49話 飴玉
少しして、沙耶のタブレット端末がピピッと音を鳴らした。沙耶が受信したメッセージを確認してから頷いた。
「会議が終わったみたいです。高城さんの所に行きましょう」
「うん」
有希か返事をする。唯は部屋の端の椅子に腰掛けて考え事に耽っていており、声が聞こえていないようだった。
「唯ちゃん」
「うおっ!? なんだよいきなり」
「さっきから声かけてたよ?」
「そ、そうかよ。悪かったな」
唯は舞姫のことは一度置いておくことにした。取り敢えずは現状維持で行くことにしておき、思考を切り替える。
二人が支度を終えたようだったので、沙耶が外に出ようとする。が、戦闘訓練室のすぐ前にあるテーブルに飴が置いてあるのに気づき、首を傾げた。
「有希さん、忘れ物ですよ?」
「あの飴は忘れ物じゃないよ」
「そうなんですか?」
「うん。気にしなくていいよ」
「はあ、有希さんが良いのなら私は構いませんが……」
沙耶は何かしら意図があるのだろうと思い、深く考えずに置いておくことにした。
三人は待合室から外に出ると、エレベーターの方に向かっていった。
隣の部屋から有希たちの気配が消えた。舞姫はそれを感じ取って安心すると同時に寂しくなった。
『形式を選択してください』
「エンドレス制で」
『了解しました』
普段は何とも思わない感情の無いAIの声も、今日だけはなぜだか冷たく感じた。
『フィールドを選択してください』
「……廃墟で」
『了解しました。形式、エンドレス制。フィールド、廃墟。選択はこれでよろしいですか』
「ええ、大丈夫よ」
『了解しました。それでは、準備に入ります。機装を装着してください』
舞姫は手首に付けた殲滅機装を高々と掲げる。かつて一花がやったように、天に突き出すように構える。
「殲滅機装――装着!」
舞姫の服が黒いボディースーツに変わる。胴体部分は最低限の守りで、胸元や腹部が大きく開いている。手足にも最小限の装甲が付いただけで心許ないが、変わりに機動力を確保していた。
しかし、殲滅機装の強さはそれではない。背中に翼が展開されるのと同時に、舞姫の周囲に大量の銃が現れた。その数は二十。十年前から今に至るまで改造に改造を重ねた殲滅機装は、かつての十倍の銃を備えていた。
十年前から形の変わらないライフル型が舞姫の右手に一つ、左手に一つ。そして、残りの十八本は舞姫の周囲を浮遊する。
それは、様々な形状と性質の銃である。大小様々なサイズで、形も大きく異なる十八の銃は、一つとして同じ効果の物は無い。これにより舞姫の火力は他の追随を許さない。
舞姫の変身が終了すると、辺りの地形が変わり始めた。一面が白に包まれていた世界がぐにゃりと歪み、やがて廃墟へと変化した。
そのフィールドは、十年前の惨状をそのまま再現したものである。蟷螂型、それも特異個体とされる強力なイーターによって、辺り一面が廃墟となってしまった。
舞姫にとっては悲惨な記憶を呼び起こす嫌な風景である。だが、舞姫は敢えて、このフィールドを毎回選んでいる。
十年前の悲しみを忘れないように。十年前の憎しみを忘れないように。十年前の怒りを忘れないように。十年前の絶望を忘れないように。
舞姫は恐れていた。自分の中から、一花の記憶が薄れることを。時間とともに記憶は風化していく。それがなによりも恐ろしかった。
手を見れば、一花に渡された神速機装の感触が未だに残っている気がした。当時、その僅かに残る温もりに縋ったが、その僅かな温もりの中にどれだけの絶望が詰まっていたのかと思うと胸が痛くなる。
ふと、先ほどの少女のことを思い出した。メッセージにあったオリジナルの機装の適応者の一人。一花によく似た、可愛らしい少女だった。
「識世有希……」
ぽつりと、その名を呟く。
つい昨日助けたばかりの有希とこんなところで出会うことになるとは、舞姫は思いもしなかった。
舞姫は頭を振る。今は、戦闘訓練に集中をする。
「訓練開始!」
舞姫の言葉と同時に前方に犬型が現れるも、瞬時に犬型が消し飛ぶ。舞姫の撃ち出した光弾によるものだった。右手の銃を突き出した状態で固まる舞姫の表情は怒りに溢れていた。
イーターが現れる度に、為す術無く消し飛ばされていく。次々と現れるイーターに対して、明らかに過剰な威力で攻撃をしていく。それでも、舞姫は気にせずに攻撃を続ける。
十年もの間戦い続けてきた舞姫は様々な能力に優れ、地下シェルター内最大の戦力となっていた。
少しして、蜘蛛型が現れる。かつて一花たちが戦った特異個体の蜘蛛型である。ギラリと赤く目を光らせるが、舞姫は気にした様子もなく銃を構える。そして、引き金を引く。
轟音と共に、ギラギラと輝く閃光が蜘蛛型を消し飛ばした。硬い表面など、舞姫の前ではまるで意味を成さなかった。それからしばらく蜘蛛型が続くも、舞姫は難無く蹴散らしていった。
そして、蟷螂型が現れる。記憶とぴたりと一致する、十体の蟷螂型である。舞姫は強烈な殺気を蟷螂型に向ける。
