59話 酷使
舞姫は地上へのエレベーターに乗り込むと、クロエと通信する。
「出口付近にイーターはどれくらいいるかしら?」
『少し離れたところに犬型が数体いるくらいだ。ゲートとは違う方向だし、無視してもいい』
「分かったわ」
地上の様子を伝えると、クロエは手元のタブレット端末を操作する。地上へのエレベーターは誰かが間違って使用したり悪用されることを防ぐため、クロエや高城などの重役にのみその権限を持っている。
今回向かうのは北に十キロほどの地点である。第一部隊と第四部隊が合同で任務に当たった際は数日かけて慎重にゲートを破壊する予定だったが、今の舞姫には慎重に進めるだけの時間はない。
少数ながらも帰還出来たのは幸いだが、その代わりにイーターに地下シェルターの方向を教えてしまった。ゲートを破壊して残党も殲滅しなければ、いつ地下シェルターに侵攻してくるかも分からない。
エレベーターが上昇を始める。舞姫はすうっと息を吸い込むと、その機装を高々と掲げた。
「殲滅機装――装着!」
装甲が周囲に現れると、舞姫に装着されていく。デザインは十年前と変わらないが、性能は遙かに上を行く。
そしてなによりも注目すべき点はその武装にあった。常に改良を重ね続けている銃は、二十という数を誇る。二本のライフル型と、十八の様々な銃は、舞姫に圧倒的なまでの火力を与えた。
二本のライフル型を手に持ち、残りの銃は彼女の周囲に浮遊する。殲滅機装の装備が展開され終わると、それら全てに黄色い光が走った。
エレベーターが地上へ到着すると、舞姫は背中の翼を展開する。そこから一歩踏み出せば、戦場である。
エレベーターを出ると、辺りは夜の闇に包まれていた。夜の闇の中で光を放つ舞姫の姿は、さながら煌々と輝く月のようだった。
だが、その表情には月のような穏やかさは存在しない。そこにあるのは、仇を討たんとする鬼の形相。イーターに向けられた強烈な殺意。
しかし、その内側に秘められているのは、どこまでも深い悲しみであった。
「行くわよ……!」
力強く踏み込み、舞姫は闇の中を駆け出した。地を行く姿は流星の如く、凄まじい速度だった。
『前方に蟷螂型が二体と、犬型が十体。それと鳥型が五体いる。後十秒したら視認出来るはずだ』
「了解」
舞姫は頷く。舞姫は既に気配だけでもおおよその数は把握出来るが、クロエのレーダーがあるに越したことはない。その方が、体力の消耗を僅かだが抑えられる。
十秒が経過すると、前方にイーターの姿が見えた。舞姫はその位置を正確に把握すると、イーターの数に合わせて十七本の銃を前方に向ける。
「邪魔なのよッ!」
銃口から撃ち出された光弾は、寸分の狂いもなくイーターに命中する。舞姫がその場所を通過するときに立ちふさがることは、何者であっても許されない。
幾度となくイーターが現れるも、舞姫はそれを悉く蹴散らしていく。圧倒的なまでの火力を前に、並のイーターでは成す術がない。
「今は何キロ地点かしら?」
『ちょうど五キロだ。まだいけるか?』
「余裕よ」
舞姫は涼しげな声でそう返すが、実際には余裕はなかった。
舞姫は感覚的に自分の身体の状況は把握できている。まだ半分しか移動しておらず獅子型や蜻蛉型とも遭遇していない。だが、舞姫は既に半分以上消耗していた。
つうっと舞姫の額を汗が伝った。思ったよりも消耗が早いことに焦りを感じる。何度も戦闘を繰り返すが、本命の新種は現れない。
『そろそろゲートが見えてくるはずだ。獅子型一体と蜻蛉型十体が守っているみたいだ』
「そう……纏まっているなら、探す手間が省けて好都合ね」
『……舞姫、無理だけはするなよ』
「……分かっているわ」
クロエは間違いなく察している。舞姫はそう思った。十年以上の付き合いになるのだから当然とも思ったが、ならばクロエは何故、自分が過剰に強化するのを止めないのだろうか。
舞姫の疑問はすぐに解消される。
