64話 初陣
『そろそろ目的地に着くから、準備してくれ』
クロエから通信が入る。有希は七海の弁当を食べたおかげで緊張が解れ、程良く脱力した状態で戦いを迎える。ちらりと隣を見れば、やや緊張した面持ちの唯が万能機装を見つめていた。
唯はふう、と息を吐いた。そして、席から立ち上がる。
「万能機装――装着!」
唯の周囲に漆黒の装甲が展開される。胸部の輪っかは改善され普通の装甲となり、唯の要望もあり、全体的に刃物のような鋭さを感じさせるデザインになっている。
とはいえ、舞姫に止められていたこともあるため性能は無理のない程度に高められている。東條の技術によって、唯が耐えられるであろうラインまで強化を施してあった。
装甲の装着が終わると、その漆黒に深緑の光が走った。翼を展開させ、軽く体を動かす。
その横で、有希が神速機装を高々と掲げた。
「神速機装――装着!」
有希の周囲に漆黒の装甲が展開される。限界まで速さを求めたため、その装甲は薄く、守る面積も少ない。神速機装は相手の攻撃を躱すことを前提としているためだ。
装着が終わると、その漆黒に赤い光が走った。翼を展開させ、有希はふうっと息を吐いた。
『ゲートの百メートル前で降ろす。周囲に敵はいないが、ゲートから敵の反応があるから気をつけてくれ』
「「了解!」」
『二人とも、頼んだぞ』
クロエの声と同時に、装甲車のドアが開いた。二人はそこから外へ飛び出す。
「うわぁ、空だ」
空は晴天だった。なんの変哲もない空だったが、有希はそれに感動する。
「眩しいな」
唯もまた、空を見上げて感動していた。流れる雲を眺めていると、すぐに時間が流れてしまいそうな気がした。
二人は幼い頃から地下シェルター内で暮らしていた。それより以前にはイーターもいなかったため空を見たことがあったのだが、その時の記憶はほとんどなかった。
目の前に広がる青い空。流れる雲。燦々と輝く太陽。岩盤を見上げていた生活が長かったせいか、初めて見るもののように思えた。
だが、いつまでも眺めているわけにはいかない。二人は視線をゲートに向ける。
廃墟の中で、異様な存在感を放っていた。黒い靄のようなものが渦を巻いている。それがぐにゃりと歪んだかと思うと、そこからイーターが現れた。次々と現れたイーターは、五十体ほどだった。
『犬型が三十、鳥型が二十だ。それと、ゲートの中にまだ反応があるから気をつけてくれ』
「了解!」
と、有希が応えている間に唯が飛び出していった。両手に装備した巨大な爪に光を走らせ、一呼吸の内に敵中に飛び込む。
「らぁッ!」
両腕を大きく広げ、体を独楽のように回転させて爪で横凪にする。僅かな間の後、周囲にいた犬型が崩れ落ちた。
そこから休む間もなく、唯は次の標的を定める。万能機装の機動力を活かしながら、確実に敵を仕留めていく。
出遅れてしまった有希は慌てて敵陣に飛び込んでいく。唯が地上で暴れているため、空中にいる鳥型に狙いを定めた。
「いくよ!」
翼を大きく広げ、有希は鳥型に飛びかかる。鳥型が躱そうとするが、有希の槍の方が速かった。そのまま槍で突き刺すと、有希は勢いをそのままに別の鳥型へ向かっていく。
地上と空中でそれぞれの強みを活かしながら戦う二人。高城の訓練の成果もあって、有希も大量の鳥型を相手に善戦していた。
やがて、有希が最後の一体を片付ける。地上では既に戦い終えていた唯がゲートを見つめていた。
「なんか不気味だな……」
黒い靄が渦巻いているのを見ていると、吸い込まれてしまいそうな不安に陥る。体が本能的に危険なものだと感じていた。
有希と唯は、ゲートの正体を鈴木から聞いている。霧型と呼ばれる特異なイーターが変形したもので、ゲートは内部で様々なイーターを生み出す。
現状ではイーターの目的などは一切分かっておらず、ただこちらを襲ってくるという程度の情報しかない。知能があるのか、会話は可能なのかは鈴木を中心に研究しているものの、詳しいことは何一つ分かっていなかった。
