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50.

「まったくロベルトは……」

 カリーナだとてこの地の領主の妻、領地での問題は捨て置けないし、苦しむ領民がいれば救うのが義務だと考えている。


 しかし、根を詰めただけ事件が直ちに解決するわけではないのに、真面目な夫や息子は、仕事を抱えている間は休むのも不謹慎だと考えてしまう性質なのだ。


「それに引き換え、サンドラちゃんは落ち着いているわね」

 サンドラは村への遠征以来、すっかり悪魔恐怖症の発作が鳴りを潜めている。まだ積極的に外へ出ようとはしないけれど、こうして部屋から出てくることは増えた。

 息子は父に似たが、娘は母に似て、何事も成るように成ると泰然と構えているように見える。

 なによりも、娘の引き籠りが改善方向に向かっていることに、カリーナは思わずハンカチで目元を拭う。


「はい、強い味方ができましたもの」

 サンドラは得意気にイフちゃんを振り返る。


 イフちゃんは手も指も短いのでよくわからないけれど、たぶん中指を突き立てて、悪態を垂れている。この世界でも中指を突き立てるのが喧嘩を売るサインだということに、サンドラはむしろ感動を覚えた。


 ちなみに、カリーナとロベルトはあまり魔力が強くないので、イフちゃんの姿は見えているけれど、声は聞こえていない。見えているのも、ずんぐりむっくりした身体を紐でボンレスハムのように縛られているから、イマイチどんな姿かわかっていないだろう。本人から正体を聞いたって理解できないだろうが。


 おそらく、霊体用の拘束具で縛られていなければ、イフちゃんの力を持ってして言葉を伝えることも可能だろうが、どうせ碌なことは喋らないので、サンドラは当分、イフちゃんが喋ることを家族に教えるつもりはなかった。


「火の精霊の召喚を成功させるとは、サンドラは本当に優秀な魔術師だな」

 ロベルトは、例え精霊が青白く発光するボールにしか見えなくとも、妹が精霊を従えたという事実だけで充分だ。フワフワ浮遊するボールに何ができるのかはわからないが、妹が嬉しそうにしていることだけが重要なのであった。


 そのボールに「変てこ仮面のボンボン」と呼ばれているなんて思いもしない。さっきからイフちゃんがボンレスハムのようにぎゅうぎゅうに締め上げられているのは、この悪態のせいである。


 ちなみに、カリーナについては特に何も言わない。

 イフちゃんは美人の人妻も乙なもんだと思う変態ジジイの感性を持っているけれど、カリーナはちょっと凄味があり過ぎて手を出す勇気がない。常人なら一口でぶっ倒れそうなキッツい酒を平気な顔で飲んでいる姿は、只者ではない。あと魔除けの襟巻が普通に恐いから、出来るだけ見ないようにしていた。


「勇者様が協力してくださったおかげですわ、そう言えば勇者様たちの調査はどうなっているのでしょうか」

 サンドラもイフちゃんの口の悪さには慣れつつあるので、素知らぬ顔で会話を続ける。


 アリシアとラーシュに持たせた悪魔感知の呪具には、たまに悪魔の気配を感知した弱い反応はあったが、まだ遭遇には至っていないようだ。

 しかし、二人が常に勇者と行動を共にしているとは限らないので、肝心のテオドールの動向がサンドラにはわからない。


「ああ、誘拐犯たちの夜営跡をいくつか見つけているそうだ、森の奥深くを探し回っているから、我が家の騎士たちも勇者とはあまり遭遇することがないんだ」

 ロベルトも一応は勇者パーティーの動向には気を配っているけれど、調査隊の一員として管理することはできないから、彼も勇者たちの詳しい状況はわからなかった。勇者一行は自由に行動させるべし、とは王家からの勅命である。


「夜中まで探し回っているみたいね、エドモントの屋敷にも明け方泥塗れになって帰ってくるそうよ」

 カリーナのこれは半分嫌味であった。

 彼女は親戚の家に遊びに行くという建前で、勇者パーティーの様子を見に行っているけれど、常にどっかこっかで走り回っている勇者テオドールの姿はほとんど見ることがなかった。たまに見かけるとすれば、泥塗れで帰ってきて、エドモント家の使用人に犬コロのように洗われているところくらいだ。


 サンドラはこの話しにニヤッと笑みを浮かべた。

 流石は勇者様、犯人が悪魔だということは未だに疑っているようだが、本能的に、夜間に行動している諸悪の気配を感じ取っているのだろうか。それとも単純に、逃げ隠れするなら夜の方が都合が良いと考えただけだろうか。


 この世界の悪魔は別に夜行性というわけではない。特に人間に憑りついている悪魔は、肉体の習性に依存するため、昼間の方が圧倒的に行動しやすいはずだ。

 だが、この地に潜む悪魔の数人は既に顔が割れているため、昼間大っぴらに行動できないのだ。


「昼だろうと夜だろうと、森の中で野獣や魔物に遭遇してもものともしないんだ、流石は勇者だ」

 ロベルトは素直に関心している。妹への狼藉には憤慨していたが、根が素直なので、勇者が本邸を訊ねてきた時点で、サンドラも勇者のことを許しているのだろうと考えている。


「悪魔感知の呪具を渡しておりますから、犯人を見つければ私もすぐにわかりますわ、猟犬が走り回ってくれるので、私も心穏やかにお茶ができますわ」

 サンドラはいけしゃあしゃあと宣った。この屋敷の中では、王家からの勅命よりもサンドラが優先される。王家が後ろ盾になっている勇者一行だとて、この屋敷ではサンドラの役に立つかどうかだけが重要なのである。


「まあ、勇者も役に立つことがあるのね、ホホホホホ」

「流石はサンドラだ、しかし、呪具に反応があったらすぐに私に教えてくれ」

 母も兄も朗らかに笑っている。勇者パーティーのことを猟犬扱いしていることには誰も疑問を覚えないところ、似た者親子だ。イフちゃんは密かにフェルセン家の会話にドン引きしていた。


 そんな話をしている時、タイミングを計ったように待ち望んだ反応があった。


 カチンッと金属の弾けるような音が鳴り響いた。

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