95話 復活
今頃は、有希たちが戦っているのだろう。七海は壁に寄りかかりながら、そんなことを思った。
下層には地下シェルターの住民たちが集まっていた。住民たちは怯えながらも、戦いが終わることを祈っていた。
自分は、このままここにいて良いのだろうか。良いはずがない。分かってはいても、機装が動かないのだから仕方がない。そう思った。
時間の経過が恐ろしかった。このまま立ち止まっていたら、いつか手遅れになってしまうかもしれない。そんな気がしていた。
何かが崩れるような音が響いた。上層の天井が崩れる音だ。七海はそれを知る由もないが、漠然と危機が迫っていることを感じ取っていた。
しかし、七海は動けない。破壊機装は、静かに眠るだけである。機装が使えたら、自分だって戦うのに。七海はじっと念じて見るも、やは応答はなかった。
光を失った破壊機装を見て、七海はため息を吐いた。自分の無力さが悔しかった。
思い返せば、自分は十年前の戦いでも無力だったような気がした。腕を喰い千切られたり、蜘蛛型に捕らえられたりした。その度に、七海は仲間に助けられた。
――自分は、あの戦いに必要だったのだろうか?
七海はネガティブになってしまう。自分がいなくても、一花だけで戦えていたようにも思える。舞姫だって、前衛がいなくても戦えていたのではないか。
七海は自分のそんな考え方が嫌になって、拳を硬く結ぶ。一花や舞姫は、自分のことを仲間だと思ってくれていたはずだ。だというのに、自分は足手まといでしかなかったと思ってしまう。
――嫌な子だな。私って。
自己嫌悪。もっと真っ直ぐに物事を捉えられたら、どれだけ楽だろうか。一花や有希が羨ましかった。あの二人は、凄く綺麗な目をしていた。
自分の視界に映る世界とは全く別の世界を見ているかのようだった。二人の見ていた世界は、もっと綺麗なのだろうか。
七海は周囲を見回す。やはり、世界は暗かった。自分と同じ、ネガティブな世界だった。
それも、今日で終わるのだろう。勝敗に限らず、この戦いは幕を閉じる。全ての元凶である原因体の発見は、クロエから教えてもらっている。そして、一花が生きているかもしれないことも。
だというのに、自分はここで立ち止まっていていいのか。何度も繰り返された自己問答。やはり、破壊機装は動かない。
動かないのは、自分が恐れているからだ。戦うことで、再び足を引っ張ってしまうかもしれないということを。もう、足手纏いにはなりたくなかった。
しばらくして、再び轟音が響いた。先ほどよりも大きい。ちょうど、天井で聞こえたように思える。中層ではまさに、沙耶たちが背水の陣で戦いに臨んでいた。もう、猶予はない。
しかし、破壊機装は動かない。
――違う。動かないんじゃない。
七海は気付く。なぜ、自分が戦えないのか。
――私が、動かそうとしていないんだ。
動かないことを口実にして、戦いから逃げたいだけ。誰かがどうにかしてくれるから、自分は大丈夫。そうして、逃げているだけだ。
酷い。七海は悪態を吐いた。その対象は自分自身である。こんな状況でも、一人だけ安全な場所にいたいと思ってしまう自分が憎かった。
気付いたなら、どうすればいいのか。七海は考えた末に、一つの結論に辿り付いた。
動かないのを口実にしてしまうならば、動かさざるを得ない状況にすればいい。
思い浮かんでからの行動は迅速だった。手首に破壊機装を嵌めると、エレベーターに乗り込む。七海の行動を予知していたかのように、エレベーターは下層に止まっていた。
エレベーターが上昇を始めると、いよいよ引き返せなくなってしまう。もはや、戦う以外に道はない。
七海は機装を高々と掲げると、祈るように声を発する。
「破壊機装――装着!」
そして、眩い光が辺りを包んだ。
中層での戦いは劣勢だった。沙耶たちの奮闘も空しく、イーターたちの侵攻を抑えられない。
