84話 負担
時刻は午後十一時。地下シェルター内は消灯され、この時間帯に起きている者はほとんどいない。数少ない起きている者の一人に、東條がいた。
東條の研究室は常に明かりが点いていた。皆が寝静まっていようと、東條は休もうとは思わなかった。
寝る時間さえ惜しい。少しでも長く時間を研究に費やしたい。自分の研究が来るべき時に間に合わなかったならば、それは人類の敗北と同義である。
寝る時間を削れば、研究に費やせる時間は大幅に伸びるだろう。食事もろくに取らず、東條はひたすらに研究を続けた。
目指すのは、オリジナルの機装に並ぶ性能の装備である。現在の技術では同じ威力が出せたとして、使用者への負担は倍以上だった。
必死に筆を走らせていると、研究室のドアが開いた。入ってきたのは沙耶だった。
沙耶は切羽詰まった様子の東條を見て、心苦しく思いながらも声をかける。
「失礼します。東條さん、報告書を持ってきました」
「ああ、そこに置いといてくれ。後で目を通す」
「分かりました」
沙耶の方を振り返ることもなく、東條はずっと紙と向かい合っていた。髪は乱れ、見た目も少し窶れてきていた。
沙耶は適当なところに報告書を置く。そして、退室する前に一度だけ東條の方を振り返る。
「……無理しすぎないでくださいね」
その言葉に、東條は頷くことが出来なかった。悲しそうに退室する沙耶に申し訳なく思いながらも、東條は研究を続ける。
しばらくして、ひどい空腹に襲われる。時刻を確認すると、時計の針は午前二時を指していた。東條は沙耶が来てからさほど時間は経っていないと思っていたが、三時間も経過していた。
「もう、こんな時間か……」
それだけの時間が経ったというのに、成果は乏しかった。そんな後悔から、東條は独り言ちた。
ふと、沙耶の報告書の内容が気になって、東條は報告書を手に取った。内容に一通り目を通すと、東條は落胆した。研究に戻ろうとするも、眠気が気になり始める。
一度眠気を意識してしまうと、途端にそれが気になり始める。昨日も一昨日も、東條は一時間の睡眠しか取っていなかった。
あと少し。あと少しだけ研究をしたら、睡眠を取ろう。東條はそうやって寝ることを何度も先延ばしにする。しかし、そんな不健康な生活は東條の体を確実に蝕んでいた。
頭が上手く働かない。ペンを持つ手にあまり力が入らない。脚が震える。呼吸が荒くなる。視界が霞む。
人前では見せないが、最近の東條はずっとこのような状態が続いていた。しかし、東條は強靱な精神力、というよりはむしろ、研究への病的なまでの執着で研究を続けていた。
「東條さん」
背後から声が聞こえた。振り返ると、そこにはいつの間にか鈴木がいた。
「うわっ。す、鈴木じゃないか。脅かさないでくれ」
東條は驚きつつも、平然を装おうとする。
「まったく。夜遅くに徘徊するなんて、本当にに不審者のようじゃないか」
「東條さん」
東條とは対照的に、鈴木の声色は真剣そのものだった。いつにもなく真面目な表情の鈴木に、東條はたじろぐ。
「ど、どうしたんだ急に。あれか、給料なら高城に相談を……」
「あなたは、無理をしすぎです。東條さん。休んでください」
鈴木は東條の様子を心配して、体を休めるように勧める。
「私はほら、こんなに元気だぞ。ふふん。ほら、この、とお……り……」
立ち上がって健康であるとアピールをしようとしたが、体が限界を迎えたのか、電池が切れてしまったように意識を失った。
「東條さんッ!」
そのまま倒れたら地面に強打してしまう。慌てて鈴木が駆け寄り、その体を抱き留める。その衝撃で意識が戻ったのか、東條はうっすらと目を開いた。
「はは、鈴木……役得じゃないか……」
「冗談を言っている暇があったら、体を休めてください。ほら、ベッドに連れて行きますから」
