85話 足音
鈴木は東條の研究補佐として全力を尽くしていた。未だにオリジナルの機装に並ぶようなものは出来ていなかったが、開発は確実に前へ進んでいた。
鈴木がイーターの生態研究で培った知識は東條にとっても有用なものだった。今まで気が付かなかった視点から理論を見直すことで、既存の概念を根本から変えていく勢いで研究を進める。
これまでの理論とは全く異なる理論を一から組み立て、東條と鈴木は武器を開発していく。
「これならどうです?」
「うーむ、悪くはないが……ここをこうすれば……」
「なるほど、その手がありましたね」
「ふふん。私にかかれば、このくらいちょちょいのちょいだからな」
「さすがは東條さんですね」
「あ、ああ。そうだろう……」
鈴木に誉められ、いつもならばもっと誉めろと言う東條だったが、今回は頬を赤く染めて顔を背けた。当然のことながら、鈍感な鈴木は気付いていない。
二人で研究を始めてから、東條の体調は好転した。鈴木が東條の生活の管理をしているおかげで、東條もそれなりに健康的な生活を送っていた。東條は鈴木の言いつけを守り、睡眠もしっかり取っている。
まだ寝るのには抵抗はある。時間を無駄にしているような気がして、寝付こうとしても怖くて寝付けない。
だが、そんな東條のために、鈴木は東條が寝付くまでずっと側にいた。それだけで、東條は安心して眠ることが出来ていた。
最近は、イーターの出現頻度も増えてきていた。以前はレベルフォーのゲートなど滅多に現れなかったが、今ではゲートの五割がレベルフォーだった。イーターの攻撃は激しさを増してきているが、現状では有希たちの頑張りによってどうにか持ちこたえられていた。
そろそろ拙いかもしれない。そんな漠然とした不安を感じつつも、二人は開発を続ける。
理論の見直しは終わった。武器の開発も悪くないペースだ。足りないのは、時間だけだった。
必ず間に合わせる。その一心で、二人は研究を続ける。
有希と唯は七海の家に来ていた。舞姫は高城のもとに今回の出撃の報告に行っている。
あれから唯は有希に連れられて何度も七海の家に来ている。そのため、適当なところに腰を下ろしてくつろいでいた。
七海はくつろいでいる二人に声をかける。
「飲み物は何がいい?」
「私はオレンジジュース!」
「あたしはアイスコーヒーで」
「砂糖とミルクは?」
「ん、いらねーかな」
「了解」
二人の要望を聞くと、七海はキッチンに向かった。オレンジジュースは買い置いていたペットボトルのものをコップに注ぎ、コーヒーはインスタントのものを使用する。
「はい、お待たせ」
テーブルに飲み物の入ったグラスを置く。それと、二人の前にショートケーキを置いた。
唯はアイスコーヒーを一口飲む。出撃から帰還したばかりの体に冷たいコーヒーが心地よい。と、普通ならなるのだが。
(に、苦い……)
格好付けようとしてブラックで飲んだのが失敗だった。口の中に広がる苦みに顔をしかめる。
「ほら、唯」
そんな唯の様子に気が付いたのか、七海が唯に砂糖とミルクを渡す。気付くもなにも、涙目でコーヒーの入ったグラスを見つめている唯を見れば、誰でも分かるのだが。
「あ、ありがとよ」
唯は恥ずかしくて顔を赤くしつつ、砂糖とミルクを受け取った。幸いと言うべきか、有希は七海が用意したショートケーキに夢中で唯の惨状に気が付いていなかった。
それから適当に雑談をしていると、ふと、唯の視界に気になるものが映った。
「ん、なんだあれ?」
鍵の取り付けられた頑丈そうな箱は、七海の部屋の中でも浮いていた。気になった唯は七海に尋ねる。
「そうだね、唯にも見せた方が良いかもね」
そう言って、七海は箱をテーブルに移動させる。箱の中から出てきたものに、唯は目を見開いた。
「これって、機装じゃねーかよ。なんでまた、こんなところに……」
唯は疑問に思った。なぜ、七海の家に機装があるのか。しかも、これは量産型機装のようには見えない。
漆黒の腕輪は、唯の腕についているものと同じデザインだった。七海のそれは青いラインが走ってはいるものの、かつんての神速機装のように光を失っていた。
「これはね、唯の持ってる万能機装と同じオリジナルの機装の一つ。破壊機装なんだ」
七海は有希に話したことと同じことを話す。一花や舞姫と共に戦った、十年前のことを。
唯は七海の話を聞いていると恐ろしくなった。今でこそ覚悟は出来ているが、それ以前にこの話を聞いていたならば、自分は果たして機装部隊に入隊していただろうか。
どこにでもいるような少女が、突然力を与えられ、異形の怪物と戦うことになる。有希や唯はまだ訓練機関があったから良かった。しかし、一花と七海、舞姫の三人は急に戦わなければならない状況に陥ってしまった。
一花のような才のある人間ならまだ良かった。舞姫のように賢い人間ならば、戦いようはあった。七海のような普通の少女が、力を与えられたとて急に戦えるようになるはずがなかった。
その結果、七海は何度も挫折を味わうことになる。最終的に親友を失ってしまった七海は、心が折れてしまい破壊機装を扱えなくなってしまった。
全てを聞き終えると、唯は難しそうな表情で口を開いた。
「なあ、七海はもう戦えねーのか?」
「戦いたい、とは思ってるよ。でも、心のどこかで怯えているんだと思う」
「そうか……」
唯の見立てでは、破壊機装は七海にしか動かせない。有希が一花に試されたときのように、七海もまた、恐怖に打ち勝つ必要があるのだろう。
それを強いるには、七海はあまりにも苦痛を味わいすぎている。舞姫も一花を失ったことで相当の苦痛を味わっただろうが、それならば七海は一体どれだけの苦痛を味わったのだろうか。
心構えも碌に出来ぬままに戦場に繰り出され、為す術もなくイーターに腕を喰い千切られた。どれだけ頑張っても、一花のように上手くは戦えなかった。そして、大切な友人を二人も失った。
その無念を晴らしたくても、心のどこかで戦うことを忌避していた。破壊機装は、七海を認めはしなかった。
この戦いで最も傷ついているのは七海ではないか。唯は自分も相応の苦悩をしてきたとは思っているが、七海も少なくとも同じくらいには苦悩をしているかもしれない。もしかすれば、自分以上に。
「まあ、あたしたちに任せておけよ。七海が辛い思いをしなくて良いように、その分だけあたしが暴れてやる」
「唯は優しいんだね」
「いや、まあ……な」
「ありがと。でも、私も自分なりにいろいろとやってみるよ」
自分よりも若い唯に背負わせるなんて酷だ。自分だけが立ち止まったままでいたら、いずれ後悔することになるかもしれない。
七海は破壊機装を見つめる。だが、微かな反応さえなかった。自分の無力さが悔しくて、握る手に力が込められる。
「七海お姉ちゃん……」
ふと気付くと、有希が心配そうに七海のことを見つめていた。七海は心配させまいと無理に笑顔を作る。
「私も頑張らなくちゃね。ただでさえ最近はイーターが多いのに、私だけ破壊機装を持ったまま立ち止まるわけにはいかないよ」
イーターの攻撃は激しさを増している。滅びの足音はすぐ近くで聞こえていた。




