第93話 小さな勝利
「追撃する。地獄の果てまで叩き込むわよ!」
凛とした声が戦場に響く。それはある種の神啓となって、その場に居合わせた兵士たちの胸に響いた。それはユニコーン隊の少女たちだけではない。ヴェーザー王国軍に属して戦う者全てが、彼女の放った一言に感情を奮わせた。
頭上から爆撃と鉤爪の一閃が降り注ぐことは十分に理解できている。だが、それであっても前に進み続けることを、その場に居合わせた兵士たちは選び取った。
「戦乙女に続け!」
「我々が随伴する! 全員行くぞ!」
あちこちで鬨の声が湧き上がると、それは地鳴りのように伝播して戦場を包んでいく。思いもよらない事態――だが、それは彼女らにとって最も好都合な状況であった。空襲を突っ切って敵を追撃するならば、随伴戦力は必ず必要となる。
その状況を見逃さず、隊の中列に立ったベアトリクスとリーアは槍を高々と掲げ、現場指揮官として堂々と命令を下した。
「ユニコーン隊は各分隊ごとに散開、的を絞らせず、絶えず機動しながら敵を翻弄し続けろ。指揮権は各分隊長に預ける――最適な判断を下し、各自が総力を尽くして戦え」
「わたくしたちは命令しませんわ。自分と仲間を信じて戦ってくださいまし。目の前の状況が全てと思ってもらってよろしくてよ」
ベアトリクスの掲げた槍の穂先が陽光を反射し、目の眩むような輝きをその場に広げる。その輝きに魅入られるように全員が空を見上げ――直後、命令とともに駆け出していた。
「――総員突撃! 敵陣をかき乱せ!」
雄叫びを上げて四十八騎が一斉に突撃――迎撃のため足を止めた敵の側面へと散開しながら回り込む。第七分隊のようなトリッキーな戦いではなく、セオリー通りの騎兵強襲――だが、その威力は尋常の騎兵突撃に倍するものとなって襲いかかる。
通常の騎兵が相手であれば、迎撃のための密集陣形を回転させる――それが叶わずとも、前列を傾斜させるなどの方法をもって対応は可能である。
だが、ユニコーン騎兵の持つ最大の武器――尋常ならざる展開速度は、戦列歩兵が銃剣で武装して槍衾を形成する、あるいは密集して一斉射撃で撃退するといった基本的な迎撃戦術を完全に無意味なものへと転じさせる。
陣形転換の余裕を一切与えられないままに側面からの衝撃を受ければ、歩兵は瞬時に騎兵部隊の持つ突進力によって蹂躙され、刹那のうちに隊列は瓦解する。
「陣形転換――」
貞享を見て取ったアルタヴァ軍将校が叫ぶ。だが、その声が届いたときには既にユニコーン隊の槍は兵士たちの心臓を貫いていた。
鋭く尖ったナイフを柔布に突き立てるように陣形が真横から切り裂かれ、幅広く側面に展開した部隊が互いに連携し合うことで、広範囲に渡って隊列が食い破られていく。
「何が起きて――」
アルタヴァ軍の将兵が泡を食って右往左往する中を、なんの遠慮もなくユニコーンに乗った少女たちが駆けていく。一騎も欠けることなく敵陣を突破――それに続いたのは、正面から突撃してきたヴェーザー陸軍の戦列歩兵だった。
戦列歩兵同士の戦闘は、いかに隊列を崩さずにいられるかですべてが決まる。サーベルと騎兵槍によって切り裂かれたアルタヴァ軍はその役目を果たすことなく、ただの一斉射で完全に崩壊した。
ありえない、と叫ぶ声すら戦場の混沌に呑み込まれる。ユニコーン隊が戦闘に参加して数時間も経たないうちに状況は絶望的なまでに変転し、勝利の余裕も敗北の恐怖へと移り変わっていく。
「……勝てるものか」
