36 フェリクスと父と夕食
ほどなくして、事前に予想していた通り忙しい日々がやってきた。
普段の仕事に加えて結婚式の準備。
実のところ、フェリクスにはそこまで負担はないだろうと高を括っていた。
しかし蓋を開けてみれば驚くことの連続だ。
フェリクスは結婚式にコンセプトというものがあることや、振舞う料理のメニュー一つ一つに意味を持たせること、細部にわたる装飾や新婦のドレスなどは新郎の母がともに準備を行うのが一般的だということなど、自分が結婚することになって初めて知った。
各方面においてあらゆる知識を蓄えているフェリクスが、新しい知識に驚くなど滅多にない。
貴重な経験であり勉強になるといえばその通りなのだが、世の婚姻前の貴族たちがここまでわけのわからない、いや面倒な、もとい大変な準備に追われていたというのはかなり衝撃だった。
「式の準備を進める中で喧嘩をしてしまうことも少なくないからなー。最悪、結婚が白紙に戻るなんて家もあるとか」
「細かな取り決めをしなければならない中、意見が違う部分が出てきたら言い争うのはわかる。だがそこでなぜ結婚が白紙に戻るんだ」
「えー。そりゃあ、こんなに意見の合わない人とは結婚できない! ってなるからじゃねーの」
「世間ではそんな甘い考えで結婚を決める者が多いのか」
「フェリクスはちょっと考えが古い部分があるもんな。一度責任を取ると決めたからには最後まで、って考えてるだろ」
「当たり前だろう。古いも新しいもあるか」
しかしマクセンが言うには、貴族ではない一般平民の中ではよくある話なのだという。
喧嘩をするほど仲が良い、というのも人によるというのが今の世の中の当たり前だそうで、結婚してからほんの数カ月で離婚する夫婦も増えていると聞いて頭を抱えた。
「最近、若い男女の嘆願書が多かったのはそれか……」
「あー、嘆願書に離婚するだなんてわざわざ書かねーもんな。生活改善嘆願書とか引っ越し手続き、なんて遠回しな書き方がほとんどだし」
まさか知らぬところでこんなにも簡単に離婚する者たちが多いとは思ってもみなかったフェリクスは、己の世間とのずれを痛感する。
城に籠って仕事ばかりしていては見えないことも多い。
そう考えたフェリクスは、今後はもっと民の動きに注視しようと心に決めた。
(メアリと僕に限ってそんなことは起こらないだろうが……)
同時に、今までは浮かんでもこなかった不安が少しだけ顔を覗かせた。
ある夜、いつも通りフェリクスが屋敷に帰ると少々驚いた様子のメアリが玄関ホールで出迎えてくれた。
なぜなら、そこには珍しいことに父ウォーレスの姿もあったからだ。
常に忙しい現宰相はフェリクス以上に屋敷に帰って来ない。
メアリがシュミット邸に滞在している間も、屋敷でウォーレスと会うのは今回を入れて三度目だ。
「お帰りなさいませ。シュミット侯爵様、フェリクス様」
すぐにほんわかとした笑みを浮かべて挨拶をするメアリに、ウォーレスはわずかに頬を緩めつつも何か言いたげに片眉を下げた。
「あー……今日は食事の時間が重なってしまうのだが」
「はい。侯爵様さえよろしければ、ぜひご一緒させてください」
「うむ」
言葉少なにそれだけを言うと、ウォーレスはそそくさと歩き去ってしまう。
その背中を見送るメアリに、フェリクスはそっと近づいて声をかけた。
「突然のことですみません。僕も今日まさか父上が帰宅するとは思っていなかったので」
「なぜ謝るのです? ここはシュミット侯爵様のお屋敷ではないですか」
「嫌ではありませんか? あんなに素っ気ない父上が一緒で」
「嫌なわけありません。フェリクス様のお父様ですもの。それに……本当は素っ気ないわけではないのでしょう?」
「……父上も、メアリには敵いそうにないですね」
実際、ウォーレスは不愛想というほどではない。
フェリクス同様、表向きはにこやかで穏やかに話題を振ることのできる人物だ。
ただ、どうも息子の婚約者という存在に特別意識を抱いており、どう接すればいいのか計りかねているようなのだ。
あれほど対人関係を円滑に進めることのできるウォーレスが、こんなにも不器用にメアリと会話をするのはフェリクスにとっても意外なくらいだった。
「婚約を知らせに行った時は、フェリクス様と言い合っている姿を見ていますから」
「それもそうでした。今さら猫を被ったところで意味はありませんよね」
二人はクスッと笑い合うと、それぞれ食事の準備をするべく部屋へと向かった。
夕食時、ウォーレスはずっと何か言いたそうにしているのが見て取れた。
フェリクスでさえ気づくのだ、メアリが気づかぬわけがない。
ただ、フェリクスにはウォーレスが何を言いたいのかまではわからなかった。
しかしそこはさすがのメアリだ。にこりと微笑むとウォーレスに向かってとある提案を口にした。
「シュミット侯爵様。もし嫌であれば断っていただきたいのですが……お義父様とお呼びしてもよろしいでしょうか。その、気が早いでしょうか?」
照れたように頬を染め、はにかみながら言うメアリはとんでもなくかわいらしい。
ここで嫌だと言える義理の父はいないだろう。
フェリクスは無意識に鋭い視線を父に向けていたが、当のウォーレスは顔をほんのり赤くしてやたらと咳を繰り返していた。
「んんっ、ごほん、ごほん! うむ、嫌なわけがなかろう。好きに呼んでくれ。……メアリ」
「ありがとうございます、お義父様!」
ぱあっと花開くように喜ぶメアリに、ウォーレスは再びわざとらしく咳をする。
どうしても口が緩むようで、素直に喜べばいいのにと思いながらフェリクスはやや低い声で口を挟んだ。
「……父上、顔がにやけています」
「仕方あるまい。娘など初めてなのだぞ? それにこのことをディルクに話した時のヤツの反応を思うと愉快でならないだろうが!」
「いっそ清々しいですね。気持ちはわかりますが」
親子の会話を聞いて、メアリはきょとんとした後すぐにクスクス笑った。
なぜ笑ったのか見当がついたフェリクスは、メアリに向けて軽く目を細める。
「言いたいことがあれば遠慮なくどうぞ」
「やはり親子だな、と。フェリクス様みたいだと思ってしまって、つい」
「似てしまった自覚はあります」
なんともバツの悪そうな顔を浮かべるシュミット親子だったが、メアリが笑ってくれたおかげでウォーレスもずいぶん調子を戻してきたようで、その後はリラックスした様子で会話が進んだ。




