34 メアリとあの日のやり直し
十分な休憩を取り、店を出た二人は目的地へと向かった。
行き先をまだ知らないメアリは内心ワクワクしており、その気持ちがほんのり表情に出てしまっている。
休みを挟んで元気になったこともあって、向かう場所もわからないのにフェリクスの手を引っ張る勢いだった。
フェリクスはそんなメアリを微笑ましく見守りながら、さり気なく道を誘導していく。
しばらく歩く内、建物が次第に少なくなってきたことに気づく。
それとほぼ同時に、視線の先に広がる草原が目に飛び込んできたメアリは思わず声を上げた。
「わぁ……王都に馬場があったのですね!」
「ええ。シュミット家、というより僕個人が所有しています」
「えっ!?」
「期待通りの反応をありがとうございます」
驚いて目を丸くするメアリに、フェリクスはにっこりと笑みを返した。
まず、人や建物の多い王都にここまでの規模の馬場を用意できるのもすごいというのに、それがまさか隣で微笑む婚約者様の所有だと聞かされれば誰だってこんな反応になるだろう。
フェリクスは言葉を続けた。
「メアリには何か特別な贈り物がしたかったのです。けれど貴女は、ドレスや宝飾品より馬のほうが喜ぶ気がしまして。……間違っていたら申し訳ないのですが」
「大正解です、フェリクス様。まさか王都でも乗馬ができるとは思ってもいなかったので」
「贈るのは乗馬体験だけではありませんよ」
フェリクスはメアリの手を引いて厩舎に向かうと、一頭の芦毛の馬の前へと連れて行ってくれた。
馬はじっとメアリを見つめており、観察しているのだということがわかる。
メアリは穏やかに微笑みながら触れてもいいか馬に訊ねると、そっと頭を下げた馬の首を優しく撫でた。
「とても賢い子ですね。かわいいです」
「それはよかった。貴女の馬ですよ」
「……ええっ!?」
「贈り物です。相性は良さそうですが、お気に召しませんでしたか?」
「いえっ、そんな! そうではなくっ」
「ノリス領のように広大な大地をのびのびと駆けることはできないかもしれませんが……専用の馬車もいずれ作る予定ですし、休みの日には僕もメアリと遠乗りに出かけたいので」
予想以上の贈り物に、メアリは何か言おうと口を開けては閉じを繰り返した。
けれど、ここは素直に受け取るべきなのだろう。
メアリは両手を胸の前で組んで無邪気に笑った。
「本当にうれしい。ありがとうございます、フェリクス様!」
「メアリに喜んでもらえて、僕も本当にうれしいですよ」
その後、メアリはフェリクスと並んで馬に乗って馬場を何周か歩かせた。
フェリクスの馬は美しい青毛で、黒髪の彼が乗ると驚くほど絵になる光景だ。
本当は走らせたいところだったが、今日の服装では難しい。
また後日一緒に来てくれるとフェリクスが言うので、今日のところは芦毛の馬と仲良くなることに努めた。
日が落ちかけた頃、二人はようやく馬場を後にする。
夕食は屋敷に戻ってから落ち着いて摂ろうと決めた二人は、自然と手を繋いで馬車までの道のりをゆっくり歩いていた。
辺りが暗くなると、出歩く人も少なくなっていく。
少しだけ一人で夜の王都を走った時のことが脳裏に過ったが、隣にいるフェリクスの存在と繋いだ手の温もりのおかげで少しも怖くはない。
むしろ星空の下、周りに人がいない噴水広場を通るこの状況はなんだか恋愛小説に出てきそうな展開でロマンチックかもしれないとメアリは思った。
「メアリ」
ふと、フェリクスが足を止めてメアリの名を呼ぶ。
振り返ると穏やかに微笑みながらこちらを見るフェリクスと目が合い、メアリの鼓動が一つ跳ねた。
「メアリが発った日、二つのお願いをしましたね。答え合わせをしてもよろしいでしょうか」
「……はい」
心臓が急いで脈打ち始めたが、それが心地好くもある。
メアリはキュッと胸の前で手を握りしめると、フェリクスと同じように穏やかに微笑んだ。
