39話 覚悟
少しして、家に帰った有希はベッドの上で寝転がっていた。まだ時計の針は四時を指しているため、寝ようとしているわけではない。
有希はそわそわと落ち着きがなく、何度も寝返りを打っては溜め息を吐いたり、うーんと唸ったりしていた。
有希がこんな行動をとっている理由は他でもなく、明日の適応率テストの所為だ。もし適応率が低かったらどうしようかと心配になっているのだ。
有希は機装部隊に憧れている。機装を駆使してイーターと戦う姿は地下シェルター内でも憧れの的である。
だが、有希はどちらかというと過去の戦いに興味があった。十年前の、一花がいた時代である。
地下シェルター内において、一花の名を知らぬ者はいない。オリジナルと呼ばれる四つの機装の内の一つである神速機装を扱い、戦った少女である。当時において最大戦力であった一花の悲劇は、十年経った今でも語り継がれている。
一花の功績は十年経った現在でも大きく評価されている。蟷螂型や蜘蛛型を圧倒するその実力は、現在の舞姫でも及ばないとさえ言われるほどであった。
有希はそんな圧倒的な存在になりたかった。かつて一花がヒーローに憧れたように、有希は一花に憧れているのだ。
そして、明日が運命の日である。適応率テストは十四歳以上の少女を対象に行われているのだが、基本的に、十四歳の時に合格出来なかった場合は何年経とうと受かる見込みはないのである。
適応率とは、機装を扱う上で必要な能力である。それは機装に己のイメージを伝達する力であり、それがなければ機装は扱えない。
機装を扱うための適応率はパーセンテージで表される。適応率が五十を超えると量産型機装を扱えるようになるのだ。そして、オリジナルの機装を扱うには九十という異常なほどの適応率が必要である。
現在、地下シェルター内において適応率が九十を超えているのは舞姫と七海の二人である。七海に関しては中央にいるごく僅かな人間しか知らないので、住民たちはオリジナルを扱えるのは舞姫のみだと思っている。
適応率テストにおいて、有希が目指しているのは九十以上だった。そして、神速機装を扱うこと。これが有希の夢である。
だが、適応率テストを前日に控えると、不安でいっぱいになってしまう。もし適応率が九十以下だったら。そもそも、五十にすら届いていなかったら。そうなったら、夢が叶えられなくなってしまう。
不安に押しつぶされそうになった有希は体を起き上がらせた。気づけば、時間はもう九時を過ぎていた。
有希は立ち上がると、家の外に出た。空を見上げてみるが、見えるのは岩盤だけだった。
有希は歩き出す。この不安を抱えたまま一晩を耐えるなんて有希には出来なかった。
有希には親がいない。地下シェルターに避難したときにはすでに親はいなかった。当時四歳だった有希は孤児としてしばらく過ごしていたが、特別学校に通うようになってからは中央から用意された家に住んでいた。
地下シェルター内において、有希のように親のいない子どもは多い。大半がイーターに殺されてしまっているのだ。
生き残った人たちを助けるために、地下シェルターを作った当初は全力で救助に当たっていた。しかし、その当時には量産型機装はない。イーターで溢れかえった世界でまともに動けるのは高城か舞姫くらいだった。
そのため、助けられたのはごく少数である。イーターの動きが予想以上に活発であったために救助は難航し、多くの命を失ってしまった。たとえ一家族を見つけたとしても、それを庇いながら地下シェルターまで戻るのは難しい。
それを分かっている親たちは子どもだけでも連れていってくれと二人に頼み込んだのだ。そのため、地下シェルターには孤児が多い。
幸いと言うべきか、地下シェルター内では皆が協力して生きていくという風潮が生まれていたため、孤児である少年少女たちも難なく生き延びることが出来たのだ。
そして、有希もその一人だった。
有希が地下シェルターに避難したのは四歳の時である。頼る相手もいない状態で不安でいっぱいだった有希だが、その度に助けてくれたのが七海である。幼い有希が困っている姿を見て、放っておけなかったのだ。
