第三十九話 切り札
メイリーはストラスへ飛び掛かり、爪の連撃を放つ。
だが、どの攻撃もストラスの身体を透過するばかりであった。
「無駄だと言うておろうに、学習能力のない」
ストラスは体勢の崩れたメイリーの身体を自身の鉤爪で抉ろうとしたが、メイリーはそのまま素早く前転して地面を移動して彼女の背後を取った。
メイリーは攻勢に出ながらも、ストラスの攻撃に咄嗟に対応できるように身構えていたのだ。
「誰の学習能力がないって?」
メイリーは腕を伸ばして自身の身体を宙へと押し上げ、ストラスの後頭部へと蹴りを放った。
完全に死角から放たれた一撃。
だが、またもやメイリーの足はストラスの後頭部を擦り抜けるだけであった。
メイリーは蹴りの勢いを利用して起き上がり、地面を蹴って間合いを取った。
「ねぇ主様、これ意味ないけど! いくらボクだって、あんまり長々戦える自信ないよ!」
「とにかく距離を詰めてくれ! 規模の大きい魔法攻撃を使われたら厄介だ! 範囲任せで撃たれたら避けるのは困難だし、他の奴らにも被害が出る!」
「それ助言じゃなくてただの注文だよね!?」
アルマの言葉に、メイリーは唇を尖らせた。
「野次馬共はとっとと逃げろ! ゲルルフの兵もだ! 《フィールドウォール》のせいでズリングからは逃げられないが……悪魔の巻き添えに遭ったら、命の保障はできねぇぞ! とにかく、都市内でここから一番遠いところまで逃げろ!」
アルマの叫び声に、戸惑いながらもその場に残っていたゲルルフの兵達が、武器を捨てて逃げ始めた。
こうなった以上、ゲルルフが悪魔を使って都市を支配していたのは明白である。
おまけに彼は、自身が窮地を脱するためにこの都市を生贄にしようとしているのだ。
もはや彼に仕えている理由は何もない。
肉弾戦ではメイリーが押していた。
メイリーは自分から相手に触ることができないというとんでもない不利を抱えながらも、ストラスの身体を的確に爪や足で攻撃していく。
対してストラスの攻撃は、常にメイリーの動きに一瞬遅れていた。
攻撃を透かして反撃を狙う悪魔の優位性を利用したストラスの基本戦術に、メイリーは既に完全に対応している。
「チッ! たかだか低次元生物の分際で、ちょこまかと……! ええい、無駄なのがわからんのか!」
ストラスは地面を蹴って飛び上がった。
翼を大きく広げ、地上に立つメイリーへと無数の黒羽を矢のように放つ。
メイリーは背からドラゴンの翼を伸ばし、地面を蹴ってジグザグに低空飛行して攻撃を回避する。
そのまま地面を蹴って宙へと飛び上がり、ストラスへの距離を詰める。
距離が開けば、ストラスに範囲攻撃の魔法を使われる恐れがある。
「ストラス、早くその素早いだけの蠅虫を叩き潰してしまえ!」
ゲルルフが叫ぶ。
「わかっておるわい。だが、お前さんも余も、敗北することはあり得んのだ。そう焦る必要もあるまいて。安全な《悪魔の水ショゴス》の中でじっとしておれ」
ストラスはやや苛立ったように答えた後、口許を歪めて笑みを浮かべた。
「まあ……わざわざすばしっこいだけの蠅虫相手に、肉弾戦で戦ってやる義理もないか。遊びとしても、間延びして興が醒めたわ。終わらせてやろう……悪魔の雷を、貴様らへの手向けに見せてやる」
ストラスが手を空へと掲げる。
空の黒雲の渦が一層と速さを増し、巨大な髑髏を模していく。
大規模な魔法攻撃を撃ってくるつもりであることは明白だった。
メイリーはストラスへと接近して彼女の身体に爪を振るうが、当然のようにその攻撃は透過する。
「竜の娘……これ以上、お前さんと戯れてやる義理などなかろうて。お前さんがいくら距離を詰めようとも、余が相手をしないと決めればそれまでであろうに。お前さんの主諸共、雷鳴に消えよ」
メイリーは表情を歪ませ、アルマを見た。
「ねぇ! どうするの主様!」
「ああ、メイリー、『使っていい』ぞ」
アルマの一言で、メイリーはストラスから間合いを取った。
「遅すぎるよ、主様。ボク、あいつにぶん殴られて結構痛かったんだからね」
メイリーは不機嫌そうに頬を膨らませ、自身の両の太腿へと手を忍ばせた。
パチンと音が鳴り、金属製の二つの輪かが落ちる。
彼女の両腕には、黒く輝く鉤爪を持つ、籠手が装着されていた。
スカートの下に、金属の帯で固定した武器を隠していたのだ。
「あの娘に、アイテムを隠し持させていたか。フン、だとして何が変わる! 悪魔は上位次元の住人……《叡智のストラス》を倒せる者など、この世に存在せんのだ! せいぜい無駄な足掻きを……」
ゲルルフが大声を上げて笑う。
だが、当のストラスは顔を蒼白とさせ、メイリーの籠手の鉤爪を見つめていた。
「お、お前さん……何故……どこでそんなものを?」
メイリーは無言で鍵爪を構える。
ストラスの顔から、だらだらと汗が垂れ始めた。
「待て……ちょっと……待て! おかしいではないか! おかしい、絶対おかしい! なんで、なんで、そんなもの……!」
