第32話 おじさん、リハビリをする
北の渓谷。
すっかりおなじみになったダンジョンへ、足を踏み入れた。
これまでは浅層だけを探索していたが、今日はリハビリを兼ねて中層以降も進む予定だ。
「しっかし、一か月以上経つのにまだ完全には戻らないもんだな」
ぼやきに、ナビ子が即座に反応する。
『当り前です。お忘れかも知れませんが、あの境界を蝕む魔蟲はLv420相当。当時Lv313だったマスターが勝てたのは、ドーピングアイテムの多重使用によるものです。それだけのムリを通したってことなんですよ。そもそも、自律進化の環境適応機能やマスターの高い毒耐性が無かったら死んでた可能性の方が高いんですからね』
「そうか」
確かに、あの時は無茶をした。
それでも、無茶を通さなきゃ仇を討つことは出来なかった。
同じ状況に置かれたら何度でも同じ行動をとるだろう。
しかし、いかんせん、身体が思い通りに動かないというのは何ともむず痒い違和感がある。
早いとこ、感覚が戻るといいんだが。
バールを肩に担ぎ直し、ダンジョンの奥へと歩き出す。
目的は中層と呼ばれる領域。
浅層は、これまで何度も通った道だ。モンスターの位置も、落とし穴の場所も、すべて頭に入っている。時折遭遇するモンスターを撲殺しながら、ほとんど素通りで浅層の最終層、15層に到着する。
16層への入り口を前にして、俺は足を止めた。
ここを越えれば、中層の領域に入る。かつて、猪狩先輩とともに探索していた領域だ。
『マスター、もしかして、ビビってますか?』
躊躇いを感じたのか、ナビ子が話しかけてきた。
『今のマスターはLv.358の白金級です。16層から25層の中層(上部)の推奨レベルはLv.100〜200。リハビリ中でも十分に余裕がありますよ。それに、地球に戻るためには、浅層のモンスターだけでは効率が悪すぎます。中層、深層のモンスターを倒さないと、必要なエネルギーを集められません』
「あ? ビビってねぇよ。ちょっと感傷に浸ってただけだ。なんなら30層超えて深層まで行ってやるよ!」
『いえ、深層は例え入り口付近であっても推奨レベルLv.350以上。リハビリ中のマスターには荷が重いかと』
「それぐらいの勢いってことだよ!」
まったく、このサポートユニットは相変わらず空気が読めない。しかし、躊躇いはすっかり消えていた。足取りも軽くなっていた。
探索は、錆びついた歯車に油を差すような作業だった。
最初は軋んでいた関節も、モンスターの断末魔を聞くたびに滑らかさを取り戻していく。浅層のそれとは殺意の密度が違うが、今の俺には心地よい負荷でしかない。
視界に映る敵の動きはスローモーションのように遅く、バールは吸い込まれるように急所へと到達する。
16層から20層へ。
景色が変わるたびに、襲い来る殺意の種類も変わる。
鋼鉄の牙の剛腕を紙一重で躱し、カウンターで延髄を粉砕する。影を這う者が闇に溶けるよりも速く、その眉間を穿つ。結晶の守護者の硬度など、打撃の角度さえ間違えなければガラス細工と変わらない。
解体、選別、収納。
ドロップする素材も悪くない。鋼鉄の牙からはずっしりと重い良質な鉄鉱石が、影を這う者からは妖しく光る暗属性の結晶が手に入る。
村の復興に必要なパーツが、次々とインベントリに吸い込まれていく。
だが、21層の奥で、そのリズムが狂わされた。
通路を塞ぐように鎮座する、全長三メートル超の巨体。
堅牢の守護者。
全身が鋼鉄ごときではない、異常な密度の外殻に覆われている。
挨拶代わりの一撃を叩き込んだが、返ってきたのは重い金属音と、掌に残る痺れだけだった。
「……チッ、硬いな」
『マスター、この個体は中層(上部)において最高硬度を持っているようです』
「ナビ子さんや、出来ればそういう情報は手が痺れる前に知りたかったな」
『お言葉ですが、私の解析を待たずに先走るのはいつもマスターなのですが?』
「…………」
脳裏に、これまでの数々の先走りがよぎる。
……うん、全面的に俺が悪いな。
「……さ、やりますか」
都合の悪い事実から目を逸らし、バールを回して重心を確認した。
どれだけ硬かろうが、動く以上は継ぎ目がある。構造上の欠陥がある。
巨体が風を切り、丸太のような腕が振り下ろされる。
その暴風を顔面で受け流しながら、俺は一歩、踏み込んだ。
世界が静止する。
FPSが極限まで跳ね上がり、敵の外殻の隙間、わずか数ミリの亀裂が網膜に焼き付く。
システムによるオート補正では狙えない、針の穴を通すような一点。
そこに、全神経を直結させたバールの先端を滑り込ませる。
一撃。亀裂が走る。
二撃。衝撃を内部へ浸透させる。
三撃。
ガキンッ!