『一花の仇を討ちたいのは分かる。だが、それにしたってお前は無理をしすぎている』
「仇? 違うわ。一花はまだ生きている。助けるのよ。そのためなら、この程度はなんてことない」
『……そうか』
クロエは舞姫の気持ちを理解しているからこそ、自己を犠牲にしてまで一花を救おうとする舞姫を止めずにいた。止められずにいた。もし自分が同じ立場ならば、舞姫と同じことをしただろう。そう思ったからだ。
クロエには舞姫のように戦うことは出来ない。機装を扱うことは疎か、ヒュドラ参型のような武器すら扱えない。猫であるクロエには、戦う術はなかった。
だが、クロエには舞姫をサポートする事が出来る。レーダーで索敵をし、その情報を通信で伝える。その仕事こそ、クロエがイーターに抗う方法である。
「私は死なないわ。安心して」
『そう、だな……ああ、分かってる』
舞姫の言葉にクロエは頷いた。
少しして、獅子型の姿が見えてきた。先ず目に付くのはその体の大きさだった。生き物とは思えないほどの体躯は、並の人間では動けなくなるほどに威圧感があった。
その姿から、武器に成り得るのは前足と後ろ足、それの牙だろう。舞姫は見当を付けると、獅子型に向かって駆け出した。
手始めに二本のライフル型で攻撃をする。全力ではないにせよかなりの威力を誇る一撃は、相手が蜘蛛型であろうと難無く葬ることが可能だ。
その選択は、舞姫に油断が無いことの証である。小手調べにしては過剰かもしれないが、命のやりとりにおいてはそうも言っていられない。
二つの閃光はそれぞれ獅子型の左右の前脚に命中する。だが――。
『なっ!? 今のを弾いただと!?』
クロエが信じられないといった表情で悲鳴を上げた。
前脚を振る。たったそれだけの動作で舞姫の放った閃光が弾かれた。脚には僅かな傷が付いただけで、致命傷にはほど遠い。これでは倒すことは不可能だろう。
それは舞姫にとっても予想外であったらしく、驚きを隠せずに目を見開く。
「これは厄介ね……」
舞姫は眉を顰めて呟いた。弱音を吐くのはあまり好ましくないが、聞いているのは理解者であるクロエだけである。虚勢を張るよりも、自分の感覚を正確に伝える方が重要だと舞姫は判断した。
『いけそうか?』
「不可能ではないわね。ただ……」
舞姫はそこで言葉を切ると、その場から飛び退いた。その僅か後に何かが舞姫のいた場所を通り過ぎた。
「羽虫が、鬱陶しいのよ」
視認すら困難な速度を誇る蜻蛉型が十体。その速さはクロエのレーダーでは捉えることが難しく、舞姫は蜻蛉型に対して自身の能力のみで対応せざるを得ない。
『舞姫、厳しいようならすぐに撤退してくれ』
「問題ないわ。いくら速くても、一花よりは遅いから」
そう言って舞姫はライフル型を構える。そして、周囲に浮遊する十八の銃を円を描くように引き寄せる。
「――変則機動」
変則機動――火力を低下させる代わりに十八の銃をブースターとして使うことで、神速機装のような速さと万能機装のような機動力を得る、舞姫が独自に編み出した戦法である。
その特徴はやはり、十八の銃をブースターとして使用することだろう。速さと機動力を兼ね備えた構えは、蜻蛉型を相手にしても戦うことが可能だ。
蜻蛉型の気配を感じて舞姫がサイドステップで躱す。その一瞬後に蜻蛉型が舞姫のいた場所を通り過ぎた。
舞姫は止まらない。地面に閃光を撃ち込むことで、その反動を利用して大きく飛び上がった。横に躱した舞姫を狙っていた蜻蛉型はそのまま閃光に衝突し、跡形もなく消え去る。
「大したこと無いわね」
呟くと同時に、舞姫は左側の銃から閃光を撃ち出す。直進してきた蜻蛉型は避けられずにそのまま閃光に飲み込まれた。
残りは八体。ズキリ、と脳に痛みが走る。だがまだ戦いを続けられる程度の痛みだ。舞姫は頭痛を意識の外に追いやると、銃を構える。
