11 下処理は迅速かつ豪快に2
(それにしても、何という魔力量なの)
曇水晶はほぼ満杯状態で、これ以上魔力を吸い込めないギリギリまできていた。私は慎重に呪文を唱え続ける。でも、もう限界かもしれない。私が横目で予備の曇水晶を見ると、公爵様がその視線に気づいてくれた。
「メルフィエラ、私は何をすればいい?」
「予想以上に魔力量が多くて、ひとつでは足りないみたいです。予備を使います。私が持っている曇水晶とその予備を取り替えてください」
「わかった」
公爵様が予備の曇水晶を手渡してくれる。私は片手で受け取り、満杯になった曇水晶を公爵様に預けた。血と魔力によって真紅の輝きを放つ曇水晶は、私にとってはここでの研究に使う以外価値のないものだ。しかし公爵様には違ったようで、ケイオスさんを呼んで、曇水晶を爪で弾いたり光に透かしたりしている。
(公爵様には赤がとても似合うから、宝飾品にしてもいいのかも……って駄目だわ。曇水晶だし、血と魔力の塊ですもの)
公爵様にはもっと美しい紅玉の方が相応しい。私は新しい曇水晶を手に気合いを入れると、一気に仕上げに入った。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス・ウムト・ラ・イェンブリヨール!』
最後の呪文を唱えると、魔法陣の光が真ん中に収束していく。首から流れ出ていた血が少なくなり、魔力の輝きも最初に比べてずいぶんと薄くなった。私が深呼吸をする間に、ロワイヤムードラーから吸い取った魔力の最後の一滴が、曇水晶の中に収まっていった。
「ふぅ……なんとかうまくいきました。もう魔法陣に入っても大丈夫です」
手のひら大の曇水晶一個と、半分。今まで一頭でこんなに溜まったことはなかったから、ロワイヤムードラーはかなりの量の魔力を持っていたことになる。
公爵様はロワイヤムードラーに近寄って、その斬り口をしげしげと眺めた。
「もっと干からびるかと思ったが、案外肉は瑞々しいな」
「お肉がパサパサになるので、血と魔力以外は吸い取りません。水分は適度に残しておくのが美味しくなる秘訣なんです」
「大したものだ。この方法は、お前が考えたのか?」
「始まりは私の母でした。大干ばつに大飢饉。十七年前、たくさんの領民たちが飢えで苦しみました。マーシャルレイド領は資源に乏しく、土地も豊かではありません。だから母は、大量に発生する魔物を利用できないかと研究を始めたのです」
私はそれを受け継いで、魔物から魔力を抜き取る方法を研究していた。もっと簡単に、誰もができるようになれば、厄介者の魔物が美味しい食物になり、領民たちを救うことになる。最近はちょっぴり、いやかなり、珍しい魔物を食すことが楽しくなってしまっているけれど。だって、美味しいんですもの。たまにハズレの魔物を食さなければならない時もあるけれど、だいたいにおいて、魔物は美味しく栄養価値が高いのだ。
「これはどうするのだ?」
公爵様が曇水晶を片手で器用にくるくると回す。それは魔力の塊であり、ロワイヤムードラーの命の輝きでもあった。
「公爵様、それは後から火を起こす時に使おうと思います」
「火を起こす?」
「はい。それに、これだけあれば二か月くらいは料理をする際の火力や、研究棟の魔法灯の心配がいりません」
「それ以外には使わないのか?」
「えっと、ほかに使い道があるのですか?」
そのほかに、この血と魔力の塊を使う方法があるのかと、私は首を傾げる。火を起こしたり、魔法灯の明かりとして使うことも、十分有効利用できていると思うのだけれど。公爵様はそんな私を見て何か言おうとし、でも首を横に振って真っ赤な曇水晶を私に返してきた。
「お前はそれでいい。だが、王宮の魔法使い共よりも有益な研究を行っているという自覚を持て。それに溜まっている魔力は、使い方によっては国を滅ぼすほどの武器になる」
「……国を滅ぼすほどの武器」
「気づいてなかったのか?」
「わ、私は今まで、生きたものは、せいぜいコトッコ鳥くらいの大きさの魔物からしか吸い取ったことがありません!」
小さな魔物は、その魔力量も少ない。それを武器にするだなんて、私はそんな恐ろしいことを考えたこともなかった。
「メルフィエラ、噂は噂だが、それが悪意を持ち一人歩きをすれば、思わぬ惨劇を生み出すものだ。言わせたい奴に言わせておけばいいが、お前を傷つけるものであれば、私が容赦はせん」
「公爵様、それは」
「だが、『生き血を啜る』というものだけは、噂話ではなかったのだな」
「えっと、私、生き血を啜ったりしてはいませんけれど」
曇水晶の中に吸い込むのであって、私が生き血を啜っているわけではない。公爵様の言っている意味がわからず、私は戸惑った。