甲高い破砕音と共に、外殻が弾け飛んだ。
露出した核へ、流れるような動作で最後の一撃を突き刺す。
ズチュ、と生々しい感触が手に伝わり、巨体が沈黙した。
ドサリ、と重い音を立てて堅牢の守護者が崩れ落ちる。
ほどなくして光の粒子となり、視界にシステムウィンドウが展開された。
【ドロップ選択】
対象:堅牢の守護者 ×1
1. 守護者の欠片:ノーマル×1 - 経験値0.1%消費
2. 守護者の大甲殻:レア×1 - 経験値1.2%消費
3. 守護者の核:エピック×1 - 経験値9%消費
4. 聖域の結界石:レジェンダリー×1 - 経験値20%消費
5. 全吸収 - 経験値100%吸収
「お!これは!」
リストの4番目。
いつもの素材ではない、異質なアイテム名が橙色で輝いていた。
【聖域の結界石:レジェンダリー】
分類:特殊素材 / 結界具
効果:半径5メートル以内に強力な「不可侵領域」を展開する。
説明:神の庭石から削り出されたとされる伝説の宝石。あらゆる敵意、害意、環境ダメージを遮断し、束の間の安息を約束する。使用回数制限なし(クールタイムあり)。
自律進化でドロップ品を選択できるようになってから知ったことだが、全てのモンスターにレジェンダリーアイテムが設定されているわけではない。
ほとんどのモンスターは、ノーマルか、良くてもレア等級のドロップ品しか持っていない。エピック以上のアイテムがドロップテーブルに存在するだけで、その個体は「当たり」なのだ。
普段は冷静なナビ子の声が、ノイズが混じるほどの音量で響く。
『解析した結果、これ一つで、ダンジョン深層だろうが安全地帯を構築できるようです! とんでもない代物ですよ――』
「どうりで、異常に硬かったわけだ」
高性能なゴーレムの素材になるとナビ子が補足した『守護者の核』と『聖域の結界石』を確保する。
手元に、虹色の光を内包した拳大の美しい石と、鋼鉄のような光沢を放つ球体が現れた。
ずっしりとした重みが、その価値を物語っている。
その後も、俺はリハビリという名の狩りを続けた。
機械的に急所を穿ち、命を経験値へと変換していく。
『マスター、レベルが359に上がりました』
「……1レベルか」
自律進化による吸収効率をもってしても、格下相手では伸びが悪い。
だが、体のキレは徐々に戻ってきた。思考と動作の遅延が消え、指先まで神経が行き届いている感覚がある。
リハビリは完了だ。
そして手元には、深層でも役立ちそうなレジェンダリーアイテム。
「丁度いい。今日はここで泊まって、明日深層に潜ることにしよう」
深層に挑むには体力と集中力が必要だ。
無理をして死んでも意味がない。
手に入れたばかりの聖域の結界石を展開し、安全地帯を作り出し、一夜を過ごすことにした。
◇
夜。
安全地帯の中で仮眠を取っていると、肌が粟立つような悪寒を感じて飛び起きる。
「……なんだ、これは」
心臓が早鐘を打っている。
視線を上げると、遠くの空に「それ」はいた。
月光を背負い、重力を無視してふわりと浮遊する人影。
豪奢だが露出の少ないドレスアーマーを纏い、背後には幾何学的な形状をした無機質な物体――魔導兵装が衛星のように漂っている。
距離は離れているはずなのに、その圧倒的な存在感が肌を刺す。
「俺たち以外に、このダンジョンに潜っている奴もいるんだな」
『マスター! 動かないでください! 今すぐ気配遮断を全力で――』
ナビ子の警告は間に合わなかった。
女が、ゆっくりとこちらへ視線を向けたからだ。
次の瞬間。
「!」
「……あら、珍しいネズミがいるわね」
