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腹黒次期宰相フェリクス・シュミットはほんわか令嬢の策に嵌まる  作者: 阿井りいあ
二人は婚約者編

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28 フェリクスと花の香り


 フェリクスは、メアリが真っ直ぐ外へ出ていくのを突っ立ったまま見送ることしかできなかった。


(今、何が起きたんだ……? それに、メアリの言葉の意味がわからない)


 今日からノリス領へ向かうメアリを見送るため、フェリクスは仕事へ行くのを遅らせて彼女が来るのを待っていた。

 しばらく離れることになるのでもう少し会話をする予定だったのだが、予想外の出来事が起きてしまった。


 まだメアリが抱きついてきた感触が残っている。

 胸元にピッタリとくっ付いてきた小さな頭、細く壊れてしまいそうな身体、柔らかな淡い金の髪。


 それから、愛らしい笑顔と心地好い声で紡がれた謎かけ。


 ただでさえ今日は仕事に遅れて行くというのに、このままではすぐに頭を切り替えられそうにない。


 口元に手を当てて大きなため息を吐いたところで、控えていたマクセンがからかいの滲んだ声で話しかけてきた。


「朝からお熱いことで」

「……マクセン」

「ちょ、睨むなよ。俺はただ、二人が仲睦まじくて喜んだだけだぞ? ま、羨ましいけどな! めちゃくちゃ愛されててさ」

「愛され……」


 マクセンに言われ、もしかすると本当にメアリが自分を好いているのだろうかという考えが過り、フェリクスは途中で声に詰まってしまう。


 一歩進んだ関係の演技だろうが、あれほどまでにメアリが大胆なことをしてくるとは思ってもみなかったせいで、遅れて照れが襲ってきたようだ。


(っ、抱きしめ返すべきだった。この僕が、動揺で身動き一つできなくなるとは……)


 今さらながらに後悔がフェリクスを襲うが、すでにメアリは発った後。

 つくづく自分の恋愛偏差値の低さにうんざりしているところに、マクセンのにやけた顔があると無性に腹立たしい。


「寂しいんだろ? なぁなぁ、寂しいんだろ?」


 ギロッと睨んだところで幼い頃からの付き合いであるマクセンには通用せず、余計に煽ってくる。

 だが、相手の対応に慣れているのはフェリクスとて同じ。


「……そうだな。さみしさを紛らわせるためにも、メアリが戻って来るまでは仕事に勤しむとしよう」

「え、あっ、ちょ」

「帰ってきた時にはメアリとの時間もゆっくりと取りたい。優秀な従者がいればそれも叶うな。そう思うだろ、マクセン」

「や、やめろよ。お前が頑張るってことは、俺や王太子殿下が後で大忙しになるやつじゃん。張り切るな、悪かったって!」

「なにを謝る? ああ、そうだ。メアリが戻ったら本格的に結婚式の話も詰めていかないと。必要な資料をまとめておけよ」

「だぁぁっ! わかったよ、やればいいんだろ! くっ、アルフォンス殿下、申し訳ございません……」


 フェリクスをからかおうとしたところで、大抵はこうしてやり返されるというのにマクセンも懲りない男だ。

 おかげでめでたくアルフォンスからの愚痴を頂戴することだろう。


 ブツブツ文句を言うマクセンから手渡された上着を羽織ると、フェリクスは自らも王城へ向かうべく歩を進める。


 玄関から外へ向かいながら、改めてフェリクスは冷静に考えた。


(メアリは、僕に願いが二つあると言った。婚約者として、絶対に叶えてやらないとな)


 軽く目を閉じて口元に笑みを浮かべる。

 メアリが告げたのは、思い出すことと聞きたいことがあるということ。


 今の時点ではなにもわからない謎かけだが、必ず解き明かしてみせると心に決めて門扉の外に停まるフェリクス専用の馬車に乗り込んだ。


「ん……?」


 その瞬間、馬車の中にふわりと漂う微かな香りにフェリクスは目を丸くした。


「どうした、フェリクス。……あれ。なんかいい香りがする。これ、どっかで嗅いだことがあるような……?」

「メアリだ」

「へ?」


 馬車の中には間違いなくメアリの香りが漂っている。

 つい先ほど、至近距離で嗅いだ香りなのだから間違えようもない。


 柔らかな髪がふわりと風に揺れたときの、メアリの甘い花のような香り。


 自然と再び顔が熱くなってきたフェリクスだったが、すぐに馬車内を調べ始めた。


 香りの元はすぐに見つかった。座席に置いてあるクッションの下に、小さな袋。


「これか」

「あっ、サシェだ。これが香りの元だったのか。でもなんでこんなところに?」

「そんなもの、答えは一つしかないだろう」


 フェリクスはメアリの香りと同じサシェと手に取ると、そっと鼻に近づけて香りを堪能する。


「メアリのいたずらだ」


 ようやくメアリの香りだということに気づいたらしいマクセンを横目で見ながら、フェリクスはサシェを上着の内ポケットにしまい込んだ。

 常にメアリが近くにいるようで胸の奥が熱くなるのを感じ、下手をすると仕事に集中できない気はしたがこのままマクセンにまで香りを嗅がせるのは癪だった。


 一方、マクセンはメアリのいたずらだと聞いて思い出したようにぽんと一つ手を打つと、先ほど姉のカリーナから手渡されたメモを取り出した。

 まだ内容を見ていなかったマクセンは一度確認してからフェリクスにメモを渡す。


 メモには簡潔に一文だけ書かれていた。


『メアリ様のいたずらはいかがでしたか?』


 きょとんとしてしまう二人だったが、同時にプッと吹き出して笑う。


(思い出せ、というのはこの香りのことか? ……いや、違うな)


 そこまで考えたところで、フェリクスの脳裏に過ったのはノリス家で自分が嵌まったメアリの罠の数々だ。


 思い出せといったのはきっとあの時のことだと確信したフェリクスは、馬車を走らせるよう指示を出した後マクセンに教えてやった。


「どうやら僕はこれからしばらくの間、メアリの策に嵌まることになるらしい」

「へぇ、それはまた……楽しい日々が待っていそうですねぇ、フェリクス様?」


 わざとらしく従者の仮面を被るマクセンのからかいも、今は気にならない。

 しばらくメアリと会えなくなる今日という日は、本来ならフェリクスにとって憂鬱な日々の始まりとなるはずだったが、いつの間にかワクワクしてしまっている。


 メアリのもう一つの願いである「聞かせてほしい」の謎も解き明かすため、フェリクスは溢れそうになる愛おしさを胸に抱き、彼女のいない日々の始まりを清々しい気持ちで迎えた。


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