90話 七海
翌日。決断からの行動は迅速だった。高城の指揮の下、地下シェルターは原因体との戦闘に備えていく。
原因体は間違いなく地下シェルターに攻撃を仕掛けてくるだろう。直接赴いてくるかどうかは分からないが、何らかの戦力を投下してくる可能性は高い。高城はそう考えていた。
第一に行ったのは住民の避難である。といっても、地下シェルターの外に避難できるわけではない。開発途中の下層に移動するだけである。
下層は開発途中であるのと同時に食料庫にもなっていたため、避難に手間は掛からないだろう。それぞれが必要最低限のものを持ち込み、下層へ移動している最中である。
そして、残る問題は一つである。といっても、高城の中では既に結論が出ていた。
「これから発表するのは、原因体と地下シェルターの戦力配分だ。これは俺が考えた配分だが、異論があれば言ってくれ」
高城は皆の顔を見回す。有希たちはまだ若いというのに、立派な戦士の表情をしていた。
自分が子供の頃はどうだっただろうか。こんなに立派な表情をしていただろうか。高城はそんなことを考えて苦笑した。
高城は表情を引き締めると、話を続ける。
「まず、原因体の討伐。これは有希、唯、舞姫の三人に行ってもらう」
その言葉に有希たちが頷く。有希は一花のためにも原因体を倒したかった。唯は有希を側で支えたかった。舞姫は長年の恨みを晴らしたかった。
高城は三人の思いを汲み取り、この人選にした。
「地下シェルターの防衛は俺が指揮する。沙耶と遥は第二部隊……今は第一だが。これまで通り部隊長と副隊長として部隊を率いてくれ」
沙耶と遥が頷く。沙耶は地下シェルターのために戦いたい。遥は沙耶の隣にいたい。後者は高城もよく理解できていなかったが、そういうものなのかと無理矢理に納得した。
「戦いは明日の朝だ。今日一日、ゆっくりと休んで英気を養ってくれ」
高城の言葉で皆が解散した。唯や舞姫は一人で考え事に耽りたいらしく、別行動だった。
有希は一人でいるのも寂しいと思った。どこへ行こうか悩んでいると、背後から声をかけられた。
「有希、このあと暇か?」
が、振り返っても人の姿はない。有希は首を傾げて再び歩き出そうとする。
「って、オイっ! 下だよ下!」
そう言われて視線を落とすと、ようやく声の主を見つけた。
「あ、クロエだ」
「あ、じゃなくてな……」
クロエはため息を吐いた。とは言いつつも、クロエもこういったやりとりを楽しんでいた。
クロエは気を取り直して、話を始める。
「暇なら、七海の所に行かないか? あいつも心配だろうしな」
「うん!」
有希はるんるんと凱旋道を歩く。まだ人の姿はあったが、いつもと比べると活気がない。
少し寂しさを感じつつ、有希はクロエと雑談しながら歩く。他愛のない話題だったが、戦いの前の緊張を解すために、少しでも喋っていたかった。
少しして、七海の家に到着した。七海もちょうど身支度を終えたらしく、避難するところだった。
「おう、七海」
「あ、クロエ。有希も」
七海は有希とクロエの姿を見て顔を明るくした。しかし、クロエがよく見れば、そこに僅かな曇りがあることが分かった。
「暇だったから来ちゃった」
「そう。あ、家に寄ってく? 避難前だから大したものはないけど、飲み物とお菓子くらいならあるよ」
「うん!」
「ああ、そうするか」
二人と一匹は家に入る。
七海の家は元々家具が少ない。七海自身がそういったものに執着がないため、身支度もすぐに整った。
七海が持って行くのは数日分の服と、ロックの掛かった箱。中に入っているのは、七海の呼びかけに応えない、破壊機装である。
未だに破壊機装は動かない。ここまできても、自分は恐怖に打ち勝てないのか。有希のような少女が戦っているのに、自分はこそこそと避難するだけ。
七海はそんな自分に嫌悪感を抱いていた。とはいえ、そんなことを有希に悟らせるわけにはいかない。七海はそんな自分を必死に押し殺して、有希たちと会話をする。
最初は他愛のない雑談だった。しかし、どうしてか話は戦いのことへと移ってしまう。そうさせていたのは七海だった。無意識にだったが、いつの間にか話を戦いに結びつけてしまっていた。
「原因体の討伐は有希と唯、舞姫の三人でやることになった」
