第51話 導かれた運命
騎兵学校への帰還、そして実弾射撃訓練の開始から二週間――基本戦闘訓練が残り二週間余りとなり、いよいよ「訓練生」から「新兵」と呼ばれる日が近づきつつある中、少女たちは小銃を手に標的に狙いを定めていた。最初は反動を受け止めるだけで精一杯であった彼女らも、今や余裕を持って狙いを定めることに馴染みつつあった。
それは射撃経験者の多かった第七分隊の面々も同じことで、分隊としての総合的な技術だけで言うならば、確実にトップといえるだけの成績を叩き出している。その中でも頭角を現しつつあったアイリスは、一五〇メートル先に設置された人型標的を前に、呼吸を整えて狙いを定めていた。
「よし――」
軽く息を吐いて呼吸を止め、彼方に置かれた標的に狙いを定める。長く構えることはせず、アイリスは大胆にトリガーを引き絞った。ハンマーが落ちると同時に鋭い反動と衝撃が突き抜け、彼女の長い髪を揺らす。
放たれた一射は過たず標的紙の中心を射抜いて、親指ほどの直径の弾痕を残した。それを見ていたベアトリクスは一度頷き、満足げに手を叩いた。
「お見事。では次――モンドラゴン訓練生、撃ってみろ」
「――はい!」
彼女の後ろで控えていたオリヴィアが一歩前に進み出て、手にしていた銃に素早く実弾を装填する。一五〇メートルでの単独射撃――もとより横隊での斉射を前提とするマスケットでの命中率は百メートルで五割を切るが、彼女らに要求される射距離はそれ以上に長い。
しかし、少数精鋭を旨とする特務小隊である彼女らにとって、その距離は必殺の間合いでなければならない。騎兵といえども常に馬上で近接戦闘を挑むわけではなく、むしろ騎馬による偵察行動とそれに付随した狙撃技術の習得こそが、彼女らにとっての重要な課題の一つであった。
その意味合いにおいて、第七分隊の能力は群を抜いて優れていた。狙撃技術において頭角を現したのは四名の射撃経験者の中で二名――猟師の集落で育った娘であるオリヴィアと、貴族として狩猟を嗜んできた経験のあるアイリスである。他の二人――カレンとエリカの技量が低いわけではないが、ベアトリクスとリーアは、この二人のうちどちらかが最優秀射手としてライフルを支給されるべきであると考えていた。
「……いきます」
オリヴィアは流れるような動きで小銃を構え、深く息を吸い込んで狙いを定める。一瞬の静寂――吹き抜ける風が止む瞬間を待って、オリヴィアはトリガーを引き絞った。一撃必殺――彼女が放った一射は過たずに人型標的の頭部を貫き、その場で様子を見ていた訓練生たちに驚嘆をもたらした。
オリヴィアは大きく息を吐き、煙を吐く銃を下ろして数秒間目を閉じて力を抜いた。未だにその表情には緊張感が見られるが、二週間という時間――そして、ユイから与えられた言葉は、徐々に彼女の自身を回復させつつあった。まだ本調子ではない――本来の彼女であれば二百メートルでの命中すら可能であり、実戦では完璧にそれを成し遂げて敵の頭部を射抜いている。
訓練生が多く撃った中で偶然に命中することこそあれども、その一撃は紛れもなく彼女自身の意志によってもたらされたものであり、オリヴィアの持つ高い技量を証明していた。ベアトリクスはその結果に納得したようにぽんと手を叩いて深く頷き、訓練生全員に呼びかけて射撃訓練の終了を告げた。
「よし! 上等だ、モンドラゴン訓練生。以上で教範射撃は終わりだ……あと二週間あまりで、貴様らは最終試験に臨むことになる。その中で狙撃技能に関する試験も行い、最優秀の成績を得た者には特級射手徽章とともに、最新鋭のライフル銃を支給する。これを持つ者は陸軍の誇りであり、最高の射手――ライフルマンの名を受ける。各員、その日まで自らの技能を磨いておけ!」
『マム・イエス・マム!』
「確かに、先程見てもらった二名の技術は卓絶している――だが、機会は貴様らに平等に与えられている! 同じくウジ虫であるのなら、××××を引き締めて気合を入れてみろ! いま貴様らの前に立っているのが標的紙ではなく、祖国への侵略を試みる邪悪なアルタヴァ人だと思えば、弾のほうから勝手に当たりに行くはずだ」
真剣な表情で頷く少女たちを前に、ベアトリクスはそこで一旦言葉を切って全員の顔を見回し、新たな――そして彼女らが騎兵となることを示す、最終訓練の始まりを告げた。
「では、小銃を各自ロッカーに戻し、十五分後に第二講堂に集合しろ。貴様らウジ虫どもに、新たな戦友を紹介する。貴様らと違って極めて上品で繊細な連中だ――無礼な態度を取れば、貴様らを串刺しにして殺すだろう。ついでに入隊時にごまかしを効かせたやつもだ。遺書を書くなら今のうちに済ませておけ――以上、解散!」
『……?』
新たな戦友と聞かされて、彼女たちは首を傾げた。一個小隊四十八名――彼女らにとっては、これが永遠の戦友である。他の部隊と共闘することこそあれども、お互いの魂を分け合って戦うのはこの小隊のみであると、短くも厳しい訓練を経て結ばれた鋼の絆が定義している。