有希はそんなこともあり、七海のことを姉のように慕っている。今でも結構な頻度で七海の家に遊びに行ったりもしていた。
有希は明日の適応率テストの不安でいっぱいだった。そのため、昔のように慰めてもらいたかったのだ。
七海の家につくと、ドアをノックする。
「有希、どうしたの?」
七海は夜遅くに訪ねてきた有希に聞く。
「あのね、七海お姉ちゃん。今夜は一緒に寝て欲しいの」
有希は不安そうに言った。有希は学校では七海のことを七海先生と呼んでいるが、普段は七海お姉ちゃんと呼んで慕っている。
七海は不安そうな表情の有希を見て、優しく微笑んだ。
「仕方ないなあ、もう。ほら、上がって」
「うん!」
家の中に入ると、有希は自分の定位置である座椅子に座った。同じ造りの家であるはずなのに、有希にはなんだか暖かく感じた。
目の前のテーブルに突っ伏していると、七海が声をかける。
「有希、ご飯食べてないでしょ?」
「え? ……あ、そういえばそうだった!」
「やっぱり、そうだと思った」
七海は呆れたように溜め息を吐くが、しかし、すぐににっと笑みを浮かべた。
「私も今帰ってきたばかりだから、ご飯はまだなんだよね。今ご飯を作るから、一緒に食べようね」
「うん!」
嬉しそうに笑う有希を見て、七海も嬉しくなった。七海はキッチンに向かう。
実は、七海は有希が今夜来るであろうことを予想していた。有希は不安なことがあると必ずと言っていい頻度で七海の家を訪れていた。明日には適応率テストを控えているため、必ず来るだろうと思っていたのだ。
七海は冷蔵庫から食材を取り出す。食材は白菜や大根、ネギや人参などの野菜と豚バラ肉。ゆで卵や豆腐も使う。これらを使って、有希を励ますための一品を作る。
キッチンの方から包丁の軽快な音が聞こえてきた。トントンと小気味良い音を聴いていると、安心したのか有希はうとうとし始めた。
少しして、良い匂いが漂ってきた。香辛料の食欲を誘う匂いに有希は体を起き上がらせる。
「ほら、有希。温かい内に食べようか」
そう言って七海はテーブルに鍋を置いた。蓋を取ると、湯気と共に良い匂いが広がった。
「おいしそう!」
有希が両手を挙げて喜んだ。
ぐつぐつと煮える鍋の中には赤いスープが広がっていた。スープの中では肉や野菜には程良く味が染み込み、食欲を誘う。
「旨辛味噌鍋を作ってみたんだ。ちょっと辛いかもだけど、食べてみて」
「うん、いただきます!」
「はい、召し上がれ」
有希は肉や野菜を取り皿に装うと、まずは大根を一口食べた。口の中にじゅわりと濃厚な味噌スープの味が広がり、少しして香辛料の辛さが追って現れた。しかし、食べられない辛さではなく、有希には程よかった。
そして、今度は肉を頬張った。豚肉の旨味とスープの濃厚な味わいが絶妙で、有希は頬を緩めた。
それを期に、有希は鍋の具をすごい勢いで食べ進める。七海は少しの間それを眺めてから、自分も食べ始める。
七海はゆで卵を取り皿に装うと、それを頬張った。有希の様子から辛さはちょうど良いと判断しての行動だった。
「ん、むぐむぐ……」
七海はゆで卵を咀嚼していると、なんだか不穏な気配を感じた。口の中に広がるのは味噌スープの旨味と、香辛料の辛さ。だが、香辛料の辛さは時間とともに高まっていく。
これは危険だと思ったときには時既に遅し。辛さは爆発的に高まり、七海に襲いかかる。限界を迎えた七海は慌てて水を飲み干した。
なぜこんなに辛いのか。七海は疑問に思って鍋に使った調味料を確認する。七海は今回、簡単に作れる『旨辛味噌鍋のもと』という商品を使っていた。
パッケージを確認して、七海は天を仰いだ。
「分量間違えてる……これ四人前なのに」
七海は自分と有希だけだからあまり食べないだろうと思い、一人前より少し多い程度の量しか作らなかった。そして、そこに投入されたのは『旨辛味噌鍋のもと』を四人前である。当然、食べられる辛さではなかった。
