北部辺境伯閣下に、申し上げます。
「お初、お目に掛かります。リオノーラ・アバランテと申します。南部辺境伯より、此度の件について全権を委任されてこの場に参りました」
到着の翌日。
リオノーラは、到着時には『体調が優れない』と面会出来なかった北部辺境伯の居室に招かれていた。
ーーー北部辺境伯、オーガスタ・デフォル。
体調が優れないというのは単なる事実のようで、彼はベッドの上で半身を起こしていた。
昔は頑健だったのだろうと思わせる、大柄で肩幅の広い人物だ。
けれど今は頬が痩けており、体も全体的に細かった。
余命幾許もない、そんな印象。
「……鉱山を、押さえる程、帝国が大事か」
憎悪を込めた視線で、オーガスタ辺境伯がボソリとそう吐き捨てる。
「いいえ。ライオネル王国と、そこに住まう民が大事なのです」
会う前から〝淑女〟の姿を作ったリオノーラは、静かに答えた。
「一方的に攻めてきて、海と陸を血に染めたあの国に、ヘラヘラと愛想を撒く……王家も、ザムジードも、尻尾を振る犬と変わらぬ」
「それは、違いますわ」
リオノーラは、彼に対して静かに首を横に振った。
「あの方々は、貴方のように恨みを持っていないだけです。故に、平和を選んだのですわ」
北部辺境伯が、何故戦争を望むのか。
リオノーラはまず、会談に臨む前にその理由を探った。
結果、出て来たのが 彼の血筋は途絶えているという情報だったのだ。
オーガスタ辺境伯の祖父母、当時の辺境伯夫妻、二人の息子……それら全てが、帝国との戦争で戦死していたのだ。
先達達と息子の一人は海戦で船が沈没したことで、祖母、母、下の息子は一時期ライオネルの国土……北部辺境伯領に攻め入った帝国兵によって。
追い返したのは、当時父親に命じられて王都に救援の直訴に向かっていた北部辺境伯自身と、隣の領から助っ人に来たオルブラン侯爵だった。
その後、彼は後妻も娶らず、自領の中で優秀だった血族の子を養子に迎え……強硬な反帝国派になった。
盟友であったオルブラン侯爵も、帝王陛下の従姉妹を娶り、仲を違えた。
孤独と憎悪の人。
リオノーラは、オーガスタ辺境伯をそのような人物と感じたのである。
反論に対して、彼は皮肉そうな笑みを浮かべる。
「平和の結果が、『国の穀物庫』に帝室の女を入れるのを認めた目のない王家と、腑抜けにされた侯爵家が飢饉の帝国に支援する状況か。民が流した血よりも帝国に頭を撫でられるのが大切な、安い国よ」
「では、今まで以上に血が流れることをお望みですか?」
「是。そして我が国に流れる血よりも多くの血を、帝国に流させる」
リオノーラが、微笑みを消さないまま問いかけるのに、オーガスタ辺境伯は返答を躊躇わなかった。
オーガスタ辺境伯の痛みは、彼自身にしか分からない。
想像出来たところで、実際にその状況に陥ってみなければ、誰も『彼のようにならない』とは断言できないのだから。
ノホーリ子爵家の父母を、お兄様達を、レイデンを、南部辺境伯家の皆を、リオノーラは失ったことがない。
もしかしたら自分も、彼のような目に遭えば、帝国を滅ぼして帝室を絶えさせて、まだ足りない程の憎悪に身を焼かれるかもしれない。
だからリオノーラは、彼の説得に来たのではなかった。
ただ、自分と利害が対立する哀れな方に、警告を齎しに来ただけなのだ。
『恨みは何も生まない』などという綺麗事ではなく。
『止まらなければ本当に全てを失う』と脅しに来たのである。
全ては、リオノーラ自身の想いと、自分が大切に想う人々の為。
決して正しさの為でも、過去の全てを否定する為でもない。
リオノーラが生きてきたのは、オーガスタに痛みを与えた『過去』ではなく、その上に齎された『今』の中だから。
そこで育まれた……オーガスタにとっては『偽りの』平和の中だったから。
「その血を流すのが、自らではなく、北部を任せるつもりで受け入れた義息でも、北部辺境伯領の民でも、構わないのでしょうか。それ程に、自らの恨みの方が根深いものである、と?」
「是」
「では、わたくしは辺境伯閣下に、こうお伝えせねばなりません」
リオノーラは躊躇わなかった。
病床にある以上、放っておいてもいいのかもしれない。
けれどここで情を掛ければ、彼の恨みに呼応する者が、また動き始めるかもしれない。
その根を断つ一言を、口にする。
