41 フェリクスのご挨拶
「さっさと済ませてくれ。もうじき休憩が終わるのでな」
会議室のドアを閉めるなり、ディルクは仁王立ちで腕を組みながら言う。
わざわざ座って話す気はなさそうだ。フェリクスとしても、ゆっくり話をする気はなかったので願ってもないことである。
それにしても、あからさまに態度が悪い。
メアリとの婚約が決まる前はそれなりに相手への敬意が感じられたのだが、今はそれさえもない。
本来なら、フェリクスはそれを窘めることができる立場だ。
しかし、今は婚約者の父として相手をするつもりだった。
思うところはあれど、それらを全て胸の内にしまい込んでフェリクスはディルクを真正面から見た。
「ディルク副団長は、相変わらず僕をメアリの婚約者として認めておられないようですので。理由をお聞かせいただきたくて」
フェリクスの言葉にピクリと反応したディルクは、ますます不機嫌そうに顔を歪ませた。
「もし、僕になにか問題があるようでしたら改善するよう努めます。ですが、理由がわからないことには努力もできませんから」
「っ、そういうところだ! そういうところ!」
「そういうところ、とは?」
どこまでも冷静な話しぶりに苛立ったのか、ディルクはついにフェリクスを指差しながら文句を口にした。
「自分は何の問題もなく、完璧だと思っているところだ! いちいち鼻につく……嫌味な野郎だ。そこが気に入らん!」
人間性が気に入らないと言われてしまえばどうしようもないではないか。
結局のところ、それ以外に文句が見当たらないということだろう。
フェリクスは大きなため息を吐きたくなるのをグッと堪えて肩をすくめた。
「そうは言われましても。事実として僕は外見も家柄も良く将来性もあり、頭脳も腕っぷしでもそこらの男より優れていますから」
その通りではあるのだが、今のディルクには火に油を注ぐようなものである。
「ああ、腹立つ! 少しは謙遜ってものを……」
「謙遜したらしたで、心にもないことを、と言われますからね。ならば、事実として話した方がいい。謙遜に、なんの意味があるというのです?」
しかし、苛立っているのはディルクだけではない。
彼の言葉に被せるように告げたフェリクスの語気も強まっていた。
実際、そういった難癖もよくつけられるのだ。
だがこちらが下手に出れば出るほど相手は調子に乗る。
だからこそフェリクスは謙遜しないし、自分の有能さを言葉と行動で叩きつけるのだ。
実力の伴った不遜に返ってくるのは、せいぜい負け犬の遠吠えくらいなのだから。
そんなフェリクスの理不尽による苛立ちを感じ取ったのだろう、ディルクはしばし黙り込む。
ここで負け犬よろしくさらに突っかかるほど、ディルクも馬鹿ではなかった。
「……婚約の話だって、どうせ義務だと思って仕方なく受けたんだろう」
沈黙を挟み、ディルクは絞り出すように呟いた。
しかしそれこそ「貴方に言われたくない」案件である。
「そうですね。ですが、ディルク副団長だってフランカ嬢やナディネ嬢を結婚させようとしたではないですか。先に義務を押し付けたのは貴方ですよ」
正論は、時に人を激高させる。
言い終わるや否やディルクはフェリクスの胸倉を掴み、激しく壁に押し付けた。
大きな音と共に部屋が僅かに揺れ、フェリクスの眼鏡が床に落ちる。
「顔色一つ変えないのか」
余裕の態度を見せてはいるが、相手は近衛騎士団の副団長。
壁に押し付けられた衝撃で背中や胸は当たり前のように痛むし、苦しい。
「……殴ってもらえた方が、僕の正当性が上がりますからね」
口角を上げてそんな軽口も言ってはみたが、できれば彼に殴られるのは御免こうむりたいところだ。一発で気を失うほどのダメージを食らうだろう。
避けることはできた。戦って勝てる相手ではないが、うまく攻撃を避けて逃げることくらいはフェリクスにもできる。
でもそうしなかったのは、逃げないことを証明するため。
それもこれも、メアリとのことを認めてもらうためだ。