だが、彼女らには一つの見落としがあった。日々の激しい戦闘訓練の中でつい忘れ去られがちであったが、部隊の名は第一ユニコーン騎兵訓練小隊であり、将来的に与えられる任務は騎馬――それも魔法を跳ね返す幻獣に乗っての強行偵察や機動的攻撃にある。
その中において、彼女らは一人で戦うわけではない。アイリスははっとした表情を浮かべて、第七分隊の面々と視線を交わして口を開いた。
「私たちは騎兵部隊だから、新しい戦友って言うと……」
『……!』
その一言で、分隊の全員が目を見開く。自らが何を志してこの騎兵学校に志願したのか――彼女らは、明白にそれを思い出した。あらゆる邪悪を払って稲妻のごとく駆け、降りかかる魔法の雨あられを弾き返す高位幻獣――ユニコーンを乗りこなすことを望んで、彼女らは今この場にいる。日々の厳しい訓練の中で忘れかけていた想いが燃え上がるのを感じて、アイリスは左胸に手を当てた。
入隊のきっかけこそ、意に沿わない政略結婚が嫌で逃げ出してきたことにある。しかし、一ヶ月以上に渡る苛烈な訓練とその中で結ばれた鋼鉄の絆は、最初に持っていた半端な感情を完全に吹き飛ばしていた。仲間のために刃を振りかざし、恐れず弾丸の雨に飛び込んでいく――その覚悟の重さと尊さを、一度の実戦を経て彼女は学んでいた。
「これから私たちは、本当の意味で騎兵になっていくんだ。あと二週間――たったそれだけの時間だけど、多分私たちにとって、いちばん大切な時間になると思う」
アイリスの言葉にカレンが深く頷き、肩に掛けていた小銃のスリングを強く握りしめた。
「ああ。十週間っていうと、短い時間だったように思える……けれど、それはシャバでの話だ。何も考えずに十週間生きてるのと、戦って護ることを頭に入れて十週間生きてるのじゃ――人生のウェイトってやつが全然違う。あと二週間だ、とことんやっちまおうぜ、みんな!」
カレンが差し出した右手の甲に、全員が手のひらを重ねる。
「アタシらはずっと一緒だ。この六人とこれから会いに行くやつらで、どんな戦場も戦い抜く――どこにも逃げ場がないなら、徹底的に突き抜けてやるまでだ……!」
その言葉に嘘偽りは一欠片も含まれていない。生まれはそれぞれに違う――だが、その胸に抱く思いは同じだった。国を愛し、仲間を守り、自らの正義を貫き通して戦い抜く。自分がこれまで生きてきたのはそのためであると、それぞれが心の底から確信を抱いていた。
射撃訓練終了からきっかり十五分――全ての訓練生が第二講堂に集まったのを確認して、ベアトリクスとリーアはその場に視線を巡らせた。普段は訓練に顔を出すことのない作業服姿の軍属が講堂を何名か訪れており、その手には磨き抜かれた真鍮の鍵が握られていた。リーアは少し間をおいてから、少女たちに呼びかけた。
「……はい、ウジ虫さんたちごきげんよう。これから皆さんには、とても大切な戦友――いえ、『もう一人の自分』を紹介することになります。おケツかっぽじって、よく聞いてくださいまし」
『……』
「これから、ウジ虫の皆さんには騎兵となってから死ぬまでの間をともにする軍馬を紹介いたしますわ。陸軍最高峰の幻獣にして、清らかな乙女にしか乗りこなせない白き一角獣――軍用ユニコーンですわ。もしこの場に膜無しがいらっしゃったら、すぐに申し出てくださいまし。その場で串刺しにされてブッ殺されたら軍が困りますので、この場で頭をかち割って全裸で街角に晒しておきますわ――非処女はいらっしゃいませんこと?」
あまりにも物騒な問いかけに少女たちは一瞬怯んだが、すぐにそれが真実であることを理解して、問いかけに沈黙でもって答えた。断じて非処女ではない――断じて。
「……分かりましたわ、信じますとも――ABCのどれがセーフってわけではないですけれども、膜があるならまああの子たちも許してくれましてよ。では、行きましょうか。ベアト、四十八頭、ちょうど揃っておりまして?」
「問題ない。こいつらの相棒はきっちり揃えてある。おいウジ虫共、これから与えられるのは、お前たちの命と同等の価値がある――というと無価値に聞こえるな。お前たちの命の一億倍は重要な軍の資産だ。万が一にでも失ってみろ、軍法会議より先に殺してやる」
凄みのある言葉を残して歩いていくベアトリクスの背中を、少女たちは暫し呆然と見つめていたが、やがて急ぎ足に駆け出してその後を追った。行き先は第二軍馬厩舎――彼女らの入隊と同時に新設された厩舎である。扉の側には二人組の憲兵が、着剣された小銃を手にして無言のまま立っている。ベアトリクスとリーアはその扉の前に立つと、手にしていた大振りで頑丈な鍵を使って扉を開け、同時に少女たちに呼びかけた。
「これから貴様らが出会うのは、貴様ら自身の運命だ。これから先、卒業までの二週間の訓練を共に過ごし、除隊か死の瞬間までともに戦うもう一人の自分――こいつらと向き合うことは、自分の内面を見つめることでもある。もう後戻りはできないぞ、いいか」
『――マム・イエス・マム!』
凛とした声が響く。それを満足そうに聞き届け、ベアトリクスは右手を掲げて声を張った。
「よろしい――ならば結構だ、貴様らに運命を見せてやる!」