それも仕方のないことだろう。ただでさえ、先ほどまでもギリギリの戦いだったのだ。主戦力であった高城を失ってしまったのだから、こうして今も戦えていることだけでも奇跡のようなものである。
しかし、状況は沙耶たちの想像以上に悪かった。陣形はかき乱され、どこに誰がいるのかも分からない始末だ。そして、それを確認する暇もなくイーターは襲いかかってくる。もはや、機装部隊は壊滅状態だった。
沙耶も自分の命を繋ぐことで精一杯だった。通信が入っているような気がしたが、それを聞く余裕もない。少しでも隙を見せてしまえば、自分はイーターの餌食となるだろう。
「もう、来ないでくださいッ!」
それだけは嫌だった。既に片方の銃剣は壊れている。右腕も折れており、戦闘能力の低下は著しかった。それでも、死にたくなかった。
沙耶は生への強い執着から限界を超えた力を発揮していた。襲い来るイーターを前に、片腕だけで対処していく。
生きてこの戦いを終えたかった。遥と一緒に喜びを分かち合いたかった。しかし、現状を見るにそれは難しいように思えた。
もう限界かもしれない。そんな考えが頭を過ぎった。どれかけ生き残ることを考えてもネガティブになってしまうほど、沙耶は窮地に陥っていた。
そんな沙耶の目の前にいるのは人型のイーターだった。それも、見たことのある顔。莉乃と同様、霧型に浸食された隊員たちだった。
見知った顔を切る度に沙耶は辛くなる。原因体という存在は、よほど残酷な思考を持っているのだろう。沙耶はそう思った。
これ以上は抑えられない。そう思ったときだった。
――沙耶の視界を青い光が埋め尽くした。
突然の出来事に、沙耶は驚いて腰を抜かしてしまう。よく見れば、それは沙耶の体には害がないようだった。思い浮かぶのは一つだけだった。
「機装、でしょうか……?」
しかし、思い浮かぶ機装は無かった。沙耶は全ての機装の能力を把握しているつもりだったが、これは見たことがなかった。
沙耶の前に誰かが降りてきた。舞姫と同年代に見えたが、沙耶はその人物を知らなかった。視界いっぱいのイーターを殲滅できるほどの実力者。それが、七海だった。
七海の破壊機装は初期の頃に出来た機装である。神速機装や殲滅機装はそれぞれ戦い方を定められていたが、破壊機装だけは違った。
イーターに通用する攻撃方法を求めて作られたのが破壊機装だった。単純な戦闘能力だけを求めて生み出されたのだから、弱いはずがなかった。
死地に赴いてでも動かそうとする七海の覚悟によって、破壊機装は長い眠りから目を覚ました。その大剣は、悪い流れを断ち切る。
七海は大剣の一振りで、眼下のイーターを倒しきって見せた。体勢を整える余裕が出来た沙耶は、どうにか他の皆と合流する。
「みんな、無事だったか!」
クロエが安堵の表情を浮かべた。沙耶だけではなく、鈴木や東條、遠藤と遥も無事だった。他の隊員たちも負傷はしているものの、全員が揃っていた。
自然と、皆の視線は七海に集まる。視線を受けて、七海は気まずそうな表情を浮かべた。もう少し早く覚悟を決めていれば、中層の町が壊されることはなかったかもしれない。
そんな七海だったが、皆の考えは違った。
「ありがとう。助かった」
クロエから感謝の言葉を告げられ、七海はきょとんとする。遅れたことを謝ろうと思っていた矢先に言われ、七海は返事に困ってしまう。
それに続くように、皆が感謝の言葉を告げた。七海はその言葉を受け止めると、泣きそうになるのをこらえながら頷いた。
「後は、残りを片付けるだけだが……」
そう言ってクロエは前方に視線を向ける。今の七海の一撃でかなりの数を葬ったが、それでもまだイーターは多かった。徐々に、黒い壁が迫ってくる。
その先頭には莉乃がいた。高城と戦ったはずだったが、傷は見当たらない。それを見て、皆が悔しそうな顔をした。