鈴を転がすような美声だった。
だが、そこには一切の感情が乗っていない。まるで路傍の石ころを見るような、退屈しきった瞳。
瞬きするよりも速く、遠く離れていたはずの女が目の前にいた。
音もなく。風もなく。
ただ座標だけが書き換えられたかのような唐突さで、彼女は俺を見下ろしていた。
月明かりに照らされたその姿に、息を呑む。
流れるような白銀の髪。鮮血を固めたような真紅の瞳。
この世の物とは思えないほど美しく、そして冷たい造形美。
5メートル以内には入ってこれないはずだが、全く安心できない。
結界が機能を果たしていないわけではない。レジェンダリーアイテムが展開する「不可侵領域」は、確かに彼女を拒んでいる。
だが、本能が警鐘を鳴らしている。
あんな薄紙一枚ほどの結界など、彼女がその気になれば指先一つで壊される、と。
呼吸が浅くなり、奥歯がカチカチと鳴るのを止められない。
これは生物としての格が違う。
女は、足元にある石に視線を落とし、退屈そうに指先で空中に円を描いた。
「ふぅん。面白そうなオモチャを持ってるじゃない」
女が白い手を差し出す。
「壊しちゃうのはもったいないから、献上しなさい」
絶対的な命令だった。
ふざけるな。レジェンダリーだぞ。そう叫ぼうとするが、喉は張り付いたように動かない。
『マスター、おとなしく従ってください』
ナビ子の声が、今まで聞いたことがないほど緊迫していた。
『レベルが違います。恐らく推定レベル800以上……赫金級の探索者です。人間ではありません。これに逆らうのは、アリが象に挑むよりも無謀です』
赫金級。
地球に数十人いるかどうかという、化け物の中の化け物。歩く自然災害。
理不尽な暴力が、人の形をして目の前に立っている。
俺は震える手で、聖域の結界石を女の手のひらに乗せた。
「情けないわね」
鼻で笑う。
受け取った石を弄びながら、彼女は俺を値踏みするように目を細めた。
その瞬間、退屈そうだった深紅の瞳が、ねっとりと艶っぽく濡れる。
「私、弱い男って嫌いなの。殺しちゃおうかしら」
ぞわり、と空気が重くなった。
殺意。ただそれだけで、心臓が鷲掴みにされたような圧迫感を覚える。
彼女の背後に浮遊する魔導兵装の砲門が、一斉にこちらを向いた気がした。
視界が明滅し、指一本動かせない。死ぬ。殺される。
圧倒的な死の予感に、意識がブラックアウトしかける。
だが。
(……ふざけるな)
村には、まだ自立できたとは言い難い連中がいる。
地球には、沙織さんや翔太君がいる。
こんな理不尽な暴力に屈して、何もかも失っていいわけがない。
恐怖で凍りついた神経を、怒りで無理やり焼き切る。
動け。動け。動け!
俺の腕が、わずかに反応した瞬間。
「ふぅん」
女から、ふっと殺気が消えた。
先ほどまでの艶やかな殺意は嘘のように消え失せ、再び退屈そうな瞳に戻る。
「ま、いいや。さっさと帰って寝たい気分だし。このオモチャに免じて許してあげる」
女は興味を失ったように背を向け、そのままふわりと空へと舞い上がった。
音もなく、風もなく。物理法則を無視した挙動で、夜の闇へと消えていく。
後に残されたのは、静寂と、奪われた喪失感だけ。
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。
助かった。
そう安堵する一方で、腹の底から黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
なんだ、あいつは。
せっかく手に入れたものを、ゴミでも拾うみたいに奪っていきやがって。
弱い? 情けない?