前線で指揮を取っていた士官の手からサーベルが落ちる。諦めと呆れ――それらを多分に含んだため息は、直後に響いた銃声によって血の交じった苦悶の吐息に変わった。
その遥か彼方、ライフルを構えたオリヴィアが大きく息を吐いて、撃ち抜いた士官から視線を外した。
「……目標撃破。これで――」
彼女はそこまで言って、自分が何人の士官を射抜いたのか覚えていないことに気付いた。心の余裕が失われているというわけではない――ただ、数えることがもはや無意味なことでしかないと彼女が無意識下で悟ったが故であった。
(何だ――簡単じゃないか。忘れれば……)
殺人という行為をオリヴィアは好まない。だが、彼女の心はその重さを捨て去る術を徐々にではあるが知りつつあった。あくまで無自覚的なものではある――が、着実に戦場への順応を深めていた。
同時にそれは、人間としての在り方から大きく逸脱していく第一歩でもある。完璧な兵士は殺人を忌避せず、自身の生存と味方の勝利のために呼吸するように敵を殺す。
その域には未だ達せずとも、オリヴィアが自らの手で敵を殺めて指揮系統を破壊する中、良心を痛ませない保護回路を自らの内に組み上げつつあることは確かであった。
流れるように再装填――その間も彼女の両目は見開かれ、次の獲物を探し続けている。一人でも多くの士官を討ち取ることで仲間を守ると決めた以上、少尉以上の階級章を胸に着けていることは死神の鎌に自ら飛び込むに等しかった――が、アルタヴァ軍の形式的な在り方は、階級章を自ら剥がし取って逃げ出すことを士官に許していなかった。
立て続けの狙撃が指揮系統を破壊し、分断された隊列から統制を徹底的に奪い去る。彼女の瞳は冷徹な輝きを帯び、獲物をどこまでも追い詰めていく――が、不意にその視線が上空へと向けられた。
「……来る!」
羽撃く翼は十二対――頭上のグリフォン騎兵がそれぞれ二発ずつ抱えた爆弾を投下した。空中で爆裂したそれは、内部に充填されていた大量の獣脂を引火させて地上目掛けて炎の雨を降らせた。
もとより市街地あるいは要塞に対して使用される兵器であるそれらを野戦において使用したところでさほど大きな威力を発揮するわけではない。
しかし、空中から降り注いだ燃える豪雨はその場の兵員全てを問答無用にその場に釘付けにした。ユニコーン隊の前進によって押し込まれていた戦線が僅かの間ではあるが硬直――押し戻すには至らずとも、アルタヴァ軍にとって後列に撤退命令を通達するには十分に過ぎた。
「畜生待ちやが――熱ッ!?」
軍服の裾が焦げたテレサが追撃の足を止め、慌てて手甲で火の粉を払い落とす。他の兵員も似たりよったりの有様であり、その隙を逃すことなくアルタヴァ軍は一斉射撃――大半は命中せず空を切ったが、足止めには十分であった。
「クソ、深追いするな! もう十分ファックしただろうアバズレ共! 引け! それ以上咥え込んだらガバガバになっちまうぞ――戻れッ!」
混乱に乗じてグリフォンが地上の歩兵を襲い始めるに至って、ベアトリクスは撤退命令を下した。同時に敵が大きく退いていき、戦場には僅かな静寂が訪れた。
(……押し戻したか。だが、これで五分だ。まだ戦いが終わったわけではない)
ベアトリクスは小さく息を吐き、配下の四十八騎が揃っていることを確かめた。兵員はいずれも健在――著しく疲弊してはいるが、少女たちは戦闘を生き延びていた。
アルタヴァ軍は国境線より後ろへ撤退し、ヴェーザー軍は失地を回復――結果だけ見れば開戦時に戻っただけである。だが、その勝利は先手を取られたヴェーザー陸軍にとって、願ってもないものであった。