七海は美味しそうに鍋の具を頬張る有希を見る。
「有希、辛さとかどう?」
「ちょうど良いよ!」
「そっか……それは、うん、良かった」
七海はぎこちなく返事をすると、有希に聞こえないように小さく溜め息を吐いた。夜ご飯は抜きなのかと、七海は絶望する。
仕方ないので、七海は有希と会話をすることで空腹を誤魔化すことにした。
「そういえば有希、今朝は舞姫のこと見てきたんでしょ?」
「うん、凱旋道の上のところから見てたんだよ」
「でも、あそこって危なくない? 手すりはあるけど、結構低いし」
「うんうん、そうなんだよ。わたしも今朝落ちちゃったし」
「え、有希落ちたの!? 怪我とかはない?」
「うん、大丈夫だよ。舞姫さんが助けてくれたし」
「あー、なるほど。それで今朝は舞姫がどうとか言ってたんだね」
「うん! 舞姫さんすごかったんだよ!」
有希はその時の舞姫について語り出した。戦隊モノの番組を見ている子どものように、有希は舞姫の凄さを無邪気に語る。
(やっぱり、有希は機装部隊が夢なんだね)
興奮気味に語る有希の姿を見て、七海はそう思った。
「そういえば、舞姫さんって本名はなんなんだろう?」
途中で投げかけられたその質問には、七海も苦笑いで誤魔化すしかできなかったが。
そんなことを話しながら、有希は旨辛味噌鍋改め、激辛味噌鍋を食べ進めていく。そんな有希の姿を見て、七海はふと昔のことを思い出した。一花と千尋と三人で鍋料理を食べたときのことを。
七海は嬉しそうに鍋を食べ進める有希を見つめる。その姿が記憶の中の一花と重なり、七海は思わず涙をこぼしてしまう。
「ん? 七海お姉ちゃん、どうしたの?」
そんな七海の様子に気づいた有希が尋ねる。
「ううん、何でもないよ。ちょっと鍋が辛くてさ」
「なんだ、良かった」
有希は七海の言葉を聞いて安堵した。
そして食事を終えると、七海は有希に向き直る。
「ねえ、有希」
「ん、なに?」
「有希に見せたいものがあるの」
真剣な表情で話す七海の姿に、有希も真剣になる。いつも穏やかな笑顔を浮かべている七海が急に真剣になったため、有希も緊張してしまう、
「ちょっと待っててね」
そう言って、七海が部屋から出ていった。七海の見せたいものが何か想像が付かず、有希は緊張しながら七海が戻ってくるのを待つ。
少しして、七海が戻ってきた。手には頑丈そうな箱を持っている。
「お待たせ」
そう言って、七海が座った。テーブルに箱を置くと、有希の目を見つめる。
「これが、有希に見せたいもの」
七海が箱を開ける。中に入っていたのは、黒い腕輪型の機械だった。そこには青い線が入っている。
「これって、もしかして……」
有希はそれを見て驚く。その腕輪型の機械に見覚えがあったからだ。
「そう。これはオリジナルの内の一つ、破壊機装だよ」
それは七海が史学の授業で生徒に見せたオリジナルの機装だった。とはいえ、見せたのは写真であるため実物を見るのは初めてだった。
「なんで、七海お姉ちゃんがこれを……?」
有希は急な出来事に混乱していた。ねぜ、一般人であるはずの七海が機装を持っているのか。有希の顔に疑問の色が見えたため、七海は説明を始める。
「地下シェルターに避難する前、三人の少女が機装を使ってイーターと戦っていたのは知ってるよね?」
「うん、神速機装と破壊機装と殲滅機装の適応者だよね」
「そう。神速機装は如月一花、殲滅機装は榊舞姫。そして、破壊機装の適応者が蒼井七海……私なの」
「そうだったの!?」
有希が驚きのあまり声を上げた。そして、すぐに疑問が浮かぶ。
「それじゃあ、なんで……なんで七海お姉ちゃんは戦わないの?」
ズキリ、と七海の心が痛んだ。これは本人が一番悩んでいることだった。
「一花が巨大な霧型に取り込まれたって話はしたよね?」
「うん、授業で聞いたよ」
「その時の戦いにも、私は参加してたんだ」
そう言った七海の表情はとても辛そうだった。しかし、適応率テストを前日に控えた有希に、しっかりと伝えなければならなかった。
