52話 再来
リラクゼーションルームを出た三人は四階へ上がる。階段を上りきると、同時に美味しそうな匂いが漂ってきた。
「食堂だ!」
有希が嬉しそうに声を上げる。現在の時刻は十八時。空腹が気になってくる時間帯だった。
「ここは見ての通り食堂です」
「広いんだね」
「そうですね。女性寮の全員が入れるようになっているので、席が取れないと言ったこともないんですよ」
食堂の中を有希が見回す。食堂の中にはかなりの数がいたが、それでも余裕があるらしく、空いている席が十分にあった。
「沙耶ちゃん。私お腹空いたよ」
「そうですね。時間もちょうどいいですし、夕食にしましょうか」
「やった!」
有希が諸手を挙げて喜ぶ。
「あちらの端末で注文をして、向こうのカウンターで受け取ります」
「なるほど」
端末の方まで行くと、早速有希が操作を始める。
「あ、これ美味しそう!」
「それ、ですか?」
「うん!」
有希が目を付けたのは激辛鍋一人前である。湯気だけで目が痛くなり、匂いを吸い込むと鼻や喉が痛くなると言われているそれは、過去に完食した者がいない代物だった。
以前に舞姫が挑戦したこともあるのだが、その辛さに耐えきれず涙目になって逃げ帰ったほどだった。
「あまりお勧めは出来ませんが、有希さんが良いのなら……」
激辛鍋を選んで喜んでいる有希を見て、沙耶も苦笑いするしかなかった。
「私はサラダと玄米ご飯と……あとは冷や奴っと」
「沙耶ちゃんはお肉食べないの?」
「ベジタリアンって訳ではないんですけど、さっぱりした食べ物が好きなんですよ。サラダにささみも入ってますし」
「健康に良さそうだね」
「そうですね。それもあるかもしれません」
沙耶と有希が会話をしている間に唯が選ぼうとするが、なかなか決まらないでいた。
「唯さんはどれにするんですか?」
「どれにすっかなぁ……」
端末に表示されたメニューを見て唯が考える。
「さっぱりしたやつよりか、こってりしたやつがいいな……」
端末を操作しながら何にするか考える。それから五分ほど経過するが、唯はまだ決まらない。
「うーん、これもいいけど、こっちもなぁ……」
どうやら、唯は優柔不断らしかった。いくつか候補は決まっているようだったがその中から選ぶことが出来ずにいた。
悩んでいる唯に沙耶が声をかける。
「あの、唯さん」
「ん、なんだよ」
「後ろに人が並んでいるので、早めにお願いします」
「え?」
そう言われて唯が振り返ると、既に結構な人数が並んでいた。夕食時だったため、空腹のまま待たされている少女達はぴりぴりしていた。
大勢の鋭い視線が突き刺さり、唯は慌てて端末を操作する。だが、慌てすぎたのか選択を誤ってしまう。
「あ……」
何の因果か、再び激辛鍋一人前が画面に映し出されていた。それを見て、唯は固まる。
「お、おい沙耶。キャンセルボタンはどこにあるんだよ?」
「キャンセルはちょっと面倒なんですよね。注文した瞬間に厨房の方に内容が送信されるので、厨房の方に行く必要があるんですよ」
キャンセルという言葉に、後ろに並ぶ少女達が殺気立った。待たせた挙げ句キャンセルなんてするな、というプレッシャーが唯にのし掛かる。
キャンセルをする事によって厨房の方で手間を取らせてしまう。それは、後ろに並ぶ少女達を更に待たせるのと同義だ。唯はキャンセルという選択肢を選べなかった。
「そ、そうかよ……。まあ、鍋の一つや二つくらい、どうにかなるだろ」
唯はそう言うが、顔色が悪かった。唯は辛いものが大の苦手だった。
しかし、後ろに並んでいる人数を見ると、キャンセルをするのは気が引けてしまう。これだけの人数を待たせるのは、唯といえども躊躇ってしまう。
結局キャンセルする事も出来ず、カウンターの方へ向かうことになった。
「あっ!」
カウンターの順番待ちをしていると、有希が何かを思い出したように声を上げた、
「どうました?」
「あのね沙耶ちゃん。私、お金を持ってきてなかったよ」
「ああ、それなら心配は要りませんよ」
「え? どうして?」
「この食堂は機装部隊専用なので、特にお金もかからないんですよ」
「好きなだけ食べてもお金がかからないの?」
「もちろん大丈夫ですよ。機装部隊の特権ですからね」
「やった!」
有希が諸手を挙げて喜ぶ。
「じゃあ、デザートも選んでくるね!」
と言って、端末の方へ有希が走っていった。
それぞれが自分の注文した食べ物を受け取ると、テーブルに置いた。
「おい、どうなってるんだよ……」
唯が自分の目の前に置かれた鍋を見て固まる。赤く染まったスープの中には様々な具材があったが、唯にはその姿がマグマに呑み込まれるように見え、戦慄する。
多少の辛さなら我慢しようとは思っていたが、それは想定外の見た目をしていた。あの舞姫が逃げ帰る。その言葉の意味を、唯はようやく理解した。
唯は横にいる沙耶を見る。私は何も出来ませんと言わんばかりに無言で食べていた。よほど激辛鍋とは関わりたくないようだった。
沙耶が食べるさっぱりとしたメニューが今は羨ましく思えた。
反対側に視線を移すと、唯は驚いて声を上げる。有希の激辛鍋がかなりの量減っていたからだ。有希は美味しそうに赤く染まった具を食べ進めていた。
「おい、有希。辛くねーのかよ?」
「うーん、ちょっと辛いくらいかな」
「そう、なのか……」
唯は視線を激辛鍋に戻す。見た目は恐ろしく辛そうに見えたが、もしかしたら身構えるほどのものではないのかもしれない。匂いは鼻や喉が焼けそうなほどだったが、気のせいなのかもしれない。あの子どもっぽい有希が余裕で食べられるのだから、自分が食べられないわけがない。
唯は有希に対抗心を燃やす。鍋の一杯や二杯くらい、これからの戦いの日々のことを考えればどうってことないだろう。自分を勇気づけ、恐る恐る一口食べてみる。
「んぅ!?」
口に含んだ途端、舌にズキリと痛みが走った。じわじわと汗がにじみ、体がどんどん熱くなっていく。
唯は慌てて水を手に取り、飲み干す。しかし、それでも少し痛みが緩和される程度で完治には至らない。
「な、なんで有希はこんなの平気で食えるんだよぉ……」
涙目になりながら有希の方を見る。有希の方の鍋は唯のそれと特に違いはない。だというのに、有希は辛さを感じないのかというほど涼しげな表情で食べ進めていた。
「くそっ、やってやる!」
唯は負けてはならないともう一口食べる。その一口は先ほどと比べるとかなり小さかった。だが、唯へのダメージは変わらない。
泣きながらも唯は必死に食べ進める。だが、一口一口が小さいせいか、なかなか減っているのが感じられなかった。
「あの、唯さん。そろそろ、次の場所に行きましょう」
「……うぅ、ふぇ、ひっく……」
泣きながら鍋を食べ進める唯の姿はとても痛ましかったため、沙耶が助けの手を差し出す。唯はよほど辛かったのか、ついに泣き出してしまった。
鍋はまだ半分以上残っていたが、それはデザートを食べ終えた有希が難なく平らげた。
激辛鍋の一件により、唯の中で有希の評価が少し上方修正された。




