幕間: 陸遜は背後を任される
私の名は陸遜 伯言。
江東の名家 陸家の流れをくむものだ。
私は幼い頃に親を亡くし、従父の陸康さまのお世話になっていた。
しかし廬江郡の太守であった陸康さまは、袁術の手先である孫策に攻められてしまう。
私も一緒に戦いたかったが、一族の女子供を守るため、呉に避難せざるを得なかった。
その後、廬江が攻め落とされるのと前後して、陸康さまは亡くなられたそうだ。
おのれ、袁術め、孫策め。
この恨みは忘れない。
しかし世の中とは面白いもので、今度は袁術が劉備さまに倒された。
すぐに因縁の廬江郡も解放され、我らは懐かしい地へと戻ることができたのだ。
その際、劉備さまからは丁寧な書状をいただき、なにくれとなく便宜を図ってくれた。
我が一族は劉備さまに深く感謝し、何か恩返しができないかと思うようになる。
やがて遠回しに仕官を勧められるようになった私は、加冠の儀(成人式)を迎えるまで勉学に励んだ。
そして成人するとすぐに劉家の門を叩き、めでたく仕官が叶ったのだ。
劉備さまは恩人であるだけでなく、広大な領地を支配する華南の雄でもある。
その統治手腕は巧妙で、軍勢も精強と聞く。
あの方の下でならば、大きなことができるのではないかと、期待に胸を膨らませたものだ。
その後、私は盗賊や異民族の討伐で、戦功を積んだ。
やがて部隊を任されるようになり、多少は自信がついてきたところで、劉備さまに呼ばれたのだ。
「陸遜。これからは関羽の下で、軍の指揮を学んでくれないか?」
「は、ご命令とあればやぶさかではありませんが、なぜ私なのでしょうか?」
すると劉備さまは、関羽さまと顔を見合わせてから笑った。
「ハハハ、それはお前に期待してるからさ。陸遜は状況判断が的確で、頭の回転も速いと聞くぞ」
「うむ、それに軍学にも詳しいそうだから、大軍の指揮には打ってつけだ。そのような武将を、早めに育てておきたいと思ってな」
「なんというか……過分な評価に少々、戸惑います」
「今はまだ若いから、過剰な期待に思うかもしれないな。だけど俺たちは、お前の将来性を買ってるんだ。存分に学んでくれ」
「はい、ご期待に添えるよう、精進いたします」
こうして私は関羽将軍の下で、指揮を学ぶようになった。
なぜあれほどまでに私を買ってくれるのか、疑問に思わないでもないが、私にとっては都合が良い。
なんとか劉備さまのご期待に、応えてみせようではないか。
その後、将軍の横で、さまざまなことを学んでいった。
無双の勇士であり、歴戦の指揮官でもある彼の下で働いていると、実に参考になることが多かった。
おまけにその軍は、曹操との決戦に向けて準備を重ねており、新たな戦術の研究にも余念がない。
多くの勇将や軍師たちが、より強い軍を作るために、知恵を振り絞っている。
私もその中に混じって、議論を重ねるのは楽しかった。
この調子なら、我が軍は本当に中華最強の存在になるかもしれないな。
そう思い始めた頃、とうとう非常事態が発生してしまう。
「とうとう曹操が、劉備さまに牙を剥きましたか」
「うむ、劉備さまに徐州牧の解任と、許都への出頭を命じてきた」
「予想どおりではありますが、これから忙しくなりますな」
「ああ。しかし我らはこの日のために、準備を整えてきたのだ。なんとかなるであろう。陸遜の働きにも期待しているぞ」
「は、全身全霊をもって、事に当たります」
袁家をほぼ壊滅状態に追いこんだ曹操が、その矛先を劉備さまに向けたのだ。
劉備さまの罪状はただの言いがかりに過ぎず、出頭すれば死罪しかない。
残る道は、曹操との全面戦争だ。
劉備さまはこれを受けて、朝廷からの離反を宣言した。
そして襄陽王を名乗ると共に、奸臣 曹操の打倒を訴えたのだ。
さらに襄陽と廬江郡の守りを固め、徐州と九江郡からは兵と人材を撤退させている。
事前に準備をしていたこともあり、それらはおおむね混乱なく終わった。
そしてさほど経たないうちに、襄陽の北方に曹操の大軍が押し寄せたのだ。
その数はまさに、10万人を超えると思われた。
「まさに壮観だな」
「ですな。しかしこの程度で、この城は落ちはしませんぞ」
「それは頼もしいですな。しかし敵にはまだまだ増援があるでしょう」
「うむ、それは承知しておる。そのためにいろいろと準備をしてきたのだ。ここは信じてもらいたいな」
「もちろん信じてるさ。だけどあまり、無茶はするなよ」
「フハハ、儂は総大将なので、あまり無茶はしませんぞ。いざという時は出ますがな」
圧倒的な敵軍を前にしても、劉備さまたちは動じていなかった。
いかに予想できていたとはいえ、あの余裕の態度は見事なものである。
私も見習わせてもらうとしよう。
その後、態勢が整った敵軍が、東西の支城へ攻めてきた。
