候補として、“ミズガルズ”に召還します』


 思えばあの時、あの初めての演出に戸惑いながら、誠治が女神の質問に半信半疑で答えた瞬間から全てが一変したのだ。

 「“ミズガルズ”に召還します」という女神が最後に言った言葉。この言葉が、いま誠治が置かれている状況の全てを証明していると言っても過言ではないだろう。


 『異界大陸ミズガルズ 女神の審判』。中世ヨーロッパの世界観を題材に、暗黒時代の戦国乱世を描く戦国SLG。

 確信を持ちたくなかったが、確信を持てない方が誠治にはもっと耐えられない。

 気付けば彼は、向いの牢屋に居座る大男に質問を投げかけていた。


「……あの~ちょっと、お聞きしてもいいですかね?」

「あぁ……?」


 凄みに満ちた鋭い視線が誠治に向けられる。

 誠治は臆しそうになるのをなんとか堪え、気になっていた事を単刀直入に切り出した。


「ミズガルズって知ってます?」

「……てめぇ、俺を虚仮にしてぇのか?」

「メッソウモナイデス。ただ、頭を殴られてから記憶があやふやで……」


 誠治が頭を押さえて痛そうな顔を作ると(まだコブは引いてなかったので実際かなり痛かった)、男は舌打ちして素直に教えてくれた。


「お前が地に足つけてる限り此処はずっとミズガルズだ。ついでに言うなら、お前を鉄の檻に縛り付けてる連中がベルドランの看守ども。アルファーナ王国南部の城砦都市、領城ゼロ階のくそったれの牢獄区画さ」

「ご丁寧にどうも。おかげですっきりしました……はは」


 この「はは」という愛想笑いの後に、盛大なため息が続いたのは言うまでもない。


 なんてこった……。誠治は頭を抱えて木製の寝台にへたり込む。


 予想した返答どおりの答えであったが、いざ真っ向からそれを言われるとかなり凹む。

 “ベルドラン”に、“アルファーナ王国”。いずれも誠治がよく知る固有名詞だ。

 そしてそれは勿論、『異界大陸 女神の審判』に登場するゲームの専門用語でもある。


(トリップしたってのか。ゲームの世界に……)


 覆しようの無い現実の再認識に、誠治の視線はただただ塗装が剥がれた石の天井を眺めるだけだった。



 ゲーム好きの高校生、高良 誠治。十七歳。平凡だが平穏な夏休みを謳歌していた彼の生活は、一人の女神によってゲーム世界の住人を強いられることになったのである。  

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