37.陳留の戦い
建安12年(207年)6月 兗州 陳留郡 陳留
兗州の陳留で、俺たちは曹操の軍勢とぶつかった。
曹操としては後のない、全力での迎撃戦だ。
対するこちらは張飛や趙雲の軍勢も吸収し、やはり全力を挙げての侵攻だ。
関羽は今までどおり、簡易的な野戦陣地を築いて、見張り櫓を立てる。
その点は曹操も似たようなもので、やはり陣地と櫓を築いていた。
しかし敵は数的な優位を頼りに、積極的な攻撃を掛けてくる。
なにしろ敵の兵数はこちらの5割増しなのだから、それも当然であろう。
一見、無謀とも思える突撃が繰り返され、こちらにも少なくない損害が出てしまう。
しかも敵には、さらにやっかいな部隊も控えていたのだ。
「虎豹騎が現れたぞ~!」
「守りを固めろ~!」
そう、曹操軍は騎兵隊を多く持ち、我が軍をかき回していたのだ。
元々、河北には遊牧民が多くおり、騎兵を雇いやすい土地柄だ。
曹操も袁家と戦いながら、多数の騎兵を雇い、戦力化していたのだろう。
さらに曹純が率いる虎豹騎という部隊が精強で、我が軍を悩ませていた。
選りすぐりの騎兵部隊がしばしば現れては、我が軍をかき回していく。
あいにくと味方は騎兵が少ないため、なかなかそれに対抗できない。
おそらく敵は1万騎を優に超えるのに対し、味方はせいぜい2千騎ぐらいしかいないのだ。
当初はそんな戦力の違いにも悩まされていたが、こちらもやられっぱなしではない。
「盾隊、前へ!」
「長矛隊、構え!」
「強弩隊、放てい!」
敵の騎兵隊が現れると、即応部隊をそちらへ回し、迎撃戦を試みるようになったのだ。
その部隊には盾や長矛、強弩を持たせることで、通常の部隊よりも抵抗力が高かった。
しかし広大な戦場に、即応部隊は数が揃わない。
そこで臨時の見張り櫓をあちこちに立て、騎兵隊の奇襲に備えるようにした。
騎兵隊を見つけると、軍鼓や旗による合図で即応部隊を移動させる仕組みだ。
この部隊で味方の被害を減らすと同時に、さらなる対抗策も準備していた。
「今日こそ息の根を止めてやるぞ、曹純!」
「おのれ、張遼!」
乏しい騎兵の多くを張遼に預け、敵の追撃に使ったのだ。
并州出身の張遼は、特に騎馬の扱いに長けており、部隊の指揮能力にも優れていた。
彼は敵の騎兵隊を見つけると、ただちに部隊を率い、敵に追撃を掛ける。
さすがに曹純を討ち取るまでには至っていないが、損害はそれなりに与えていた。
おかげで敵の騎兵隊が少しおとなしくなったところで、こちらは攻勢に出ることにした。
関羽をはじめとする猛将たちが陣頭に立ち、攻撃を仕掛けたのだ。
まるで嵐のように剣や矛を振り回す彼らの前に、曹操軍の兵士が次々と倒れていく。
元々、新兵の多い敵軍に、それを押しとどめるほどの気概も能力もなかった。
そうなると、敵の武将が前に出てこざるを得ないのだが……
「俺の名は許褚 仲康。いざ、尋常に勝負せよ!」
「おう、この関羽の攻撃、受けてみよ」
「おおっ!」
……
……
「ぐはあっ!」
「我こそは曹仁 子孝。この先へ行きたければ、俺を倒してみせろ!」
「邪魔だ! この張飛さまに挑むたあ、いい度胸だ!」
……
……
「ぐああっ!……む、無念」
「我が名は楽進 文謙。貴様の命も今日までだ!」
「いいだろう。趙雲 子龍がその勝負、受けた!」
……
……
「ぐふっ! ま、まさかこの俺が負ける、とは……」
こんな感じで、次々と討ち取られていった。
まあ、うちの武将はみんな強いからなぁ。
ちょっと相手が気の毒になるぐらいだよ。