襄陽とは漢水を挟んだこの樊城は、北側の守りを受け持っている。
今回はその東西にも支城をひとつずつ造り、互いに連携しやすくしていた。
そして樊城では関羽将軍、西の支城では張遼どの、東の支城では黄忠どのが、それぞれ指揮を執っていた。
兵力は6万人程度と劣勢だが、その練度と士気には高いものがある。
さらに城を攻防に利用できるのだから、十分に勝機はあるというものだ。
実際に我が軍は、堂々と敵と渡り合っていた。
少ない兵数ながら、城を巧みに使い、その被害を抑えている。
そんな戦いの中、私は関羽将軍の副将という形で、指揮を補佐していた。
敵の情報を集め、それを分析して味方の戦術を決断する。
さらにそれを味方に伝えて、効率的に部隊を動かすなど、やることはいくらでもあった。
そんな激務の間にも将軍は、しばしば自身の決断の意図や経験談などを話してくれる。
おかげで私は、メキメキと戦術や指揮への理解を深めることができた。
この経験は必ずや、私の血肉となるだろう。
そんな攻防が数日も続くと、敵の動きが変わってきた。
それまでの苛烈な攻めがめっきりと減り、兵の損耗を抑えるような戦い方になったのだ。
おそらく犠牲が予想をはるかに上回ったため、消極的になっているのだろう。
いずれ増援があるとしても、しばらくは敵も受け身に回るしかない。
そして我が軍はその動きに乗じて、新たな戦いを仕掛けた。
「後の指揮は任せるぞ、陸遜」
「はっ、後方のことはお任せください。将軍もお気をつけて」
「うむ、行ってくる」
今までは城内で指揮に徹していた関羽将軍が、とうとう前線に出た。
それは支城でも同じで、張遼どの、黄忠どのといった猛将が部隊を率いる。
そして私は将軍の代わりに、樊城での指揮を任されたのだ。
正直、とてつもない重圧を感じているのだが、弱音を吐いている暇はない。
私にこの役目を任せてくれた劉備さまや、関羽将軍の期待を裏切るわけにはいかないのだ。
全力をもって指揮に当たるぞ。
やがて将軍の部隊が、樊城を離れて敵に接近する。
今までと違い、城を離れて積極的に攻め掛かる将軍の部隊に、敵が戸惑っているのが分かった。
私はそれを見て、他の部隊へ指示を飛ばす。
「張任どのの部隊を右に迂回させて、敵の側背を突かせろ。上手くいけば挟み撃ちにできるぞ」
「は、ただちに」
やがて関羽将軍の部隊とぶつかった敵軍が、動きを止める。
先頭に立つ将軍が暴れているおかげで、バタバタと敵兵が倒れている。
そのまま関羽将軍に押し上げられて、敵軍の隊列が乱れた。
やがて適度に乱れた敵軍の横腹に、張任どのの部隊が食いついた。
その効果はてきめんで、敵部隊がさらに乱れる。
その後も将軍と張任どのが押しまくったため、とうとう敵軍は敗走を始めた。
「やれやれ、関羽将軍が陣頭に立つと、ああまで強くなってしまうのだな」
「まったくですな。その強さ、まさに鬼神のごとし、といったところでしょうか」
「うむ、まあ、個人の武勇にばかり頼るのはある意味、邪道だがね」
「ですな。しかし敵もこのままではいられないでしょう。適当な武将が、出てきてくれるといいのですが」
「まあ、1人でも打ち取れれば、上出来ではないか」
わざわざ関羽将軍が陣頭に立ったのは、ただ敵兵を倒すためではない。
敵を挑発することで、名のある武将を釣り出すのが目的だ。
そう都合良くはいかないだろうが、しばらくは誘ってみようではないか。
その後、将軍を目立たせるような戦闘を重ね、敵将の出陣を誘った。
しかもこちらは積極的に攻めているようで、ある程度以上の深入りはしない。
そうなると敵は騎兵隊を出してくるようになったが、これは将軍たちの武力と、味方の騎兵でなんとか抑え込んでいた。
そんな状況に敵が焦れたのか、とうとう名のある武将が出てきたようだ。
関羽将軍の動きが止まり、敵将らしき男と対峙しているのが、遠目にも分かる。
そして両軍の兵士が見守る中、将軍たちの戦いが始まった。
どうやら敵将は、かなり強いようだな。
あの剛力無双の将軍と、互角に打ち合っているのだから。
しかし決して関羽将軍が劣勢というわけでなく、むしろ余裕があるようにすら見える。
その証拠に、徐々に将軍が敵を押し込んでいく。
そして数十合の打ち合いの果てに、とうとう敵将の体が地に倒れた。
関羽将軍の勝利だ。
それを見た敵軍が、にわかに崩れはじめた。
「さすがは関羽。見事に役目を果たしたな」
「ええ、実に見事なものです。私も精進せねば」
「なに、関羽と陸遜は違うんだ。それぞれに、得意なことをやればいいさ」
「はっ、ありがたきお言葉」
ふう、なんとか私も役目は果たせたようだな。
しかしまだまだ先は長いのだ。
この先も精進せねば。




