29 フェリクスの敗北
メアリがノリス領へと旅立ってから三日。そろそろノリス邸に着く頃だろう。
あれから何度かメアリが仕掛けたいたずらを見つけているフェリクスだったが、彼女が戻った後に二人の時間を取ることを最優先にするため仕事を詰め込んでいるせいで、なかなか例の謎かけを解けずにいる。
ちなみに、メアリが仕掛けただろういたずらはどれもこれも些細でかわいらしいものだった。
二日目の朝に出かける間際、珍しく使用人から焼き菓子が手渡された。
なんでも、メアリから翌日の朝フェリクスに渡すよう頼まれていたという。
焼き菓子はパウンドケーキで、メアリが作る焼き菓子の中でもフェリクスが特に好んでいるドライフルーツとクルミがたっぷりと練り込まれたものだ。
まるで、休憩の際に召し上がってくださいというメアリの声が聞こえてくるようだった。
それから、同じものが数着あるフェリクスの仕事用の上着のうち、一着に小さなメモが仕込まれていた。
メモにはメアリの丁寧な字で書かれた「いつもお疲れ様です」というたった一言。
不思議なことに、それだけで仕事の捗り具合が変わるのだからフェリクスも存外簡単な男だ。
その他、フェリクスが日常的に使う物やよく向かう場所にメアリが書いたメモがいくつも隠してあり、フェリクスはそれを見つけるために屋敷でもきょろきょろと辺りを探してしまう癖がついてしまっていた。
メアリがノリス家へと向かって六日経過した頃には新しいメモを見つけることはできなくなっており、フェリクスはもう全てを見つけてしまったのだろうと考え少々残念に思う。
あと数日ほどでメアリもシュミット邸に帰ってくるとは思うのだが、いつあちらを発つのかは予定にすぎず、変更することだってあり得る。
(王都での生活に戻りたくなくて、帰って来ないなんてことはない、よな……?)
会えない時間が増えれば増えるほど、柄にもなく不安になってしまうフェリクスは寝不足気味だった。
七日目の夜の今も、ベッドに横になってから数時間経っても眠れずにいる。
フェリクスは一度ベッドから下りるとガウンを羽織って、机にまとめておいてあるメアリのメモを手に取った。
彼女の柔らかな雰囲気が文字にも表れていて、見ているだけでほっとするのだ。
「弱気になるなど……いつぶりだ?」
常に自分に自信があるフェリクスは、弱音を吐くどころか考えたこともほとんどない人生を送ってきた。
もしかすると、人生で初めてのことかもしれない。
そもそもフェリクスは、たとえ不安に思うことがあっても全てどうにかしてきたし、どうにかする自信もある。
だが、メアリのこととなると相手の気持ちを優先しすぎるあまりなにもできなくなってしまうのがもどかしい。
自分でも信じられないほどメアリが恋しくてたまらず、不安で仕方がないフェリクスは無意識に彼女の部屋へと向かっていた。
メアリの部屋の前に辿りついたフェリクスはドアに手を伸ばし、静かに開けて中に入る。
部屋の主は不在だが、ドアを開けた瞬間ふわりとあの香りを感じて、フェリクスは無意識に部屋の中へを足を踏み入れた。
「ん? これは……」
鏡台には、一枚のメモが置いてあった。
これまでと違って折りたたまれておらず、開かれたままのメモにはメアリの字で簡単な指示が書かれている。
『私の大好きな小説の話を覚えていますか? メモをすべて並べてみてください』
たまたまメモを全て持ったままだったフェリクスは、指示された通りそのまま鏡台にメモを並べた。
「大好きな小説というと、有名なミステリーだったな。確かメモの頭文字を並び替えると文章が現れるというやつか。つまりこれも……?」
先ほどまで抱えていた眠れないほどの不安はどこかへ消え、フェリクスは愉快な気持ちでメモを素早く並び替えていく。
そうして現れた文章を見て、フェリクスは言葉を失った。
『貴方の想いを』
同時にフェリクスの脳裏には、メアリが出立する時に告げた二つの願いが過る。
思い出してほしいことと、聞かせてほしいこと。
思い出すのは、ノリス邸のことで間違いないだろう。
そして今、メモに現れた文章こそが聞かせてほしいことなのだとしたら。
「僕の想いを聞かせてほしい、ということなのか」
フェリクスは額に手を当てると天を仰ぎ、自分がまたしてもまんまとメアリの策に嵌まったことを思い知った。
いたずらが仕込まれた時点で策に嵌まる気ではいたが、それは自ら進んで嵌まろうとしていたことだ。
しかし、そうではない。メアリのいたずらにフェリクスがあえて嵌まろうとしていることも含めて、完全に彼女の手の上で踊らされていたのだ。
これはフェリクスの行動を完全に計算し尽くした罠だ。
わかりやすい場所に隠されていたメモではあるが、フェリクスがあえて探そうとしなければ全てを見つけることはできなかっただろう。
メアリはフェリクスがきっと自ら探してくれると思っていたずらを仕込んだに違いない。
その上で、恋しさが募りどうしようもなくなった頃、フェリクスがメアリの部屋に向かうだろうことまで予想していたのだ。
そうでなければ、最後のピースを自室の鏡台の上に置いておくことはしない。
フェリクスはメアリの予想通り、不安と恋しさでどうしようもなくなってここへ来た。
それはつまり。
「メアリは、僕の気持ちに気づいている……まいったな」
フェリクスは耳まで顔を赤くして口元を手で覆い俯く。
まさかメアリが己の恋心に気づいていたとは思ってもいなかった。
いや、鋭いメアリを相手に見抜かれないと考えていたほうが浅はかだったのかもしれない。
あの日、メアリへの恋心に気づいてからというもの、フェリクスはずっと彼女が自分を想うようになってから気持ちを伝えようと決めて焦らず我慢してきた。
自分の言動が演技などではなく全て本気であるということに気づいてもらえるよう振舞い、その日が来るのをひたすら待ち続けていた。
元々、異性にも恋愛にもあまり興味がなさそうだったのでもっと時間がかかると思っていたが、どうやらいつの間にかメアリの気持ちはこちらに向いていたようだ。
「いつからだ……? メアリはいつから僕を?」
口元に手を当てあれこれ考えてはみるもののよくわからず、結局は本人に聞かないと正解はわからないのだろう。
「完全に僕の負けだ。帰ってきたら伝えないとな」
だが、普通に伝えるのは惜しい。
せっかくならフェリクスも、メアリのことを良い意味で驚かせたい。
メモを集めて手に取ると、フェリクスは一度メアリの部屋をぐるりと見回す。
それからふむ、と一度頷いてから口角を上げた。
「少し忙しくなりそうだな」
またしても寝不足になりそうだが、ここへ来るまでとは心持ちが全く違う。
フェリクスは脳内で計画を練りながら、静かにメアリの部屋を後にした。