「もし、誰かが貴方の恨みを継ぐことを望むのであれば……帝国への報復も果たせぬまま、貴方の息のかかった者達を、わたくしは全て失脚させましょう」
するとオーガスタ辺境伯は、おかしそうに口元を歪める。
「そのようなことが、可能だと……?」
「ええ。貴方はうまく立ち回りました。自分が表に立たないまま、その心の内に溢れんばかりの憎悪を押し込め、虎視眈々と手を打った。けれどわたくしは……」
リオノーラは、あえて笑みを酷薄なものに変えて、言葉を重ねる。
「貴方が国王陛下に翻意を持っているという証拠と証言を、揃えさせていただきましたわ」
改めて調べてみた北部辺境伯の領内での彼の評判は、決して悪いものではない。
仲を違え、手を組むのを良しとしない相手と交流を持たないことで、多少の軋轢はあれど、決して領民を虐げていることもなく、税を納めないなどの悪辣な方法に手を染めてもいない。
為政者としては、非のない人物だ。
それは目論見を悟られない以上に、彼自身の、家族を殺された恨みと悲しみを忘れることすら出来ない程の優しさ故、なのである。
だから。
「わたくしは、貴方と先達が慈しみ、育ててきた北部辺境伯領の全てを、他人に譲り渡さねばならないだけの根拠を持って、正式に国王陛下に直訴致します。……義息も、残った血族の方々も、無事には済まないでしょう」
何せ最大の証拠は、国王陛下の首をレイデンのものと挿げ替える、という計画そのものである。
「この場に赴いたのは、あくまでもわたくしの温情ですわ。……自らの手で成し得なかったことは、死の淵まで共にお持ち下さい」
「温情、か」
オーガスタ辺境伯は、皮肉げに笑う。
「貴様らにとっての断罪、の間違いではないのか?」
「そう受け取っていただいても、構いません。わたくしの温情は、貴方へ向けたものではなく、貴方が今まで慈しんで来た全てに向けたものです」
同じ玉座の奪取を目論む者であっても、幽閉された前・アバッカム公爵とオーガスタ辺境伯には違いがある、と、リオノーラは考えていた。
自分のことだけが大切な者と、自分以上に身の周りの人々が大切な者。
その違いである。
身勝手な人物は、これ程辛抱強く、用意周到には動かないだろう。
そして、慕われもしない。
前・アバッカム公爵の方は、身内だけでなく周りの者達の評判も最悪だった。
「どうか、ご決断を。貴方の恨みの深さを、理解出来るとは申しません。ただ、領地と、それを預けるに足ると判断した義息と、家族……今なお報復を諦めることが出来ない程、愛した方々の為に」
詭弁である。
我慢せよと、彼の大切なものを質に入れた上で情に訴える、最も卑劣な手段。
道理に照らしてなお、彼からしたら受け入れ難い提案に。
オーガスタ辺境伯は、ゆっくりと窓に目を向けた。
そこに飾られているのは、二つの指輪。
おそらくは、北部辺境伯自身と……帝国の侵攻によって亡くなった奥方のもの。
『恋形見』……そう呼ぶには、あまりにも悲痛な結末を辿ったお二人の。
「卑劣よな」
「ええ、貴方と同じように」
「そして、下劣だ」
「ええ、貴方と同じように」
「……耐え難きを耐えよ、と口にするその裏で、自らは耐えぬか」
「はい」
オーガスタ辺境伯は、聡明だった。
恨みを抱き、この年齢に至って、肉体すら衰えてなお、リオノーラに言葉を差し向ける。
『お前も同じだろう』と。
それを、リオノーラ自身も十分に理解していた。
「わたくしの愛する者は、まだ生きておりますから。そして北部辺境伯閣下は、まだ、その手を恨みで血には染めておられません」
それが全てだ。
どう振る舞うことが『死者に顔向け出来ない』と感じるかは、人それぞれである。
人に迷惑を掛けたとしても、まだその恨みによって、誰も殺していない。
ミスティ子爵家のクゥ嬢も、ペソティカ男爵家のアルミニカ様も、迷惑を被った側面はあるけれど、結果的に誰も、彼の干渉によって直接的に不幸にはなっていないのだから。
「……私の負けだ。もう、顔を見せるな」
「はい。残りの生涯に、可能な限り苦しみなきよう、祈っております」
「よく言う」
それ以上、会話はなかった。
退出せよ、と告げられて、リオノーラは深く淑女の礼の姿勢で頭を下げる。
「北部辺境伯夫妻の再会に、ご多幸のあらんことを。失礼致します」




