22話 地獄
買い物を終えると、三人はユニシロを出た。
「かわいい服見つけちゃった」
一花がニコニコと嬉しそうに笑う。好みの服を見つけられたことが嬉しくて、スキップをしていた。服の入った紙袋を持ってはしゃぐ一花の姿を七海と千尋は微笑ましそうに見ていた。
「はあ……一花さんが可愛い」
訂正。千尋は一花の姿をうっとりと眺めていた。
「ほんと、運が良かったよね」
「そうですね、セール中だったおかげで買いすぎてしまいました」
ユニシロではセールをやっていた。そのセールの理由がイーターの出現によって人通りが多くなったから、というものだったのだが、三人はそのことを知らない。
残念ながらユニシロの思惑は外れ、人が増えたといっても未知の現象に興味を抱いた、いわゆるオカルト関連の団体ばかりだったためにあまり儲けは出ていなかった。
そんな事情を知る由もなく、三人は歩いていく。
「そろそろおなかがすいたなあ」
一花がお腹の辺りをさすりながら眉を顰めて言う。
「そういえば、もうお昼だね」
「そうですね」
そう認識するや否や、七海のお腹からぐぅと音が鳴った。それを聞いた千尋がくすりと笑う。
「二人ともお腹が空いているんですね」
「うん、おなかぺこぺこだよ。よく考えたら朝ごはんもたべてなかったよ」
「そうなんですか? 私は家で食べてきましたよ」
「えっ? でも、私たちが千尋の所に着いたときには寝てたような……だよね、一花?」
「うん、そうだったよ」
二人が首を傾げながら言う。
「実はですね、着替えとかをしながら食事も済ませておいたんです」
「いつの間にっ!?」
七海が思わず声を上げる。千尋が着替えを初めてから出てくるまでの時間は十分も掛かっていなかった。着替えをしてから顔を洗い、歯を磨き、化粧をしてきただけでもかなり早い方だ。そこに食事が入ると、それこそギアを装着して身体能力を強化しても厳しいだろう。
「そんなことより、どこでごはん食べるの?」
一花が言う。
「うーん、ここら辺のお店はあんまり知らないからなあ」
「食べるなら、体の温まるものが良いですね」
千尋が言う。季節は冬のため、雪は降っていないものの気温はかなり低い。寒さもそれなりに厳しかった。
「なら、あそこはどう?」
一花が前方を指さした。突き当たりの所には鍋料理のお店があった。
「冬だし、体も温まるから丁度良いかもね」
「そうですね」
「じゃあ、あの鍋料理のお店に決定でいいかな?」
「うん!」
「はい!」
そう決まると、三人は鍋料理のお店に入っていった。
「わぁ……」
入って早々に三人は店内の熱気に驚いた。そこかしこのテーブルで鍋がぐつぐつと煮えており、外との気温の差がすごかった。体が急速に温まっていくのが分かった。
「いらっしゃいませ。何名様でご来店でしょうか?」
「三人です」
「三名様ですね? お席の方へ案内させていただきます」
店員に連れられて席の方に行く。
「はー、座敷なんだね」
案内されて着いたのは座敷席だった。畳の上に座布団を敷いた、くつろげる空間だ。
「ご注文の方がお決まりになられましたら、こちらのボタンを押してください。では、失礼します」
そう言って店員は去っていった。
「じゃあ、メニュー決めよっか」
一花がメニュー表を開きながら言う。七海は箸と取り皿、お冷やを用意しながら会話に参加する。
「せっかくだし、外に出ても寒くならないようなやつがいいよね」
そう言って一花が開いたのは激辛鍋のページだった。どの鍋も真っ赤なスープに満たされており、凶悪な見た目をしていた。
「いや、流石にそれは厳しいんじゃないかな……」
「そうかな? うーん、なら、千尋はどう?」
「私は一花さんに合わせます」
「なっ……」
これはなかなか厳しい展開になりそうだと、七海は警戒する。
(千尋が一花側に着いた時点で、激辛は決定……ならッ!)