この他にも中堅どころの武将が何人か討ち取られると、さすがに敵は士気が保てなくなってきたようだ。
これにはこっちが潜ませておいた密偵も、一役買っている。
劉備軍がいかに精強であるかを広めつつ、曹操軍は新兵ばかりで脆弱だとか、武将も腰抜けだから使い捨てにされると言い立てた。
これによって動揺の広がった曹操軍は、やがて崩れはじめる。
こちらがちょっと強く出ると、兵士が敗走するようになったのだ。
あれよあれよという間にその流れは広がり、とうとう曹操軍の士気は完全崩壊した。
その多くが統制もできないままに、逃げ散ってしまう。
事ここに至っては曹操も戦場には留まれず、陳留の東に位置する済陰郡へ落ち延びていった。
この先、どうなるかは分からないが、曹操との最大の戦いは終わったような気がする。
我が軍の完全勝利だった。
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建安12年(207年)7月 兗州 済陰郡 鄄城
その後、陳留郡を完全に制圧してから、済陰郡へ侵攻した。
すると曹操はほとんど抵抗もせずに、北部の鄄城へ籠もってしまう。
どうやら野戦をするほどの兵が集まらず、籠城するしかなかったようだ。
この鄄城は、呂布が兗州で反乱を起こした時も、荀彧や程昱が守り通し、後に反攻の拠点になった要地である。
今回も早くから天子さまを移し、守りを固めていたようだ。
そんな鄄城を囲んだ俺たちは、今後の方針を話し合っていた。
「さてさて、これからどうするかねえ。敵の守りは固そうだし、なにより天子さまを人質に取られてるからな」
「とはいえ、あまり時間も掛けられませんぞ。誰かが救援に駆けつけるかもしれませんし、中原の反乱分子が力を強めるかもしれません。それこそ、袁術のような」
「だよな~」
曹操が俺との決戦に戦力を集めたため、中原では豪族やら盗賊やらが、息を吹き返しているらしい。
当然、幽州へ逃げた袁家も盛り返してるそうで、それを率いているのが袁術なのだ。
そんな奴らに時間を与えるのは、決して好ましくないのだが、どうやって鄄城を落とすかが問題だった。
「魏延の決死隊も、だいぶ対策されてるしなぁ」
「面目ないです」
「いや、別にお前を責めてるんじゃないんだ。十分に予想できたしな」
城壁をよじ登るための縄を、床弩で打ち出すという戦法も、すでに対策されていた。
城壁上の主な部分に泥を塗るなどして、太矢が強く食い込まないようにされているのだ。
おかげで城壁をよじ登ろうと縄を引くと、ポロリと抜けてくる始末である。
たまたま強く突き刺さっても、すぐに敵兵が縄を切りにくる。
敵側では縄を切るための、専用の道具まで準備されているほどだ。
これらは今までの城攻めで判明しており、鄧城の時のような鮮やかな城盗りは叶わないのが実情だ。
しかしだからといって、打つ手がないわけではない。
「それで諸葛亮。別の研究は進んでるのか?」
「はい、今回の状況に沿った攻城案を策定し、機材も取り寄せております」
「さすがは諸葛亮だ。徐庶や龐統、法正もよくやってくれたな」
「「「ありがたきお言葉」」」
徐庶や龐統、諸葛亮や法正には軍師として、さまざまな戦術を研究させていた。
特に攻城戦においては諸葛亮が担当となり、機材の開発なども進めている。
「まあ、とりあえずは城内に降伏を勧告してみよう。それでダメなら、諸葛亮の案に沿って攻城戦だ。しっかりと準備を頼むぞ」
「かしこまりました」
さて、いよいよ大詰めだな。




