表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~  作者: 青雲あゆむ
第5章 中原争奪編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/67

37.陳留の戦い

建安12年(207年)6月 兗州えんしゅう 陳留郡 陳留ちんりゅう


 兗州の陳留で、俺たちは曹操の軍勢とぶつかった。

 曹操としては後のない、全力での迎撃戦だ。

 対するこちらは張飛や趙雲の軍勢も吸収し、やはり全力を挙げての侵攻だ。


 関羽は今までどおり、簡易的な野戦陣地を築いて、見張り櫓を立てる。

 その点は曹操も似たようなもので、やはり陣地と櫓を築いていた。

 しかし敵は数的な優位を頼りに、積極的な攻撃を掛けてくる。


 なにしろ敵の兵数はこちらの5割増しなのだから、それも当然であろう。

 一見、無謀とも思える突撃が繰り返され、こちらにも少なくない損害が出てしまう。

 しかも敵には、さらにやっかいな部隊も控えていたのだ。


虎豹騎こひょうきが現れたぞ~!」

「守りを固めろ~!」


 そう、曹操軍は騎兵隊を多く持ち、我が軍をかき回していたのだ。

 元々、河北には遊牧民が多くおり、騎兵を雇いやすい土地柄だ。

 曹操も袁家と戦いながら、多数の騎兵を雇い、戦力化していたのだろう。


 さらに曹純が率いる虎豹騎という部隊が精強で、我が軍を悩ませていた。

 選りすぐりの騎兵部隊がしばしば現れては、我が軍をかき回していく。

 あいにくと味方は騎兵が少ないため、なかなかそれに対抗できない。


 おそらく敵は1万騎を優に超えるのに対し、味方はせいぜい2千騎ぐらいしかいないのだ。

 当初はそんな戦力の違いにも悩まされていたが、こちらもやられっぱなしではない。


「盾隊、前へ!」

「長矛隊、構え!」

「強弩隊、放てい!」


 敵の騎兵隊が現れると、即応部隊をそちらへ回し、迎撃戦を試みるようになったのだ。

 その部隊には盾や長矛ながほこ強弩きょうどを持たせることで、通常の部隊よりも抵抗力が高かった。

 しかし広大な戦場に、即応部隊は数が揃わない。


 そこで臨時の見張り櫓をあちこちに立て、騎兵隊の奇襲に備えるようにした。

 騎兵隊を見つけると、軍鼓や旗による合図で即応部隊を移動させる仕組みだ。

 この部隊で味方の被害を減らすと同時に、さらなる対抗策も準備していた。


「今日こそ息の根を止めてやるぞ、曹純!」

「おのれ、張遼!」


 乏しい騎兵の多くを張遼に預け、敵の追撃に使ったのだ。

 并州出身の張遼は、特に騎馬の扱いに長けており、部隊の指揮能力にも優れていた。

 彼は敵の騎兵隊を見つけると、ただちに部隊を率い、敵に追撃を掛ける。


 さすがに曹純を討ち取るまでには至っていないが、損害はそれなりに与えていた。

 おかげで敵の騎兵隊が少しおとなしくなったところで、こちらは攻勢に出ることにした。

 関羽をはじめとする猛将たちが陣頭に立ち、攻撃を仕掛けたのだ。


 まるで嵐のように剣や矛を振り回す彼らの前に、曹操軍の兵士が次々と倒れていく。

 元々、新兵の多い敵軍に、それを押しとどめるほどの気概も能力もなかった。

 そうなると、敵の武将が前に出てこざるを得ないのだが……


「俺の名は許褚きょちょ 仲康ちゅうこう。いざ、尋常に勝負せよ!」

「おう、この関羽の攻撃、受けてみよ」

「おおっ!」

……

……

「ぐはあっ!」



「我こそは曹仁そうじん 子孝しこう。この先へ行きたければ、俺を倒してみせろ!」

「邪魔だ! この張飛さまに挑むたあ、いい度胸だ!」

……

……

「ぐああっ!……む、無念」



「我が名は楽進がくしん 文謙ぶんけん。貴様の命も今日までだ!」

「いいだろう。趙雲 子龍がその勝負、受けた!」

……

……

「ぐふっ! ま、まさかこの俺が負ける、とは……」


 こんな感じで、次々と討ち取られていった。

 まあ、うちの武将はみんな強いからなぁ。