七海は手に力を込め、ビシッとメニュー表の一カ所を指差した。
「なら、私はこれが良いかな」
選んだのはカレー鍋だ。辛さのランクが唐辛子の数で表されており、カレー鍋は五つ中一つだった。
「カレー鍋はあんまり辛くなさそうだしなあ……これはどうかな?」
そう言って一花が指さしたのは唐辛子が五つ中四つの唐辛子パラダイス鍋だった。名前からして辛そうなのだが、当店人気ランキング三位と書かれてる辺り、美味しさはあるのだろう。
しかし、七海はその辛さを警戒する。辛いものが苦手なのを知られたくない、という年頃の女の子の悩みだった。
「それよりこっちの方が美味しそうだよ?」
七海はピリ辛坦々鍋を指さした。担々麺風のスープで煮込んだ程良い辛さの鍋である。唐辛子は五つ中一つだ。
「それもおいしそうだね。でも、もう少し辛いほうがいいかな……あ、これも良いかも!」
そう言って一花が指さしたのはグリーン鍋だった。見た目は普通の野菜鍋のようだが、グリーン鍋(獅子唐)と書かれてる辺り、やはり相当の辛さなのだろう。唐辛子は五つ中五つと、唐辛子パラダイスを超えていた。
「くっ……な、なら、これは? 一花も好きでしょ?」
七海が指さしたのはフジレンジャー鍋だ。一花の好きな戦隊モノとコラボしたもので、おまけにフジレンジャーのカードも付いてくる子どもに人気の鍋だった。唐辛子は一つも付いていない。
「すきだけど、もう全部のカードあつめちゃったし……」
一花の言葉に七海は絶句する。もうこの他に辛さを抑えてある鍋で希望があるものはない。七海は万策尽きた、といった表情で呆然と見守ることしかできなかった。
「うーん……あっ! 新メニューがあるよ!」
新メニューと聞いて七海が希望の光を抱いた。新メニューなら、辛いものとは限らない。期待に満ちた目で見つめる七海に一花が新メニューを見せた。
「ハバネロ降臨だって! すごく辛そう! おいしそう!」
「あ、そう……それでいいんじゃないかな……」
これ以上の抵抗は無駄だと悟り、七海は諦めて降伏した。ちなみにハバネロ降臨の辛さは唐辛子が山盛りになった絵で記されていた。ハバネロ降臨は五つ中という枠に囚われないようだ。
一花は全員の賛成を得られたと喜び、早速店員を呼んで注文した。処刑の時刻が刻々と迫る中、七海ただ怯えるほかになかった。
そして、そのときが訪れる。
「お待たせしました、ハバネロ降臨になります」
店員が笑顔で、しかし涙を流しながらテーブルに置いた。運んでくる間、ハバネロやその他の香辛料の刺激を受け続けたのだろう。途中で断念せずに持ってきたあたり、店員のプロ根性が窺えた。
ぐつぐつと煮える鍋の真っ赤なスープから刺激の強い湯気が上っていた。これを吸い込んだら鼻がおかしくなるのは必須だろう。
七海は既に諦めの表情を浮かべていた。千尋を恨めしそうな目で見ると、千尋は気まずそうにしていた。
「これ、食べるんですか……?」
「え? うん、たべるよ?」
「ですよね……」
千尋は目線を鍋に落とした。ぐつぐつと煮える鍋は、地獄へと誘う門のようだった。
(一花さんの喜ぶ姿を見たかったとはいえ、浅慮でした……)
どれだけ後悔しようと、ハバネロ降臨が消えるわけではない。この鍋を前にすると、コップ一杯のお冷やが頼りなく思えて仕方がなかった。
そんな悪魔のようなハバネロ降臨を前に、一花は物怖じもせずに箸と取り皿を手に取った。そして、箸を構える。
「それじゃあ、いただきます!」
一花が赤く染まった野菜や肉を取り皿に装っていく。地獄から救い出された鍋の具たちは、しかし、既に手遅れだった。彼らの体は真っ赤に染まっている。
一花はそんな中から赤い白菜を選ぶと、大きく口を開いてその中に放り込んだ。
「ん、すごくおいしい!」
その様子を見守っていた七海たちだったが、辛さなどないと言わんばかりに箸を進めていく一花に呆気にとられていた。
「ふたりとも、はやく食べないと冷めちゃうよ?」
「う、うん……」
「そう、ですね……」
不思議そうに首を傾げながら尋ねる一花に、二人は冷や汗を垂らしながら頷くしかなかった。
二人はハバネロ降臨に挑む覚悟を決める。いや、覚悟はできていないのかもしれないが、食べるしかなかった。一花一人では、この鍋は多すぎて残すことになってしまうからだ。
二人は目を合わせて意志疎通ををする。
(だ、大丈夫! 一花は全然辛くなさそうに食べてるし、もしかしたら見掛け倒しなのかもしれないよ)
(そ、そうですね! きっと大丈夫なはずです!)