七海は莉乃を見つめる。皆は彼女のことを知っているのだろう。なら、面識がない自分が戦う方がやりやすいはずだ。
七海はそう考え、後ろを振り返る。
「私がアレを倒すから、みんなは他のイーターをお願い!」
七海の言葉に皆が頷いた。それを確認すると、七海は駆け出す。同時に、莉乃も地を蹴った。
七海は大剣を振り下ろす。それを迎え撃つように、莉乃の腕が振るわれた。
鈍い音が響く。手に若干の痺れを感じた。破壊機装も工作機装も力に優れている。浸食によって強化された莉乃は高城とも組み合えるほどの力を持っていた。
しかし、覚悟を決めた七海には及ばなかった。
「はあああああッ!」
押しつぶすように力を込めると、莉乃の腕は耐えきれずに壊れる。七海は勢いをそのままに大剣を振り下ろした。莉乃はもう動かなかった。
七海が安堵した途端、横から蟷螂型が襲いかかってきた。七海は反応に遅れてしまい――。
「うおおおおおおおおおッ!」
雄叫びと共に、頭上から漆黒の巨人が現れた。強化機装を装着した高城だった。
高城は落下の勢いのままに蟷螂型を殴りつけた。頭部を破壊され、蟷螂型は動かなくなった。
「高城さん!」
「おう、待たせた」
高城は生きていた。強化機装は損傷が酷く、左腕も折れているらしくダラリと垂れ下がっていた。だが、その覇気は失われてはいなかった。
「七海、よく戻ってきてくれた」
高城は頭を下げて感謝の念を伝えた。七海の痛みを知っていたからこそ、それを乗り越えることの大変さも理解していた。七海は自分自身の力で、壁を乗り越えてきた。
「高城!」
「剛毅ぃ!」
クロエが駆け寄ってきた。その横には遠藤もいた。遠藤はよほど嬉しかったのだろう。涙を流しながら駆け寄ってきた。そのまま抱きついてきた遠藤を高城は優しく受け止めた。
「まさか、生きていたとはな」
「ギリギリだったが、足掻いてみるもんだ。腕を失ったのは辛いが、命があるだけマシだろう」
高城はニヤリと笑みを見せた後、真剣な表情に戻すと、クロエに視線を向ける。
「クロエ。お前は七海を連れて有希たちの方に向かえ。装甲車が一台生きていたはずだ」
「こっちは良いのか?」
「ああ。こっちは俺たちだけで十分だ。イーターは今見えている奴らで最後だからな」
上層に残された高城が暴れたおかげで、上層にはほとんどイーターが残っていない。中層に流れ込んできたイーターも七海の一撃でかなりの数を減らしている。まだ数は多いが、七海がいなくても倒しきれる数だった。
ならば、七海をここに留めておくのは勿体ない。劣勢にある有希たちの方に回した方がいいだろう。
クロエは高城の意図を察して頷いた。
「分かった。地下シェルターは任せたぞ」
「おう、任せろ」
クロエと高城はハイタッチをする。そこには、長い間共に戦い続けてきた相棒としての信頼があった。
クロエと七海の背を見送ると、高城は周囲を見回す。沙耶と遥も高城の生存に気付いたらしく、自分の戦いに集中しつつも嬉しそうだった。
東條は護身用の小型の銃を乱射しながら高笑いしていた。鈴木はそれを見て苦笑いしつつ、ヒュドラ参型でイーターを撃っていた。
そして遠藤は、自分の懐で涙を流していた。
「怜奈、お前は東條たちの護衛を頼む」
「了解!」
遠藤は涙を拭うと銃を手に取って東條たちのもとに向かう。
「これで、後は原因体だけか……」
地下シェルターはもう問題はない。油断さえしなければ、死人は出ないだろう。
「敵は後少しだ! さっさと倒して、地下シェルターの修理をするぞ!」
高城のユーモラスな言葉に、皆が苦笑いしながら頷いた。高城の存在は、それだけで隊員たちの志気を高めていた。
高城はスコーピオン壱型を構えると、イーターに襲いかかっていく。勝利は目前。恐れる要素などどこにもなかった。
後は、有希たちの勝利を祈るだけである。