 ちょっと相手が気の毒になるぐらいだよ。


 この他にも中堅どころの武将が何人か討ち取られると、さすがに敵は士気が保てなくなってきたようだ。

 これにはこっちが潜ませておいた密偵も、一役買っている。


 劉備軍がいかに精強であるかを広めつつ、曹操軍は新兵ばかりで脆弱だとか、武将も腰抜けだから使い捨てにされると言い立てた。

 これによって動揺の広がった曹操軍は、やがて崩れはじめる。


 こちらがちょっと強く出ると、兵士が敗走するようになったのだ。

 あれよあれよという間にその流れは広がり、とうとう曹操軍の士気は完全崩壊した。

 その多くが統制もできないままに、逃げ散ってしまう。


 事ここに至っては曹操も戦場には留まれず、陳留の東に位置する済陰郡せいいんぐんへ落ち延びていった。

 この先、どうなるかは分からないが、曹操との最大の戦いは終わったような気がする。

 我が軍の完全勝利だった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安12年(207年)7月 兗州 済陰郡 鄄城けんじょう


 その後、陳留郡を完全に制圧してから、済陰郡へ侵攻した。

 すると曹操はほとんど抵抗もせずに、北部の鄄城へ籠もってしまう。

 どうやら野戦をするほどの兵が集まらず、籠城するしかなかったようだ。


 この鄄城は、呂布が兗州で反乱を起こした時も、荀彧や程昱が守り通し、後に反攻の拠点になった要地である。

 今回も早くから天子さまを移し、守りを固めていたようだ。

 そんな鄄城を囲んだ俺たちは、今後の方針を話し合っていた。


「さてさて、これからどうするかねえ。敵の守りは固そうだし、なにより天子さまを人質に取られてるからな」

「とはいえ、あまり時間も掛けられませんぞ。誰かが救援に駆けつけるかもしれませんし、中原の反乱分子が力を強めるかもしれません。それこそ、袁術のような」

「だよな~」


 曹操が俺との決戦に戦力を集めたため、中原では豪族やら盗賊やらが、息を吹き返しているらしい。

 当然、幽州へ逃げた袁家も盛り返してるそうで、それを率いているのが袁術なのだ。

 そんな奴らに時間を与えるのは、決して好ましくないのだが、どうやって鄄城を落とすかが問題だった。


「魏延の決死隊も、だいぶ対策されてるしなぁ」

「面目ないです」

「いや、別にお前を責めてるんじゃないんだ。十分に予想できたしな」


 城壁をよじ登るための縄を、床弩しょうどで打ち出すという戦法も、すでに対策されていた。

 城壁上の主な部分に泥を塗るなどして、太矢が強く食い込まないようにされているのだ。

 おかげで城壁をよじ登ろうと縄を引くと、ポロリと抜けてくる始末である。


 たまたま強く突き刺さっても、すぐに敵兵が縄を切りにくる。

 敵側では縄を切るための、専用の道具まで準備されているほどだ。

 これらは今までの城攻めで判明しており、鄧城とうじょうの時のような鮮やかな城盗りは叶わないのが実情だ。


 しかしだからといって、打つ手がないわけではない。


「それで諸葛亮。別の研究は進んでるのか?」

「はい、今回の状況に沿った攻城案を策定し、機材も取り寄せております」

「さすがは諸葛亮だ。徐庶や龐統、法正もよくやってくれたな」

「「「ありがたきお言葉」」」


 徐庶や龐統、諸葛亮や法正には軍師として、さまざまな戦術を研究させていた。

 特に攻城戦においては諸葛亮が担当となり、機材の開発なども進めている。


「まあ、とりあえずは城内に降伏を勧告してみよう。それでダメなら、諸葛亮の案に沿って攻城戦だ。しっかりと準備を頼むぞ」

「かしこまりました」


 さて、いよいよ大詰めだな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孫呉が好きな方は、こちらもどうぞ。

それゆけ、孫策クン! ~転生者がぬりかえる三国志世界~

孫策に現代人が転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