蜻蛉型は二体やられたことで警戒しているのか、なかなか仕掛けてこない。舞姫から一定の距離をとって機を窺っているようだった。
『舞姫、背後から獅子型が来るぞ!』
その言葉を聞くと、舞姫は後方に全ての銃を向け、斉射する。二十の閃光が束ねられ、一つの閃光となる。舞姫の最大火力である斉射は獅子型の身体を飲み込んだ。
『やったか……?』
「まだよ。アレはそんなに脆くない」
舞姫の全力の一撃を振り払い、獅子型が吼えた。その身体には無数の傷が付いているが、どれも浅い。獅子型の動きは少しも鈍らない。
後方への斉射により、必然と舞姫の身体は前方に押される。そこを狙うように、八体の蜻蛉型が一斉に向かってきた。それを見て、舞姫は不敵に笑みを浮かべる。
「――それは愚策よ?」
舞姫が変則機動を解除する。自由を取り戻した十八の銃は舞姫を守るように展開される。銃口は外側に向けられ、全方位への射撃を可能とする。
全ての銃の引き金を同時に引く。撃ち出された閃光は三体の蜻蛉型を貫くが、残りの五体は閃光を避け、そのまま舞姫に突撃する。
だが、舞姫に不覚は無い。舞姫がライフル型を薙ぎ払うように振り回すと、十八の銃もそれに合わせて動く。死角のない攻撃に、蜻蛉型は残らず殲滅された。
「うぁッ……くぅ……!」
『舞姫!? 大丈夫か!?』
「ぐぅッ……っあぁ……へ、平気よ……」
意識の外に追いやっていた頭痛が再び姿を現した。舞姫は頭を押さえつつも、残る獅子型に意識を向ける。いつの間に回復したのか、先ほどまでに舞姫が与えていた傷が無くなっていた。
「面倒ね、回復しているわ……」
『あれだけの強さに、回復まであるなんてな。これは厄介だ……』
移動時での戦闘や蜻蛉型の相手をしたことも合わさり、舞姫の疲労はかなりのものだった。いつ倒れるか分からない程度には消耗していた。
『舞姫、一度撤退してくれ。そのまま戦闘を続けるのは厳しいだろう?』
「……いいえ、まだ……まだ、いけるわ……」
『その消耗じゃ無理だ! 獅子型を倒す前にお前が倒れるかもしれないだろ!』
クロエが説得を試みるが、舞姫は頷かない。
「ッ……はあ、はあ。クロエ……」
『なんだ?』
「一撃、大技を撃つわ。それなら、仕留められると思う……」
『斉射してもあのダメージだったろ? それ以上にダメージを与える術はお前には……』
「あるわ。威力だけなら、斉射より遙かに強力よ」
舞姫は断言する。その表情には自信に溢れていた。
「けれど……」
『なんだ? 何か問題があるのか?』
「ええ。一度撃ったら、動けなくなると思う」
『そうか……分かった』
クロエは僅かな間考え込むと、頷いた。舞姫ならば、原因体を倒すまでは死ぬような真似はしないだろうと考えたからだ。
『沙耶と、他に何人か今動けるやつをそっちに送る。少し時間はかかるだろうから、撃つのは少しだけ待ってくれ』
「分かったわ。適当に獅子型の相手をしているから、タイミングが来たら教えて」
『了解!』
通信を切ると、舞姫は目の前にいる獅子型に集中する。沙耶たちが全力で駆けつけるとしても、十キロの距離はかなり遠い。沙耶たちの安全も考慮すると、少なくとも五分は時間を稼ぐ必要があった。
しかし、獅子型はその時間を待つことはない。巨体に似合わぬ俊敏さで舞姫を翻弄しつつ、その巨大な足で舞姫に襲いかかる。
対して、舞姫はこれ以上の消耗を抑える必要があった。既にかなり消耗しており、頭痛も悪化してきている。そんな中で大技に備えて余力を残すのは至難の業だ。
獅子型の攻撃は全てが致命の一撃。掠りでもすればそれだけで身が細切れになるだろう。それほどの相手を前にして、舞姫は全力を出すことは許されない。
牽制として光弾を撃ったとして、獅子型には傷一つ付かないため意味がない。迫り来る獅子型の爪を最低限の力で回避しながら、舞姫は沙耶たちの到着を待つ。
どれだけ時間が経過しただろうか。時間にして二分しか経っていないが、本人にとっては数十分のように思えた。