「あの戦いは、あの時点ではどうやっても勝ちようのない戦いだったんだよね。クロエに必死に止められたのに、私たちは戦いに行ったんだ」
「クロエって、あの黒猫さん?」
「そうだよ。それでも私たちは戦ったんだ。どうしても、逃げたくなかったから……」
七海の瞳に後悔の念が見え、有希は口を開けなくなってしまう。ここから先は、とても残酷な話になるのだというのが理解出来たからだ。
「授業の時に話したと思うんだけど、あの時、蟷螂型の中にすごく強い個体がいてさ。今では特異個体って呼ばれてるみたいなんだけど、そいつのせいで自衛隊の防衛戦が壊滅しちゃったんだよね」
有希は頷く。
「そのせいで、興味本位に人が入って来ちゃったんだよね」
「そんな危ないところに入って来ちゃうの? わたしだったら行かないなあ」
「だよね。まあ、その人たちは変わった人たちだったから……」
七海は鈴木の姿を思い浮かべて苦笑する。鈴木は一花が取り込まれる間接的な原因となってはいるが、それ以上に七海は自身の無力さを責めているため、彼を咎めたりする気はなかった。
「その集団の中に、私と一花の友達が紛れ込んでたんだよね。ちょうど霧型の相手をしてたときだったから、タイミングがすごく悪くてさ」
七海は表情を暗くした。
「それに気を取られた一花が巨大な霧型に襲われかけて、私が身代わりになって一度は助けたんだけど、私はそこで気を失っちゃったんだよね」
「オリジナルの機装でも勝てないなんて……」
有希が不安そうに言った。七海はそれでも話を続ける。
「そこから先は舞姫からの伝聞になるんだけどね。友達が一花の目の前で取り込まれちゃってさ。その現実に、一花の心が折れちゃったんだ」
そう言った七海の頬を涙が伝った。
「それで戦う勇気が出なくなって……一花は、神速機装を残して取り込まれちゃってさ。私はそのショックで、戦いたくても変身できなくなっちゃったんだ……」
有希にとって、七海が泣く姿を見たのはこれが初めてだった。
「これが、戦うっていうことなの。生半可な気持ちじゃ、生き残れない……」
七海は涙を拭うと、有希の目を見つめる。
「それでも、有希は機装部隊を目指したい?」
それは、人生を大きく変えるであろう選択肢だった。七海の話は確実に有希の心に届いていた。七海が有希に戦ってほしくないと思っていることも伝わってきていた。
だが、だからこそ、有希は悩む素振りも見せずに力強く頷いて返した。己の覚悟を示すために。
「そう、だよね……有希ならそう言うと思ってた」
七海は少し残念そうに、しかし、納得もしていた。やはり、一花にそっくりな彼女が諦めるわけはないのだと。
七海は有希の目を見つめる。
「だから、さ。機装部隊を目指すなら、これだけは約束して欲しいの。絶対に……絶対に、死なないでね」
そう言って、七海は有希を抱きしめた。有希は見た目こそ一花よりはしっかりしているが、それでもまだ十四歳である。七海は、有希が一花のように戦いで命を落としてしまうのではと心配だった。
有希は七海に抱きしめられながら、改めて機装部隊として戦うことがどういうことかを理解した。
凱旋道を通る彼ら彼女らを見送るとき、数が減っていることに気づかなかった。気づこうとしなかった。その華やかな活躍のみに目を向けて、現実から目を背けていた。
こうして七海から話を聞かなかったら、有希は生半可な気持ちで適応率テストを受けていただろう。そうしたら、一花と同じ状況に立たされたとき、同じ道を歩んでしまったかもしれない。
しかし、今は違った。七海から託された思いを胸に、有希は戦う覚悟を決めたのだ。
七海は破壊機装をもとの場所に戻すと、時計を確認する。
「それじゃあ、そろそろ寝よっか。明日は早いし」
「うん!」
七海と有希は同じベッドに寝転がった。七海は有希を抱きしめる。
「おやすみ、有希」
「おやすみ、七海お姉ちゃん」
有希の不安はすっかり晴れていた。
七海の優しい暖かさに包まれながら、有希は目を閉じた。




