16.襄陽攻略戦(地図あり)
建安4年(199年)7月 荊州 南郡 襄陽
俺たちは3万人もの兵を率いて、南郡に侵攻した。
ちなみに今回は相手が州牧なので、交渉の機会もあると思って、俺も軍に同行している。
当然、戦闘に関しての指揮は、関羽に丸投げだけどな。
そんな俺たちは夏口から漢水をさかのぼっていったが、敵の抵抗は弱かった。
おかげでさして苦労もせず、襄陽へたどり着いたのだが、劉表は案の定、城に籠もってしまう。
「やはり籠城したか」
「まあ、兵力差からすれば、当然のことですな」
「しかし籠城ってのは、援軍があってこそ意味があるものだ。今の劉表に、そんな都合のいいものはないと思うがな」
「おおかた、袁紹が助けてくれるとでも、言っているのではありませんか」
そんな話をしている相手は陳宮である。
彼は諜報関係を一手に仕切る参謀として、今回の侵攻についてきていた。
「ということは、その辺が攻めどころだな」
「はい、すでに城内に潜入している密偵には、その旨を指示してあります。加えて城外からも叫んでやれば、敵兵の士気はさらに落ちるでしょう」
「さすがだな。それじゃあ、その辺の手配は任せるぞ」
「かしこまりました」
こうして俺たちの、襄陽攻略戦が始まった。
俺たちはまず、城を遠巻きに囲みながら、陣を敷いていた。
そのうえで城門に対して、小手調べの攻撃を敢行した。
ちなみに襄陽城は、漢水の南側に面しているため、城門は東西南の3方向のみだ。
そしてその周囲には水濠が張り巡らされており、門以外からの接近は困難だ。
当然、門の周辺には防衛設備がひしめいており、その突破も容易でない。
そのうえ3里(約1.2km)四方の城壁は7歩(約9m)もの高さがあり、所々に櫓も建っていて、ちょっとやそっとで取り付けるものではなかった。
さすが、劉表が新たな州都に選んだだけはある。
(注:劉表が赴任するまでは、武陵郡の漢寿が州都だった)
そんな状況だから、城門の攻略は様子見だけで、適当なところで切り上げた。
そのうえで盾を持たせた兵を適当に配置し、城内に大声で呼びかけさせる。
「すでに劉表には、南郡と武陵郡しか残っていない! じきに武陵郡も落ちるぞ~!」
「劉表が頼りにする袁紹は、司空閣下とにらみ合っている! 援軍は期待できないぞ~!」
「そもそも司空閣下に楯突いた劉表は、漢王朝に歯向かう逆賊だ! そんなヤツに味方をしても、未来はないぞ~!」
「徐州牧の劉備さまは寛大なお方だ。劉表が降伏すれば、命は保証しよう! 降伏後の処遇についても、相談に乗るぞ~!」
なんて感じである。
そんな声がけと攻撃を、俺たちは何日も繰り返した。
こっちには3倍の兵がいるから、交替で昼も夜もなく圧力を掛けてやれる。
そうするうちに、敵兵の士気が落ちてきているのが、外からも感じられるほどになった。
「そろそろ攻め時かな?」
「ええ、そろそろよろしいのでは」
「ヘヘヘ、それじゃあ、今夜にでも」
「ああ、任せたぞ」
俺が攻撃を任せると、関羽と甘寧は不敵に笑っていた。
そしてその日の晩。
「城内が騒がしくなりましたな」
「ああ、どうやら撹乱工作は、上手くいったようだな」
「ええ、しかし思うようにいくでしょうか」
「大丈夫だ。関羽と甘寧なら、やってくれるさ」
「本当にそうだといいのですが」
陳宮が心配そうにしているが、俺はあまり心配していなかった。
今回の作戦は、城内に潜入した甘寧の部下が、騒ぎを起こすことから始まる。
今、城内が騒がしくなっているのは、密偵が小火でも起こしているのだろう。
その混乱につけこんで、我が軍が攻勢に出るのだ。
その陣立ては張飛が西門、太史慈が南門、そして関羽と甘寧が東門の担当だ。
西と南の攻撃は陽動で、東門が本命である。
本命の東門には、2万人もの兵士が配置され、突破を図るのだ。
それは決して容易ではないだろうが、俺は関羽と甘寧を信じていた。
そして今、目の前で彼らの猛攻が始まった。
まず関羽は、大ぶりな盾や竹束を前に出して、ジリジリと城門へにじりよった。
そしてある程度、近づくと、その陰から弓矢や強弩で城壁に攻撃を掛ける。
当然、城壁上からも矢が撃ち返されるが、その数はさほど多くない。
なぜならこの日の兵力差は、こちらが圧倒的に多いからだ。
ただでさえ、3方向から攻められて分散しているのに、城内では火事騒ぎも起こっている。
おかげで今、この東門付近では、こちらの兵力は敵の10倍近くになっていた。
それを関羽が上手に指揮を執り、入れ替わり立ち替わりで敵に圧力を掛ける。
敵兵には今まで攻められ続けた疲労と、士気の低下が相まり、みるみるうちに抵抗が弱まっていく。
そんな状況下、敵の連携が一時的に途絶え、ポッカリと敵からの攻撃が止んだ。
その瞬間、甘寧が雄叫びを上げたのだ。
「野郎どもっ、突撃だ!」
「「「おお~~っ!」」」
甘寧ひきいる決死隊が、猛然と城壁に攻め寄せた。
その数は百人にも満たないが、手際よく城壁にハシゴを掛けたり、カギ爪の付いた縄を投げ上げたりして、城壁に取りつかんと奮闘する。
もちろん敵も抵抗を試みるが、こちらの弓兵部隊が猛然と射掛けることで、それを邪魔した。
おかげで決死隊は被害を出しつつも、数人が城壁上に取りつくことに成功する。
彼らはそのまま城壁上で暴れまくり、後続が登ってくるのを援護しはじめた。
やがて指揮官の甘寧も上がると、城壁上の情勢が一変する。
剣を振るう甘寧の参戦で、バタバタと敵が倒されはじめたのだ。
その様はまるで、暴風雨のようだった。
おかげでさらに多くの味方を送り出すことに成功し、東門の内部を一時的に制圧する。
そのまま東門を奪取して、内から開け放つことで、戦況はほぼ決したようなものだ。
「城門が開いたぞ。皆の者、突入せよ~!」
「「「おお~~っ!」」」
関羽の号令に従って、味方が城内に突入していく。
その勢いは凄まじく、敵にそれを防ぐ力があるとは、とても思えなかった。
「ふう、どうやら趨勢は決したようですな。実にお見事でした」
「ああ、関羽も甘寧も、本当によくやってくれた」
「はい、まさかこんなに早く襄陽が落ちるとは、思いもしませんでした。これでまた一歩、天下に近づきましたな」
「さ~て、本当にそうなら、いいんだがな」
陳宮が言うように、わりと短期間で襄陽を落とせたのは、間違いなく朗報だ。
しかし今後、中原を押さえるであろう曹操には、まだまだ敵わない。
俺は今後の生き残りに向けて、考えを巡らしていた。




