転がったシャーペンと、共に転がり落ちていく
「朝陽さまに憧れてたけど、それは芸能人みたいなもので、私なにも分かって無いんだと思う」
「今更?」
お父さんに車で行きなさいと言われたが、今日も電車で学校に向かう。
何より琴美と話したい。教室に入る前の、この時間は貴重だ。
「絵に描いた餅というか、絵に描いた餅が動き出した……越後製菓! みたいな」
「全然わからないけど、分かるわ」
琴美は肩をすくめた。
「全然好きじゃないというか、知らない人にキスされても、意味が分からない……って気持ちなんだね。これじゃ少女漫画が進まないよ」
「普通は恋してからキスでしょ」
そりゃそうだ……。
家で確認したけど、妄想実現サイトにかき込んだのはパーティーで告白されるって所だけだ。
ていうか、パーティーって、お父さんが言ってたのじゃないよね……?
私はスマホを取り出して、薔薇苑家年間スケジュールを立ち上げる。
家族のスケジュールはネット上のアプリにかき込むことが決まっていて、家族で出るパーティーや挨拶は、外せない用事になっている。
アプリを確認すると、パーティー……パーティー……パーティーだらけ!
今週末もパーティーじゃないか。昨日までこんなスケジュール無かったよ。
家は成金だし、商売始めたばかりだから、挨拶が大事なのは分かるけど、お父さんひとりで行けば良いのに。
ドゥカティのバイクに乗って行けばいいじゃない!
バイクに跨がるお父さんを想像する……完全に仮面ライダー一号です……いや藤岡さまに失礼だ、ライダースーツに腹が入らないわ。
……ビール腹の仮面ライダーが活躍する話ってないのかな。あ、しまった、また妄想の国に行ってた。
「はあ……」
私はスケジュールアプリを閉じた。
「あー……緊張する」
私は駅から続く坂道を歩きながら呟く。
「デコチューなんて挨拶代わりよ。普通にしてれば大丈夫」
「琴美は挨拶代わりにデコチューされたことがあるのか、無いのか、まずそれを聞こうか」
私は手をマイクに見立てて、琴美に近づく。
「デコチューねえ、されたことはないけど、したことはある」
琴美はサラリと言う。
私は首をギギギギ……とメカのように動かして琴美を見る。
「……初耳すぎて耳が落ちそう。誰に?」
「中学の時」
「美術の増田にぃぃぃ?!」
私は口を四角くして叫んだ。驚きすぎて鞄が落ちた。
「驚きすぎ」
琴美が私の鞄を拾って、軽くはらう。
「好きって聞いてたらんけどさあああ」
動揺して口が回らない。
美術の増田とは、中学の時の美術教師の増田先生だ。
美術教師なのにいつも汚い白衣を着てて、漫研の顧問で、琴美はよく美術準備室に入り浸ってたけど……。
「いつ、いつの話?」
私は慌ててノートを取り出そうと鞄を開くと、中身が全て落ちた。
「落ち着いてよ、こんな話学校ですることじゃない」
琴美は教科書を拾いながら言う。
私は琴美の目の前にしゃがみ込んで、顔を覗き込む。
「いやいやいや、気になってはげそう。学校で出来ない話なら帰ろう。話を聞かせてくれないと、私はここから立ち上がらないぞ」
私は膝にノートを広げる。
ふう……と琴美は観念したように話し出す。
「いつって……中二の、夏休み」
「おおっと、私が部活に出なかった夏ですね」
中二の夏に薔薇苑アイス株式会社は爆発的にヒットを飛ばし始めて、私も工場に出るため、夏休みは部活のために学校に行ってない。
「美術準備室に二人で」
「えーー、亜紀美ちゃんは休みだったの?」
亜紀美ちゃんとは、同じ漫研の子で、部活を休むと思えないほど熱心に絵を書く子だけど。
「手足口病で休んでた」
「あれ長いからねーー、あれにかかると一週間休むねーー」
私はノートに書き出す。美術準備室は西日が入る場所で、デコチューには最高の場所……相手が増田ってのはイマイチだな。でも琴美がキスとは……絵になる。
「ずっと我慢してたんだけど……」
「してたんだけど?!」
「我慢できなくなって……」
「できなくなって?!?!」
「はい、転がってきたよ」
誰かが私の視界にシャーペンを差し出す。
「今取り込み中なんで!」
私は叫んで、シャーペンを奪い取った。
「あ、ごめん」
「何この人!」
「あり得ない」
口々に批判されてノートから顔を上げると、そこには朝陽さまと、その取り巻き女子たち数人と、海田さんも居た。
私とひっくり返った鞄と朝陽さまと、取り巻きの女の子たち……時が止まる。
私は目だけ動かして手元のシャーペンを見る。
それはプリキュアの絵が書かれたシャーペンで大きく名前が書かれている、薔薇苑桐子。
大昔に買ったんだけど、無駄に使いやすくて、もう三年くらい使ってる……これを拾ってくれたのは、朝陽さまってこと、だよ、ね?
ていうか、車通学の朝陽さまがどうして駅から出てくるの?
私は観念して息を吸い込んで、話し出す。
「すいませんでした、ちょっと、夢中になってて、本当にすいませんでした」
私は転がっていた荷物を全て鞄に入れて立ち上がって、頭を下げた。
「ごめんね、話途中に」
朝陽さまが私に謝る。
「すいませんでした!」
私は頭を下げる。
その横を朝陽さまが歩いて行く。
「あり得ない。朝陽さま、行きましょう」
海田さんは、私の体にドン……とぶつかって、去って行く。
私はフラフラと道のふちに移動する。
「……まだ聞く?」
琴美が近づいて来て、私の顔を覗き込む。
「……立ち直るから、待ってて」
私は頭を何度も振った。
朝陽さまに対して、またやってしまった……また水かけられるのかな……たはは……。
私そんな嫌がらせに負けません! 漫画ならアッサリ立ち直るけど、毎日だと結構キツいな、これ。
でも琴美の話も猛烈に気になる、気になる! 切り替えよう!
……よし。
「さあ、我慢出来くなって、どうしたんだい?」
「まだ聞くか」
時は戻せない。妄想の国に逃げ込むが勝ちだ。