鈴木は東條の肩を支えながら研究室の二階へ上がる。
「ベッドに連れて行くにしては、ロマンチックじゃないな……お姫様抱っこくらい、してくれても良いんだぞ?」
「僕の細い腕じゃ無理ですね」
「そうか……頼りないなあ」
鈴木は東條をベッドに横たえる。だが、東條は研究のことが気になってしまい、寝ようにも寝られない。
「やはり、寝てはいられん……むっ」
無理矢理体を起こそうとするが、鈴木に阻まれる。
「東條さん。あなたの研究への姿勢は尊敬に値します。自己を犠牲にしてまで研究に時間を費やせる人なんて、地下シェルターにはあなたしかいない」
「ふふん、そうだろう。もっと、誉めてくれても、良いんだぞ?」
「ええ。ですが、それを見せられる周りの人間のことも考えて欲しい」
鈴木は東條の顔を見つめる。以前も、東條は生活面においてだらしないところはあった。髪も寝癖の付いたままだったし、白衣も着崩していた。
だが、それでも以前の東條は見ていられた。多少の欠陥はあるが、それだけだった。
今の東條は酷い有様だった。目は虚ろで、髪も乱れている。体は窶れ、手は震え、足取りも覚束無い。話しかけたりしても反応は薄く、近寄っても気付かないことがしばしばあった。
そんな東條を、鈴木は痛々しくて見ていられなかった。東條が全力で研究をしてくれるのは頼もしいが、度を超した努力は周りに不安を与えていた。
「鈴木。今の私は、そんなに酷いか?」
「ええ。僕よりも酷い顔をしていますよ」
「はは、そうか……それは、大問題だな……」
鈴木の自虐に東條は小さく笑った。
「だが、私はどうにも寝られん。研究のことが、頭からずっと離れんのだ……」
「目を瞑っていれば、そのうち寝られますよ」
「それが出来れば苦労はしないんだがなあ……」
東條は大きくため息を吐いた。
「鈴木。私は怖いんだ」
「怖い?」
「ああ。鈴木、あの時の会議を覚えているか?」
「舞姫さんが倒れた日……ですね?」
「そうだ。舞姫が抱え込んでいることに、私は気付けなかった。自分の作った武器がそこまで負担を与えているとは思いもしなかった」
「それは、東條さんのせいではないですよ」
「いや、私が悪い。質の低い武器を何個も作っていた、バカな私が悪いんだ……」
自嘲するように東條は嗤った。そんな東條の言葉に、鈴木は自分の耳を疑った。自分に絶対の自信を持っていた東條が、自分を蔑むような言葉を発したからだ。
鈴木は東條と十年近い付き合いだったが、東條が自虐的になっている姿を見るのはこれが初めてだった。
「東條さん……」
それほどまでに東條は追い詰められているのか。鈴木は東條を見つめる。
「このままでは、地下シェルターは滅ぶかもしれない。せっかくの良い人材も、武器が無くてはまともに戦えない」
沙耶の報告書の内容を思い出す。その性能は、オリジナルの機装には遠く及ばない。
「東條さんは、一人で背負いすぎです。僕だって、あなたの研究を手伝えるというのに」
「こんな時間まで付き合わせるのは、なんだか申し訳なくてなあ……」
「僕だって研究員です。武器開発は専門ではないですけど、役に立てることだって十分あります」
「鈴木……」
「明日から、僕は東條さんに付きっきりで研究の補佐をします」
「しかし、お前の方のイーターの生態研究は……」
「高城隊長に頼んで、別の人に引き継いで貰うことにしました」
「そこまでしているのか」
「はい。あなたが心配ですからね」
そう言って、鈴木は微笑んだ。本人は爽やかな笑みを浮かべているつもりだが、不審者そのものだった。
しかし、鈴木の思いは確実に東條の心に響いていた。
「はあ。お前がイケメンだったらと、何度思ったことか……」
東條は冗談めかして言った。
久々に、東條は熟睡することが出来た。




