第三十四話 《悪魔の水ショゴス》
「主様、あの箱……」
「チッ、《黒呪箱》だな。やっぱり持ってやがったか」
アルマは舌打ちを鳴らした。
《黒呪箱》は《龍珠》に似た効果を持つ。
ただ、《龍珠》が自身に従属している魔物を運ぶためのアイテムであるのに対して、《黒呪箱》は強い呪いを帯びた魔物やアイテムを安全に閉じ込めて保管しておくためのアイテムである。
通常の錬金には高いコストと技術が必要になるが、《黒呪箱》は悪魔の力を借りることで錬金難度を大幅に下げることができる。
「フ、フフ……怖いか、アルマ? この中には、人間の憎悪と悪魔の魔力をふんだんに用いて造った……悪魔の世界の法則を得た錬金生物を封じ込めている。正真正銘、この世の理を超越した化け物だ」
「ビビってるのはお前だろ? 手が震えてるぜ」
「こんなものを持って、恐れずにいられるものか……! だが、俺にとって、最も恐れるのはこれまで築き上げてきたその全てを失うことだ! 俺は俺のために、悪魔でもなんでも利用する! 万の怨嗟の声を背負おうとも振り返りはしないと、そう決めたのだ! アルマ、この俺からの和解案を蹴ったことを後悔するがいい! 出でよ、《悪魔の水ショゴス》!」
《黒呪箱》が激しく震え、蓋が開いた。
黒い液体が箱の奥から湧き出て、ゲルルフの足許を浸していく。
メイリーが前に出ようとしたのを、アルマは手を伸ばして制した。
「安易にアレに近づくのは危険だぞ。あの錬金生物は、悪魔に近い性質を持っている」
「悪魔に……? 主様、それってどいうこと?」
「事前に説明しただろ? 悪魔は通常のダメージを受け付けないんだよ」
悪魔はマジクラの通常の世界とは別次元の化け物であり、自身が触るものを選択することができるのだ。
壁や攻撃を擦り抜けることができる。
その癖、悪魔の攻撃は一方的にこちらの世界に爪痕を残す。
「ゲルルフの狙いは、一切のダメージを無効化する流動性の鎧で自身の身を守ることだ。……加えて、《悪魔の水ショゴス》は、呪いを帯びた強力な毒の塊だ」
アルマは《魔法袋》から石を取り出し、軽く投擲した。
石は明らかに途中で軌道を変えてぐんぐんと速度を上げ、ゲルルフへと吸い込まれるように迫っていく。
ただの石ではない。
《ルーンストーン》で《遠投》と《必中》、《自爆》の追加効果を付与したものであった。
お手軽で使いやすいため、マジクラでも中堅プレイヤー時代によく愛用していた武器であった。
《ルーンストーン》は《月鳴石》を用いて錬金できるアイテムなのだが、錬金した時点でその《ルーンストーン》の追加効果がランダムで決定される。
その癖に《ルーンストーン》の作成には決して低くないコストを要される。
プレイヤー達からはルーンガチャと揶揄されており、時に親しまれ、時に恨まれるマジクラ名物クソ仕様の一つであった。
プレイヤー達は欲しいルーンを得るために、こぞって大量の《ルーンストーン》を錬金することになる。
一流のプレイヤーは二流の十倍の《ルーンストーン》を錬金するといわれていた。
出てきた大量のハズレルーンをどう活用するかも錬金術師の腕の見せ所の一つであった。
アルマは石に付与することで使い捨ての飛び道具として扱うことが主であった。
ゲルルフの目前まで飛んだところで、黒い水が床からせり上がって石を受け止めた。
石は黒ずんでぐずぐずになり、崩れ落ちていった。
「下手に触ると、ああなるぞ。《悪魔の水ショゴス》は自身にダメージが伝わらないようにしつつも、触れたものに一方的に猛毒を加えて溶かすことができる。悪魔の毒は、お前でもどの程度耐えらえるかはわからん。結局あの毒水越しにダメージを与える術もないから、一方的に消耗させられるだけだ」
「うげぇ……水ごとぶん殴ろうと思ってたよ。でも、毒の中にいてなんでアイツは無事なの?」
「悪魔は自分の触るものを選べるって言ったろ? ああやって重なっていながらも、重なっていない状態を作れるんだよ」
ゲルルフの足許に散らばっていた黒い液体がその質量を増して半球上になり、ゲルルフの身体を完全に覆った。
球の表面には、大量の人の顔のような窪みが浮かび上がっていた。
奥から押し出されるように、大小様々な眼球が現れる。
メイリーもその醜悪な外見に、顔を顰めていた。
「そのけったいな化け物を造るためだけに、何人殺したんだか」
「アルマ……お前が俺に、これを造らせたんだ。決着をつけてやろうじゃないか、ショゴスの餌になるがいい」
アルマはゲルルフの言葉を鼻で笑った。
「悪魔の力に頼って造った切り札が、身を守るための鎧とはな。怖がりで保身がちなお前らしい」
悪魔の力によって錬金できるアイテムは多岐に渡る。
その中でも主を守りながら戦える《悪魔の水ショゴス》を選んだのは、自身の権力に重きを置くゲルルフらしい思考であるといえた。
ゲルルフを象徴するかのような錬金生物であった。
『……しかしアルマ、お前あれと似たようなアイテムを用意しておったではないか。《ガムメタル》も似たようなものであろう。同族嫌悪ではないのか?』
クリスが口を挟んだ。
流動性のある鎧という点では、《ガムメタル》も《悪魔の水ショゴス》も一致していた。
「……別に慎重なのが悪いとは言ってないだろ」
アルマは《魔法袋》を睨み、軽く引っ叩いた。
「随分と余裕なものだな……アルマ! 理解できていないのか? ショゴスの絶対防御を突破する方法など、存在しないと! 呪いの毒で苦しんで死ぬがいい!」
黒い水が、無数のグロテスクな触手を伸ばす。
アルマはゲルルフの言葉を鼻で笑った。
「絶対なんて言葉を軽々しく使うんだな。従来の法則では絶対にできないと思われていることに挑戦するのが錬金術師だぜ。だからお前は、悪魔頼りの三流なんだよ」
塔の下では、《瓦礫の士》とロックゴーレム、そしてゲルルフの兵とゴーレムが交戦を行っていた。
集まっていた民衆は既に大半が避難していたが、一部が戦いを見届けようとしてか、遠巻きに戦いの様子を眺めていた。
「なんだ? あの禍々しい、黒いスライムは……」
民衆はゲルルフを応援していたようだったが、明らかに様子のおかしい《悪魔の水ショゴス》を目にして困惑しているようだった。