そして、遂に通信が入る。
『舞姫! 今沙耶が先行してそっちに向かっている。すぐに到着するだろうから、キツかったらもう撃ってくれて構わない』
「そうね。なら、そうさせてもらうわ」
舞姫は獅子型から距離を取る。少なくとも一呼吸では間合いを詰められない程度には離れたため、獅子型の不意打ちはないだろう。
すうっと息を吸い込む。その視線は常に獅子型に向けられている。
舞姫は右手を高々と掲げると、その言葉を紡ぐ。
「これで終わりよ――模擬神速機装!」
右手から光が溢れ出す。現れたのは神速機装の武装である槍だった。見た目は同じであるその槍は、しかし、神速機装のものとは威力が桁違いであった。
舞姫はその槍を見つめる。その表情は穏やかだ。
この槍は舞姫が東條に頼んで作ってもらった代物である。威力を限界まで高めた槍は、東條が持ちうる技術を総動員して作り上げた、使用者への負担を何一つ考えずに作られた武器である。人が扱うことなど何一つ考えられていない。
舞姫はその穂先を獅子型に突きつけるようにして構える。その構えは、かつて見た一花のものを再現している。
一花の構えと異なる点を上げるとすれば、舞姫の構えには背中に翼が生えていることだろう。その翼は舞姫の持つ全ての銃を合体させた、強力なブースターである。
「舞姫さん!」
よほど急いできたのだろう、息を切らした沙耶がいた。会議に参加していた沙耶は舞姫の出撃も知っていたため、クロエから要請が来てすぐに出撃することが出来たのだ。
舞姫はその姿を確認すると、すぐに獅子型に視線を戻した。獅子型は舞姫の持つ槍を警戒しているようだが、戦う意志はあるようだった。
槍を構えた舞姫に、機を窺う必要はなかった。こちらを警戒して身構えている獅子型など、巨大な的にしか成り得ない。
「――いくわよッ!」
背中の翼が舞姫の後方に巨体な閃光を撃ち出した。その身に大きな負担となるであろう斉射を全て推進力に変えたとき、舞姫は直線の移動においてのみ、一花と同等の速さを得る。
その攻撃は刹那。視認することは不可能な速さを誇る一撃は、異常なまでの性能の槍の威力と合わさり必殺の一撃となる。
目の前で何が起きていたのか。沙耶はまるで理解が出来なかった。舞姫が槍を構えたかと思えば、いつの間にか獅子型が倒れていたのである。
部隊長という肩書きを持つ沙耶は、自分の実力に相応の自信を持っていた。しかし、目の前に広がる光景は何であろうか。今の沙耶には、その過程を見ることすら出来ない。ただ、その結果を受け入れることしか出来なかった。
「うぁッ……っぁぁぁあああああッ!」
そしてまた、それだけの一撃を放つには相応の代償が必要であった。体も脳も限界まで酷使され、舞姫の変身が強制的に解除される。声を抑えることも出来ぬ痛みに苛まれ、舞姫は地に伏し悶える。
「舞姫さん!? クロエさん、これは一体……?」
舞姫の元に駆け寄りながら、沙耶はクロエに尋ねる。舞姫が無理をしてまで戦っていたという事実を、沙耶は知らなかった。
『……後で事情は話す。もうじき増援が来るだろうから、今は舞姫を守ることだけを考えてくれ』
「了解」
沙耶は頭を押さえて苦しみ悶える舞姫を見守りながら、増援を待つ。常に力強くあり続けた舞姫がこんなにも弱々しく呻いているのを、沙耶は信じることが出来なかった。同時に、舞姫にこれほどまでの負担をかけさせなければならない現在の状況に。そして、自身の無力さに苛立ちを募らせる。
少しして増援が到着すると、沙耶は舞姫を彼女たちに任せる。
少し離れた位置にあるゲートへ向かう。ゲートに向けて構えると、引き金を引いた。撃ち出された光弾はゲートを撃ち抜いた。
こうして、新種のイーターとの戦闘は勝利で終わった。だが、舞姫のただならぬ様子に、この先どうなるのだろうかと沙耶は不安を抱いた。




