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"傷"の始まり


能登鷹のとたか、あんたの歌ってマジでクソだよねー』


『そーそー。聞いてられないんだけどー下手糞すぎて』


 静寂の中に突如響いた2つの声。

 いや、静寂じゃない。今しがた聞こえたのは、私の頭の中に響いた声だった。


『才能ないの自覚してんの? 聞くに堪えないって言ってんの』


『ウチらの耳腐らす気なのー? やめてってばマジでさー』


 3年前、母の勧めで受け始めたボイストレーニング教室。そこで知り合った同い年の女の子2人……工藤くどう園子そのこさんと、下水流しもづる蘆花ろかさん。

 彼女達は、事あるごとに私に向かって罵詈雑言を浴びせてきた。先生の見ている前では仲良さそうな風を装い、見ていない所では私に辛辣な言葉を言い続けてきた。

 ……でも、私は何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。教室では一番の新参者だったし、自分自身のことも上手いとは思っていなかったから、2人の言うことこそが正しいって、そう思っていたから。


『あ、あんたもあの大会出るんだ?』


『せいぜいウチらの引き立て役になれるように頑張ってねー』


 悪口に耐え続けて半年後、とある歌唱力コンテストに私は参加する。教室のレッスンの一環として全員が出ることを義務付けられていたから仕方なかったけれど、工藤さんや下鶴さんと一緒に出ることは憂鬱で仕方なかった。

 2人の言うように、せいぜい私は前座……とりあえずベストだけは尽くそう。そう思って、コンテストでは自分なりに精一杯歌った。

 ……すると、自分でも予想だにしていない出来事が起こってしまった。


『……なんでなの……なんでなんだよッ!』


『あり得ないしこんなのー! なんでなんでなんでぇぇ!?』


 その時のことは、今でもよく覚えている。

 コンテストの結果が発表され、それを控え室で聞いていた時のことだった。優勝者の名前が発表され、工藤さんと下水流さんは大いに荒れた。

 私が……優勝してしまったことで。


『能登鷹ァ!! ふざけんなてめェ!!』


『そうだよ何してやがんのあんたーーっ!!』


 他の皆が見ている前にも関わらず、2人は私の胸倉を掴んで押し倒した。ただでさえ気弱だった私は、手荒な真似をする2人に泣きじゃくるばかりだった。


『なんでてめえのクソみたいな歌で優勝になるんだよォ!!』


『普通優勝はウチらでしょ!? あんたは最下位だったはずでしょー!!』


 ごめんなさい、ごめんなさい。そう私は繰り返し続けたけど、この時の2人には全くの無意味だった。優勝を奪われた怒りに身を任せ、様々な罵詈雑言を吐き続ける。

 しばらくして2人は静まり返る。流石に罵倒の言葉も言い疲れたのか休んでいるのかな……と、その時の私は無邪気ながらに思った。

 だけど……違った。

 これまでの暴言は、まだまだ可愛い方だった。

 負の感情、それが振り切れた時に人がどんな行動に出るのか──この時、私は思い知ることになる。



『能登鷹…………お前…………不正したんだろ(・・・・・・・)…………』



 耳を疑った。「……え?」と呟いたかもしれない。

 静かに、でも今までのどれよりもしっかりと耳に届いた言葉を発したのは工藤さんだった。


『……そう……だよ……。あんた、審査員を買収したんでしょ』


 続いたのはもちろん下水流さん。2人の衝撃的な言葉に呆然とするしかなかった私は、やっぱりその時も何も言えないでいた。

 周囲で見守っていた皆からも、疑念の瞳が向けられる。違う、違うの。そんなことしてない! そう言いたかったのに、か弱く気弱なただの少女の私の喉から声は出なかった。コンテストの時はあれほど出たはずの声が、全く出なかった。


