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51.

 この音は魔力の感知に優れていないと聞こえない音である。だから、この場で聞こえたのはサンドラとイフちゃんだけだった。


 そして、この意味がわかったのはサンドラだけだ。イフちゃんは怪訝な顔で周囲を見回している。


 続いて大きな音を立ててサロンの扉が開かれた。

「失礼いたします!」

「お嬢様、今のは……!」

 飛び込んできたのはフリーダとスウェンだ。使用人に有るまじき無作法である。いつもなら即座に解雇されるところだけれど、二人もあの音が聞こえていた。緊急事態である。


「何事だっ……?!」

 すぐに反応したのはロベルトだった。彼は緊急事態を知らせる音を聞いていないため、突然、乱入してきた下級使用人から母と妹を護ろうと立ち上がる。


 しかし、サンドラはロベルトを引き止めた。

「いいのです、お兄様、私が呼んだのですわ」

 サンドラの許しを得て、フリーダとスウェンはサロンのテーブルの前に膝を付いた。二人とも息が乱れているので、ここまで走ってきたのだろう。


「どうゆうことなの、サンドラちゃん」

 カリーナは穏やかな口調を崩さないけれど、ティーカップを置いて真剣な眼差しを娘に向ける。


「勇者様ご一行が悪魔に接触しましたわ」

「何だって!?」

 一度は椅子に腰を戻したロベルトがまたもや立ち上がった。どうでもいいことだが、彼が動くたびに仮面に付いた羽やフリルがバッサバッサと揺れるので、非常に鬱陶しく、緊迫した空気に陽気さと間抜けさを添えている。


「私の作った呪具に反応がありました、私は現地に直行いたしますわ、お兄様は騎士の皆様を連れて来てくださいまし」

 兄の陽気さなどものともせず、サンドラは立ち上がり早口に捲し立てる。


「何を言っているんだサンドラ!!」

 ロベルトは憤慨した。相変わらずサンドラが何を感じ取って行動しているのかはわからないが、優秀な妹が悪魔を感知したというのならそうなのだと信じる。

 だが、前線に出るのは許容できない。


「お嬢様、私たちも!」

「準備はできています!」

 引き止めるのはロベルトだけでなく、フリーダとスウェンも前のめりに声を上げる。

 二人は使用人であり、サンドラの助手であり護衛なのだ。主を一人で行かせるわけにはいかない。それに二人は、イフちゃんがサンドラに悪魔への対抗策を碌に教えていないことも知っている。


 当のイフちゃんも驚いた。悪魔の相手なんかしたくないから、精霊魔法の教えを乞うサンドラを、のらりくらり躱していたのだ。

 それなのに、悪魔の出現がわかるや否や、サンドラ本人が率先して現地に向かうなんて思いもしなかった。


 だが、サンドラには自信があった。実戦経験はなくても、この世界で八年間研究してきた知識と、前世の興味の赴くままに集めた雑多な知識があるのだ。

 それに、何より勇者がいる。サンドラは勇者が悪魔に勝つことを知っている。ただ、勇者の戦い方では宿主である人間が死んでしまう可能性が高い。それを食い止めるためにサンドラは行くのだ。


 あと、単純に転送魔法を使うのは今日が初めてなので、自分以外を連れて行ける自信がない。かと言って歩いて向かう体力もないし、駆け足の馬も馬車も耐えられる自信がない。フリーダもスウェンもまだ転送魔法は覚えていなかった。


「サンドラちゃん、策はあるのね?」


 カリーナだけは冷静に、いっそ冷徹なほどの瞳でサンドラを見つめていた。同じ赤い瞳の眼力は母と娘とそっくりだ。心なしか、襟元の獣の剥製の方が、心配げな表情でサンドラを見守っているように見える。


「はい、お母様」


 サンドラは躊躇わず答えた。多少の不安はあったが、ここで少しでも不安を見せれば外出は許されない。長いこと溺愛されてきた経験上、それはよくわかっていた。


 カリーナは娘を睨みつけていたが、ふと目尻を下げて微笑んだ。娘が外に出るというだけで涙ぐんでいた夫人と、同一人物だとは思えない凛々しい表情だ。

「そう、では怪我のないように」


「母上っ?!」

 あっさりと許した母にロベルトが声を上げた。息子の狼狽え方は心配性の父とそっくりだ。


「狼狽えるのでありませんロベルト、お兄ちゃんでしょう、直ちに騎士団に招集をかけなさい」

 母の指示にロベルトはそれ以上の反論は堪えた。


 確かに、今すぐ一人飛び出していったところで出来ることは高が知れている。自分がするべきことは指揮官としての仕事だ。だからまずは騎士団を集めなければならない。

 一方のサンドラは、魔術師として悪魔への対抗策がある。ロベルトは妹を引き止めることは諦めて、己のできることを考え始めた。


「フリーダ、スウェン、場所はわかりますね」

「はい」

「勿論です」

 サンドラの問いかけに、フリーダもスウェンも淀みなく応える。


 アリシアとラーシュにわたした呪具は、フリーダとスウェンも一緒に作ったのだ。三人で和気あいあいと藁人形を作る絵面の酷さは置いといて、自分たちで作った呪具の有りどころくらい、魔術師として把握していて当然だ。


「では、お兄様の案内を頼みますわ」

 サンドラは頼もしい助手たちに微笑んだ。前髪に隠れて目元は見えないが、珍しく怪しさのない純粋な微笑みであった。


「お任せください」

「すぐに追いつきます」

 フリーダとスウェンも仕事を任せられて得意気だ。いつもの目玉の耳飾りと蜘蛛の片眼鏡のせいで、魔族らしさは拭えないが、本人たちとしては立派な魔術師見習いとして堂々と構えているつもりだ。


「必ず帰ってらっしゃい」

「行ってまいります」


 カリーナは優し気な顔をして、なかなかどうして肝の据わった見送りだ。

 それに応えるサンドラも凛々しい表情をしている、と思う。前髪とローブのせいで相変わらず顔は見えないけれど、あの何もかもに怯えて引き籠っていた少女が、今は自信に満ちた姿をしている。


 なんだかな~、とイフちゃんは思わずにいられなかった。

 伯爵家としても親子としても感動的なシーンなのに、みんなして外見が面白すぎるのだ。

 変な魔物を首に巻いた夫人と魔女の婆さんみたいな娘、一人カーニバルな息子、下っ端魔族みたいな使用人たち、バラエティに富んだ変人ばかりで、シリアスなシーンもただの仮装大会に見える。


「さ、行きますわよイフちゃん」

「あ、俺ちゃんも行く感じ?」

「当然でしょう」

 これまで努めて役に立たないところばかり見せていたから、イフちゃんは自分も連れて行かれるとは思っていなかった。


 しかし、サンドラのこの謎の自信の正体も気になる。

 もしヤバい事態になったら即座にトンヅラこいたろ、と胸の内で考えながら、イフちゃんはサンドラに紐を引っ張られて空間の隙間を飛ぶのだった。

いよいよ悪魔と直接対決です!

でも御令嬢なので血みどろバトルは期待しないでください。

御令嬢なので優雅にお上品にお相手いたしますわ。


2025/6/30誤字報告ありがとうございます。


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