96話 奮闘
舞姫は焦っていた。力を増した原因体に防戦一方だった。振り下ろされた巨大な剣をどうにか受け流し、舞姫は後方へ飛んだ。
しかし、原因体の猛攻は止まらない。舞姫に休む暇を与えず、絶えず攻撃を仕掛けてくる。
横薙ぎにされた巨大な剣を飛び上がって躱す。だが、遠心力などまるで無いかのように、剣は急にその軌道を反転させる。回避しようにも間に合わない。
「ぐッ――がはッ!」
舞姫は槍を盾にして防ぐ。しかし、原因体の一撃を受け止めるには舞姫の体は軽すぎた。体が真っ二つにされることは防げたものの、弾き飛ばされて壁に叩きつけられてしまう。
あまりの衝撃に舞姫は目を見開いた。しかし、休んでいる暇はない。目の前には、すでに原因体がいるのだから。
舞姫は右へ大きく飛び、距離を取ろうとする。しかし、踏み込みに力が入らずに上手く距離をとれない。その隙を突かれ、舞姫は再び弾き飛ばされた。
舞姫は地面を転がる。どうにか体勢を整えようとするが、右足に力が入らなかった。よく見れば、足首が変に曲がっていた。先ほど壁に叩きつけられたときに痛めてしまったのだろう。
剣を防ぐ際に右腕が折れてしまい、だらりと垂れ下がっている。残る左腕と左足だけでは、さすがに原因体の相手をするのは無理だ。
たたでさえ地力で差のある相手である。このまま近くで戦い続ければ、原因体の圧倒的な力にいずれ押しつぶされてしまうだろう。無理に勝利を狙わず、時間稼ぎに徹するのが賢明だ。
舞姫が今やるべきは、原因体の注意を引きつけることだ。有希と唯が紬を倒して合流するまでの間、舞姫は戦い続けるしかない。
しかし、有希たちの方も厳しい状況だった。
「唯ちゃん!」
「ああ、分かってるッ!」
二人は上手く連携を取りながら紬と戦う。二対一という状況だというのに、不利を感じさせないほど紬は強かった。
人間の体の構造を無視した変則的な動き。それが二人の思考を混乱させる。迎え撃つにしても、先入観が邪魔をして行動を読めなかった。
もし紬を相手にしているのが舞姫だったならば、この動きにもどうにか対応できただろう。時間はかかるかもしれないが、勝てない相手ではなかった。
しかし、そうなれば有希と唯の二人が原因体の相手をする必要がある。二人がかりでもそれは難しかった。
紬が有希に肉迫する。迎え撃とうとするも、不規則に繰り出される攻撃に有希は対応できない。槍では取り回しが難しく、上手く迎撃できなかった。
紬の拳が有希の腹部に突き刺さる。肺の中の空気が押し出され、有希は堪らずうずくまる。
そこに、紬の拳が振り下ろされる。
「有希ッ!」
動けなくなった有希を庇うように唯は間に割って入る。紬の拳を右手で受け止めると、左手の爪を紬の腹部に突き入れようとする。しかし、攻撃は受け止められてしまう。
このまま近づいていては危険だと判断し、唯は紬を蹴り飛ばした。ダメージは無いようだったが、距離は開いた。
「おい、有希。大丈夫か?」
「うぅ、なんとか……」
「喋れるなら、とりあえずは大丈夫そうだな」
唯は有希の無事を確認すると紬に向き直った。そして、背後にいる有希に声をかける。
「有希。お前じゃ戦い辛いだろ? あたしがアイツの攻撃を捌くからよ、有希は隙を突いてくれ」
「うん、分かった」
「よっし、それじゃあやるか」
気合いを入れ直すと、唯は地を蹴った。紬に肉迫すると右手の爪を振り下ろした。紬は上体を反らしてそれを回避すると、そのままの体勢から右足で蹴り上げる。
唯はそれを左手の爪で迎え撃つ。鈍い音が響く。僅かな硬直の後、二人は距離を取った。
短い攻防だったが、唯はそれだけで紬の恐ろしさを感じ取っていた。自分が全力で戦ったとして、勝てるかどうかは分からない。
しかし、自分は一人ではない。唯は有希に視線を向ける。有希は頷く。
唯は再び地を蹴った。避ける暇も与えずに肉迫し、叩き潰すように両手を振り下ろす。
「らあああああッ!」
巨大な鉄塊同士がぶつかり合ったような、重く鈍い音が響いた。唯の渾身の一撃だったが、紬の腕に阻まれてしまう。
だが、唯は確かな手応えを感じていた。見れば、その爪は紬の腕に食い込んでいた。確実にダメージとなっている。
お互いが攻撃をしたままの態勢で固まっていた。一歩でも退こうとすれば、その隙を突かれてしまう。
この拮抗は長くは続かないだろう。その先にあるのは、唯が消耗して倒れる未来だ。
しかし、唯は笑みを浮かべる。その直後――赤い閃光が現れた。
「はあああああッ!」
その正体は有希だった。唯の意図をアイコンタクトだけで察し、隙を窺っていたのである。
紬の脇腹に槍が突き刺さった。赤い光を放つ槍は、確実に致命傷となっていた。。
二人は勝利を確信する。しかし、紬はまだ倒れなかった。
「ガァアアアアッ!」
紬が吠えた。唯を弾き飛ばすと、突き刺さったままの槍に拳を叩きつける。
「ああっ!?」
有希が声を上げた。紬の一撃を受け、槍は真っ二つに折れてしまった。突然の出来事に、有希は固まってしまう。
武器を失った有希に紬が襲いかかる。戦う手段を待たない有希は、狩られる側の存在でしかない。
「有希ッ!」