「三人で? もう少し、戦力を回せないの?」
七海としては、三人で戦うのは無謀にしか思えなかった。十年前の戦いのことは今でも鮮明に覚えている。原因体に大剣を当てたときの感触が、今でも思い出すことが出来た。
「けど、そうするしかない。地下シェルターは、奴に気付かれてる以上は、こちらから仕掛けないといけないんだ」
波のように押し寄せるイーターを相手に、この人数ではいつまで戦えるか分からない。防戦一方になり、やがて押しつぶされてしまうだろう。
機があるとすれば今しかなかった。それに、クロエは無謀だとは思っていなかった。
「大丈夫だ、七海。有希を見てみろって」
「え?」
そう言われて、七海が視線を移す。お菓子に夢中になっている姿は、どう見ても戦いに行く前の戦士には見えなかった。
「あいつはかなりの大物だろう?」
「そう、だね……うん。そうかもしれない」
有希を見ていると、なぜだか安心できた。有希がいれば勝てると、そう思えた。そんな思考に、七海は再び自己嫌悪する。
「私だって、破壊機装を持っているのにさ。全く役に立ててないよ。ほんと、情けないよね」
「七海……」
「舞姫だって、あんなことがあったのに戦えてるんだよね。私って、どうしてこんなに弱いんだろう」
自分だけ戦えない。戦える力を持っているはずだというのに、戦えない。分かってはいるのだが、心のどこかで恐怖していた。
初めての戦いでは腕を喰い千切られた。それからの戦いでも足を引っ張ってしまい、あまり役に立てなかった。本当に、これで終わっていいのだろうか。
たとえ有希が原因体を倒せたとしても、七海の心にはずっと後悔の念が残り続けるだろう。
「七海、聞いてくれ」
「ん、なに?」
「一花は生きているかもしれない」
「えっ!?」
七海はあまりの衝撃に思わず声を上げた。信じられない、といった様子だった。
「原因体は霧型とは違うみたいだ。一花の体に、浸食された様子は見られなかった」
クロエはそう言って携帯端末を取り出した。そして、七海に画像を見せる。
「これは、昨日の夜に録画をされた視覚情報だ。画像は荒いが、一花が浸食されていないのは分かるだろ?」
「本当だ……」
七海はじっと画像を見つめる。一花は確かに無事に見える。生死に関しては不明だったが、少なくとも浸食はされていないようだった。
「一花ぁ……」
七海は思わず泣きそうになる。親友が見つかったというのに、自分はまだ戦いを恐れているらしい。破壊機装はこれでも、反応を返さなかった。
そこからは明るい話題に戻った。クロエが明るい話題に戻したのだ。七海が辛そうにしている姿を見たくなかったし、有希に心配をかけさせるわけにもいかなかった。
そうしている内に、時刻は夕方になった。
「七海。そろそろ、下層に行かないといけないんじゃないか?」
「……うん、そうだね」
七海は後ろめたそうにしていた。有希が見ても分かるくらい、七海の感情は表に出てしまっていた。
下層へ向かおうとする七海を有希が引き留めた。
「七海お姉ちゃん」
「ん、なに?」
「その、えっと……」
心配して声をかけたはいいものの、何を言えばいいのか分からなかった。七海を励まそうにも、有希には適切な言葉が浮かばなかった。
あたふたとしながら一生懸命に励まそうとしてくれる有希に七海は微笑む。
「ありがと、有希。心配してくれてるんだよね」
「うん」
「私は大丈夫だから、心配しないで。それより、自分のことを考えてね」
七海は有希の頭を撫でる。有希はくすぐったそうにしていた。
「それじゃあ、クロエ。有希をお願い」
「ああ、任せてくれ」
「じゃあ、またね。有希」
「またねー!」
手をぶんぶんと大きく振って、有希は七海を見送った。
「それじゃあ、俺も早い内に休んでおくか。明日は大変そうだしな」
「行っちゃうの?」
「悪いな。まあ、そこら辺を探せば舞姫とかもいるだろ」
「そっか。それじゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
そうして、クロエも去っていった。
住民の移動は七海が最後だったらしく、中層は静寂に包まれた。機装部隊の隊員たちも寮で思い思いに時間を過ごしているだろう。
人がいない中層の風景は仄暗くて、有希は少し寂しくなった。




