24.袁紹の死
建安7年(202年)5月 荊州 南郡 襄陽
益州で今後の統治体制を整えると、俺はまた襄陽へ戻ってきた。
そして改めて4州にまたがる仕事をこなしていると、関羽が俺を訪ねてきたのだ。
「兄者、朝廷からこんなものを贈られたぞ」
「ん? 朝廷から?」
関羽が無造作に取り出したものは、紫と白色の組み紐のついた印綬だった。
(注:印綬とは組み紐のついた官印で、官吏の身分証明となるもの)
そして俺は、それと同じものを持っていることに気づく。
「こいつは、将軍の印綬か?」
「ああ、そうだ。見事、益州を鎮圧した褒美として、鎮西将軍に任命してくれるそうだ」
「鎮西将軍って、俺と同格じゃねえかよ」
「ああ、そういうことなのだろう」
鎮西将軍といえば、俺の鎮東将軍と同格の将軍位だ。
それは2品の高位な官位であり、本来は州牧の配下でしかない関羽に、贈られるようなものではない。
つまりその狙いは明らかだ。
「フウ……いつかはやってくると思ったが、とうとうきたか」
「うむ、兄者が想像以上に早く、益州を取ったからであろうな」
そう言って俺たちは、しばし目を合わせる。
やがてどちらからともなく、笑いはじめた。
「プハハハハハ、こんなことしても、なんの意味もないのにな」
「ワハハハハ、儂らの関係が理解できないボンクラであれば、仕方ないであろう」
「まあ、そうだろうな。アハハハハ」
曹操が狙っているのは、俺の配下に俺と同格の官位を贈り、主従の仲を裂くことだろう。
普通の人間がこんなことをされれば、上司にとっては面白くないし、部下は増長してしまう。
そうやって両者の間に疑心を生じさせ、力を削ごうとしているのだ。
昔から何度も繰り返されてきた、離間の策というやつだな。
しかし俺と関羽に限っては、ほとんど意味をなさない愚策である。
なぜなら俺は絶対に関羽を嫉妬しないし、関羽が俺を軽んじることもないのだから。
もちろん、俺に讒言してくる者はいるだろうし、逆に関羽をそそのかそうとする輩もいるかもしれない。
だが絶対の信頼関係にある俺たちにとって、これぐらいで不安になったり、不満を覚えることはないのだ。
むしろ関羽に箔がつくのだから、逆に嬉しいぐらいだ。
「はあ、おかしい。どうせやるんだったら、俺より高位の官職でも贈ればいいのに」
「フハハ、これより上だと、1品か大将軍、四征将軍ぐらいしかないぞ」
「まあ、それでも俺は嫉妬しないけどな」
「それもどうかと思うがな」
ひとしきり笑ってから、俺は表情を引き締める。
「まあ、冗談はこれぐらいにして、曹操も今後はいろいろと邪魔をしてくるだろう。関羽の方でも気をつけておいてくれよ」
「うむ、心得た」
さてさて、今度は何を仕掛けてくるのやら。
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建安7年(202年)6月 荊州 南郡 襄陽
曹操のちょっかいが判明してしばらくすると、中原で大きな動きがあった。
「そうか、袁紹が死んだか」
「はい、病死のようです」
河北4州を支配する袁紹が、病死したという。
たしか前生でも、これぐらいの時期だったはずだ。
前生に比べれば曹操といい勝負をしていたものの、さすがに病気には勝てなかったらしい。
しかしその後の展開には、また違うものがあった。
「袁譚が後を継いだだと?」
「はい、当初は3男の袁尚が後継になる予定でしたが、袁術が袁譚を支持した模様です」
「おいおい、袁術かよ。あいつ、まだ生きてたんだな」
たしか前生では、3男の袁尚が後を継いだはずだ。
おかげで袁家の内部が3男の袁尚派と、長男の袁譚派に別れてしまい、曹操に各個撃破されたんじゃなかったかな。
それが今生では、袁術が生きており、袁譚を支持したという。
おかげで袁譚が当主に収まり、袁家の力はさほど弱まっていないようだ。
もっとも、袁尚の不満はくすぶっているので、いつ分裂するかは分からないがな。
それにしても、袁術がこんな形で関わってくるとはな。
どうやって介入したのか気になるので、ヤツの動きは調べさせよう。
そしてその影響がどう出るかも、知る必要がありそうだな。
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建安7年(202年)7月 荊州 南郡 襄陽
あれからひと月もすると、追加の情報が届けられた。
まず袁術だが、ヤツは冀州へ行ってから、ずっと日陰の暮らしをしていたらしい。
いくら袁紹の従兄弟だといっても、袁術は彼を妾腹と言って馬鹿にしていたのだ。
そんな人間が歓迎されるはずもなく、袁紹はしばしば袁術をいびっていたようだな。
しかし腐っても袁家の嫡流。
袁術はひそかに人脈を広げ、情報も集めていたのだという。
そして袁紹が病に倒れたことを知り、袁譚に知らせたようだ。
前生では袁紹の葬儀に間に合わず、家督の継承もできなかった袁譚だが、今生では違った。
袁術から得た情報で葬儀の前に駆けつけ、葬儀を主宰することができた。
もちろん袁尚との間で揉めたのだが、曹操という強敵を抱えた状態で、袁家を割るべきではない、という意見でまとまったようだ。
この説得にも、袁術が大きな役割を果たしたというのだから、侮れない。
思った以上にしぶとい男のようだな。
一方の曹操だが、袁紹死すの報が入るや、一気に軍勢を動かした。
多方面から黄河を渡り、袁家軍に攻撃を仕掛けたそうだ。
特に魏郡の黎陽には大軍を差し向け、本格的な攻撃を加えたという。
しかし前生よりもまとまっている袁家は、これに即座に対応した。
袁譚みずからが黎陽へ赴き、指揮を執ったという。
双方ともに数万の兵を繰り出して、盛大に殴り合っているようだ。
そんな話を、俺は高みの見物とばかりに聞いていたのだが、そうも言っていられなくなった。
「益州で反乱が頻発してるだと? しかも荊州にもその予兆があると?」
「はい、漢中では張魯の残党が蜂起し、益州南部でも多数の異民族が反抗しています。さらに武陵、零陵、桂陽でも、不満の声が高まっています」
劉璋から奪った益州だが、俺の配下を各郡の太守に上奏し、それを認められていた。
ただし州牧については、董昭という男が送りこまれ、成都に陣取っている。
もっとも各郡の政治・軍事はこちらで掌握しているので、州牧はお飾りみたいなものだ。
そんな体制で統治を進めている益州だが、急に反乱が増えはじめたという。
そしてどうやらその陰には……
「州牧の董昭が暗躍してるだと?」
「はい。しかしそれだけではありません。どうやら南陽に程昱が派遣され、謀略の指揮を執っているようなのです」
「董昭に加え、程昱か。そいつは厄介だな」
「はい」
程昱といえば、曹操の覇業を支えた軍師の1人だ。
それに董昭ってやつも、曹操の下で辣腕を振るった謀臣のはずだ。
そんな奴らが揃って、俺の支配地をかき回そうとしている。
こいつは曹操も本腰を入れて、俺の足を引っ張りにきてるようだ。
なんとか対応しないと、まずいことになるな。