「そうか? 私はてっきり、伝説の『吸血族』を目の当たりにしているのかと思ったぞ。お前のその髪があまりに美しく燃え盛り、緑柱石よりも煌く宝石のような緑の瞳が私を魅了するから、このまま命を捧げても惜しくはないと、本気で考えた」
「え……?」
公爵様が、目を細めて悪戯っぽく微笑む。言われた言葉を頭の中で反芻し、ようやく理解した私は、一気に顔が熱くなってしまった。
「も、もうっ、揶揄わないでください! 魅了とかしていませんし、髪はただ魔力に反応しているだけです!」
「褒め言葉だ、素直に受け取れ」
「そういうことなら公爵様だって、魔力に煌く金眼がとても素敵ですから! あの、黒鉄のドラゴンから翻る真紅の外套も、とてもお似合いでした」
「そ、そうか」
私が仕返しにと思って力説すると、公爵様が斜め下を向いてボソッと返事をする。私、な、なんだか、変なことを言ってしまったみたい。私まで恥ずかしくなり、もじもじとしてしまった。マーシャルレイドの騎士たちは、こちらを見ないようにしているし、ガルブレイスの騎士たちは、何故か皆さんが拳を握っている。小さく「いけ、そこでガツンと」とか、「閣下のへたれ」と聞こえてくるけれど、それはどういう意味だろう。ケイオスさんなんか、結構大きな声で「全然駄目です。千点中三点」と言い、指を三本立てていた。
「ええ、あの、と、とりあえず、屋敷の準備が整う前に、お肉を捌いていきます、ね?」
「そ、そうだな」
私は気を取り直して、小屋から魔力計測器を取り出した。先程の曇水晶に針をつけたような形の測定器で、針先を肉に刺して残留魔力量を測定するのだ。結果、ほぼ残っていないということが判明する。よかった、うまく血と魔力を吸い取ることができたらしい。これで安心して食することができる。
「残留魔力がないとは恐れいったが、少しくらい残っていても大丈夫ではないのか?」
「いいえ、公爵様。魔力が残っていると、魔毒に変化することもあるんです」
魔物は死んでしまうと、その身体に内包する魔力が自然と放出されていく。死んだ魔物から魔力を吸い出すのは至難の技で、塩漬け肉にしたり薫製にすることによりお肉から魔力を排除するのだ。きちんと下処理をしないままの魔物は、うまく魔力が放出されず、魔力が魔毒に変化してしまう。体内に残って凝ってしまった魔力のことを、私たちは『魔毒』と呼んでいた。体内を循環している魔力が何らかの理由で凝ってしまい、それが魔毒になると、魔物は狂化してその凶暴性が一気に増すのだ。
「これだけ大きいと、寝かしたままでの作業は難しいですね。ここは、吊るしてから切り分けていきましょう。牛用の肉吊しの準備を」
私はマーシャルレイドの騎士たちに指示を出し、肉を吊すための器具を設置してもらうことにした。騎士たちが鉄の鎖でロワイヤムードラーの後脚をくくり、数人で引っ張って器具に吊していく。ここから先は、普通の牛や豚などと同じ作業になる。公爵様もこれは見慣れた光景らしく、ガルブレイスの騎士たちにも手伝うように命じてくれた。
「そういえばロワイヤムードラーは皮革も高価な資源ですよね?」
「なめして柔らかくしたものを貴族共はこぞって革靴にしているな」
「では、丁寧に剥がないとですね」
「よし、ミュラン。アンブリーと皮を剥げ」
「あ、私もやります」
騎士たちに任せてしまうのも気が引けて、私は皮剥ぎの道具を持ってその輪の中に入る。
「それでは皆さん、よろしくお願いします。あ、お腹の膜と内臓は傷つけたら駄目ですよ。破けると酷い臭いが肉に染み込んでしまいますから」
「そう言われると自信が持てません。あの、メルフィエラ様、どのあたりを切ったらいいのでしょうか」
「それは私がやります。ケイオスさん、その刃物をお貸しくださいますか?」
小振りながらもしっかりとした刃がついた刃物は、騎士たちが野外活動中に使うもののようだ。ガルブレイス公爵家の紋章もついているから、きっとお抱え鍛冶屋が打った業物に違いない。私には少し重たいけれど、良いものだとすぐにわかった。
「ここから……ここまでっと。内臓が出ないようにそっとですよ。気をつけてくださいね」
腹に沿って慎重に刃を滑らせると、さほど力を入れずとも綺麗に切り込みが入る。さすがはガルブレイス家お抱えの鍛冶屋さんの謹製。公爵様に頼んだら、私にも紹介してくださるかしら。私の手にぴったりの肉切り包丁がほしい。
黙々と皮を剥いでいくと、脂が満遍なくのった肉が現れる。次に、内臓を取り出して、各部位に切り分けていく作業だ。ロワイヤムードラーは羊や牛に近い構造だけれど、その部位も同じようなものなのだろうか。あまりにも素晴らしい肉質で、妄想が止まらない。
(大きな後脚は炭火で炙ってみたら? それとも蒸し焼きにすべき? 保存している芋類、倉庫から出しておかなくちゃ)