「さすがに知ってるか。ご名答、その鉤爪には異次元水晶を使っている」
アルマは薄笑いを浮かべながらそう口にした。
異次元水晶は、マジクラにおいてアダマントに匹敵するランク10の鉱石である。
マジクラの世界では、別次元の住人など別に悪魔に限った話ではないのだ。
異次元水晶の武器は基本的にアダマントに対して性能で劣る。
だが、アダマントにはない様々な特性を有している。
その内の一つが、別次元の住人である悪魔に対してダメージを与えられるというものである。
異次元水晶は無論、簡単に手に入るものではない。
だが、アルマがマジクラの世界から持ってきていた暗黒結晶に錬金術を用いれば生成することが可能なのだ。
マジクラにおいても悪魔は強力な存在ではある。
ただ、そもそもの話、それだけやっていれば絶対にプレイヤー同士の戦いで負けないといったような、そんな甘っちょろい仕様はマジクラには存在しない。
敵の手札を読み切って打開策を用意し、自身の切り札は隠し持つ。
それがマジクラにおけるプレイヤー戦を制する定石である。
ゲルルフは最初から悪魔の力押し頼りであった時点で、勝負としてさえ成立していなかったのだ。
「そ、そんなものがあったのなら最初から、ゲルルフにそれを使っていれば終わりだったではないか! ばっ、馬鹿なのか! 何の意味がある!」
ストラスの言葉通り、《異次元水晶の鉤爪》さえあれば、最初から《悪魔の水ショゴス》も簡単に無力化することができたはずであった。
「使うわけないだろ。ズリングの頭を穏便に挿げ替えるために、ゲルルフにはわかりやすく悪魔の存在を証明してもらう必要があったからな。所有者が危機に陥ったときに、法外な契約を吹っ掛けるのは悪魔の常套手段だ。その前に切り札を晒したら、お前が出てこなかっただろうが」
ゲルルフとストラスは、茫然と大口を開けた。
アルマの言葉が事実であれば、この戦いは最初から勝負として成立さえしていなかったことになる。
アルマはゲルルフの前に降り立つ時点で、ここまでの流れを全て既に想定していたのだ。
最初からアルマが戦っていたのは、ゲルルフでもストラスでもなく、ズリングの都市自体であった。
「あ、有り得ない! そんなこと……できるわけがない!」
ゲルルフが叫ぶ。
「ゲルルフ、お前の手札は全て見えていた。臆病で賢い奴ほど、行動は読み易い。こっちは相手の手札に応じた手札を用意して、後は実戦でどういう順番で出すかを考えるだけだ」
「だ、だったら何故だ! アルマァ! 何故貴様は俺に、降伏勧告をした!」
ゲルルフが叫ぶ。
「でも、降伏しなかっただろ? お前はどれだけ追い詰められていくら悩もうとも、自分から玉座を手放して力を失って牢にぶち込まれるようなことは、絶対に許容できない」
「はっ、はぁぁああ!?」
「自然に話す時間を作って、悪魔が交渉を始める猶予を与えたかっただけだ。こっちは平和に事を進めたいっていう、民衆への丁度いいアピールにもなったからな。言っただろう? 一流の錬金術師は、性格の悪い奴が多いって」
「ふっ、ふざふざっ、ふざけるなぁあああああああああっ!」
ゲルルフは両手で頭を押さえながら大声を上げた。
ストラスが現れてからも時間を作ったのは、ズリングの民衆へ悪魔の脅威を示すためのものだった。
だが、魔法を使われては都市自体に被害が出るため、その時点でストラスを処分することになる。
そのため距離を詰めての接近戦をメイリーに命じていたのだ。
また、悪魔が最も無防備になるのは、大魔法を準備している間であった。
下手に《異次元水晶の鉤爪》を見せれば、ストラスに元の世界へと逃げられてしまう。
素早いメイリーに苛立ち、大魔法で仕留めようとしている今の状況であれば、大魔法を中断して元の世界へ逃げるにも大きな隙を晒すことになる。
戦いの中でメイリーが何度もアルマに確認を取っていたのもこのためであった。
一番いいタイミングで《異次元水晶の鉤爪》を使うために、それまでは存在を匂わせないと決めていたのだ。
使用タイミングの合図が『使っていい』であった。
「腕を下ろすのだ! わ、わかった、メイリーとやら! 余と契約しようではないか! お前さんの願いを何でも叶えてやろう!」
「主様に聞いてもらうからいいよ。お前、主様よりできること少なそうだし」
「うっ、ううう……!」
メイリーが真っ直ぐストラスへと飛び掛かる。
手を掲げて無防備な姿勢で浮かんでいるストラスを、《異次元水晶の鉤爪》が抉った。
ストラスの身体が抉れ、青い体液が飛び散る。
梟の仮面が罅割れ、彼女の右の翼が切断されて地面へと落ちる。
空に浮かんでいたストラスが魔法で作った暗雲が霧散していった。
「うぶぅっ! 待て、待……!」
素早く逆の鉤爪が、ストラスの顔面をまともにぶん殴った。
ストラスは宙から一直線に地面に叩きつけられる。
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