唯は慌てて地を蹴った。弾き飛ばされた時の痛みが残っていたが、強引に体を動かす。
唯は二人の間に割って入る。
「ぐふッ!」
有希を庇うように立ちふさがると、腹部に紬の拳が突き刺さった。唯はあまりの苦痛に目を見開く。意識が飛びかけるも、強靱な精神でもって意識をつなぎ止める。
唯の視界に映ったのは、弱った姿の紬だった。有希の先ほどの一撃でかなり消耗しているようだった。
それはほんの一瞬だった。拳を唯に当てたまま、紬は僅かに動きを止めた。
その隙を唯は見逃さなかった。
「これでも、喰らえええええッ!」
両手の爪を交差するように振り下ろした。防ぐほどの余力がないのだろう。紬は身を切り裂かれ、活動を停止した。
「はあ、はあ……」
唯が苦しそうに呼吸をする。紬の最後の一撃は唯の内蔵を潰していた。
「唯ちゃん!」
有希が慌てて駆け寄る。唯の顔色は悪く、無事なようには見えなかった。
腹部を押さえ、唯は膝を突いた。真っ赤に染まった唯の腹部を見て、有希が悲鳴を上げる。
「あたしのことは気にするな。それより、早く、舞姫の方に行けって……」
舞姫は苦戦しているようだった。状況はかなり厳しいだろう。武器を持っていない有希が加わったところで、大した戦力にはなれない。
それでも、何か力になれるはずだ。有希が舞姫のもとに向かおうとした瞬間――巨大な何かが視界に現れた。
「うおおおおおおおッ!」
それは装甲車だった。操縦席にはクロエが乗っていた。無謀にも、クロエは装甲車で攻撃を仕掛けた。
鈍い音と共に装甲車の前面が潰れた。だが、それと同時に原因体を弾き飛ばした。
装甲車は機装部隊全隊員を搭乗させることが可能だ。その大きさは言うまでもなく、圧倒的な質量に原因体といえど踏ん張ることは不可能だった。
そして、青い光が視界に映った。有希も見覚えのある顔。破壊機装を装着した女性。
「七海お姉ちゃん!」
恐怖を克服し、再び戦場に戻ってきた七海だった。七海は周囲を見回して戦況を把握する。
七海の登場に一番驚いていたのは舞姫だった。七海が再び戦場に戻ってこられるとは思っていなかった。それほどまでに、七海の傷は深いものだったはずだ。
折れた手足を庇いつつ、舞姫は七海に歩み寄る。
「大丈夫、なのかしら?」
「うん。遅れちゃってごめん」
頭を下げる七海に、舞姫は微笑む。
「構わないわ。貴女の痛みは、理解しているつもりだから」
「ありがと」
そして、装甲車から降りてきたクロエが合流する。
「結構酷い状況だな……」
クロエが呟いた。有希は武器を失い、唯は内臓を損傷。舞姫は右腕と左足を骨折してしまった。まともに戦えるのは七海くらいだろう。
舞姫が口を開く。
「地下シェルターの状況は?」
「今頃は残党を狩り終えている頃だろうな。あとは、原因体だけだ」
「そう。なら、少しくらいは無理しても良さそうね」
舞姫が槍を構えようとするが、七海がそれを制止した。
「七海……?」
「私に任せて、舞姫は休んでて。あれくらい、なんてことないからさ」
七海は自信に満ちた表情で笑って見せた。それを見て、舞姫が頷く。
「クロエは三人の治療をお願い」
「ああ、任せろ」
七海は大剣を構える。目の前には原因体がいる。幾度となく悪夢でうなされた相手だ。
しかし、七海に恐怖はなかった。そんなものは、既に地下シェルターでの戦闘で克服している。堂々とした佇まいで七海は大剣を構えていた。
原因体は迎え撃とうと巨大な剣を構えた。七海の大剣も人の背丈の倍はあるが、原因体のそれはそれよりも数倍は大きかった。
七海は力強く踏み込むと、一気に駆けだした。その視線はどこまでも真っ直ぐに、原因体を見つめていた。
その間合いに入ると巨大な剣が振り下ろされた。七海は真っ正面から迎え撃つ。
「はあああああッ!」
そして、一閃。七海の大剣は障害物などまるで無かったかのように振り抜かれた。遅れて、巨大な黒い固まりが地に突き刺さる。
七海の一撃は原因体の一撃を上回っていた。破壊機装の力を最大限に引き出した七海に力で張り合うことなど不可能だった。
そして、一方的な蹂躙が始まった。七海が大剣を振るう度に原因体に傷が付いていく。盾で防ごうにも、盾ごと叩き斬られてしまう。
原因体は即座に腕を生やすが、片っ端から切り落とされて無駄に消耗するだけだった。原因体の圧倒的な硬さは、七海の前では無意味だった。
確実に追い詰めている。皆がそう確信していた。しかし、原因体はまだ余力を残していた。
巨大な剣が勢い良く振るわれると、さすがの七海も距離を取らざるを得ない。再び攻撃を仕掛けようとしたとき、異変が始まった。
原因体は一花の入った赤黒い水晶を中心に変化を始める。どこまでも小さくなっていき、最後には腕輪になってしまった。その見た目は、有希たちの手首につけた機装と同じだった。
「な、なんだよアレ……」
唯が呟いた。有希も、舞姫も、七海も、クロエも。皆が同様の疑問を抱いていた。皆の前には、原因体が変化した腕輪を身につけた一花の姿があった。
一花はそっと目蓋を持ち上げた。その瞳は赤く輝いていた。
「原初・黒霧機装――装着」
一花の声で紡がれた言葉は、ぞっとするほどに冷たかった。