そんなことくらい、ディルクにだってわかった。
伊達に副団長をやっていないのだ。
ディルクはフェリクスの胸倉を掴んでいた手をゆっくり離して一歩下がると、俯いたまま悔しげに呻く。
「こんな男に……義務だけで愛情もない冷たい男に、メアリをやるわけにはいかんだろう」
乱れた胸元の服を整え、眼鏡を拾いながらその言葉を聞いたフェリクスは、淡々とした声で言葉を返した。
「それが、理由ですか」
「そうだっ!! 何か文句でもあるか!?」
フェリクスはハンカチを取り出し、口元に笑みを浮かべたまま眼鏡を綺麗に拭き上げる。
わざと少し時間をかけたのは、ディルクの頭を冷やすためだ。
無言が続く室内で眼鏡を拭き終えたフェリクスは、静かに眼鏡をかけ直すと再びディルクに向き直る。
その顔に、いつもの笑みはなかった。
「勘違いをされては困りますよ、ディルク副団長」
「何?」
急に変わったフェリクスの態度に、わずかな警戒心を抱いたディルクは片眉を上げる。
「おっしゃる通り、確かに最初は義務としか思っていませんでした。ですが今の僕は違います」
怒っているかに見えたが、そうではない。
フェリクスの目はどこまでも真剣で、真っ直ぐディルクを見つめている。
「僕は心から、メアリを愛してしまったので」
フェリクスが、初めてメアリに対する本心を人に打ち明けた瞬間だった。
動揺したのはディルクだ。
フェリクスが冗談を言うタイプではないことは、よく知っているのだから。
同時に、これまでの印象もあってそう簡単に信じることもできない。
結果として、ディルクは信じない方を選んだ。
「そんなもの、信じられるか。お前のことは子どもの頃から見てきたんだぞ」
単純に、ここまで怒り散らしておいて後に退けないという部分もあるのだろう。声の張りが先ほどに比べて弱々しい。
態度の変わったディルクを見てフッと肩の力を抜いたフェリクスは、困ったように笑った。
「僕自身が一番、信じられませんでしたよ」
今だって、自分が誰かに恋心を抱くなど不思議でならない。
特定の誰かのためにだけ何かをしてあげたいと思うなど初めてなのだ。
フェリクスは、大切だと思ってきた家族にさえ愛おしいとは感じたことがなかった。
そしてディルクは、こんな風に柔らかく微笑むフェリクスを見たことがなかった。
「……本気、なんだな」
「ええ」
ディルクとウォーレスは、古くからの知り合いだ。
一人息子のフェリクスのことは、早くに母親を喪ったこともあってディルクもかわいがっていた時期がある。
だが、子どもの頃から優秀だったフェリクスはあっという間に大人の手を離れてしまった。
気付けば接点も少なくなり、今では同じ王城で働く、父親に似て嫌味な頼もしい仲間となっている。
その程度の付き合いしかなかったものの、やはり幼い頃を知っているディルクにしてみれば色々と胸中も複雑であろう。
少しの間だけ呻いた後、バッと勢いよく顔を上げたディルクは吐き捨てるように叫んだ。
「いいか、絶対にメアリを泣かすんじゃない! 嫌がることはするな。一生大事にしろ。誰よりも大切に、お姫様のようにな!! じゃなきゃすぐにでも返してもらう!!」
わかりにくいが、どうやら許してくれたようである。
急に大声で告げられたフェリクスは目を丸くして驚いたが、すぐにふわりと微笑んだ。
それはいつもの胡散臭い笑みではなかった。
「すべて問題ありません。言われるまでもなく、そうするつもりですので」
貼り付けた笑みではないことが、ますます気に入らないのだろう。
ディルクは悔しそうにまた鼻を鳴らすと、最後に捨て台詞を吐く。
「ふんっ! やっぱりいけすかねぇ野郎だ! おい、メアリに訓練が終わったらすぐ来客室に迎えに行くと伝えておけ!」
「承知いたしました」
入ってきた時と同様に足音荒く会議室を出て行ったディルクの耳は、少し赤くなっている。
そんな不器用な、いずれ義父となる人の背を見送ったフェリクスは、本人に見えないところで深く頭を下げたのだった。