『ずるい! そんなことするなんて!』


『酷いよ音唯留ねいるちゃん!』


『私達は一生懸命頑張ってたのにー!』


 2人に比べれば可愛い罵倒が皆から飛んでくる。

 けれど、程度は問題じゃない。重要なのは"皆から"という部分だ。工藤さんや下水流さんにいじめられながら、それでもボイストレーニング教室に通い続けられたのは他の皆がいてくれたから。励まし合い、切磋琢磨し合ってきた皆がいてくれたから。

 けれど……その絆ももう、経ち切られた。身に覚えのない罪をなすりつけられたことで、こんなにもいとも簡単に。

 それだけでもう既に、私の心は限界だった。幼く、か弱い私の心に受け止めきれない傷が刻みつけられていって。

 そして……何よりも。恐らく後にも先にも、これ以上深い傷を負うことはないのだと思えるような一言を、私は工藤さんと下水流さんから浴びせられる。




『これで分かった? あんたの歌は──人を不幸にするんだよ』


『あんたの歌じゃ──誰も幸せにならないんだよ』



 

 誰かの為に、歌を歌いたかった。


 お母さんが私の歌を聞いて笑ってくれたから。


 それで他の人もお母さんと同じように、私の歌で笑顔にしてあげたかった。


 そう、思ってた……のに。


 私の夢は、憧れは……。


 この日、闇の中に消えていった──。








「うぅ……ぐすっ……」


 静寂の中に、再び音がする。

 音の正体は私のすすり泣く声だった。

 こうなるのは、珍しいことじゃない。……毎日なのだから。

 あの日のことを思い出して、私は毎日涙を流す。泣かなかった日なんてない。

 悲しい。その感情だけが心を満たす。目から零れ落ちる。声に宿る……。


「うっう……あぁ……」


 悪いのは全部……私だ。

 あの時勇気を持って言い返せていれば……。こうはならなかったのかもしれない。

 いや、そもそも……私が歌うことで人を笑顔にしたいなんて思わなかった方が、良かったのかもしれない……。そんな自己嫌悪を、幾度も繰り返して来た。それは今日も変わらなかった。

 止めどない涙と嗚咽と、後悔と自己嫌悪。それが私の……能登鷹のとたか音唯留ねいるの日常だ──


「ちょっと、いいですか」


 と、そんな私の日常に、誰かが尋ねて来た。

 話しかけられるまで気づかないなんて、恥ずかしさと情けなさを覚えつつ、涙を拭って顔を上げる。図書委員としての仕事を全うしなきゃ……と思っていたのに。


「あっ……」


 よりにもよって、今一番自分のこういう所を見せたくない相手が立っていた。

 見惚れるのに抗えないほどの整った顔立ちにスラッと凛々しい立ち姿。私にとって、憧れの存在でもある男の人──九頭竜くずりゅう倫人りんとさん。いつもとはまた異なり、九頭竜さんは化粧水を使ったイケメンな方のスタイルで図書室に来ていた。

 いや、別にいつものあの感じも私がどうこう言う権利はないけど……ともかく、今この人に会うのは本当に避けたかった。以前に気まずくなってから会ってなかったし……。


「えっと……その……何かご用ですか……?」


あなたが(・・・・)能登鷹音唯留さん(・・・・・・・・)ですか(・・・)?」


「えっ……?」


 九頭竜さんのした質問に、私はきょとんとした。

 どうして今更そんなことを? まるで私と初めて会ったような尋ね方で……ひょっとして、前回の別れ方が衝撃的過ぎて記憶が……!?

 と、顔から血の毛が引いていく私だったけれども、そこで「失礼しました」と九頭竜さんが言うと、懐から何かを取り出し始めた。


俺は(・・)──こういう者です」


 手渡されたそれを恐る恐る受け取り、私は凝視する。

 小さな紙、というよりそれはまさに"名刺"というもので。


「~~~~~~っっっ!!?」


 そこに書かれてあったことに、私はかつてない衝撃を受けた。 


 だって……だって……! 


 


 ジョニーズ事務所所属



 【アポカリプス】メンバー



 九頭竜 倫人



 そう書いてあったんだものーーーーーーーーーーーっっっ!!!!





 


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