94話 背水
上層はイーターで埋め尽くされていた。中層へのエレベーターを背に戦う高城たちだったが、イーターの数は減るどころか増えているようにも思えた。
波のように押し寄せるイーターを相手に、じわじわと追い詰められていく。
「うおおおおおおッ!」
高城は雄叫びを上げる。これ以上、下がってはなるものか。一歩でも下がってしまえば、固定砲台はイーターに破壊されてしまうだろう。そうなれば、戦力の低下は免れない。
高城はエレベーターの正面を支え、その左右を沙耶と遥、機装部隊の隊員たちが守っていた。皆が死ぬ気で臨んでいたが、しかし、イーターは増えるばかりである。
見上げれば、先ほど崩れた天井からイーターが降り注いでいた。その様は、まるで豪雨の日の滝のようだった。
(さすがに厳しいか……)
エレベーターとの距離を考えると、これ以上は上層での戦闘を続けられない。このままではエレベーターに乗り込む余裕すらなくなってしまう。
「クロエ、これ以上は抑えられん。中層へ退避する」
『……中層に、固定砲台はないぞ』
「ああ……分かっている」
固定砲台を放棄するのは辛いが、かといってこのまま呑み込まれるのを待っているわけにもいかない。苦渋の決断だった。
「総員、中層に退避ッ! 俺が支えるから、急げッ!」
高城の言葉に、隊員たちは急いでエレベーターに乗り込む。高城は地上での戦いの時と同じように、殿を務める。
イーターを捌き続けている高城の前に、一体のイーターが現れる。それは、明らかに異質な存在。他のイーターとは全く異なる、人型だった。
そして、その顔に高城は見覚えがあった。
「莉乃……なのか?」
その問いに、莉乃は答えない。ただ、無言で攻撃を仕掛けてきた。
「ぐおぉッ……!」
莉乃の機装は工作機装だ。ただでさえ力が強いというのに、イーターと化したことによってさらにその力が高まっていた。
左右の腕に組み付かれ、高城は押し返すことが出来ない。その間に、高城はイーターに取り囲まれてしまう。
「高城隊長!」
「来るなッ! 先に中層へ行けッ!」
助けに来ようとした沙耶を制止する。その鬼気迫る表情に、沙耶は頷かざるを得なかった。エレベーターを動かそうとする沙耶を見て、遥が声を上げる。
「そんな……ねえ、沙耶っち。高城隊長を助けないと!」
「でも、この状況では……」
既に、イーターはエレベーターの目の前にまで来ている。高城を助けるには、それらを倒していかなければならない。今の戦力では、高城を助けることは不可能だった。
沙耶はエレベーターを降ろすことも出来ず、高城を助けることも出来ない。十四歳の少女に、その判断をさせるのは酷だった。
高城は必死の形相で叫ぶ。
「俺に構うなッ! 任務を優先しろッ!」
高城の必死な様子に、沙耶も決断せざるを得なかった。
「ごめん、なさい……」
沙耶は震える声で謝ると、エレベーターを操作する。
エレベーターの扉が閉じられる。その向こう側では、まだ高城が戦っているのだろう。しかし、今の戦力ではどうすることも出来なかった。
エレベーターが下降するのに合わせて、皆の気分が沈んでいった。
中層に到着する。しかし、隊員たちの表情は暗かった。これまで地下シェルターを導いてきた高城がいないのだ。志気が下がってしまうのも仕方のないことだろう。
「クロエさん」
『沙耶か!? さっきから高城と連絡が取れないんだ!』
「高城さんは、私たちを中層に送り届けるために……」
『そんな、まさか……』
クロエは絶句する。冗談であって欲しいと思ったが、沙耶はこんな酷い冗談を言う人間ではない。沙耶から否定の言葉は返ってこなかった。
しばしの静寂が訪れる。中層にはまともな戦力がなく、沙耶の率いる機装部隊だけで戦う必要があった。あれだけのイーターを抑えるには、今の戦力では明らかに不足していた。
沙耶はそれでも、諦めることをしない。抗える余地がある限り、沙耶は屈しなかった。
「クロエさん。有希さんたちの方はどうですか?」