唯の横に、鳥型と戦い終えた有希がやってきた。息が上がっており、疲弊しているのが目に見えて分かった。
「随分と疲れてるじゃねーか」
「まだ、だいじょうぶ、だよ」
「そんな苦しそうに言われてもなあ……」
唯は困ったように眉を顰めた。
「おい、クロネコ」
『誰がクロネコだ! いや、黒猫ではあるけど……って、そうじゃなくて! 俺にはクロエっていう名前があるんだぞ!』
「んなことどうでもいいっての。それよりよ」
『どうでもいいってそんな……はあ、なんだ?』
「有希は休ませとけ。残りはあたしが殺る」
『そうだな……有希、装甲車の方まで下がってくれ』
「ううん、まだ戦えるよ」
クロエが促すが、有希は首を横に振った。
『無理をしない方が良いぞ。それに、残りの一体は反応からして蜘蛛型だろうからな』
蜘蛛型と聞いて、有希は少し言葉に詰まってしまう。訓練でも有希はまともなダメージを与えられなかった相手である。犬型や鳥型が相手ならば手こずらなくなったが、蜘蛛型が相手となると有希には厳しかった。
だが、有希は食い下がる。
「私は戦えるから。信じて、クロエ」
『そう言われてもな……』
有希は譲れないようだったが、クロエもクロエで譲れなかった。かつて、一度引き留めた一花たちを熱意に負けて出撃させ、結果は壊滅。まして有希は初陣である。戦いになれてすらいない有希に許可を出せるはずがなかった。
だが、有希は断固として頷かなかった。
このまま休んでしまったら、自分はその程度。困難に立ち向かってこその機装少女である。有希の憧れた一花は、どんな状況でも一歩も引かなかった。
「ったく、仕方ねーな」
その熱意に負けたのはクロエではなく唯だった。
「有希が死なねーように、あたしが後ろで見ててやる。けど、多少の怪我は自己責任。それでいいだろ?」
「ありがとう唯ちゃん!」
「うわっ、だ、抱きつくなよ!」
ガバッと抱きついてきた有希に唯は動揺する。
『はあ、分かった。けど、少しでもやばいと思ったらすぐに唯に任せろよ』
「了解!」
有希は槍を構えると、ゲートの方へ向かっていく。その少し後ろに、いつでも助けに行けるようにと唯がついていく。
ある程度近づいたあたりで、急に空気が重たく感じた。ピリピリと肌に突き刺さるような視線を感じる。
やがて、それは黒い靄の中から姿を現した。光沢のない金属のような、黒く冷たい体。その巨体は、二人が乗ってきた装甲車と同じくらいか、それよりやや大きいくらいだ。妖しく光る赤い複眼は、二人の姿を映していた。
「これが、実物の迫力かよ……」
唯はぶるりと身を震わせた。放たれる殺気だけでその恐ろしさが伝わってくるようだった。だが、舞姫の殺気を知っていたおかげか、動けないほどではなかった。
『二人とも気をつけろッ! そいつは特異個体だ!』
そう言われて、唯はようやく気づいた。赤い複眼も、異様なまでの巨体も、放たれる殺気も何もかもが訓練の時とは違う。それよりも上の何かを相手にしているような気がした。
「蜘蛛型の特異個体……恐怖の目かよ」
『そうだ。今まで何度か遭遇しているが、どれも普通の蜘蛛型より格段に強かった』
「はっ! それはまた、腕が鳴るじゃねーか」
目をギラギラと光らせて好戦的な笑みを浮かべる。殺気に当てられて固くなった筋肉を解すように、唯は肩をくるりと回した。
『そいつはかなり厄介だ。有希、さすがにお前の手には負えないから下がってくれ』
「お願い、私に戦わせて」
『けどな……』
「はあ……ったく」
再び問答を始めた二人、というか一人と一匹に呆れ、唯は盛大にため息を吐いた。
「一度決めたんだからごちゃごちゃすんじゃねーよ。あたしが後ろで見てるから、クロネコはしっかり有希のサポートをしてやれよ」
『あ、ああ。分かった』
こうして、有希と特異個体の蜘蛛型との戦いが始まった。




