39 メアリのうまくいかない挑戦
結婚式前日。
慌ただしい一日になるかと思われたが、意外にもメアリは穏やかな時間を過ごせている。
それもこれも全てを計画的に進めてくれたフェリクスの手腕があったからこそ。
当日が近くなればなるほど、メアリにはストレスを感じず心穏やかに過ごしてほしいという配慮の結果だ。
おかげで今日やることといえば最終確認くらいで、むしろメアリは暇を持て余していた。
「サーシャはノリス家の別邸にいるし、やることがないわ」
結婚式のためユーナとフランカとともに王都に来てくれたサーシャは、今日の午後にはシュミット邸を出て行ってしまった。
明日は慣れないドレスを着ることになるので、今のうちからユーナやフランカの協力が必須なのだ。
恐らく今夜は結婚式で粗相をしないようにと緊張で眠れないだろう。
母と姉がうまくフォローしてくれることを祈って、メアリはそっと両手を組んだ。
「では、僕と少しお茶でもいかがですか? 婚約者様」
「! フェリクス様。もうお仕事は終えたのですか?」
「ええ。さすがに結婚式の前日に遅くまで働くことはしませんよ」
暇を持て余すメアリの部屋のドアを開け、フェリクスがノックとともに声をかけてきた。
カリーナが察してお茶の準備をしに行くのと入れ替わるようにフェリクスが入室し、メアリが座るソファーの隣に腰を下ろす。
「それに、ギリギリまで準備に追われるなど愚か者のすることだ」
「耳を痛がる人がたくさんいそうな言葉ね?」
口調が気楽なものに変わり、二人はクスッと笑い合う。
ここからはプライベートな時間の始まりだ。
しばらく他愛もない会話を続けた二人は、カリーナがお茶を淹れて退室すると二人きりになった部屋で静かにお茶を飲んだ。
メアリは、会話がなくなったこの時間も好きだった。
次にどんな話が始まるのか、また始まらずともフェリクスと二人きりでいるというこの状況が幸せで、胸が高鳴ると同時に居心地よく感じる。
穏やかでドキドキする時間を楽しんでいると、フェリクスの低く静かな声が耳元で響いた。
「誓いのキスは、どこにしたい?」
「っ!」
メアリのこめかみにフェリクスの唇が触れ、そっと頭を引き寄せられる。
されるがままにフェリクスの肩へ頭をもたれさせると、大きな手が今度はメアリの髪を弄りだす。
「額? 頬? それとも……」
「ほ、頬で!」
「頬か。わかった」
髪をひと掬いしてキスを落としながらフェリクスはくつくつと喉の奥で笑う。
(最初はフェリクス様だってすごく緊張していたのに。キスの練習をし始めてからあっという間に慣れてしまったわ。私は……いつまでたっても慣れないのに)
これが大人の余裕というものだろうかと思いつつも、やはり悔しい。
どうにかやり返したい気持ちはあれど、結局メアリに余裕がなければどうしようもないことだ。
拗ねたように口を尖らせるメアリに気づいたのだろう、フェリクスは宥めるように頭を撫でる。
「僕はメアリに無理をさせるつもりはない。君のタイミングに合わせるつもりだから。いつまででも待つし、焦らなくていい」
「そんなことでは困るわ」
フェリクスは優しい。人を見下す次期宰相様と同一人物かと疑問に思うほど、メアリにだけ甘すぎる。
けれど今はその優しさがどうしようもなくもどかしかった。
メアリはフェリクスの手に自分の手を重ねると、じっと彼を見つめた。
「焦らせてほしいわ」
「焦りたいのか」
「ええ。だって、せっかく一生に一度の結婚式だもの。……プロポーズのようにやり直しはできないのよ?」
「それなら……練習しようか? 今、ここで」
フェリクスは身体ごとメアリに向き直り、大きな手でするっとメアリの頬を包む。
そのまま優しく顔を上に向けさせられた。
「目を閉じて」
言われるがままギュッと目を閉じると、少しずつフェリクスの顔が近づいてくるのが気配でわかった。
どくん、どくん、と心臓の音が激しく鳴る。
目を閉じているからか余計に音がうるさく、それがまたメアリの心をかき乱した。
唇にフェリクスの吐息を感じた、次の瞬間。
「……メアリ」
「ご、ごめんなさい」
メアリは両手でフェリクスの口を覆っていた。
チラッと視線を向けると、何か言いたそうにこちらを見下ろすフェリクスと目が合う。
「嫌じゃないの。本当よ? ただ、これ以上は心臓が止まってしまいそうで……」
「止まられては困るな」
肩の力を抜いて笑うフェリクスに両手を取られ、手のひらにキスを落とされる。
彼の唇が触れた部分は、いつだって熱くなってしまう。
「これから先、いつだって練習に付き合うから気にしないことだ」
「うぅ、悔しい……」
「……ああ、また君はそんなにかわいいことを」
恥ずかしさと悔しさで顔を赤くするメアリに、理性を試されるフェリクス。
結婚式前夜、二人は複雑な思いのままそれぞれ手で顔を覆った。
次回、最終話です。




