48.
フェルセン伯爵領にはその日、重い暗雲が立ち込めていた。
昼間だというのに薄暗く、今にも雨が降り出しそうな空模様だが、だのに雨は降らず、分厚い雨雲の中でゴロゴロと稲妻がぐずっているような天気であった。
しかし、そんな外の様子などフェルセン伯爵家には関係ない。常に全ての窓が分厚いカーテンに覆われている陰気な屋敷は、外が晴れだろうが雨だろうがいつでも暗く閉ざされている。
ただ、常夜の館のサロンにて、親子水入らずのお茶会を開くことができたのは、外の天候が優れないおかげであった。
「ようやくゆっくりお話しができるわね」
フェルセン伯爵夫人カリーナは、優雅に微笑みティーカップを傾けた。
伯爵夫人らしく自宅でも品のあるドレス姿だが、屋内だというのに首に毛皮の襟巻を巻いている。例の如く、サンドラが選んだ悪魔除けの品である。
襟巻だが、毛皮に剥製の顔と手足と、ついでに羽まで付いているから、ほぼ獣の剥製を首に巻いているようなものだ。
黒い毛並みは艶やかだが、剥製の顔は般若面のように険しく、口元からは鋭い牙が覗き、魚の背鰭のような黒い羽も付いている。カリーナは飛び出した鋭い羽に豊かな巻き毛をかけて小粋に着こなしているけれど、伯爵夫人としてはファンキー過ぎる小物だ。
何とかという宗教で神の遣いとして崇められている獣だそうで、死闘の末に悪魔を食いつくしたという神話から、毛皮にも悪魔除けの力が宿るとされているそうだが、これ自体が悪魔のような姿をしている。
しかし、そんな由来や見た目はカリーナにとってはどうでもいい。これを身に着けていることで愛娘の心が鎮まるのなら、彼女は剥製だろうと骨格標本だろうと着こなす所存だ。
ガラス張りの温室と併設されているサロンは、壁一面が大きな窓になっており、天気の良い日は明るく開放的な憩いの場となる、はずだが、例の如く窓は全て黒いカーテンで覆われているため、外の明かりは一切差し込まない。
今日は天気が悪いから、カーテンが無くてもどうせ明るくはならなかっただろうが、蝋燭の灯りだけが頼りの室内よりは曇り空の屋外の方がまだ明るい。
温室では色とりどりの花が咲き誇っているというのに、黒いカーテンに遮られ、サロンからは草花の影がカーテンに写り揺らめく、おどろおどろしい光景しか見えない。
昼間なのに蝋燭の灯されたサロンには、いつも通り悪魔除けの香の煙が充満し、瀟洒なテーブルを囲みお茶をしているだけの親子は、いつも通り怪しげな儀式をしている魔族のようであった。
「お兄様は、お帰りになってからずっと忙しいですものね」
カリーナの隣でティーポットを傾けるのはサンドラだ。
実家に帰って来てから、ずっと領内の行方不明事件の調査にかかりきりになっていた兄を労い、お嬢様自らお茶を淹れている。ただ悪魔除けの儀式を使用人にまで施すのが面倒で、給仕をサロンに入れていないだけとも言える。
サンドラはいつもの如く真っ黒いローブに身を包んでいるが、今日は母と兄と久しぶりのお茶会ということで、張り切ってローブの上に首飾りを付けていた。
重厚な金細工の台座に、大きな赤い石と青い石が連なっているデザインで、伯爵家のお嬢様が付けるには武骨で古臭い装飾品だ。
それもそのはず、これは北の少数民族の巫女が儀式の際に身に着ける呪物で、魔を滅ぼす力が宿っている。言うなれば装飾品ではなく防具である。
そんな大きな首飾りを付けているせいか、いつもよりも背中の丸まっているサンドラは、いつも以上に怪しげな魔女の婆さんのような姿だった。声だけは可愛らしい少女なのだから余計に気味が悪い。
更に今は、後ろに浮いている風船のような照明器具のせいで、サンドラの姿が青白く照らされているから、謎の凄味が増していた。
サンドラの後ろに浮いている照明器具は、照明器具ではなく火の精霊イフちゃんである。放っておくとメイドにちょっかいばかりかけるので、相変わらず縛られたまま、サンドラに連れ回されて不貞腐れている。
「まだ解決には至っていないのですが……」
悔し気に呟くのは兄ロベルトだ。カリーナとサンドラの向かいに腰かけ菓子を摘まんでいる。
ここ数日は家騎士団を率いて領内を駆け回っていたため、動きやすい騎士団の制服ばかり着ていたが、今は伯爵家令息として相応しい豪華な服装をしている。
家族との茶会に張り切った格好をするのも照れ臭い年頃ではあるが、これも親孝行と思い、母のドレスと同色のモーニングコートを大人しく着用している。
しかし、彼が豪華に見えるのは服装のせいではなく、顔に付けている仮面のせいだ。
顔の上半分が金色の仮面で覆われている。獅子の目元を精巧に象った仮面は、眼球の部分に穴は開いているけれど、小さいためロベルトの青い瞳が見えることはない。
その仮面にはさらに色とりどりの羽飾りと、幾重にも重なった布飾りが付いていて、頭から背中までド派手なフリルで覆われているような状態だ。
ロベルトが背もたれを使わずピシッと背筋を伸ばしているのは、姿勢が良いだけでなく、飾りが邪魔で背もたれに背中を付けられないせいでもあった。
一人サンバカーニバルのような装いだが、これも立派な悪魔除けの呪具である。
南の国の宗教の太陽神を現した仮面で、悪魔祓いの祭事で実際に使われるものだ。南の国では太陽神は派手なほど強いとされているので、呪具なのにこんな陽気な装飾品になってしまったという。
しかし、そんな由来や見た目はロベルトにとってはどうでもいい。これを身に着けていることで妹の心が鎮まるのなら、彼はカーニバルだろうとフェスティバルだろうと受けて立つ所存だ。
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