「まず一つ目の思い出してほしい、についてですが……メアリの仕掛けたいたずらを見て、僕はノリス領に滞在していた時に貴女の策にまんまと嵌まったことを思い出しました」
正解だ。メアリがクスッと笑いながら小さく頷くと、フェリクスもさらに頬を緩めて言葉を続ける。
「そして二つ目。聞かせてほしい、のほうですが。先にひとつ謝らせてください」
「謝る、ですか?」
「ええ。……ノリス領で、メアリの提案を受け入れた時。僕は貴女にプロポーズをしましたね」
ネタばらしをし、ある意味で心が高揚したフェリクスからの求婚。
田舎の何もない道で、膝をついて差し伸べるフェリクスの手に自身の手を重ねた日は、そんなに前でもないはずなのにずいぶん昔のことのように思えてしまう。
「気持ちが伴っていない、形式的な求婚でした。ですから気持ちを伴った今、やり直しをさせてほしい」
「……聞かせてください」
気持ちを伴った、とフェリクスは言った。
つまりは、そういうことなのだろう。
じっとメアリを見つめるフェリクスの目は逸らすことさえできないほど真剣で、忙しなく動き始めた自分の心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
フェリクスは一歩近づくと、そっと両腕を伸ばしてメアリのことを抱きしめた。
動きはとてもゆっくりで、拒否しようと思えばできるようにとの配慮が窺えたが、当然メアリは彼を受け入れる。
抱き締められたことはすでに何度かあるが、ここまで緊張感を伴うのは初めてだ。
フェリクスはそのまま細く長い息を吐いたものの、全てを吐ききることができない様子だった。
(緊張していらっしゃるのね……)
そのことがよりメアリの胸をしめつけ、期待が膨らんでいく。
次の瞬間、耳元でフェリクスの低い声が響いた。
「メアリ」
初めて聞く、フェリクスの震えた声。
——貴女が、好きだ。
消え入りそうな声で告げられたフェリクスの本当の気持ちに、胸の奥から熱い想いが込み上げてくる。
メアリが返事をするより前にフェリクスは身体を離すと、さらりとメアリの髪を手に取り口付けを落とした。
触れた感覚などないはずなのに、それだけでカッとメアリの全身が熱くなる。
「僕と、気持ちの伴う結婚をしてほしい」
いつの間にか目の前に差し出されていた小さな宝石箱がフェリクスによって開かれる。
中にはメアリが大事にしているイヤリングと同じ意匠の、エメラルドの指輪が光っていた。
つい先ほどまでの、息も吐けない緊張感はなんだったのかというほどフェリクスの微笑みからは余裕が見える。
いや、この期に及んで仮面を被っているのだろう。
メアリの手を取った彼の指先は、ひどく冷たくなっていたのだから。
「はい、喜んで。……ふふっ、大正解です。フェリクス様!」
メアリは、以前シュミット家の玄関でしてみせたように思い切りフェリクスの胸に飛び込んだ。
フェリクスは難なくメアリを受け止めると、あの時とは違ってしっかりと抱きしめてくれる。
涙が滲んでしまうほど、メアリは嬉しくて仕方がなかった。
もう想いを我慢しなくていいのだ。
「好きです。私もフェリクス様が大好き。演技ではなく、心から!」
「っ、やはり僕は、メアリに一生敵う気がしない」
「そうですか? あの時のように見事に言い当ててくれたでしょう」
「僕が答えられるよう仕向けたのは君だ。結局、またしても策に嵌まってしまったからな」
これ以上ないほど嬉しそうにフェリクスを見上げながら話すメアリに、フェリクスが無理して被った仮面はあっさり剥がれたようだ。
涙ぐんで無邪気に笑うメアリと、顔を真っ赤にしながらも愛おしげに彼女を見つめるフェリクス。
暗くなった王都の噴水広場で行われたプロポーズのやり直しは、二人にとって満足のいく「ロマンチックなプロポーズ」となった。