二人は頷くと、箸と取り皿を手に取った。そして、数ある鍋の具の中から七海は煮卵を、千尋は鶏肉を選んだ。
「私は先ほど言いましたように、着替えるときに朝食も済ませてあるので。一口食べるだけでいいです」
「あっ! 裏切りは許さないよ!」
千尋の突然の裏切りを七海が咎める。しかし、千尋は本当に装った鶏肉しか食べないらしく、その意思が目から伝わってきた。
七海は千尋の裏切りを恨めしく思いつつ、煮卵を見据える。煮卵は真っ赤に染まっていた。
(時間はあんまり経ってないし、まだ辛さは弱いはず!)
意を決して七海が煮卵を一口食べる。その横では、千尋が鶏肉を口の中に放り込んでいた。
少し咀嚼して、七海の顔が赤くなっていく。千尋の顔も同様だった。地獄は現実だったようだ。
「か、辛い!」
七海は慌ててお冷やに手を伸ばす。コップ一杯の水はやはり、ハバネロ降臨の前では無力だった。千尋も辛さが引かずに悶えている。
食べた煮卵の断面を見ると、白身が赤身になっていた。黄身まで赤く染まったのを見た七海は頭を抱える。
「どうして、こんなに染み込んで……!?」
気付けば、涙が溢れていた。天を仰ごうとしたときに、チラリとハバネロ降臨のポスターが壁に貼ってあるのに気付いた。
「煮卵は味が染み込みにくいため、予め煮込んであります……って、なんでそんな余計なことを……」
七海の表情が絶望に彩られた。地獄に引きずり込まれたかのような気分だった。
辛さが引かず、口の中がつらくて助けを求め視線をさまよわせると、先ほどお冷やを皆に配るときに使ったポットがあった。中にはまだ二杯分ほど残っていた。
七海は慌ててお冷やをもう一杯注ぐと、再び飲み干した。それを見た千尋が自分にもと求めてくる。
「な、七海さんッ! 助けてくださいッ!」
必死の形相で助けを求める千尋の手を七海は振り払った。千尋は振り払われた手と七海を交互に見つめて何故か分からないといった表情をしていた。
「この量じゃ、一人しか助からないよ?」
「なっ!?」
七海は呆然とする千尋を気にも留めず、お冷やをコップに注ぐとそれを飲み干した。そして、涼しげな表情で口を開いた。
「あー、生き返った」
「七海さんは鬼です! 悪魔です!」
「裏切った千尋がいけないんだよ?」
「ああ、そんな……誰か助けてください……」
千尋の裏切りを根に持っていた七海が、渾身の仕返しをした。残念ながら、二人はハバネロ降臨の地獄に飲まれてしまったようだ。
七海と千尋が騒いでいるのを横目に、一花はハバネロ降臨を攻略していた。残るは、取り皿に装ったスープだけである。
「ふたりとも、子どもだなあ」
そう言って、一花はスープを飲み干した。広がっていた地獄はどこかに消え、鍋の中は静寂に包まれていた。二人が無理をせずとも、一人で食べきれたらしい。
「ごちそうさまでした!」
手を合わせて言う一花の声が聞こえ、二人はようやくハバネロ降臨が消え去ったことに気が付いた。そして顔を見合わせると揃ってうなだれた。
その後、店員を呼んで新しくお冷やを頼み、ようやく千尋は地獄から解放された。