両手のライフル型の銃を前に突き出す。それだけではなく、周囲に浮遊する十八の銃を蟷螂型たちに向ける。
「消し飛べぇぇえええッ!」
引き金を引く。視界いっぱいに広がる閃光に、舞姫は僅かに笑みを浮かべる。
舞姫の怒りをそのまま体現したかのような一斉射撃。理不尽なまでの蹂躙。敵対した者は近付くことすら許されず、命を散らしていく。
やがて閃光が収まる。そこに残っていたのは舞姫一人のみ。十体の蟷螂型は跡形もなくなっていた。
「くっ……!?」
銃を構え直そうとして、舞姫がよろめく。周囲に浮いていた十八の銃も地に落ちた。ライフル型も取り落とし、舞姫は膝を突く。
酷い頭痛だった。頭を押さえながら、舞姫は膝を突く。頭を強く圧迫されるような痛みだった。
「まだ、まだよ……!」
舞姫は左手で頭を押さえながら、ライフル型を右手に取った。が、するりとライフル型が滑り落ちた。舞姫は視界が霞んでいるのを感じた。
この頭痛は機装を扱う際の疲労が限界を超えたために現れたものだった。だが、それに屈することは許されない。舞姫は一花の敵をとるために、原因体を倒すまでは倒れることは出来なかった。
舞姫はもう二十四歳である。本来ならば四年ほど前には量産型機装すら扱えないくらい適応率が下がっていたはずであるのだが、舞姫はそれを強烈な怒りで殲滅機装を扱えるラインに保っていた。
さらに、舞姫の殲滅機装は人が安全に扱える領域を越えていた。度重なる改造に、要求される適応率も上昇していく。オリジナルの機装よりも高い適応率を要求され、扱う際も相当な体力と精神力が必要だった。
そのせいか、ここ数年は毎回のように頭痛に襲われていた。回を重ねる毎に症状はより悪化している。今の舞姫は、立っていることさえままならない状態だった。
だが、舞姫は銃を手に取る。地に落ちた十八の銃を再び周囲に浮遊させる。霞む視界は気配を察知することと合わせることで補う。
無論、疲労が回復したわけではない。常人ならばとっくに倒れているであろう状況の中で、舞姫は立っていた。ふらつく体に鞭を打ち、戦い続ける。
「まだよ……!」
頭痛が収まらない。痛みは時間経過で増していく。それでも、舞姫は戦い続ける。何百体もの蜘蛛型や蟷螂型を葬っても、終わらない。
「まだ、終わらない……!」
舞姫の周囲を取り囲むのは、大量の犬型と鳥型。そして、同じ数の蜘蛛型や蟷螂型。霧型が人を取り込んだ人型もいた。
疲労のせいか、イーターを倒す速度が追いついていなかった。次々と増えていくイーターに、舞姫は再び一斉射撃をする。
全方位への一斉射撃は、一体すら生き残ることを許さない。そして、閃光が収まった後、辺りが静寂に包まれる。
「ぐっ……うあぁ!?」
一斉射撃をしたとき、舞姫は頭を押さえて悶えた。今日はもう、これ以上は戦えない。力を使い果たしたのか、ライフル型を取ろうにも手に力が入らなかった。
「はあ、はあ……」
舞姫は頭を押さえながらよろめく。だらだらと汗が流れていた。頭が割れるような強烈な痛みに、表情が歪む。涙もこぼれていた。その涙は一花を失った悲しみと、下がっていく適応率への悔しさが形となって溢れたものだった。
「り、リタイア……っ」
『リタイア、了解しました。訓練を終了します』
景色が歪み、元の白い空間に戻る。しかし、未だに景色が歪んでいた。
舞姫は倒れ込みたい気持ちを必死に抑え、待合室の方に戻る。待合室には誰もいなかった。舞姫は頭を抑えながらカウンターに向かうと、パネルを操作してスポーツドリンクを取り出す。
が、手に力が入らずに持ち上げることが出来なかった。キャップをあけようにも、力が入らず握ることすら出来ない。体も脳も限界を超えていた。
舞姫はふらつく足を動かして外に出ようとすると、視界の端に何かが見えた。近寄って確認すると飴玉のようで、その横には紙が置いてあった。視界が歪む中でどうにか読むと、そこにはこう書いてあった。
『昨日はありがとうございました。舞姫さんに助けてもらえてうれしかったです。次に会ったときは、お話しができるとうれしいです』
どこか悲しさを感じさせる内容に、舞姫の胸が痛んだ。本当は笑顔で接したいけれども、仲良くなることが怖くてできなかった。 舞姫はその手紙を力の入らない手を必死に動かして、出来る限り丁寧に折ってポケットに仕舞った。そして、飴玉を手に取る。
飴玉の包みは両端を捻っただけの、引っ張るだけで開けられるタイプだった。舞姫は余力をどうにか注ぎ込んで包みを開けると、飴玉を口に放り込む。
じんわりと視界が歪んだ。先ほどと違って、不快感のない歪み方だった。飴玉は砂糖の味がするだけの簡素なものだったが、舞姫はそれを口の中で転がす。
「うぅ、ひっく……」
舞姫は涙を流した。抑えていた感情が溢れ出す。弱さを人に見せることも出来ずに過ごす日々。一花のように失うのが怖くて、誰にも心を開くことが出来ない。七海と会話をすることもあるが、やはり弱さを見せることは出来なかった。
有希から貰った飴玉はとても甘くて、優しい味だった。