ふざけるなよ。
「……ナビ子。あいつをぶっ飛ばすにはどうすればいい」
『いくら自律進化を持つマスターでも、現状では不可能です』
ナビ子が即答する。
分かってはいるが、あまりに冷たい事実の羅列に奥歯を噛み締める。
『赫金級……Lv.800からLv.1000の領域に至った探索者は、もはや人間ではありません。ダンジョン内部においては概念干渉や物理法則の無視が可能となります。「怒らせてはいけない存在」……それが彼女の正体です』
「……上等じゃねぇか」
恐怖は怒りに変わり、全身に活力がみなぎってくる。
目が完全に覚めた。
この煮えたぎる感情をどこかにぶつけなければ、気が済みそうにない。
「行くぞ。深層だ」
『マスター!』
「うるさい。もともと朝になったら行く予定だったんだ!経験値稼ぎに行くぞ」
『こんなやる気に満ち溢れたマスター、初めて見ました。フムフム。こうすればいいんですね』
何か変なことを学習していそうなナビ子を無視して、俺は闇の奥、深層へと歩を進めた。
◇
深層での探索は、死闘の連続だった。31層という深層でも最も浅い階層にいるにもかかわらず、適正レベルギリギリのモンスターたち。一撃でも喰らえば致命傷になりかねない攻撃を、紙一重で躱し、急所を穿つ。
ボロボロになったら、中層に戻り、回復効果を持つアイテムをドロップさせるモンスターを狩って傷を癒やす。
そしてまた、深層へ。
狂ったようなサイクルで、俺は狩り続けた。
あの女への怒りを、バールに乗せて叩きつける。
「見てくれが良いからって調子乗ってんじゃねぇよ!」
『いえ、彼女が調子に乗っているのは顔が良いからではなく、圧倒的な暴力装置だからかと』
「うるせぇよ! そういう理屈の話をしてんじゃねえんだよ!」
『マスター、血圧上がってますよ。深呼吸してください。あ、レベルが388に到達しました』
休まず狩り続けた結果だ。
Lv.350からLv.500の領域は、才能のない人間なら何年かけても上がらない壁だと言われている。十年以上かけて、ようやく一つ上がるかどうかという世界。
だが、俺には「自律進化」による50倍の成長効率がある。
さらに、ナビ子の索敵による「実入りの良い」モンスターの選定、そしてドロップ品選択によるリソースの現地調達するという永久機関のような持久戦術。
本来なら四人程度のパーティで分配する経験値をソロで総取りすることも合わせれば、単純計算で200倍以上の速度で成長していることになる。
たった一日で29レベルの上昇。
常識外れな成長速度だ。だが、あの理不尽な暴力を肌で感じた今の俺には、これでも亀の歩みのように遅く感じられた。
『マスター、そろそろ村に戻りましょう。赫金級との絶望的な差は、数日の徹夜で埋まるものではありません。焦りは禁物です』
「……分かってるよ。でもーー」
『それに、あまり村を空けても、皆さんが心配しますよ』
「……はぁ、そうだな」
熱くなった頭を冷ますように、俺は深く息を吐き出した。
無心でバールを振るい続けたおかげか、煮えたぎっていた怒りは、腹の底で静かに燃える残り火のような熱量へと変わっていた。
「……腹減ったな」
リハビリにしては過激すぎる時間だった。
だが、おかげで体の鈍りは完全に消え失せ、以前よりも研ぎ澄まされている感覚がある。
怪我の功名――いや、厄介ごとの功名とでも思うことにしよう。
◇
ダンジョンの外へ踏み出すと、東の空が白み始めていた。
張り詰めた早朝の冷気が、酷使して火照った体を優しく撫でていく。
村の方角へ足を向けた瞬間、ナビ子が鋭い警告音を鳴らした。
『マスター、前方より複数の魔力反応の残滓。……戦闘の痕跡があります』
「何だと?」
脳裏をよぎる最悪の想像に、指先の熱が一気に引いていく。
ただ事ではない。
俺は地面を抉るように踏み込み、全速力で駆け出した。
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