『あっちも苦戦しているみたいだ。原因体と紬を相手によくやってくれているが、厳しいかもしれない』
「そう、ですか……」
明らかに劣勢なこの状況に、沙耶は焦るばかりである。何をすればいいのか、何が出来るのかを必死に考える。
「総員、下層へのエレベーターの前へ移動してください! そこに陣形を組み、イーターを迎え撃ちます!」
隊員たちの返事は暗い。高城の存在は、彼らにとって非常に大きいものだった。
移動の際に、クロエから通信が入る。
『沙耶、負傷者はどれくらいだ?』
「軽傷者二十八、重傷者七、死亡者一です」
死亡者一は、言うまでもなく高城のことだった。
『……了解。俺も東條たちと今からエレベーター前に移動する。それまで、怪我人の治療に務めてくれ』
「分かりました」
沙耶は通信を切る。
エレベーター前に到着すると、沙耶は急いで陣形を組んだ。既に、天井にはひびが入り始めていた。
少しして、クロエがやってきた。その後ろには東條と鈴木、遠藤の三人もいる。
遠藤の表情は暗かった。高城が上層に一人残ったという報告は聞いている。そしてそれが、高城の死を表していることも知っている。
だが、その表情は絶望に囚われてはいなかった。心のどこかでは、高城が生きていることを期待していた。そう簡単に、高城が死ぬとは思えなかった。
「さて……これからどうする」
東條が問う。現状を見るに、有効な策はないように思えた。
「ここで陣形を組んで戦います。それしか、もう手はありません」
東條の予想通り、沙耶の策は有効なものではなかった。だが沙耶の言う通り、それ以外に手の打ちようがないのも事実だった。
皆がじっと天井を見つめる。徐々にひびが入っていく様はとても恐ろしい。勝機が見えなくなった今、イーターは死神にしか見えない。
「……エレベーターを、下層に降ろすぞ」
「どういうことだ?」
クロエの策に東條は首を傾げた。東條にはクロエの意図が分からなかった。
エレベーターを降ろしてしまえば、下層へ撤退するときに手間が掛かってしまう。それは、この場においては致命的だった。
それとも、退路を塞いで背水の陣で臨めということなのだろうか。それにしても、東條は納得がいかなかった。
東條はクロエの目を見つめる。そこには不安定な期待が見えた。何かを待っているのか。少なくとも、確信のあるような目には見えなかった。
「これは、賭けみたいなもんだ。このまま戦っても負けは見えている。だから、最後の希望に賭けてみようと思ったんだ」
「希望? 私に話にも思い浮かばんが……本当にあるのか?」
「ある、とは言い切れない。だが、あいつだって適応者だ。相応の覚悟を持っているはずなんだ」
クロエも迷っているようだった。自分に言い聞かせるように理由を言っているように見えた。その言葉からは全容は見えないが、何かしらの戦力が下層にいるのかもしれない。
「ふふん。その賭けに、乗ってやろう」
「いいのか?」
「言い出した張本人がそんなんでどうする。私のように、自信満々で待ち構えればいいじゃないか」
東條が胸を張って言う。
「それに、私は賭け事は物凄く強い。なあ、鈴木?」
「ええ、僕に五十連敗する程度には」
「それって、強いのか……?」
クロエは呆れつつも、いつも通りのやりとりが今はありがたかった。
クロエは気合いを入れ直す。このまま迷っているくらいなら、行動をした方がいいに決まっている。
クロエはエレベーターを下層へ降ろした。そして、皆の元に戻る。
「ふう。とりあえず、怪我人の治療は終わったよ」
遥が戻ってきた。その表情には疲労の色が見えるが、まだ戦えないほどではなかった。
やがて、天井が崩れた。その穴から滝のようにイーターが流れ込む。住み慣れた中層の町が破壊されていく様子に怒りを覚えつつ、沙耶は前へ出る。
「ここで抑えなければ、下層の民間人に被害が出ます。絶対に、抑えましょう!」
「「「「「了解!」」」」」
クロエに遠藤、東條、鈴木、遥。そして、機装部隊の隊員たちが頷いた。決死の覚悟で、地下シェルターでの最終決戦に臨む。




